第一部 透 第二部 トモ 第三部 康史
――― 透 ―――
横須賀
私はこの町が嫌いだ。小学校五年生になる春に、引っ越してきた町。
それまで私は四国の片田舎に住んでいた。
低い野山が重なり合う谷間の集落だった。裏山は蜜柑畑で、道路を挟んだ目の前は、春には田んぼになり、稲刈りが終わると大根畑に、次いで菜の花畑に変わった。春の七草には、田んぼに注ぐ水路の土手のセリを摘む。空き地では土筆が採れ野山では蕨が、運が良いとたまにゼンマイが採れる。丘を越えると美しい川が流れ、海が近く、川はゆっくりと流れて海に注ぎ、のんびりしていて、人々には秩序があった。
転校すると決まった時、友達は泣いてくれて、郷土歴史家の担任の先生が、記念にその土地に伝わる和歌を集めた本をプレゼントしてくれた。
「転校するから記念にね。透はきっと好きになると思うよ」
と言ってくれた。その先生は、いつも私の作文を褒めてくれる先生だった。
和歌は、小学四年生の私には内容が理解できるわけもなかったけれど、流れるような言葉とリズムがとても好きになった。
初めて横須賀に来て思ったことは、人が多い、ということだった。
駅には待合室が無く、一時間に何本も電車が行き来した。これから住むという、特急の停まる駅に降り立ち、階段を上がった所にいくつもの改札があった。改札を抜けると、切符の券売機がやはりいくつもあった。天井の高い駅の階段の上から見下ろすと、目の前を国道が横切り、信号待ちをしている人達が、十人程見えた。当時の私にとって、それは結構衝撃的な場面だった。
「信号待ちをしてる人が多い!」
今思うと、笑っちゃうけれど。
それまで私が住んでいた町では、信号待ちをする人が溜まる、ということがなかった。学校や地元の神社の祭りや、地域の集会所以外で、大勢の人を見たことなど無かった。
学校で一番驚いたのは、子供が教師をあだ名で呼ぶことだった。私にとって、多分私がいた町の子供達にとって、教師は『先生』であって、友達なんかじゃなかった。でも、この町では教師もあだ名で呼ばれることを、喜んでいるようだった。
私は、先生をあだ名でなんか呼べなかったし、なんだか(ついていけない)と思った。
更に、担任の先生から、最初の会話で私の方言の言葉が分からないと笑われてから、私は極力標準語を話す努力をした。使い慣れない標準語は、自然と教科書的な言葉遣いになた。『真面目』という目で見られた。言葉を選ぶあまり、元々話すのがゆっくりだった私は、次第に無口になった。
横須賀の子供は、お喋りで早口だった。
彼らの、私についての一番の興味は、
『今までいた学校が私立かどうか』ということだった。
私は、学校は学校であって、私立と公立の意味すら知らなかった。(それ以前に、電車に私鉄とJRという区別があることすら知らなかったくらいだ。)もちろん、中学校には〝勉強ができる子が、テストを受けて入る学校〟と〝テストを受けなくても入れる学校〟があることは知っていた。でも、小学校は、ただ〝小学校〟だった。
意味を聞くと、
「じゃあ、学校は制服だった?」と訊かれた。その学校は制服だった。制服だったと答えると、私は『私立』から転校してきた『凄い子』ということになった。そのようにして、私は少数の子供の憧れの対象となり、半数の子供の妬みの対象となった。
五年生の二学期、私は学級委員に選ばれた。
中学になって高校受験を目の前にして思うと、四国のあれは公立の古い学校だった。田舎の、古い小学校だった。クラスの記念写真には、田舎臭い子供達の屈託のない無邪気な笑顔ばかりがあった。
私も、その一人だった。
この町の子供達は、テレビとゲームと、誰が好きとか嫌いとか、苛めとか、ファッションとか家の大きさとか、誰より誰が凄いとか凄くないとか、そんな話ばかりをしているように思えた。
私は、この街の溢れる情報量とスピードと、感情についていけなかった。
六年生になって、一学期、学級委員になった。去年も、それまでも、毎年学級委員はしてきたから、なんとも思わなかった。でも……。
「学級委員の人がいけないんだと思います!」
それは、五月、ゴールデンウィークが終わった翌週の火曜日だった。前日の月曜日、先生が出張で不在だったため、このクラスが騒がしくて、それを隣のクラスの先生に咎められたのが原因だった。朝の会で、先生は皆を咎めた。
急遽、学級会が開かれることになった。
《何故うるさかったか》
私は、女子の学級委員だったから、書記として黒板に向かっていた。
三人目の発言だった。
「学級委員なのに、みんなを注意しなかったのがいけなかったんだと思います」
思わず、チョークを持つ手が止まった。
(え? 私達のせい?)
「そうだそうだ!」
教室のあちらこちらから聞こえた。
「学級委員がいけないんだ!」
「みんながうるさかったとき、学級委員も友達と話してたよなー」
「全然注意しなかったし」
「男子の学級委員は注意してました!」
女子が言った。
男子の学級委員、高橋康史。
とにかく勉強ができて、人望があった。そう、彼は自分からふざけたりしない。先生がいなくても、喋ったりしない。人を注意しても、高圧的でも嫌味でもなかった。みんな、彼の言う事には素直に従った。
そして、彼は、私の一年前、四年生の一学期に東京から引っ越してきた都会の子供だった。彼は、次々と手を挙げた子を指していった。
「女子の学級委員だけがいけなかったんだと思います」
みんなの意見はそこに落ち着いた。
私は、自分への批判を、ひたすら黒板に書き続けた。
クラス会のあと、私だけが職員室に先生に呼ばれた。職員室に呼ばれるなんて、初めてだった。他のクラスの先生達がいる中、注意された。
「学級委員なんだから、しっかりしてくれなきゃ困るな」
当然、私は自分がいけなかった、という反省の気持ちが無くはなかったから、反論をしなかった。それ以前に、先生に口答えをするという頭自体、無かった。先生は「学級委員なんだから」と言った。つまり「学級委員なのに」。私は、学級委員に相応しくないと思わざるを得なかった。
でも――と、頭のどこかで思っていた。愛媛でも先生が出張で、クラスでうるさかったことぐらい、あった。私もふざけたこともあった。けれど、みんな、誰かのせいにすることは無かった。誰か一人を責めたりしなかった。
私は、沢山の不満の気持ちでいっぱいになった。
横須賀が嫌いだ、横須賀の子供が嫌いだ、横須賀の大人が嫌いだと、はっきりと思った最初だった。
最初は女子からの〝シカト〟だった。
仲が良かった子まで、私と口をきこうとしなくなった。
体育の授業のあと、体育倉庫に用具を運び込もうとしていた時だった。中から声が聞こえた。
「アイツ、早くいなくなればいいのに!」
「ト、がつくアイツ!」
「透のトは、透明人間のト」
「見えませーん」
「いないんじゃない?」
「いっそのこといなくなればいいのに」
「そうそう」
「帰れ帰れ!」
「アハハハハ……」
ショックだった。私は用具を外に置きっぱなしで、体操服のまま家に走って帰った。
泣きながら帰ってきた私を見て、母が心配した。
「もう学校に行きたくない!」
母は、「先生と話してくる」と言って、学校へ出かけていき、私の荷物を持って帰ってきた。
「あの先生は駄目ね」
ひと言だけ言った。
「学校へは行きなさい」
私は、翌日からも登校した。
「親に告げ口した」と非難された。
体育の五十メートル走で、一番を取ると非難された。
先生から用事を頼まれると、作文コンクールに出展されると、そのうち先生が話しかけてくるだけで、贔屓されていると陰口をたたかれた。
高橋康史の隣の席で、二人とも満点だと、私がカンニングしたと聞こえよがしに噂された。
靴が無くなった。教科書に落書きをされた。私の近く、半径二メートルに、誰も近づかなくなった。時々、高橋康史が、学級委員の連絡をするのに、その円を破って入ってきただけだった。
或る朝、私の机がチョークで真っ白に汚されていた。机の中に、生ゴミが入っていた。
みんなが、
「きったねー」
と言って、笑った。
私は机を雑巾で拭きながら、その時、心に誓った。
決して人前で泣かない。
誰も信じない。
誰にも心を開かない。
みんなが間違ってる! 私は間違ってない!
みんな、だいっきらい!
そして、学級会を開いてほしいと先生に言った。
議題は、《学級委員を変えることについて》
当然のごとく、集中砲火を浴びた。
「自分が辞めたいからだ!」
「自分がやりたくないからほかの人に押しつけるんだ!」
「卑怯だ!」
「無責任だ!」
確かにその通りだった。すべての言葉を聞き流した。
明るい、みんなから親しまれている女子が次の学級委員になった。
(何を言われても、今日で終わりだ)
そう思うと、ほっとした。
その日の帰り道。忘れもしない、どんよりとした曇りの日だった。
一人で校門を出て、横断歩道を渡って家へ帰ろうと歩いていた時だった。頭に衝撃が走った。触ってみると、血だった。どんどん流れてきて、どうしようもなかった。私はその場に蹲った。
誰かが先生を呼んできた。
「救急車を!」という声と、「騒ぎになるから、呼ぶな!」という声が聞こえた。私は車通勤の先生の車で、近くの医者に運ばれた。
二針縫う怪我だった。
それでも親は、学校へは行けるから、と翌日からも登校するように言った。
学校で、再び職員室に呼ばれた。
「何があったのか」と。
次いで
「一人で帰ってたのか」とも。
まるで、一人で帰るのが悪いかのような言い方だった。虐められている人間が、一体誰と帰るというのだろう。
「お前の気持ちは解る。先生にも同じようなことがあったからな」
私は言いようのない、これまで味わったことのない気持ちに震えた。言葉にするなら――諦めと軽蔑と怒り。
(オマエに、私の一体何が解るっていうんだ)
「どうした? 何があった? 言ってみろ」
私に訊かなくてもわかるはずだ。
私は言った。
「トラックが走ってきて、石を撥ねたんだと思います」
何かの物語で読んだ場面を思い浮かべながら言った。
教師は、「そうなのか?」と念押しし、私が「はい」と答えると、満足そうにそれを受け容れた。
私は、その日から『先生』であった人達を、『教師』や『担任』と心の中で呼ぶようになった。
犯人探しは行われなかった。
虐めは表面化しなくなった。
私は、目立たないことを身上とした。
私は誰とも口をきかず、ただ毎日学校へ行き、授業を受け、帰った。
みんなを憎むことで、自分と自分のプライドを保った。
一日も休まなかった。
そして小学校を卒業した。
中学で、私が以前虐められていたことを口にする人はいなかった。
私にも、学校で喋る友人ができ、小学校で同じクラスだった人達も、何事も無かったかのように、私に話しかけた。
憎む気持ちは日毎に薄れて行ったけれど、もう決して私は誰にも心を許さなかった。
部活は水泳部に入った。夏は学校のプールで泳ぎ、夏以外は近くの市民プール週に一回、泳げた。
泳いでいると、全てを忘れられた。水の感触、抵抗、肩の回し方、腕の動き、息継ぎ、キックの仕方、ターン。一つひとつをチェックしながら泳いでいると、余計な事を考えずに済んだ。全ての神経を、きれいに泳ぐために向かわせた。泳いでいる時は、誰とも口をきかずに済むのも好きだった。だから、ひたすら泳いだ。
同じ部活に、高橋康史もいた。彼は小学校の時スイミングに通っていたので、とてもきれいなフォームをしていた。そして、たまに私にアドバイスをした。そのアドバイスはいつも的確で、彼のアドバイス通りに泳ぐと、必ず効果を実感できた。その点で、私は彼に一目置くようになった。
帰り道は、家が近かったため、プールの出口で一緒になると、自然二人で帰る形になった。二人で帰るといっても、並んで歩いたり近い距離で歩いたりはしなかった。小学校の頃のように、必ず二メートル以上離れていた。偶然だと思っていた。
ところが、日暮れが早くなり、冬になって、彼が私を待っていることに気がついた。彼は明らかに冷え切った様子で、――それを隠そうと強がってはいたけれど――ずっと前から出口にいたと想像できる唇の青さだった。きっと顧問に、暗い道は危ないから一緒に帰るように言われているのだろう。
優等生。責任感が強いんだ。
「無理しなくていいよ。私なんか待たなくていい」
と言うと、
「いいよ」
と答えるだけだった。
或る日の帰り道。
彼がプールの出口にいなかったので、私は一人だった。
「カノジョ、一人?」
声をかけてきた男子学生がいた。中学の制服じゃなかった。
「はい」
「ごめん、俺、プールで足つっちゃって、歩けなくて、肩貸してくれる?」
「え? はあ」
その人は、本当に足が痛そうで、足を引きずって歩いていた。
私が肩を貸すと、
「サンキュー」
と言って寄りかかってきた。
「ねえねえ、中学生?」
「はあ」
「カレシ、いるの?」
「いえ」
「じゃあさあ……」
その時
「透!」
本当に大きな声で、私達は二人ともびっくりして振り返った。
そこには高橋康史が息を切らして立っていた。
「何やってんだ?」
そう言いながら歩いてきて、その男子学生の腕を私から引き離した。
「だって、この人、足が痛いんだって」
「ちぇっ」
そう言って、その学生は痛いはずの足を下ろし、歩いていってしまった。
「そういうことだよ」
私は咄嗟には訳がわからなかった。
「お前はバカか。そんなこともわからずに」
なんだか、小学生の頃のイメージじゃなかった。
それっきり、私達は口をきかずに歩いた。
川沿いの歩道を歩き、橋を渡って駅までの商店街を歩く。国道にぶつかるところが、駅だ。駅前を左に折れ、ひたすら歩いて、長い階段を上がって、やっと小学校区の住宅地に入る。そこから更に三分程歩いてから、ようやく「じゃあ」と一言だけ言って別れた。
およそ二十五分間。気まずかった。多分、お互いに。
翌日、高橋康史は部活の前に、言った。
「絶対待ってろよ」
強い口調に、反論できなかった。
一緒に帰るといっても、別に話すことはなかった。私には小学生の頃の蟠りがあったし、彼もきっとそうに違いなかった。それに、虐められていた私と二人で歩かされているに違いない彼に、負い目もあった。
「高橋くん、昨日はごめんなさい」
本当は、「昨日はごめんなさい」ではなかった。「いつもごめんなさい」と思いながら言った。
「いいよ」
「うん……」
「康史でいいよ」
「え?」
「高橋、じゃなくて、康史でいいよ」
以来、私は彼のことを呼べなくなってしまった。下の名前で呼ぶなんて、できない。
「ねえ、透」
中学二年生になって、同じクラスになった女の子が話しかけてきた。
「なあに?」
「康史と付き合ってんの?」
「はあ?」
「付き合ってないの?」
「ないない」
「そっかー。なーんだ。一緒に帰ってるから、てっきり付き合ってるんだと思った。安心した!」
「あれは、帰り道が危ないからて、顧問に言われてるからだよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
「ほんと? じゃあ、康史がチョコ受け取ったの、ほんとに透じゃないの? 康史、みんなからのチョコ断ってるのはカノジョがいるからだって」
「チョコ?」
「この前のバレンタインの時、みんなに断ってたの、知らないの?」
「バレンタイン?」
ああ、そんな名前の日もあったかもしれない。私には関係の無い日だ。
私はその話を聞いて、なおさら彼と一緒に帰るのが、気が重くなった。
とにかく、目立ちたくなかった。彼と一緒にいると、妬まれたりするんだろうか、と思うと、一緒に帰る時も、二メートルどころか、もっと離れて歩くようにした。そうすると、面倒臭いのか、彼は明らかに不機嫌そうになった。
帰り道のことを考えると、水泳も純粋に楽しめなくなった。
三年生が引退する頃。
顧問に、高橋康史とともに呼ばれた。
「二人で部長と副部長、やってくんないかな? 三年生の意見なんだ」
小学校の頃の記憶が、まざまざと蘇ってきた。
私には、できない。
彼が「考えさせてください」と言った。
帰り道。
プールの出口で、彼と一年生の女子が話していた。
私は一瞬立ち止まったが、深刻そうな話だったので、少し離れて通り過ぎた。
今日は暗くないし、大丈夫だ。彼の帰りはきっと、こういうことが増えていくんだろう。
後ろから、走ってくる足音が聞こえた。私は立ち止まらずに歩いた。
「待ってろって言っただろ」
絶対怒ってる。
彼は、私を大きく回り込み、前に立ち塞がった。
「なんで先帰った?」
「話してたから」
「待ってればいいだろ」
「待ってたら、あの子、話し辛いじゃない」
「だからいいんだよ」
なに? 私はそういう役回りなの?
「冷たいんだね」
私がひと言そう言うと、彼は黙った。
沈黙。
再び歩き出した時、彼が言った。
「この前の、選手決めの時、透、手抜きしただろ。この前だけじゃない、選手決めの時、いつも調子悪いとか言って、見学だったり休んだりしてるよな」
「……」
「この前だって、途中まで調子良かったのに、折り返しでわざと遅れたよな」
「……」
「なんでそんなことした?」
「……」
「試合に出られるはずだったのに」
この人は、全然わかってない。
「出たくなかったからだよ」
彼が驚いて私を見ているのがわかった。私は前を向いたまま、言った。
「出たくなかったから。私は、試合になんて出たくない。速くなんて泳げなくていい。ただ、独りで泳ぐのが好きなだけなんだから」
――言ってしまった。
彼はそれからまた黙ってしまった。
翌日、私は顧問に退部届けを出した。
「学業に専念したいんです」
私が退部届を出したと知った高橋康史が、クラスまで来た。女子がざわめいた。ほんとに人気があるんだ。
私達は廊下で話した。通り過ぎる生徒たちが、高橋康史の相手は誰なんだろうと、一々こっちを振り返っている気がした。クラスの戸のところからも、何人もこっちを見ている。
私は、わざといつもより淡々とした態度を装った。
「俺があんなこと言ったから?」
彼は少し元気が無かった。この人も気にすることがあるんだ、と初めて知った。
「違うよ」
「じゃあ、なんで?」
「勉強するんだ」
「嘘つけ」
「なんで嘘って分かるの?」
「急すぎるだろ」
私は面倒臭くなった。
「本当のこと、言ってほしいの?」
「ああ」
「二つ、ある」
「うん」
「一つは、副部長になりたくないから」
「それは、断ればいいだろ?」
「もう一つは」
「何?」
「一緒に帰りたくないから」
彼は言葉を失っていた。
「顧問に言われてイヤイヤ一緒に帰ってくれてるんだろうけど、そういうの、こっちも気が重いし。昨日みたいなことも、気を遣うし。だから」
彼は少しの沈黙の後、やっとという感じで声を出した。
「そう」
「キツイこと言って、ごめん」
「こっちこそ、悪かった」
「高橋くんが悪いんじゃないよ」
「いいよ、そんなこと言わなくて。でも、一つ、透、間違ってるよ」
「なに?」
「俺、先生に言われたからじゃない」
「え?」
「先生に言われたこと、ないよ。透を送れって。……それだけ。じゃあ」
彼は走っていってしまった。
私は彼を、すごく傷つけたような気がした。
それからの私は、放課後、学校の近くの海に一人で行って、ぼーっと過ごすことが多くなった。
中学三年生
高橋康史と、中学になって初めて同じクラスになった。
気が重かった。それなのに彼は、
「これから、また、よろしく」
と私に笑いかけた。
私は少しだけホッとした。
夏休み前
数学の授業中。
私は窓際の席だった。晴れた日、気持ちが良くて(そうでない日も雨の日も)いつものように外を眺めていた時。机の上に、小さな丸めた紙が投げ込まれた。周りを見ると、みんなは教師から言われた問題を解き始めたところで、こちらを見ていたのは高橋康史だけだった。彼は、私が手にしている丸めた紙を指差した。
広げてみると、そこに文字が書かれていた。
『学業に専念するんだろ? 外見てんじゃねえ』
彼は、三年なって塾に通いだし、二年生に部長を引き継いで引退してからは、それこそ学業に専念し始めていた。勉強を言い訳にして部活を辞めた私を、非難しているに違いなかった。
余計なお世話だった。
無視。
「透、面会!」
昼休み、クラスの男子が私を呼んだ。
「なに?」
呼ばれたまま廊下に出てみると、去年同じクラスだった男子が立っていた。
「ちょっと」
「なに?」
「ちょっと来てくんない?」
「いいよ」
体育館への渡り廊下の、校舎の裏側に当たる場所にその人は私を連れ出して、言った。周りにほとんど人はいない。
「透、カレシ、いる?」
前置きも無しに、突然、本題と思えた。
「いないけど」
「あ、そう。……あのさあ、俺、サッカー部じゃん?」
「そうだっけ?」
その人は、呆れたような表情をした。
「おいおい。まあいいや。でさ、去年の三年の部活の先輩がさ、透に話があるんだって」
「誰?」
「誰って、誰か知ってんの?」
「知らないけど、もしかしたら名前ぐらいは聞いたことあるかも」
「オクノ先輩」
「知らないなあ」
「まあそうだろ。透、そういうの、興味なさそうだもん」
高橋康史と話すより、よほど気が楽だ。
「でさ、その先輩、今日、部活見に来てくれんだけど、ちょっと会わない?」
「ええっ?」
「俺の顔、立ててさ」
「会って、どうするの?」
「話すだけだって」
「そう。……どういう話?」
「さあ? それは本人に訊いてよ」
「わかった。いいよ」
「ホント? サンキュー。じゃあ、あとで部室、来て!」
「うん。じゃあね」
世の中には変わった人もいるもんだと思った。その、変わった人の、顔ぐらい見てもいいかな、とそんな軽い気持ち。でも、何か会話が必要なのかと思うと、ちょっと憂鬱だった。
放課後
私はさっきの約束通り、サッカー部の部室の前に行った。
ドアをノックしようかどうしようかと迷っていた時、たまたま高橋康史が通りかかった。これから生徒会の顧問に呼ばれて生徒会室に行くところだと言った。
「透、何してんの?」
「なんか、先輩が話があるんだって」
「なんの?」
「さあ?」
「さあ、って、見当ぐらいつくだろ?」
「はて」
「その台詞、真面目に言ってんの?」
「だって、会ったことない人だから」
「会ったことのないヤツに、会うのかよ?」
「誰だって最初は会ったことがない」
「屁理屈言ってんじゃねえ」
そこへ、部室から人が出てきた。真面目そうで、そして明らかに、中学生ではなかった。
「透ちゃん?」
馴れ馴れしい、と思った。
「はい」
「来てくれて嬉しいよ」
「恐縮です」
高橋康史が、けっ、という表情をして、立ち去った。
オクノ先輩は、彼が立ち去ったのを見届けてから、言った。
「俺、去年、体育祭で同じ団だったんだけど、覚えてる?」
「?」
「その時、透ちゃん見て、俺とすごく似てるなあ、と思ったんだよね」
「そうですか」
「時々、空見上げて、ほとんど余計なこと喋んなくて……」
「あの」
「なに?」
「いえ」
その先は聞いてもあまり意味がないような気がした。私の大嫌いな台詞の一つ。
『君のこと、よく解ってるよ』
私はその台詞を嫌悪していた。
『君って、こういう人だよね』
他人を理解したようなこと。なんにも知らないくせに。
あとの言葉は、聞き流した。そして、先輩が何かを言う前に、私から言った。
「すみません、今日、友達と帰る約束してて。すみません。ありがとうございました!」
走って教室に戻った。
どういう人かわからないけれど、いい人かもしれないけれど、私は違う。すごく自分勝手で中途半端なことしちゃった、と反省した。
帰り支度をしていたら、高橋康史が戻ってきた。
「もう終わったのか?」
「うん」
「なんだった?」
「さあ」
「さあって。話、したんだろ?」
「したようなしないような」
「なんだよ、それ?」
「私はこういう人だよね?とか、こういうのが好きだよね?とか、そんな話」
「で?」
「それだけ」
「んなわけないだろ?」
「それで、帰ってきた」
そこへ、昼間のサッカー部の同級生が焦ってやってきた。
「透! あ……」
彼は、高橋康史を見ると、
「そっか。じゃあそうだって言ってくれよ」と言った。
「なに?」
と高橋が言った。
「透と付き合ってんの?」
「付き合ってる人いないって、さっき言ったでしょ?」
私は急いで否定した。
「だって、透、友達と一緒に帰る約束してるって言って、帰っちゃったんだって?」
「そうだよ」
「康史だろ?」
「え?」
私は狼狽えた。
「そうだよ」
高橋康史が、はっきりと言った。
「俺ら、これから一緒に帰るんだ。だから、先輩にはよろしく言っといて」
そして私に向かって「帰るぞ」と言った。
私はその同級生の手前、付いていくしかなかった。
学校を出て、言った。
「高橋くん」
「下の名前で」
「え?」
「下の名前で呼ばなきゃ、こーゆーとき、ヘンだろ?」
「ああ。 え? あー、康史、くん」
「なに?」
「ありがとう」
「どういたしまして」
「じゃあ」
そう言って、歩く速度を変えようとした私に、彼が声をかけた。
「おい」
「なに?」
「いきなり別々になったらヘンだろ?」
「そうかなあ」
「俺、今日塾だから、駅まで一緒に行こ」
「うん」
それに続く言葉は私達には無かった。
ひと言、別れ際に康史くんが言った。
「俺達、高校も一緒かなあ?」
「そうかもね」
それから、私達が付き合っているという噂がたった。
「ごめん」私が謝ると、
「別に」と康史くんは答えた。
彼は、全校生徒総会などの書記長を務めたりしていた。二年生の時に、生徒会顧問に、生徒会に入ってくれと言われたらしかったが断り、代わりに単発の生徒総会の書記長なら、と引き受けたと言っていた。
彼が、体育館の壇上に上がると、あちこちから女の子の「きゃあ」という小さな歓声が聞こえた。
そして、時々渡り廊下などで、女の子と二人で話すのを見かけるようになった。
十一月の或る日、たまたま帰りが一緒になった。
「なあ」
「なに?」
「こーゆーの、どう思う?」
それは明らかに手編みと思われるマフラーだった。
「きれいだね」
「そういう意味じゃなくて」
「どういう意味?」
「重いか、って聞いてんの」
「さあ。それは受け取る人によるんじゃない?」
「……そうかあ」
「でも、クリスマスにはまだ早いよね」
「透、知らないの?」
「なに?」
「今日、おれの誕生日だって」
「そうなんだ。おめでとう」
「ありがとう、っていうかさ」
「知るわけない」
「だよな」と、康史くんは、妙に納得した顔をした。
「でも」
「なに?」
「カノジョいるのに、もらったら両方に悪いんじゃない?」
「カノジョ?」
「そう」
「誰?」
「誰って、最近よく渡り廊下とかで話してるじゃない?」
彼は思い起こすように、空を見上げた。
「んー?」
「相変わらず冷たいね」
「透、勘違いしてない?」
「なにが?」
「俺、おんなじ子と喋ったことないと思うんだけど」
「えー? 全部違う子?」
「きっとそうじゃん?」
「信じられません」
「俺って」
「モテますね」
「そうかも」
「付き合わないの?」
「誰と?」
「誰かと」
「今は、勉強。大学入るまで、とりあえずそういうの、ナシ」
「ふーん」
「透は?」
「ありえないでしょ」
「なんで? この前の、先輩とか」
「何か月前? しかも付き合うなんて話、出てないよ」
「出る前に、帰っちゃったんだろ?」
「わかんない」
「そう」
「――私は、ずっと誰とも付き合わないよ」
「なんで?」
「宗教の本に書いてあった。愛することは信じることなんだって。私、誰も信じてないから」
康史くんは、それから黙ってしまった。
年が明けた。
受験校も決まり、同じ中学から同じ高校へ行くメンバー毎の説明会なども開かれた。康史くんと私は同じ高校だった。康史くんは、本当ならもう一ランク上の、県でも一―二を争う高校を受けるように教師から言われたらしいが、遠くまで通うメリットよりもデメリットの方が大きいからと、この高校を選んだらしかった。
人数は二十名ほど。私は、顔が広いわけではないから、ほとんどの人は、せいぜい見たことがある程度、話したことがあったとしても、二言三言だった。そのメンバーで、学校訪問をしたり、願書を出しに行ったりした。
二月になった或る朝。珍しく氷が張るほどの寒さだった。
学校へ行く道で、康史くんに声をかけられた。
「俺、引っ越すことになった。大阪」
私は驚いた。この時期に?
「透……」
彼は、私に何か言葉を期待しているように思えた。私は驚いてしまい、咄嗟に言う言葉が思いつかなかった。
『康史くんなら、どこに行っても、トップクラスの高校に入れるだろう』『康史くんならどこに行っても大丈夫だよ』
そんなようなことを言ってあげたかった。でも、どう言えばいいのかわからなかった。
私達は歩道橋を渡り、橋を渡り、無言で歩いた。
「透」
彼は言った。
「透は国語が得意だろ」
「……」
「最後に、透の好きな言葉を教えてくんないかな?」
「……」
「透を表す言葉。その言葉を聞く度に、透を思い出せるような、言葉」
私は、すぐにあの歌を思い浮かべた。でも、それをそのまま口にするのは躊躇われた。何故なら、それこそ私が嫌悪する、『私を分かってください』と弱みを見せるような歌だと思われたから。
だから、言えなかった。
でも、康史くんは、きっと意を決して訊いているのだと思った。何故なら、彼は私のほうを、一瞬も見ようとしないから。いつもと、全く違っていた。私は迷っていた。
結局彼はため息をついて、走り出した。
「牧水の!」
私は大声で言った。
彼は、十メートルほど先で立ち止まり、私を振り返った。
「牧水の、観音崎で詠んだ短歌が好き。私、その歌を知ってから、横須賀が好きになったの」
彼は、にっこりと微笑んだ。
とても淋しそうだった。
その数日後に、彼は引っ越していった。
入試が終わり、同じ高校に願書を出した全員が、合格した。私は、喜び合う相手がいなかった。康史くんがいたら、お互いに『オメデトウ』ぐらいは言えたような気がした。
三月
とてもよく晴れた日だった。隣の家の木蓮の花が眼に眩しかった。春を感じさせる気配が、辺りを満たしていた。
学校から帰ってきて、家の郵便受けを覗くと、一枚の絵葉書が入っていた。
康史くんからだった。
大阪にある、私立の中高一貫校の編入テストに合格した、と。そして、合格おめでとう、と書いてあった。
その絵葉書は、大阪のではなく、観音崎の絵葉書だった。
青い海と白い灯台。そこに、短歌が印刷されていた。
『白鳥の哀しからずや空の青 海のあをにも染まずただよふ』
私は、春の日射しを背に受けながら、何度も何度もその葉書を読み返した。
部屋の明かりを消すと、網戸だけをひいた窓とベランダから、穏やかな青が静かに部屋に満ちてくる。夜が部屋全体に流れ込んでくる。微かな風が、南側の窓から東のベランダへ、なでるように心地よく抜けていく。私はベッドの上に仰向けになり、月が見えるところまで頭を動かして全身で月の光を浴びる。心臓が鎮まるのを待つと、時折、遠く電車が線路を響かせる音が聞こえてくる。そこここにサラサラとまっすぐに降り注ぐ月の光。
いつもどおりの静かな夜。
一日のうちで一番好きな時間。
私はイメージの中の扉を両手で押し開け、目の前に広がる月光に照らし出された青白い砂浜に足を踏み入れる。そして砂の上に腰を下ろして膝を抱え、海風に髪を洗わせ、寄せては返す波の音を聞く。昨日と同じように今日も、明日も、永遠に続く、全てが調和する夜に。
自分だけで始まり、自分だけで終わる完璧な世界。
こんなふうにして、私は毎日幸せになれる。
こんなふうにして、私は毎日幸せになれた。
高校一年生
五月
その時私は、この辺りでは一番高く、街を見下ろした向こうに遠く海を臨む寺の鐘楼に腰をかけていた。足をぶらぶらさせているとなんだか嬉しくて、子どもに戻った気分になれた。高台から見える街は、一面に霞がかかったようにキラキラと光を反射させていた。
手前にある学校やその向こうに広がる家並、商店街、街を横切って走る線路、その街の遠い先に見える古い港。そして海。海に繋がった空。空を辿っていくと頭のてっぺんを通り過ぎ、鐘楼の屋根に繋がって私に戻ってくる。
それら全てのもの――空も風も木々の緑も、物言わぬ全てが私に微笑みかけ、私の心は少しずつ解れていく。