膠着状態
入り口に居座った鰐男は、子供と猫相手に睨み合っていた。光景を見れば笑ってしまうが、これでもお互いは敵同士でいつ再び戦闘が始まってもおかしくない。だが、戦端が開かれても勝つのは鰐男であることは誰もが予想出来た。猫は体の損傷が激しいのか条件によるものか獅子に変身できておらず、全身打撲や骨折によって身動きが取れない状況だ。子供はそもそも戦力にはなりそうもなく、子どもと猫には勝ち目は全く無かった。だからこそ猫は不思議に思っていた。今であればすぐにでも自分たちを殺せるであろう鰐が動かないでじっとしているという現状。しかし、生殺与奪は鰐男が握っているため、下手な動きは出来ない。
「・・・」
『・・・』
「うううううううう」
子供は黙って鰐男を警戒し、猫は鰐男を観察した。当の本人は唸り声をあげて双方を睨みつけていた。そんな緊張状態のなか、最初に対話を始めたのは鰐男のほうだった。
「お前らに聞きたい。森を抜けるにはどう行けばいい?」
目は相変わらず睨んでいるが時間が経ち、ある程度冷静になったのか鰐は自分の知りたいことを聞いてみることにした。周りの地理などまったく分からない彼はとにかく情報が欲しかった。たとえ相手が自分を殺した相手だとしても、状況を進展させたかった。
『・・・』
猫は話すべきか迷う。話してしまえば用済みになり、自分たちは殺されるのではないか。喋らず沈黙を守ったほうが時間稼ぎにはなるのではないか。だが、ずっと喋らないのも相手を刺激してしまうと思い、猫は口を開く。
『答えれば貴方は私たちを殺します。私達の安全が保障されないと言えません』
猫はここで自らの失敗に気付く。それは子供をどう守るか考えていなかったこと。猫の目的は隣にいる子供の守護だ。それを遂行するための方法がまるで思いつかなかった。人質として取られればどうしようもない。更に、拷問などされれば猫は喋るしかなくなる。動けない今の自分の身では鰐男に太刀打ちなど出来ない。
「・・・っつ、それじゃ次に」
『え?』
「なんだ?」
鰐男が舌打ちをした後次の話題に入ろうとすると、猫は間抜けな声をだした。それに対して鰐は多少怒りを含んだ声で聞く。
『いや、なんでもないです』
「そうか。じゃあ次に、俺のこの体だ。何でこんな体になったのかお前ら何か知ってたりするか?」
『はい?元からそれではなかったのですか?』
「そんなわけあるか!俺は人間だぞ。猫が獅子に変身してたから俺と同じなんじゃないかと思ったんだが?」
『いえ、私のこれは生まれつきでそれに種族も精霊ですし』
「せい、れい?なにそれ」
『そこからですか!?』
猫はいつの間にか鰐と会話を続けていた。それは鰐が、猫の思っていた斜め上の回答をしてくるからだ。鰐は世界の常識や知識を知らなさすぎるのだ。さらに鰐は自分が人間だと言った。頭が可笑しいのではと敵なのに同情の目を送ってしまっていた。鰐は特に秘密にするつもりはないのか、聞いてもいないのに自らの現状を語った。人間であったこと。いつの間にか森にいたこと。森にいる虎に襲われたこと。体が再生して生き返ったことなど。途中で猫は、鰐が嘘を言っているのではと思ったが、圧倒的有利な状況で嘘を言う意味も無いこと、人間だったころのことを詳しく言っていることから、鰐男の言っていることは本当であると思えるようになった。
『もし、その話が本当だとして、貴方は何のためにここに来たのですか?』
「さあな・・・虎から逃げるために泳いでたら辿り着いた。だから何かないか探してみることにした。で、こうなった」
「・・・?」
子供がどういうことなのか首を傾げて猫を見る。猫もよく分からなかったが、ひとまず自分たちを殺しに来たわけでは無かったということだけは分かった。
「さてと」
鰐は立ち上がると猫達を鋭い目で見る。休憩が終わったということなのではと猫たちは緊張した。猫は喋ることは出来ても体を動かすことは出来ない。言わば鰐の気分次第で全てが決まるのだ。
『私たちをどうする気ですか?』
「いや、どうって言われても」
鰐は猫と子供を交互に見る。見られるたびに背筋が凍るように感じて唾を飲み込む。鰐は後ろ首を掻くと子供たちに近寄る。近寄られた子供は猫を守るため再び立ち上がって庇う。子供が庇うのを見て鰐は近寄るのを止めた。
「俺は、怒ってはいるぞ?殺したいと思っていたりもする」
それを聞いて猫と子供は次に鰐男が言うことに注意を向ける。鰐男は別に善人ではないし、虫も殺せないというわけでもないことは、先ほどの猫への攻撃で知っている。殺され、痛みを与えられた恨みは決して消えたわけではない。
「だけど、俺がお前を殺そうとしたら隣の子供が守ろうとするからな。強い子だな、俺には子供を殺す勇気なんてない。それに子供殺しても後味悪いだけだしな」
彼は体が人間でなくなっても心まで化け物にはなりたくなかった。
「俺はお前を恨んでいるし、怒ってもいる。だけど、子供を傷つけたくない。俺の気分次第だけどな。あと、その子が庇うのを止めたらお前を殺す」
鰐はしっかりと猫と子供を睨むと部屋から出て行こうとする。猫は情報を渡してくれそうにないと見切りをつけた。子供を人質にという考えはそもそもないため、情報を得られないのならこの部屋で睨み合いをする必要もない。出ていこうとすると、突然鰐男は小さな声に呼び止められた。
「ね・・・あの」
『え?』
「ん?」
ずっと、状況を見守っていた子供がゆっくりと口を開き、自分に目を向けている鰐男に対して聞き出した。
「天使、知ってる?」
「は?」