第77話 魔神
女神アテネは吹雪が吹きすさぶ、氷の大陸で空を見上げる。
どうしてこんなことになってしまったのだろうと。
肉体的なダメージはたいしたことなかったが、精神的に打ちのめされていた。
あの勇者ガイウスは、彼が転生する前の幼少期から目をかけてた男。
ガイウスは成長すると、自身の祖国を救う救国の英雄となる。
その偉業は、人類史に影響を与え続けるほどの。
そして天界に召された後、数多の世界を救い続けた自慢の英雄であり、勇者。
しかし自分は、その勇者から切り付けられて飛空艇から突き落とされ、ここにいる。
アテネの目からは涙があふれていた。
100年前にこの世界に召還した救世主の事も思い出す。
女神アテネは、当初最上級神の父から期待をかけられていたが、世界救済に幾度か失敗し、呆れた父神は、彼女に冷たく当たっていた為、自身の名誉挽回で引き受けたのが、神々が幾度も救おうとして失敗し続けた、この仁義なき世界の救済任務だった。
救済のため用意されたのは、創造神お墨付きの、神にも等しい最強クラスの力を持つ男だった。
神界の切り札たる救世主ならば、この世界を救済できるとアテネは信じていた。
だが、女神アテネの目論見がはずれ、救世主はこの世界の住人に磔にされる。
女神アテネの一言がきっかけで。
「さすがは救世主! 悪魔を滅ぼしたならば、お前の力でこの世界のろくでなし共を、神の力で浄化し、その後、あの狂ったイカレ精霊の、フューリーも打ち倒せるはず!」
この一言に暴動が起きた。
今まで救った筈の人間達から救世主は批難され、救世主は自身が救済した人々の手により処刑される。
魔王軍よりも恐れられた、伝説の精霊王フューリーとの戦に絶望したためである。
しかし聡明なこの救世主は、人間を愛していた。
また、旅の仲間である自分のパートナーには子が宿っていた。
そして、この女神に付き従う先に待っているのは、魔界からの救済ではなく、この女神が生み出す、新たな戦乱と言う名の、地獄であろうと理解していたので、処刑されるままとなった。
「これ以上、この世界の人間を苦しませることなど私にはできない。もしも、あなたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたの神界の父も、あなたをゆるして下さるであろう」
女神アテネにそう言い残し、救世主は絶命する。
絶望した女神アテネは、自身の力と救世主の力を解き放ち、魔王軍もろとも世界を滅ぼした。
救世主の旅の仲間たちは、この結果に深い後悔を感じ、教会組織を設立したのだった。
これが、100年前に起きた神の奇跡の正体である。
女神アテネの父神は、この結果に激怒し、アテネを重要な神事から外してしまった。
それ以降、女神アテネは100年間、この世界の後悔の念を抱き続けていた。
どうして自分はあの任務に失敗してしまったのだろうか?
自問自答の日々が続く。
そんな中、アテネの耳に聞き捨てならない話が入った。
元大魔王の、冥界の上級神である閻魔大王が、地獄行の罪人を転生させ、仁義なき世界の救済に乗り出したという情報。
女神アテネは、父神から幾度か話を聞いたことがあったが、閻魔大王は魔界の大英雄と恐れられ、地球で起きた大戦で、父神率いる神々も打ち倒すことが出来なかったが、魔界勢力を裏切り、一転して人類側の英雄神となり、地球で発生した3類指定の魔神すらも仲間の魔族や人間達と打ち倒した功績などにより、神の一柱になったという。
そして妹神のヤミーは、兄の威光を傘に着て、神界で悪さばかりする問題児。
あの世界は、元々私が救うべきなのに。
激しい対抗心が、女神アテネの心を燃やし、そして交流のある女神がこう囁いた。
「あなたには、何通りも名前があるでしょう? 神界法は万能ではない。自身の最も信頼する英雄を転移させてしまえば、よろしいではないですか?」
こうして、すでに幾度も世界を救済し、すでに天界から、生まれ育った地球とは別の平和な星に転生した、勇者ガイウスを神界に転移させ、転生前のすべての記憶を植え付けた。
「どうして、どうして私からみな離れていくのだ……知恵と戦いの女神たるこの私から……」
女神アテネは、気力を振り絞り、魔王軍を自身の神の力で滅ぼそうと考えた。
二度目の神の力の行使。
彼女は神界法違反により、神の力を失い、人間の身に落とされるが、それでいいと考えた。
人の心が理解できないから、自分は幾度も世界の救済を失敗したのだろうと思いながら。
しかし、彼女が力の行使を行おうとした時、空から隕石群が降り注ぐ。
「これは……この魔法はもう一人の勇者によるものか? 結局やつが本当の勇者で、私のガイウスは……」
女神アテネは、勇者マサヨシの放った攻撃魔法を、防御することもなく、周囲を破壊しつくす隕石群を受け続け、意識不明の重体に陥った。
そして、変わり果てた女神アテネの姿を、アテネの親族神たちが神界に運んだ。
神界で集中治療を受けるが、目を覚ますには時間がかかるだろう。
「なぜこんなことに……」
女神アテネの父神は、思わず目を覆いたくなる結果。
天界より派遣された、大天使たちの監察捜査で、彼の心は憔悴しきっていた。
自分の娘による、創造神への反逆企図疑惑である。
そこに、アテネと交流のあった女神から、ある映像がもたらされる。
「最上級神様、この映像を御覧ください」
映し出されていたのは、冥界の勇者マサヨシによる、大量破壊攻撃魔法。
そして、自分の娘がその攻撃を受けた映像だった。
音声記録も残っている。
「ハッハー、往生しろや!」
この映像を見ていた、最上級神の父神は激怒する。
父神の名は最強の神の一人、天空神ゼウス。
神の中の神の1柱だった。
「こんな世界、我が権限で、勇者もろとも滅ぼしてくれるわ!」
怒りに燃えるゼウスを見た女神は、計画通りであるとほくそ笑んだ。
一方、魔界では魔王ルシファーほか、魔界の君主たちが、地下深くに封印されたある存在を呼び起こそうと儀式の最中だった。
伝説の大魔王の閻魔大王に対抗するには、それを超える存在が必要不可欠。
封印されし者の名は、アンラ・マンユ、またの名をアーリマン。
伝説の大邪神、創造神により魔界の地下深くに封印されし、絶対悪にして暗黒の存在。
しかしこの邪神には、もはや心が無くなっていた。
長い年月をかけて、神の正なる力がこの世にあふれていたため、心を失ったのだ。
魔界の君主たちはこの邪神を操る事で、神界と伝説の大魔王に対抗しようとしていた。
魔界の戦略兵器として、そして魔界の安全保障のための抑止力として。
そして、ついに封印を解き、伝説の大邪神は姿を現した。
すべての次元を超越し、強大な力を持つ、創造神をも倒せる可能性のある大邪神。
全長数キロにも及ぶ、巨体を見た、魔界の諸王たちは歓声を上げた。
この力があれば、自分たちを魔に堕とした神界にも復讐できると喜ぶ。
アンラ・マンユの姿は、巨大な漆黒の頭蓋骨のような頭部、漆黒の巨大な翼が100枚、そして体は、あらゆる呪詛を刻まれ、その四肢には、禍々しい暗黒のオーラの超大な魔力を秘めている。
「うふふ、ご苦労様でした。魔界の諸王の皆さま」
その光景を、拍手しながら女悪魔が嗤う。
サタン王国ルシファーの秘書長、悪魔マーラーであった。
「マーラー? どうしてあなたがここにいるのです?」
ルシファーが、マーラーに問いかけると、マーラーは自身の強大な魔力を解き放つ。
その姿は、巨大な龍のような、蛇のような魔王……いや……。
「申し遅れました。私の本名は、魔神マーラー・カーマー。我らが主神、大邪神様の復活、本当にご苦労様でした」
悪魔マーラーの正体は、神界から最重要指定を受けていた、3類の悪魔、魔界含む全ての次元世界と相入れない、絶対悪と呼ばれる存在であり、創造神ですら発生を意図できなかった、高位次元的存在、魔神そのものであった。
そして、存在が確認された段階で、全ての神々や精霊による討伐義務が生じる、大悪魔。
「君の目的は一体……」
魔王ルシファーは、魔神たるマーラー・カーマーに臆さず、目的を問いただす。
すると、ルシファー以外の魔王達はマーラーカーマーの力で即死した。
「私の目的ですか? そうですね、我らが主神を封印し、我らの存在の一切を否定する、全ての世界全てへの、復讐ですわね。そして、我らが主神に相応しい、魂の器も見つけました。どうぞ、自己紹介を」
魔神マーラーが、血まみれの門を具現化すると、男が姿を現す。
金髪で漆黒の鎧姿の人間。
勇者ガイウス。
新たな魔界の君主であり、彼は以降、魔界では大魔王ガイウスと呼ばれることになる。
そして仁義なき世界と神界で、彼はまだ、勇者のまま認知され続けることとなる。
「ふむ、これは禍々しい。英雄である私の存在を愚弄した、あの神界の愚かな神々への復讐が果たせそうだ。素晴らしいよ、魔神マーラーとやら」
「あなたには、私の力をほんの少し分け与えましょうか。これであなたは、魔界とあの世界のどこにでも自由に行き来できるはず」
ガイウスは、人と神に対して、虚無の感情を抱いており、魂は魔に侵食され始めていた。
そして、もう一人の勇者であるマサヨシの事を思い出す。
――残念だよ、君ともう少し早く会っていたら、私はかつての英雄としての心を取り戻し、君と良き好敵手、いや友人になれていたかもしれない。君の転生前は知らないが、昔の私と同様、人の世を愛し、神を愛し、そして女性たちに愛を捧げ、子供達を導く素晴らしい指導者の資質を君の右目に見た。だが、私はもう人の世に疲れてしまったんだ。君と敵対することが本当に残念でならないよ、ヤクザのマサヨシ君。
こうして勇者にして魔王ガイウスは、全ての世界と敵対する道を選んだのだった。
しかし、魔神マーラー・カーマーは大きな誤算をしていた。
目撃者の存在である。
「スランちゃん、まずいもの見てしまったにゃ」
「うん、まずいねエイムちゃん、どうしよう?」
「僕たち、魔界が無いと生きていけないにゃ。まさか全世界を壊す気なんて、もうあの人には付いていけないにゃ」
マーラー不死隊の中核メンバーだった。
そして、仁義なき世界を混乱に陥れたこの悪魔たちの存在が、後にすべての世界救済のカギになるとは、全世界の誰もが思ってもみなかったのだった。
そして、マサヨシ不在の極悪組の面々と、傘下のマフィア集団は難民たちとの戦いで疲弊していた。
ロンやガルフの指揮により、最初は優勢に、難民たちを蹴散らしていたのだが、マサヨシが打ち出した、非殺生と難民保護が彼らを圧迫し始める。
彼らが真に欲しがっていたのは、飢餓による食料だった。
そして共和国連邦には彼らを養うだけの、食料備蓄など存在しない。
「もしや、勇者ガイウスは余の国民すべてを飢えさせて、難民に仕立て上げているのでは?」
ロンが気が付くも時すでに遅し、今度は保護した難民間で争いが起き、その度に極悪組やマフィア達は仲裁や鎮圧に駆り出され、徐々に疲弊していく。
そして、マフィアの中にはマサヨシの禁を破り、秘密裏に難民を陰で抹殺する者も出始めた。
一方、共和国連邦西部のプロレスじみた戦線は、予想外の事態が発生した。
共和国連邦軍の一部隊が、独断専行で首都デヴレヴィを爆撃し、王国貴族含む多数の死傷者が生じる。
そして、これに激怒した王国の騎士団が、反転攻勢に出ようとするが、女王アレクシアの号令で待ったがかかる。
すでに王国内では、貴族たちの不満が、アレクシアに爆発寸前状態になり、クーデター前夜の様相を成しており、アレクシアは、一刻も早く愛する勇者マサヨシの帰還を願う。
教王ソフィアは、刻一刻と悪化する世界情勢に気を病んでいた。
こんな時、勇者マサヨシと、もう一人の彼がいてくれたらと切に願っている。
そして、彼が突然姿を現した。
「ああ、お待ちしておりましたわ。ガイウス様……この世界は一体どうなるのでしょう?」
ソフィアの問いかけに、ガイウスはにやりと笑いながら、陰謀を企てる。
この仁義なき世界が破滅に向かうのを、望みながら。
そしていつしか、仁義なき世界に神の怒りの暗雲が立ち込め、太陽の光が消え、再び闇に閉ざされようとしていた。




