第43話 精霊王
大森林の、麻のような植物で作られた黒のローブを見にまとい、齢2千年を超える、エルフ国宰相にして女長老の、カランシアは、トワの泉にて精霊王に祈りを捧げる。
このままでは、この世界のエルフ族自体が、滅びの運命を辿ると危機感を覚えて、ある願いを切望していた。
エルフは長命で、自身の精神力が無くなれば、精神的な死を迎え、その寿命は精神力が持つ限り、無限であるとも言えるが、2千年ほどで生に飽きて死を迎える。
自分と縁のある親族も一族も居なくなり、孤独になるからだ。
だがカランシアは、まだ死ねない。
精神力が尽き果て、枯れ木のような老人となっても、エルフ族の将来のため、2千年前に仕えた、伝説のエルフの女王との誓いにより、死ぬことは許されない。
亜人種や妖精は死を迎えると、エルフだけでなく、ホビットもドワーフも、この世界にいない亜人種族も、精霊界にあるアルフヘルムに向かい、十分な精神力を蓄えてから、別の世界で別の種族の精霊か亜人に生まれ変わる。
精霊は神界とも親交があり、精霊と神の業務を兼務している大精霊達もおり、神界との関係は概ね良好である。
そして、精霊界と、人間界の交流も概ね良好であり、古の昔より様々な妖精や精霊の伝承が残されている。
しかし、仁義なき世界と呼ばれる前、今から3千年ほど前のこの世界に、精霊界から送られた精霊の心は怒りで満ちていた。
3千年前、彼女は地球で、神々と共に、魔界の大魔王達と死闘を繰り広げてきた精霊であったが、戦いの後に心を病む。
大精霊達も、精霊界と人間界の調和が取れ、神界のサポートもあるこの地ならば、かつての心を取り戻し、いずれ大精霊への道を歩むと期待していた。
当時、この世界は精霊と亜人種と人間が調和し、高い文明と文化を誇り、豊かな世界だった。
しかし怒りに満ちた精霊は、人間を憎み、この調和に激怒し、この世界の精霊達を攻撃しはじめて、そのほとんどを精霊界に追い返し、自分の王国、精霊王国をトワの大森林に建国する。
そして大精霊達は彼女を見捨て、最低限の精霊界への席次だけ残し、この世界には干渉しなくなった。
精霊の名はフューリー。
かつて地球を救った精霊界の英雄であるが、救ったはずの人々から信仰が失われ、心が壊れた精霊だった。
カランシアが祈りを捧げると、少女の精霊が姿を現した。
青い髪に、青い瞳、紫のワンピースに、蝶のような美しい七色に光る羽を持つ、人間の見た目で10代前半くらいに見える、美しい少女の姿をした精霊。
「なあに、カランシア? またアタシにお願い事でもあるの?」
気怠そうにフューリーが、カランシアの周りを飛び回る。
「精霊王様、どうかエルフに、男子をお授けください。このままでは、我らエルフが滅びてしまいます」
エルフは、男不足で深刻な少子化問題に直面しており、15年前、聖地であるトワの泉を独占している事で、ドワーフ達と戦争状態となっており、ただでさえ少ないエルフの男が戦死するため、子供が出来にくくなっている。
「えー、なんで? 150年前にも男達が生まれるようにしたでしょ?」
「精霊王様、現存する数少ない若い男だけでは、いずれ我々エルフは滅びます」
カランシアの悲痛な叫びに、フューリーは興味が無さそうに、アクビを噛み殺しながら耳を傾ける。
「ふーん、あっそう。それよりホビットは滅したの? あいつら、人間との結婚をどうしてもって頼むから、精霊の誓いで結婚認めたのに、ダメって言ったのに子供作ったでしょ? 滅ぶべきでしょ? でしょ?」
カランシアは、このわがままな精霊の王に、内心、怒りを覚えている。
なぜ精霊界は、我らにこのような仕打ちを施すのか、一体我ら亜人種が何をしたというのか。
この世界は、千年前から続く、魔界からの侵略で、滅びようとしているのに、この精霊王は何もしてくれなかった。
カランシアは、怒りを押し殺して表情に出さないよう、フューリーに頭を下げる。
「いえ、もう少し時間がかかります。ドワーフ達との戦闘で、戦力がそちらに集中していますので」
「えー、ドワーフとは仲良く出来ないのー? イフリートと二十年以上も会ってないよー」
――できるわけがない。
カランシアは思った。
エルフとドワーフは長年の仇敵で、幾度も戦争を繰り返しており、戦死した先王とカランシアが、ドワーフ国に対抗してトワの泉を占拠した事で、泥沼の戦争状態になっているのだから。
だいたい、本来調停役のホビットを滅ぼすよう告げたのは、この精霊王だ。
カランシアはこの子供のわがままの塊のような精霊王に、風の精霊シルフの秘儀をぶちかましたいと思うが、そうなれば自分はあっという間に、この精霊王に殺されてしまうので、怒りを押し殺すしかない。
「どーしようかなあ、カランシアのお願い。ところで、最近大森林周辺で、武器を持った薄汚い人間の匂いが、いっぱいするの。あんたたち、ちょっと行ってきて殺してきて」
「え?」
――なんだそれは?
カランシアは思考を巡らせる。
人間の王国から行商人が来るのは、エルフ王国でも把握してたが、武器を持った複数の人間達が来るのは、2千年以上ない事だ。
カランシアは、大昔の事を思い出す。
我らが女王陛下が愛した人間の騎士。
そして女王を連れ去った憎き人間達。
2千年以上前は人間の王国とも交流があり、弱き者のための剣を称した、崇高な女王の騎士団は、彼ら人間達の誇りでもあり、彼女達エルフの誇りだった。
しかし、あの精霊王が世界の理を変えたおかげで、人間達との交流が絶え、女王は人間の王国を選んだ。
その時に、エルフの騎士だったカランシアに女王は言った、いつか必ず帰ってくると誓いの言葉を。
あとを継いだのは女王の双子の弟。
カランシアの最愛の夫にして王。
すでに故人である。
今のエルフ王国の王は、彼女の孫にあたる男だった。
そして千年前に起きた、魔界からの侵略で、世界は荒廃し、魔王軍は精霊側の領域である、大陸南側には侵攻していない。
人間側の王国は、二十年前のホビットからの情報だと、100年前に起きた魔王軍と、神界からやってきた人間の救世主の戦いで、ひどく荒廃して、人間の騎士団は、弱き者達を平気で殺める、残虐な集団になっているという。
しかしそれは、抵抗しないホビットを、物資調達の名目で、移動手段の鷹を弓で射殺し、一方的に虐殺する、エルフの騎士団も同じである。
――もしかして、人間の王国からやってきた、敵意を持った、騎士団達の斥候か?
カランシアは思考を巡らせるが、高齢のため思考がうまく回らない。
「ねえ? 聞いてるのカランシア? さっさと行かないと殺すよ?」
フューリーの顔がみるみるうちに、憤怒に歪んだ恐ろしい顔になる。
「それは、人間の勇者ですにゃ」
フューリーとカランシアの前に、黒のフードを被った一団が現れる。
「なあに? あんた達。なんか昔嗅いだことがある、くっさい魔族の臭いがするんだけど。アタシ機嫌が悪いの、殺すよ?」
フューリーが睨みつけると、5人いる集団の1人がフードを取った。
黒のパーマがかった髪に、猫の耳を生やし、額に短い角があって、緑の瞳に瞳孔が縦長の目をした、可愛らしい猫のような女悪魔だった。
「僕の名前はエイムって言いますにゃ。精霊の支配する領域に、冥界の神、閻魔大王から送られた人間の勇者が、精霊王のあなたに喧嘩売りにきてるんですにゃ」
フューリーはカッと目を見開くと、女悪魔エイムの頭が弾け飛んだ。
「臭いから死んでくれない? アタシ人間嫌いだけど、悪魔はもっと嫌いなの。特にあんたみたいな、胡散臭いやつとか」
すると、首無し死体になったエイムの体が起き上がり、瞬時に頭が再生する。
「ひどいにゃあ、精霊王様。僕は嘘を言ってにゃいにゃ」
今度は、エイムそのものの体が爆発する。
「次は誰から死にたい?」
フューリーが怒りの顔で睨みつけても、他の悪魔達も引く気配はない。
「まあまあ、みんな待つにゃよ。多分、僕達全員でも勝てないにゃ、ここは僕に任せてほしいにゃ」
粉々に吹き飛んだはずのエイムが、女子高生が着るような、真っ黒いセーラー服姿で姿を表す。
スカートからは、長い尻尾が生えており、緊張しているのか、尻尾は山を描くように曲がっていた。
「お、お前らは噂の魔王軍!」
カランシアは、騎士時代に愛用していた、ミスリルの短剣をローブの懐から取り出して、フューリーの盾となるように構える。
「違うにゃよ、僕達は魔王軍じゃないにゃ。でも勇者には困ってるんだにゃ。そして、精霊界と神界は協定だったにゃあ? 結んでいるって聞いたにゃ。協定破りの憎き勇者は、精霊にとっても、よろしくないはずにゃ」
全然信用できないと、カランシアは思ったが、あえてここは情報を引き出すことに専念する。
「何を根拠にして、そのような情報を信じれば良いのだ?」
「うにゃ、ホビット国とドワーフ国は勇者のものになったにゃ。次はこのエルフ王国の番で、勇者は森林に入ろうとしてるにゃ」
その情報に、カランシアは耳を疑い、激しく動揺する。
ホビットならともかく、あの屈強な、ドワーフ王国最強の戦士にして、先王でもあり我が子を手にかけたガルフ王が、負けるとは考えにくかった。
そして精霊王フューリーは、平原で行われた、マサヨシとドワーフ王ガルフの戦闘の名残である、イフリートの精霊力と、神の力を受けた勇者の残存魔力反応を、自身の精霊力で探知することが出来た。
「なにこれ? 超ムカつく! アタシ久しぶりに精霊界に行って、協定違反の件で文句言いに行くから、カランシアはあとお願いね」
フューリーは、泉の中に姿を消し、カランシアは、孫の王とエルフ騎士団をトワの泉に招集し、人間の勇者との戦いに備える。
そして悪魔エイムはその様子をニタニタ笑い、もう一人のフードを被った悪魔に語りかける。
「おお、そうだったにゃ。僕ら不死隊に入隊おめでとう、新人君」
「ありがとうございます。是非ともあの勇者に復讐の機会を……ブヒ」
機械の体になった復讐の悪魔が、マサヨシ達を待ち受けていた。
一方で閻魔大王は、天界の責任者兼創造神付き大天使長、ミカエルと水晶玉で連絡を取っていた。
ミカエルは、その職務以外にも神々に対する不正を監視し、監督する監察官の役職にもついており、神を堕天させ、魔界送りにする任務にも従事している。
天使でありながら、実態は神界ナンバー2である。
「事情はわかりました。それでは、精霊界には今回の事情について簡単な説明をしたうえで、神界としては預かり知らぬ事で、当事者については処分済みと、精霊界に伝えればよろしいでしょうか?」
「うむ、苦労をかけるが、そのようにお願いする。筋道は大事じゃからのう」
閻魔大王が、葉巻を吸いながら応答する。
マサヨシと精霊王フューリーの件についてだった。
「しかし皮肉な話です。例の大戦であなたは魔界の英雄から一転し、人間を救い冥界の上級神となる一方、精霊界の英雄は、人間によって心を病んでしまい、あの世界が崩壊する原因になるとは」
ミカエルもまた大天使長として、地球で行われた大戦に参加していた。
堕天した兄とはいえ、サタン王国ルシファーと対決して勝利を収めている。
大戦の爪痕は、神界、天界、魔界、そして精霊界に色濃く残しており、心神の傷を負った者も多い。
「あやつとは、我が大魔王時代に1度戦ったが、泣き叫ぶ子供だったのじゃ。自分の人間に対する愛を、人間達も受け入れてくれると、本気で信じてた哀れな子供じゃ」
ミカエルは通信先で、しばし沈黙する。
「もし、フューリーが精霊界に戻り、創造神様や大精霊たちに、あなたへの異議申し立てをしてきた場合は、いかがするおつもりですか?」
いくら精霊界から、半ば見捨てられた精霊であっても、神界への異議申し立ての手続きが正式なものであれば、精霊界は受け入れざるを得ず、フューリーの性格を考えると、可能性は極めて高かった。
「決まっておろう、我が対応する。あやつの性格を考えれば、まず間違いなく、我に、異議申し立てにくるじゃろうて。お互い知らぬ仲ではないしのう。そのうえで、最終的な対応は、あの世界のマサヨシに一任する」
ミカエルは不思議に思う。
なぜマサヨシという人間を、そこまで信用できるのかと。
人間は、神々や天使にとって、優れた逸材を神界か天界に上げる、有象無象の知的生物に過ぎない。
これほどまで、何かを一個人の人間に託す神など、あまりない話である。
天界、天国と呼ばれるところに辿り着いた魂は、しばしの安らぎを受けた後に転生の対象となるが、有能な魂であるならば、天使や菩薩、更に有能で生前、もしくは死後信仰の対象であった場合は、本人の意向も踏まえたうえで、神となる場合もある。
しかし地獄に落ちるような人間は、魂の消失か転生の二択しかない。
そのような人間に、どうしてここまで信頼ができるのか。
大天使長ミカエルは不思議であった。
「かしこまりました、精霊界から申し出があった場合お願いします。それと、妹君については、一度冥界に戻されるという事でよろしいでしょうか?」
「うむ。マサヨシの補助には、失態を犯して冥界の役職を解いた家臣を当てるゆえ、その方向で大天使長ミカエル殿は、創造神様にご報告願いたい」
「かしこまりました、それと情報ですが、神界はあなたの勇者が成した偉業で、湧き立ってます。特に、あそこの世界を元々担当していたアテネ神は、不穏な動きを見せている様子。お気を付けてください、あなたを快く思っていない神々はまだ多い。それでは」
通信が切れると、閻魔大王は葉巻の煙を自室の天井へ吹きつける。
――馬鹿な三流神々どもめ、自分たちが救えず、放置してきたあの悲しき、哀れな世界を、今になって外様の我が妹と、マサヨシに救済され始め、面白くないという事か。まったく、小物ばかりじゃ。アテネなど、創造神様の力を得た、人類側の最高の切り札たる、救世主の力を借りてもあのザマだったろうに。冥界の同僚で盟友たるハーデス殿や、その弟の最上級神の一人、アテネの親のゼウス様にでも今度相談するかの。
閻魔大王は思考を巡らせ、そして呟いた。
「まあ、やれるだけのことはやるかの。後はあやつがどうするかじゃが、我の妹が気に入ったあやつが殺され、そのうえで、神界や我に無礼を働くことがあれば、我があの哀れなフューリーを消してやろう」
閻魔大王は独り言ちると、吸い終わった葉巻を消滅させ、魂を裁く大法廷へと向かっていった。
王国死闘編もそろそろ後半突入です。




