第四章・第4.5節 羽化と……
あたしの――。
(字数:1,827)
(ハナ……?)
ごめんなさい――そう聞こえた気がして、ベルーデルは薄く目を開けた。
ぼやけた視界の端に、やわらかそうな黒髪の見える気がして、視線を動かしていく。
期待した姿は、確かに自分のそばにあった。
貸してあげたドレスを着て、白い針のような刃物を握りしめて、彼女は泣いていたように思う。
何が悲しいのだろうか。
ベルーデルは彼女に笑っていてほしかった。
今日会ったばかりの彼女だけれど、本当に笑顔が似合うと思う。
世界一きれいな青い瞳。
知っているはずなのに、思い出せないのは、なぜだろうか。
泣かないで。
慰めようとして重ねかけた視線を、誰かの長い腕がさえぎった。
飛ぶように伸びてきたその腕が、ハナのお腹のわきに突き刺さる。
信じられないものを見た気がした。ハナも何が起きたのかわからないみたいだった。
けれど、自分かハナのどちらかが叫び声をあげ始めるより先に、腕が大きくしなって、露を払う野草のように、ハナをはじき飛ばしていた。
背の高い細い体が床を何度もはずんで、転がって、壁にぶつかって止まる。
泥の中で朽ちる穂のように、そのまま動かなくなる。
「あぁ……」
漏れた声のうえに、落ちてきた銀細工の床を叩く音が重なった。
あのきれいな黒髪に挿してあげた、お気に入りのカンザシ。
根元で壊れて、散り散りになったその銀色に、震える手を伸ばそうとした。
その手に、手が重なる。
「ひっ……!?」
上から伸びてきた手。
骨がないかのように湾曲しながら、部屋の中央に伸びている。
おそるおそる目でたどれば、焼け焦げたように黒ずみ切った肉塊とつながっていた。
どことなく人のかたちをした肉塊の肩の上から、変な方向へその長い腕は生えている。
となりの頭のような部分からは、はしばみ色の二つの光がこちらを見つめていた。
「へ……ズ……?」
「メぇぇぇっ……!」
うなり声をあげる肉塊のもう一方の肩からも、長く伸びる腕が生えている。
そちらの腕の先は、この部屋の入り口へとつながっていた。となりの部屋まで入り込んで、何やら騒々しい音を立てているようだった。
「ぃぃぃぃっ……しょぉぉ、ぉ、ぉぉ、ぉ……」
「や……」
怖気がやっと追いついてきたみたいに身震いした。
その瞬間、入り口の扉を撥ね飛ばして、となりの部屋から白い触手があふれ出てきた。
扉の枠を押し広げるようにして、数え切れないほどの触手が部屋いっぱいに広がっていく。
入り口付近に倒れていた兵士たちは、残らず押しつぶされていった。
母を抱く父の姿も見た気がしたが、またたく間に飲み込まれてかき消える。
触手たちの先端は、すべてこちらを向いていた。
「――!!」
声にならない悲鳴をあげて立ちあがろうとする。しかし手をつかまれている。
必死で振り払おうとしたが、つかまれている感触自体がすでにないことに気がついた。
その手を見て絶句する。
伸びてきた腕と、自分の腕がつながっていた。
互いの皮膚と皮膚とが溶けあうようにして、ただ一本の肉の柱となり下がっている。
何かに触れる指の感覚は、もうどこにもなかった。
「あ……ああああっ……」
恐怖に飲まれるのと同時に、触手たちが押し寄せてきた。
真っ先に足に巻きつき、一瞬で腰までからみつく。
肌に吸いついて、溶かすようにして感覚を奪っていく。
服を裂かれ、上半身にまで上ってきた。
悲鳴をあげる間もなく飲み込まれ、取り込まれていく。
(やだ……やだ! たすけて! やだ!)
必死に目を動かし、残る腕を伸ばすも、どこにも届かない。
ぼろきれのように転がされたハナがその先に見える。
動かない。もうきっと動かない。
いっしょに行こうと言ってくれたあの面影を、二度と見ることは叶わない。
ヘイゼルの足もとにも、這うようにして動いている人影があった。
とても大きな体。だけれど、消し炭のように黒ずんでしまって、立つこともままならずにいる。
誰もいない。
もう誰もいなかった。叫び声をあげ、泣いてくれる者さえも。
(あぁ……なくなる。あたし、なくなってく……)
最後の手にも触手が取りつく。
溶けて、ゆがんで、塗りつぶされていく。
(つれてってくれるって言ったのに……どこへでも行けるって……)
誰がそう言ったのか。
もう音も聞こえない。息も吸えない。
目の前に小さなものが落ちてくる。
もろく可憐な青い翅。
いつか自分のつばさになると信じていた、淡くあどけない輝き。
(つれてってよ……遠くへ連れていって……ここじゃないどこかへ、あたしを……!)
塗りつぶされていく。
視界が。願いが。
それから、青白い残光を見る。
本日深夜と明日昼頃、次話連続投稿予定。毎日更新中。
完結まであと3日(5回)。





