第四章・第四節<前> 苗床と蛇
【前々回(第三節)のあらすじ】
王配フォルストとの話し合いで疲れ切り、自室で独りふさぎ込むハナ。
しかしウルウァは容赦せず、自分の指示どおり王族用の延命薬を作れと急かし始める。
そこでハナが、その延命薬でどれほど延命できるのかを問うと、ウルウァは常人の寿命の四分の一が関の山と告白し、ハナをより落胆させる。
さらにウルウァは、《初代女王の呪詛》が失われたあとのエルヴル民は、免疫の乏しさから病害によって滅びるだろうと自分の想定を暴露する。
しかし同時に、《呪詛》を元にした治癒を『治療』と認められないハナの心の底を暴き立て、何を『薬』とするかを薬師が決めるのは傲りだと言い、侮蔑をあらわにしてみせた。
それなら薬師は何のための存在かと、打ちひしがれるハナだったが、どのみちイシヅエはエルヴルから引き取るのだという話になったとき、どうやってイシヅエを持ち帰るつもりかとウルウァにたずねる。
するとウルウァは、当然宿主ごとであると言い始め、しかもその確保のためにすでに士人が動き始めている可能性も示唆する。
士人が接触するとすればイズンであり、その場にベルーデルがいる可能性にも気がついたハナは、もはやなりふり構わず部屋を飛び出していくのだった――
(字数:5,141)
(この節は2万字+級のため、三編に分かれました)
「お話がしたいんです、ミスター! あいたっ!?」
重たい両開きの扉が開き切るのを待ち切れず、隙間に首を突っ込んだ瞬間、視界に広がった女王の間の片隅に士人の姿を見つけた。
どうにか間に合ったことを喜びながらいさんで中へ入ろうとして、扉と扉の間に思い切り腰がつっかえる。
ぶつけたところの痛みに耐えながら、ハナは両腕を突っ張って隙間を押し広げると、つんのめるようにして部屋へ飛び込んだ。
「あたたっ。うー、探しました、ミスター。お部屋にいらっしゃらないので、その、えぇと……」
姿勢を正し、冷たい空気の中で息を整えながら言葉を探す。
さすがにいきなりなぜ女王の間にいたのかと問い詰めるのは得策でない。奇遇を装って、適当な用事があったことにしなくては。
「今後のことで、お話を、その、とにかくしておきたくて、できればイズン様やフォルスト様もごいっしょに、皆さんで薬師流のお茶でもと。いや、晩餐の前でアレですけど……」
そのお茶に眠り薬でも混ぜるべきかどうかと考えながら、さりげなく寝台の上にも目を配る。
そのときになってようやく、寝台の上が空であることに気がついた。
「あ、れ? イズン様は……」
きょろきょろと見まわすも、女王の間には士人と自分以外には誰一人いないようだった。
戸惑いを覚えながらハナは再び士人に目をやる。
よく見ると、彼は片開きの細い扉のそばに立って、ノブに手を乗せていた。
「ミスター? あの……」
戸惑いながら一歩を踏み出す。
士人は動かない。折り重なる燐光の霧を通し、琥珀色の二つの目が警戒しているように睨んでいた。
「えと……ベルーデルが、ここへ来ませんでしたか?」
その名をハナが口にした瞬間、彼の双眸は見開かれたように見えた。
にじんでいたのは、確かな失望と怒り。
予期せぬ反応にハナがひるんでいるうちに、士人は手をかけていた扉を勢いよく引き開け、流れるように巨体を間口へすべり込ませた。
「っ!? ミスター! 待っ――」
ハナが呼び止めるより早く扉が閉まる。
慌てて駆けだし、飛びつくように取っ手をつかむ。
いったん息を呑んでから引くと、扉は抵抗なく開いてくれた。
閉め出されなかったことに安堵したのもつかの間、半分ほど開いたところで自然に手が離れる。
ほとんど無意識のうちに、ハナは鼻と口を押さえ込んでいた。
感じ取ったのは、忌まわしい臭気。
冷気のおかげか、むせ返るほどには感じなかったが、無視できるようなはずもなかった。
薬師ゆえ、嗅いだことがある。
そして一度嗅げば忘れがたい、亡骸の腐臭。
扉の向こうは薄暗く、明かりがついていなかった。
女王の間と同じく光源代わりの十一視蝶たちは飛んでいるが、たいした数ではなく、入り口から直線に引かれた短い通路をかろうじて把握できる程度。
通路の両側には、目の高さ程度の四角い壁が何枚も整然と並んでいる。
「ここは、いったい……?」
思わずつぶやきながら見回すが、士人の姿はなかった。
通路の先には入り口と似たような鉄扉がかすかに見える。
彼の歩幅と巨漢らしからぬ俊敏さなら、とうに通り抜けていても不思議ではない。
ハナは意を決し、通路へ踏み込んだ。
と同時に、背後の女王の間から流れ込むようにして、数羽の十一視蝶が耳元を飛び抜けていった。
無意識に彼らを目で追ううち、とある一羽が低い壁の中腹に近づく。
壁――いや、よく見るとそれは、鉄枠を組み合わせてできた棚だ。
中には鉄材以外のものが詰めるように並べられている。そのうちの一つに蝶がとまる。
ハナは戦慄した。
「――――――――!?」
口を押さえた指の隙間から声にならない悲鳴がほとばしる。
まぶたが張り裂けそうなほど目を見開き、心臓を殴られたようによろめいてあとずさった。
腐臭が胃の腑まで満たしていくような錯覚におちいる。流れ落ちた涙で頬が焼けつく。
「ほう? 愉快なものを見つけたかねぁ、洟垂らし?」
耳ざとく異変を察知したらしいウルウァが、ハナの腰にある仔水牛の頭骨から喜々とした声をあげる。
ハナは聞いていたが、薄闇の奥と向き合ったまま目線ひとつ動かせない。
「何を見つけたか当てちやろうか?」
疾師が聴診する。まるで何人もいるかのように彼女の声が回り始める。
「す」
「な」
「は」
「ち」
「十一視蝶どもの、苗床よねぁ?」
「――ぅッッッ!! ――ァッ! ハァッ、ッ――ァッッ!」
息が。
視界が、何度も明滅する。
臓腑がねじれ、引き千切られていくかのようだ。
埋まっていた。埋まっていた。
埋まっていた。埋まっていた。
棚に並んでいたのは、ヒトだ。
小さな小さな、ヒトの赤子たちだった。
背中を丸め、何かの蛹のように音を立てずじっとしている。
ひと目見て、城下から集めてきた死産児たちであると知れた。
最初に見えたものは、頭のかたちが激しくいびつだった。
他にも手足のないものや、混ざり合った双子が並んでいる。
ざっと目を這わせただけでも、複雑な様態をしていない遺体は一つとしてなかった。
《王家の丸薬》がもたらす胎児の発達異常。その集積。
だが、それだけならハナにおぞましさを与えこそすれ、今さらにして息が止まるほどの衝撃にはなりえなかっただろう。
胎児たちの背中には、黒い斑紋があった。
青白い光にぼんやりと照らされた肌の上に並ぶ、やたらにくっきりとしたまだら模様。
一つ一つはほとんど真円で、ブドウの房のようなつやを帯びて光っている。
さながら蜘蛛の目玉を思わせるように――
埋まっていた。
それは皮膚に、死産児の肉体に食い込むように埋め込まれた、《王家の丸薬》そのものだった。
産みつけられた十一視蝶の卵鞘。今さら見まがいようもないものだった。
「十一視蝶は屍喰い虫。成虫はものを喰わんねど、幼虫は肉食ぞに。湿潤と冷温と二つの条件がそろう環境でのみ活発に成長しよるけに、他生物の死骸は産卵にはうってつけじゃ。寒冷地での生存にのみ特化した結果よねぁ」
「う、っく……! カ、ぁッ……ぁぐっ……!」
「呼吸をしい、ヌケサクめ。《初代女王の呪詛》の維持のためにも、イシヅエをつなぐ死産児の定期的な入れ替えは必須。ゆえに常に新鮮な予備を供給される必要はあるものの、一つあれば事足りるものを、余分じゃけに持って帰れとは国民どもに言えんけにのぅ。そしてただ腐りゆかせるのも土に埋めるのももったいない」
「ふぅっ、ふぅぅぅぅぅっ……!」
肩を上下させ、飲むように息を吸い込む。
気管にすり切れたような痛みが走り、むせると涙があふれ出た。
詭弁だ。
何もかもが詭弁で、欺瞞だった。
城下の人々は信じていた。
エルヴルは決して、胎を痛めて産んだ子たちに貴賤をつけてはいない、と。
王宮は、陽の下で息をすることの叶わなかった子供たちを迎え入れ、彼らの眠りを守り、いつくしみ深く空の向こうへ送り出してくれているのだと。
いつかいのちの雨となり、この地へ還ってくるように。
ある意味では、小さな命は親たちのところへ帰されているのかもしれない。
屍肉に育まれた十一視蝶たちが卵を産み、それを《丸薬》と呼んで市井にばらまくのだから。
またあるいは、縮小されて家畜を飼いづらくなった国土で、屍肉を確保するためには取らざるをえない策だったのかもしれない。
けれども――ハナは奥歯をかみしめ、砕けそうなほどこぶしを震わせる。
でまかせはもうたくさんだ。
そんなものが通用する一線など、とうに越えている。
《呪詛》はどこまでも《呪詛》。悲しむべき狂気の残り香。
こんなものが、薬であっていいはずがない。
「――っ!?」
ようやく呼吸を取り戻し、口の端をぬぐったとき、通路の奥で鈍い大きな音がした。
一瞬で我に返り、耳を澄ます。
続けて二回、三回。奥にある扉の向こうから、断続的に何かの激しくぶつかり合う音が響いてくる。
そして分厚い壁越しに届く、かすかな悲鳴。
(ベルーデル……!)
はじかれたようにハナは走り出す。
まだ胸の奥はずきずきと痛んだ。だが足は止まらない。
勢いよく飛びついた扉を、力任せに開け放つ。
途端、白く輝くまだ低い月が、正面に現れた。
入り口を角に置いた、扇状の部屋だった。半球状の女王の間をちょうど四半分にしたような造りだ。
弧側の壁は球面に沿って湾曲しながら、天井と一体となっており、その中腹にはめ殺しの窓がある。
桟を折り曲げて美しい樹の紋様をあしらった、巨大な飾り窓。玉座の背面に見たのと同じ、霊樹ガオケレナの紋。
その紋の真下で、飛び交う十一視蝶たちに囲まれながら、月明かりを負う影が蠢いている。
簡素な机か台のようなものが置いてあり、その上へあふれかえるように乗っている、何か。
その影を凝視して輪郭を捉えた瞬間、ハナはたった今死産児たちを見つけたときと同じように、激しく息を呑んだ。
(何だ、あれは……!?)
初めに見えたのは、手が二つ。
細くしなやかな女の手。どちらも左手だった。
輪郭から突き出し、平行に並んだその二つは、それだけは、はっきりとした人間らしいかたちを持っていた。
ひじ、肩とたどっていけば、頭も二つ、見つかる。
横並びに並んだ、二つの頭。
それぞれの首がつながる、横幅の広い輪郭。
その様子は影だけなら、となり合って肩を組んでいるようにも見えただろう。
だが違った。
暗闇から飛び出した月の明るさに慣れるにつれ、彼女たちの間に隙間がないことがはっきりと見えてくる。
へそは一つ。
足は三本。
ぐったりとうつむいている方の肉体は、腹部から下がとなりの体に半分めり込んでなくなっていた。
となり合っていたはずの足は、片方が穿いていた板金のキュロットごと溶けたように一体化している。
接合部に境界は見えず、まるで最初からそうして生まれてきたかのように、ひとつなぎの皮膚で二人は一人かのようにおおわれている。
起きている方の頭は、栗色の乱れ髪と厚い唇が印象的な、見覚えのある女。
うつむいている方は、顔は見えないが、忘れようもない。灰色がかった亜麻色の長い髪。
(イズン、様……? じゃあ……じゃあ、となりにいるのは……)
「やめてっ、ヘズ! いやあああああッ!!」
悲鳴が鼓膜を揺さぶる。
色を失くした状態からハッと我に返り、振り向くと、部屋の隅に小さな人影を見つけた。床に倒れ、もがいている。
「ベルッ!!」
思わず声を張りあげ、ハナは駆け出した。
仰向けに倒れたベルーデルは、めくれ上がったドレスの裾から片足を突き出している。その足首を、白く太いヘビのようなものにからめ取られていた。
そばにハナの背負い箪笥が置かれていて、重石になるようベルーデルが必死で抱きついているが、甲斐もなく引きずられていく。
ハナは考えるよりも早く、駆け寄る勢いのまま腰から彼女の背中側にすべり込んだ。
両脇に手を差し込んでがっちりと抱え込み、固い靴のかかとを床につける。
「ハナ!? 助けて、ハナ! 足が!」
「踏ん張って、ベル! 今、引っ張って……!」
ハナは膝に力を込め、全力でベルーデルを引き戻そうとする。
が、途端に引かれる方の力が増して、自分ごと足の方へ引き寄せられた。
驚愕に目を見開いて、ベルーデルの足を見直す。
彼女のくるぶしからすねにまで食い込んでいる、ヘビのようなもの。
表面はウロコではなく、ぶよぶよとした色素のない皮膚でおおわれ、中を通る血管が透けて見えている。
目も口も確認できないその先端を凝視して、ハナは恐怖を覚えた。
頭の奥で予感が吠え立てている。
家畜の腸を水で膨らませたかのような見た目だが、もっとはるかにおぞましいものだと。
「足ぃ、足がっ、ハナぁ……!」
「っ!」
苦しげなベルーデルの悲鳴に、ハナは怖気を振り払い、もう一度膝を立て直す。
片手をベルーデルのわきに差し込んだまま、体を起こし、もう片方の手で床に落ちていた背負い箪笥を拾いあげる。
目のない白ヘビは力は強い。だがやわらかそうに見える。
背負い紐を握った手を振りかぶり、ハナは箪笥の角をヘビの胴体へ叩きつけようとした。
「ハナ!!」
ベルーデルが叫ぶ。
悲鳴ではなく、知らせるように。
顔をあげたハナの目には――もう一本が見えた。
白い腸詰めのような目なしヘビが、ハナの眼前に――眼球の前に、触れそうな距離に浮いていた。
鎌首をもたげ、目も口もない、槍の穂先のような先端が、ハナの瞳の中心に狙いを定めている。
それから先は、まばたきよりも短い時間だったが、次に目を開けるときは、自分の眼窩が貫かれ、延髄までもえぐられ終えたあとのことだと、ハナは簡潔に理解した。
最後のまばたき。
「……」
……。
……。
閉じた目を開く。
ぼやけた視界。血の気が引きすぎたせいか。
もう一度まばたきを。二度。三度。
目の前に、大きな影がある。
夜の森のような黒い背中。
てっぺんからは長すぎる帽子のつばが、ハチドリの口のように垂れている。両側に小さな耳。
木と漆の匂いがして、ハナはようやく息を吐いた。
「……ミスター?」
明日昼頃次話投稿予定。毎日更新中。





