第一章・第三節 天幕と黒帽子
【前回のあらすじ】
街を離れて野営をしていたハナと師匠を、旅装の集団が夜討ちにかける。
彼らは単なる野盗ではなく、《大棘》なるものを追っていた。
彼らはハナたちを脅し、荷物に火を放とうとするも、すんでのところで先日の大男が現れる。
獅子奮迅の立ち回りを見せた大男に圧倒され、旅装の者たちは退散。
しかし師匠は、夜盗たちは《大棘》を持つ彼を追ってきたのだと指摘。
これ以上巻き込むつもりなら容赦しないと言って、彼を威嚇する。
最終的には、撤退しかけた大男を師匠が背後から射撃。
威嚇を通り越したその凶行に、ハナは言葉を失うのだった――
(字数:5,206)
☆ 挿絵協力:伊呂波 和 さま (@NAGOMI_IROHA on Twitter)
虫くだしの盗難に遭った街を出て八日。
道すがら山菜を採ろうと森の中を突っ切る道を選んだものの、距離的には近道で、街道を進んだ場合と変わらない日数で次の街までたどり着けた。
予定どおり――ということは、道中になにごともなかったということだ。あの旅装の集団も、初日の夜以降は現れる気配もなく、巨漢の客人もまた同様だった。
(師匠の脅しが効いた……いや、しかし……)
畳んだ帆布をかき抱いて歩く。焼けてしまった小天幕の代わりとして、ついさっき古道具屋で買ったものだ。
これを使ってふたたび仮設診療所を開くため、宿屋への帰路を足早にたどりながらも、ハナは足もとの石畳にばかり目を這わせていた。
どこへ行っても全面石畳という少し偏執的な街並み。この時世にしては珍しく街自体に余裕があるのだろう。ここ数年で訪れた街のなかでも一二を争う大きさで、市場も行商人が集って活気づいていた。
(ああまでする必要があったのだろうか……)
にぎわう街の喧騒をよそに、ハナの気持ちは旅のあいだも街に着いてからもずっと、じりじりとした下降を続けていた。
原因は思い直すまでもなく、あの客人を師匠が背後から撃ったこと。
七日も前のことだ。いい加減に吹っ切れるべきなのはわかっていた。
師匠だって勢い余っただけかもしれない。撃ちはしたが当たりはしなかったからと割り切って、仕事に集中し始めなくてはいけないときも近づいていた。
しかし、撃ったそのときの師匠の横顔だけを、ハナはどうしても忘れられない。
そのせいか、気持ちがゆるむたび、あの夜の一連のできごと全部がいもづる式に思い出されてくる。そうするといつも、自然と考え込んでしまうようにもなっていた。
(そもそも、次が撃てないものを撃ってしまっては脅しにならないじゃないか。たしかにあのお客人は、逆上して襲ってくるような人でもなさそうだったけれど……いや、理性的な相手だというならなおさら、執拗におどかす必要なんて……)
あの夜の一件以来、師匠とは一向にどこかかみあわない雰囲気が続いていた。
表向きはお互い平静だが、師匠はどこかよそよそしく、またハナ自身もなにかにつけ歯切れが悪くなる。
それは客人に対して師匠が見せた、不合理で苛烈すぎる態度だけが理由ではなかった。
直後にハナが問いただした、《大棘》に関することだ……。
◇ ◇ ◇
「《大棘》は、人の作った剣のようなかたちをしているけれど、『刺獣』という特別な獣のツノよ」
《大棘》の正体をたずねたハナに、師匠はまずそう答えた。
「特別な獣?」
「くわしいことはよくわかっていないの。《鯨》とも違う。霊獣と呼ぶ人もいるけど、一説によれば太古の《呪詛》の産物だとされているわ」
《呪詛》、という珍しい言葉が出てきたことにハナは驚いた。
《呪詛》とは、この世で人が引き起こせる唯一無二の超常の力のことだ。
ハナも話に聞いただけだが、自我を呑み込み破壊し尽くすほどの強い願望や激情の結実した姿だと言われている。
要は『願いの叶う力』だが、叶ったことを知りえないほど当人が狂い壊れることを前提とする、悪夢じみた〝現象〟だった。
しかも実質制御する者がいないため、不条理な願いであればあるほど人や物を際限なく巻き込み、悲劇や厄災の種となる。ゆえに《呪詛》は、『呪詛憑き』と呼ばれるその発現者ともども忌み嫌われ、また恐れられてもいた。
「問題は、《大棘》を奪うとその刺獣が取り戻しに追ってくるということよ。どこまでも」
「どこまでも?」
「そう。どこまでも」
まるで怪談のたぐいだと思ったが、師匠は真剣な口ぶりだった。
本当にどこへ逃げても際限なく追ってくるというのであれば、《呪詛》の産物や災害同然と言われてしまうのにも納得はいく。
「しかも刺獣は《大棘》の痕跡も追うことができる。だから、《大棘》に直接ふれてしまった人のところにも現れる可能性があるの」
「それで触るなと」
ハナが師匠に《大棘》を見せようとしたときのことを思い出して言うと、師匠はいっそう深刻な顔をしてうなずいた。
「しかし、《大棘》を現にあの人が所持しつづけているのなら、すでに仕留めているという可能性は?」
「ないわね」師匠はそれも断言した。
「なぜ?」
「刺獣はね、死なないのよ」
◇ ◇ ◇
師匠は《大棘》と刺獣について、それ以上のことを語らなかった。
《大棘》を精製して得られる薬について訊いても、「知る必要はないわ」と突き放された。
その理由もまた「必要ないからよ」
とはいえ、師匠が《大棘》を遠ざけたがる理由には一応の合点がいった。
死なない獣がどこまでも追ってくるというのは、たしかに手に余る脅威には違いない。
それもおそらくは相当に大型の獣だ。《大棘》は剣と呼ぶには短すぎたが、並みの獣のツノにしては長大だった。
(だからといって、師匠があのお客人にしたようなことは、ただの威嚇だったとしてもやっぱり度を越している。刺獣の危険性について、まだじぶんの認識が甘いのかもしれないけれど、もし、万一矢が当たっていたら……もしも……当たっていたら?)
――当たっていた方がよかった?
「……っ!?」
それが脳裏に顔を覗かせた瞬間、ハナは立ち止まった。
あの夜の鋼弦弩の矢が、客人の肩の上を通って木に突き刺さるのではなく、客人の後頭部を射貫いていたら――彼がどこかに置いてきた《大棘》を、刺獣かあの旅装の者たちが回収して、それで終わりだったはずだ。
次射がないのに師匠が撃ったのは、そもそも脅しのつもりではなかったからだとしたら、つじつまは合う。合ってしまう。
呼吸がしづらい。指先の温度を感じない。だのに鼓動は痛いほど。
抱いていた帆布に顔を押しつけ、腕にも力を込める。
街道馬車の払い下げ品で、長年風雨に晒されてきた表面はヤスリのように硬く刺々しい。
強く息を吸い込むと、もうすっかり落ちてしまっているはずの蝋と染み込んだ土埃のくどい匂いが鼻腔に充満した。
より現実味のある不快感が意識を鮮明にさせる。
(違う……違うぞ……)
震えが引いていくのを感じながら、ハナはできるだけかたちのある言葉を探して念じるようにした。
口に出して唱えることとなんら変わりないように。意味があるように。
(薬師……じぶんたちは薬師だ。薬師なんだ。薬師は、人を殺めない。人を助け、人が癒えるまで病に寄り添う。最初から最後まで、その宿命を違えない。じぶんも、師匠も)
そう教え、言いきかせてくれたのは師匠なのだから。
心音が静まるのを待って、ハナは顔をあげた。
鼻頭が熱い。鼻腔が詰まっているらしく、鼻をすすると間抜けな高い音が鳴った。
ふと見渡すと、ハナは商店の看板の連なる通りにいた。
知らない通りだ。織物屋や家具屋が並んでいる。
裏通りという感じではなかったが、青果が主の市場周辺とは客層も客の多い時間帯も違うのだろう。人影はまばらで、背の高いハナが不自然に立ち止まっているのを眺める人もなかった。
市場の喧騒がかすかに届く。
考えごとをするうち、曲がる角を忘れて歩きすぎたらしい。
急いで戻ろうときびすを返しかけたとき、木器屋の看板が目にとまった。
途端、ハナは不注意で燃やしてしまったお玉杓子のことを思い出した。
むしろ街に着いた時点で思いつかなかった自分に少し驚いていた。毎度スープをマグでよそうのにはあれだけ不便を感じていたというのに。
とりあえず自分のふところに今どれだけ入っているかを思い起こしながら、特にためらいなく店の入り口に近づていく。
診療所の設営もあるのでできるだけ早く戻りたかったが、ハナにとって調理器具は仕事道具とおなじくらい価値のあるものだ。
どうせ半年貯めた程度の遊興費では、たいしたものを買えはしない。
だからハナは先に店主に金額を提示して、これで買えるものをと言うつもりだった。
当然そうした方が早く済むからではあったが、一番安いものを買うという案は無意識に却下していた。
アプローチの階段をのぼる足取りがやや浮つく。
扉の前に立つと、さっきまでのおそろしい想像を馳せていたときとはまったく違う調子で胸の高鳴りが感じられた。
小洒落た緑色の扉に、赤、黄、青の色ガラスの小窓。
本音をいえば、この大きな街の木器屋に単に入ってみたいという気持ちも少なからずあった。
ハナが真鍮のノブに手を伸ばしたとき、内側からかちゃりと掛け金の動く音がした。
驚いて止まるハナの手から逃げるように、扉が内向きへ動き始める。
「――いやあ、すいませんねえ」あいた隙間から、店の中の者の声が聞こえてきた。「うちは工房印のある商品しか置かないんで」
「……いや」
もうひとつの声は、扉のすぐむこうからした。
どこか聞き取りづらく濁った低い声。
聞き覚えのあることに、ハナは息を呑む。
「もしもこの街で旗揚げしたいってんなら、そんときはうちで口利きさしてもらいますよ。あんた、腕はたしかみたいだから」
扉が開く。
入り口の幅いっぱいを、はち切れそうに膨らんだ前閉じのローブがふさいでいた。
見あげればそこには、異様なくちばし型の面鎧。
思いがけないはちあわせに、客人も――もはやハナにとって「客人」ではなかったが――ハナを見おろして静止していた。
あのうさんくさい帽子は頭上でなく脇の下でつぶれていて、鳶色の総髪と広い額とが今は覗いていた。彫りの深い目もとも。
初めてはっきりと見た彼の小さな瞳を、ハナは――混乱と動揺がもたらした思い違いでなければ、ハナはそれを――愛らしいと思った。
厚ぼったいまぶたの奥で琥珀色の光彩に囲まれ、戸惑いのためか少しかげってはいても、日暮れどきの沢のようなひそかな穏やかさがそこに垣間見えるようだった。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「ありゃ、どうかしましたかい?」
店の奥からまた声が飛んでくる。扉をあけたきり動かなくなった彼を見て不審に思ったのだろう。
階段をふさいでいる自分が原因だと気づいたハナは、「し、失礼!」と口走りながらうしろにさがりかけた。
が、足がもつれる、と予感したときにはとうに、体が宙に浮いていた。
「――え? へ?」
せまい階段の上で、帆布を抱えたままだったのも災いした。
手すりにも手が伸びず、もともと背中寄りだった重心に引かれて肩と腰がみるみる水平に近づく。
受け身も取れないと察し、思わず目を閉じた瞬間、手首をばしりとつかまれた。
くつの裏に、地面を感じる。
体のかたむきが止まっている。
目をあけると、雲がちな空。
ピンと前に張った腕の方を見おろせば、革を手袋をした大きな手が、その半分もなさそうなハナの左手をつまむように握っていた。
少しのあいだ、言葉を失くす。なんとなく驚いている自分が自分の中にいた。
触れあうと彼の指はいっそう太く力強く思え、ハナの手首など他愛もなく折りつぶしてしまえそうなほどだった。
それでいて、不思議と少しもおそろしいと感じなかったのは、心地よい火照りに変わるほど肌を通して伝わる繊細な力加減のためか。
そのとき、ハナから見て左、彼が伸ばした腕の方にかけてあった袋のひもが、肩からはずれてずり落ちた。
土嚢のような袋の底が床まで届いて、ごす、と音を立てる。
反動で開いた袋の口から、中身がぽろぽろとまろび出て、階段の下に散らばっていく。
木製のカラトリーと、木の器、に見えた。
「あ……」
目を白黒させてハナが呆けていると、つかまれていた腕をまた引かれた。
姿勢を起こし切ったハナを離し、彼は階段を降りて散らばった木器を集め始める。
体格に似あわずてきぱきと拾って袋の中へ戻し尽くすと、いっしょに落としていた帽子も拾いあげて頭に乗せ、そのまま通りに出ていった。
「は……え? えぇ!?」
礼にしろ謝罪にしろ、なにかしら言う機を探しているつもりでハナはぼんやりまごついていた。
あげくにひとことも交わさず置きざりにされようとしていることに気がついてようやくハッとする。
慌てて通りに駆けだすなり、「あっ、あの!」と声をあげた。
「先日は、申しわけありませんでした! 師匠がひどいご無礼を――」
自分ではそれなりに張りあげたつもりだった。
が、黒い背中はなにごともなかったかのように黙々と遠ざかっていく。
もう一度呼びかけようとして、ハナはためらった。呼び止めて、どうするのか。
彼の名前も知らない。ハナの前を素通りしたということは、ハナたちと接点を持つつもりはもうないということなのかもしれない。
偶然おなじ街を訪れていたにせよ、このまま別れてしまえば二度と互いに干渉することはないだろう。そうあるべきだと言ったあの夜の師匠の訴えに、彼も賛同したということになる。
ただ、ハナにはまだ、どうしてもそのままにしておいていいような気がしていない。
「お話がしたいのです! 士人!」
道の先で巨漢が足を止め、振り返る。
帽子の下に、意外そうに開いた琥珀色の目があった。
ハナは胸に手を置いて、まっすぐにその目を見据え、
「おたずねしたいことがあります。《大棘》のことで」
明日0時次話掲載予定【済】
☆ 2020年10月21日、再推敲版に差し替えました。文章の洗練と漢字レベルの調整・ルビ振りを行っております。内容に変更はありません。