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第四章・第2.5節:side B

王女の話。


(字数:5,037)

 

 ――重い!


 ベルーデルはそう思った。改めて心の中で毒づいた。


 最初に持ち上げた時点で思い知ってはいた。

 が、これぐらいで音をあげていたら冒険になんか行けない、と息巻いて平気なふりをしたのだ。


 階段を降り切った時点で息は上がっていた。女王の間の前まで来たときには、すでにへとへとになっていた。


(やっぱりハナも強い人だわ! こんなに重いものを背負って歩き続けられるんですもの!)


 扉を開けるためにいったん床に置いた木箱の持ち主のことを、ベルーデルは心の中でほめちぎった。

 表に背負い紐、背面に両開きの扉がある箱で、中は薬師の道具や薬の素材が小分けに詰まった箪笥になっている。


 ハナが持ってきた薬師の背負い箪笥。

 外から来る隊商の荷物でも俄然見たことがないそれに心奪われ、背負っている姿をイズンに見せたくて持ってきてしまった。


 ハナはフォルストとどこかの部屋で話し込んでいるらしく、客室に忍び込んで待っていても一向に帰ってこなかった。ゆえに拝借は無断だ。


 ちなみに忍び込んだ当初は、洗濯を終えて給仕(メイド)が届けたばかりの、ハナの薬師装束の方にそでを通そうとした(すぐ乾いたと言って給仕が驚いていた)。

 しかしさすがに大きさが合わなさすぎて、着ている姿をイズンに披露しても笑われるだけだと容易に想像がついた。


 ついでに肌触りもごわごわしていて、耐えられないほど不快だった。

 ハナには今度、自分用に仕立てる旅装とおそろいのものをあげようと、このとき固く誓った。


 そして、衣装の代わりに目をつけたのが背負い箪笥だ。


 背負う前に中も覗いてみた。

 鍵は他の装飾品といっしょに、箱の上に置き去りになっていた。


 抽斗(ひきだし)までは開けていないが、棚の中にある古びた()(とく)や鉄瓶に明かりを当てた途端、どんなに繊細で色鮮やかな織物や細工品よりも美しいものであふれかえっているように見えた。

 そして同時に、この素晴らしい箱をイズンにも見せてあげたい気持ちがむくむくと湧き起こり、どうしても我慢できなくなってしまったのだった。


(あとでちゃんと返すから、大丈夫よね?)


 自分で自分を納得させながら、慎重に箪笥を背負い直す。

 さすがに無傷でなくては気まずすぎることぐらいわかっているので、転ばないよう気合いを入れる。


 女王の間には、誰もいなかった。

 ヘイゼルはおろか、中央の寝台ももぬけの殻で、イズンの体温を嫌って普段は近づかない蝶たちが枕の上にも乗っている。《宮つげ》がもう終わる頃だろうと思って来たのだが、少し早かったらしい。

 寝台のそばにはヘイゼルの鎧と兜も転がっていた。


 ベルーデルは少し迷ってから、入り口の対角線上とは別にある、小さな鉄の扉の方へ入ることにする。


 《宮つげ》は、要は《初代女王の呪詛》のイシヅエを維持するための、死産児の取り換えだ。


 いかに薬で心臓を動かしているとはいえ、呼吸もしていない死産児の肉体は時がたつにつれて内部から腐敗していく。

 腐敗が進んだ血肉は当然毒となるため、へその緒で繋がっている胎盤(イシヅエ)も、ひいては宿主であるイズン自身の肉体も蝕まれることになる。

 十一視蝶の鱗粉によって緩和されてはいるものの、影響が出ないうちに、次の新鮮な死産児とつなぎ()える必要があるのだった。


(でも、これがきっと最後の《宮つげ》よ、お母さま)


 鉄の扉を開けると、そこは薄暗い通路になっていた。

 一直線の通路の先には、再び同じような片開きの鉄扉が見えている。《宮つげ》はいつもその先で行われる。


 ベルーデルが十歳になったとき、母親から《宮つげ》のことを聞かされた。


 それまでも、母のお腹の上にいつも冷たい赤ん坊が乗っていることは知っていた。

 ただ、病気から守ってくれるお守りのようなものと教えられてもいた。

 定期的にすり替わっていることにも気づいていなかった。


 真実を知らされたのは、誕生日の朝だった。


 イシヅエのこと。《呪詛》のこと。

 十一視蝶と、《王家の丸薬》。

 そして、巫女としての務め。


 イズン自身は即位の直前まで何も教えられておらず、そのせいでいろいろと無理をしてしまった。

 その話を最後にして、ベルーデルに、自分を大切にするよう短く諭した。


(イシヅエも蝶たちも、あたしには必要なくなる。ハナがいるもの)


 女王の告白は、所詮十歳の少女に過ぎなかったベルーデルには、あまりに残酷で苛烈にすぎる仕打ちだった。

 外の世界への無垢な憧れを、これ以上なく辛辣(しんらつ)(とが)め立てられたような気がした。

 それからは、ふさぎ込んだ日々を送り始めた。


 けれど、ベルーデルは不思議と、誰も(うら)んではいなかった。

 すべてを知る父も、知らせる決断をした母も、母の《宮接げ》を担うヘイゼルも、十一視蝶も《丸薬》も、それらに支えられた国民たちのことも。


 国への愛――なんて気高いものからではない。

 ただ、憧れを捨てられなかっただけのこと。


 夢を見た。幻想を描いた。遠くはるかな景色を望んだ。


 高い場所にのぼって、手を広げて、きっと落ちないと信じて、いつかつばさを持てることを、信じていた。


(ハナがきっと、なんとかしてくれる)


 そして、薬師が現れた。


 たぶん、ずっと願っていた。

 けれど、本当に現れたその人は、想像よりもずっと可愛らしく、美しく、いさぎよく、たくましく、穏やかでやさしい、陽の光のような人だった。

 祈りで雲が育って、雨が流れて、溶け固まって手のひらに落ちてきたような、それはまるですべてが叶うきざしのような、まばゆい出会いだった。


(《丸薬》がなくたって、ハナがいればみんな治しちゃうのよ。お母さまの体だって)


 ベルーデルは信じていた。

 この世に解けない呪いなんてない。


 この足を縛るものはいつかほどけて、望む限りどこまでも歩いていける。

 錠に挿す鍵は必ずどこかで眠っていて、呼び続ければ、眠い目をこすりながらも起き出してくるのだろうと。


 そして、丘を越える道はひらかれる。

 道しるべには、彼方、と。


(そしたら、お母さまもいっしょに行きましょう? ハナたちといっしょに。もちろんヘズやお父さまも。みんなで旅に……)


 扉を押し開ける。

 隙間から青白い光が差し、台の上に横たわる母の安らかな寝顔が目に映った。








「ああ――ああああ――――あああああああああああぁあああああああああああああああああああああああああああああああああぁあああああああああああああッッッ!!!! うわあああああああぁあああああああああああああああああああぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!!」




 吹き荒れるもの。吹きすさぶもの。


 母の横たわる寝台のそばに、腰から下にだけ鎧をまとった、四本腕の女が突っ伏している。


 彼女の声。

 聞いたこともないような慟哭(どうこく)


「ぐぅうあああああああああああああああああああぁぁッ!! わああっあああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!」

「…………へ、ず?」


 呆然としながら、無意識に名を呼ぶ。

 しかし葉擦れのようなその声は、自分の耳にすら届かずかき消されていった。皮の下まで揺さぶるような叫びに。


「うそだうそだあああああぁッッ!! ああああああああああどうしてぇッ!? どうしてッッこんなあああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁッッッ!!」


 彼女がしがみつくようにすがる、布張りの台の上には、イズンがその細い裸身を横たえている。


 彫像のように滑らかな肢体。薄い腹の上には、赤黒い石のような何か。

 真横を向いた白い顔は、目を閉じたまま、いつくしみ深く微笑んでいるかのように見えて。


「こんなぁ、こんなこんなこんなッッ、こんなのッ! 耐えられるわけがないいぃッ!! こんなの耐えられないいいいいいいッッ!!  どうしてえええええええええええええええええええええええぇぇぇぇッッッッ!!!!」


 滴っている。

 台の(すそ)から、石の床の上に。

 十一視蝶たちの燐光にさらされてなお、黒々と光るしずくと水たまり。


 滴りの真上は、イズンのあごの下から。

 そこに、銀色の柱が上に向かって立っていた。


 (さじ)()のように細いそれは、柱ではなく、ヘイゼルが《宮つげ》に用いる純銀のナイフ。

 柄に比して刃の短い、(そう)()の扱う切開刀(メス)


 今その紙のように薄い刃は、イズンの首筋に皮膚を貫いて潜り込み、噴き出る血潮にひたされている。

 彼女の口の端からも、鮮やかな赤いすじが。


「イズイズいずいズイズゥッッッ!! どうしてッ!! どうしてっ!! どうしてぇぇぇッ!!」

「お……母、様……?」


 喉から胸まで引き裂こうとするような絶叫のわきで、ベルーデルはか細く呼びかける。

 答えはなく、流れ落ちる血液だけが生き物じみたままの、氷の微笑がそこにある。


 押し開けた扉に寄りかかったまま、ベルーデルはずり落ちるようにへたり込む。


「こんなのッ! こんなっこんなッ! こんなことのために、わたしは母をッ! ぁああああぁ何故(なぜ)ぇぇッ!?」


 なおも叫び続けるはヘイゼル。

 とうに喉はつぶれ、血を吐くようにすり切れた声を垂れ流し、次第にすすり泣くような息づかいを大きくしながらも、おのれを()きつぶすかのようにしつこく(うな)り続けていく。

 まるでただれた汚泥と化して、溶けてにじんで消えたがるかのように。


「あぁぁあぁそうだぁ……イズに、あげるべきだったんだぁ、あのとき……母の体も、わたしのから、だもぉ、ぉぅ……! イズに、わたしをっ、わたしを、いず、にぃッッ……!」


 汚泥はやがて乾くもの。

 口ぶりが(こわ)()り、声色がうねり出す。


「そうだ、そうだそうだそうだぁぁ……。はなすべきじゃなかったいかせるべきじゃなかったいっしょにいっしょにいるべきだったのにいっしょにいっしょに、いっしょにいっしょいっしょいっしょういっしょいっしょぅお、お、お、お、お、お、お、お、お、お、お、お――お――お――お――お――」

「――ぇズ? なにを……」


 (なん)()のようなさざめきを無感情に繰り返し始めたヘイゼルの背中から、ぬめるような不安がからみついてくる。

 押しつぶされそうな予感にベルーデルは声を漏らす。


 そのとき、背負っていた薬箪笥がずり落ちて、石の床に当たって重い音を立てた。


 瞬間、寝台に打ちつけるように髪を振り乱していた頭が、こちらを向く。


 ベルーデルは、そこにある眼の奥に光を見た。


 それは見たことのない光だった。

 岩壁の隙間から差す陽光とも違う、力強く振動する炎との色も異なる、どす黒い闇の奥で渦巻く星屑のような光――

 明滅する胡乱(うろん)なきらめき。


 誰かの眼にあっていいものではない。ベルーデルはそう強く感じていた。

 誰よりも一番きれいだと思ったハナの瞳を思い出し、その対極にあるものだと認識する。

 人にあっていいものではなく、まるで人ではないかのような。


「ひぃぃぃぃめさまだぁぁ……」


 またたかないその眼を顔に貼り付けたまま、泣きはらした頬を奇妙に青黒くして、穴が開いているだけのような口腔から言葉のような何かをこぼす。


「ひめさま。ひぃめさまだ、ひめさま。ひめさまだ。そうだ、ひめさまもいっしょ、いっしょにひめさまも、ひめさまもいっしょに、ひめさまにおともします、おともしましさんにんいっしょにずっといっしょが、いっしょにひめさまも、ひめさまもひめさまとひめさまをひめさまはずずずずずずずずずずっとずっとずうっとずう、ずう、ずう、ずうず、ううっう、う、う、う、う、う、う、う、う、う? う? う、う? う? う?」


 止めどなくつぶやき続けながら、その長身が持ちあがる。

 四本腕で台の上を這うようにして、動かないイズンの肢体へ覆いかぶさっていく。

 首だけがねじれて依然ベルーデルに眼光を向けたまま、ひび割れた歯の合間から血走った呼吸を噴き出して。


「う、う、ぃ、あ、ぅぃい、ぃいいいいいいいいいいッいぃっしょに、ぃぃぃぃっしょにいっしょにいっしょにいましょぅっひめさまぁぁぁあぁ……いずにへずとぉさぁぁあああああんにんずうううぅっぅぅうぅぅぅぃいいいいいいいいいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃいいいいいいいぃッッッッッ!!」


 さざめきはいつしか燃え盛る咆哮に。


 そして狂乱する女の背から何かが伸びあがる。


 ヘビか蚯蚓(みみず)のようにのたうつ、何か。(ほの)かに赤く色づく白い管。


 鎌首をもたげ、目のない顔で見おろすその肉の管を、ベルーデルは見つめ返し、動くことができない。


 誰かの名を呼ぶ自分の声を聞いた気がした。

 浮かんで、流れて、散って、そしてどこへも行けない。




明日昼頃次話投稿予定。毎日更新中。

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― 新着の感想 ―
[良い点] え……あ……ちょ…… オペ失敗? あるいはわざと? 呪詛いかにもな壊れ方してるヘズ…… どうなるベルーデル!?
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