第四章・第二節<後> 卵鞘と胎盤
【前編のあらすじ】
王配フォルストが来るのを待つ間、ハナと士人は使われていない玉座の間で待たされる。
ハナは女王イズンに謁見したことや、ベルーデルから聞いたエルヴルの事情を士人に報告する。しかし、士人の側は王宮を出て何をしていたのか教えようとしない。
代わりに士人は、玉座の背面に巨大な樹の浮彫を見つける。
それはエルヴルが象徴として掲げる神話の霊樹、癒しの樹の王、《真白きガオケレナ》を描いたものだった。
ちょうどそこへ合流したフォルスト。
彼は、かつて疾師がエルヴル王室に大きな貸しを作ったことを承知しており、仔水牛の頭骨越しに名乗りを上げた疾師ウルウァに対してひざまずく。
そこでウルウァは、ハナたちに十一視蝶を渡しづらいのは国宝だからではなく、効果範囲のある《呪詛》によって蝶の存在を維持しているためだろうと看破し、問い詰める。
《呪詛》が関与していたことで衝撃を受けるハナ。
王配たるフォルストがそれを事実と認めたことで、いてもたってもいられなくなったハナは、自ら問うたのだった。
呪詛憑きは、誰かと――
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縛り上げたように動かない舌を懸命に震わせ、ハナは問うた。
「今の呪詛憑きは……誰なんですか?」
ウルウァからの答えはない。
ハナは沈黙に促されたようにフォルストを見る。彼は頷くように目を伏せた。
「イシヅエは、代々の女王が受け継ぐこととなっております。今、《エルヴルの呪詛》を維持しているのは、まさしく現女王、イズン陛下の御身です」
「……ッ!!」
呼吸が空回る。
浮かんでいたイズンの姿が色あせて歪む。
だが叫び出すにはまだ足りない。まだすべてではない。
今さらのように手のひらの頭骨が冷たく鳴いた。
「そのイシヅエの維持に、市井から集めた死産児を使っちおるねぁ? すなはち、イシヅエは胎盤と子宮か。強心剤で死骸の循環系だけを再起し、臍帯をつなぎ直し、胎盤に妊娠が続いちおると誤認させよるねやろうて」
「そン……っな……!」
切れ切れの悲鳴。
慟哭と呼ぶにはひどく轢き潰されすぎたそれを押し出し、ハナはたまらず口を手でふさいだ。
鼻へ抜け切らない激しい吐息が目頭でわだかまり、視界を煮え立つ湿りでくもらせる。
にじむ右目に浮かぶのは、シーツ越しに見たイズンの下腹部のふくらみ。
かすむ左目には、おのが手で産湯につけた、頭のない嬰児のいたましい姿。
少年の姿をした門兵のアールや、彼の上司の副兵長らは信じている。
陽の下で生きられなかった子供たちを、自分たちの王室がねんごろに弔ってくれていると。
王宮の中に霊廟があり、王家自らが手厚く奉じてくれているのだと。
だが子供たちの真実は、胎を切り取られた女を母にあてがわれ、冷たい血を注ぎ込んで寝所に釘づけにする役割だった。
重石。楔。
永遠に産み落とされることはなく、地の底で眠りにつくこともなく、古の狂気を戴くための呪具として。
あの氷室は霊廟だ。
奉じる巫女の役割を担う女王は、墓碑そのものだ。
そうなぞらえたとて、何になるというのか。
今はイズン。そして次は、ベルーデル。
陽の下で光の粉を振りまき、踊るように走り回るあの華奢で可憐な肢体も、いつか青く冷たい燐光に巻かれ、干からびたみどりごのための死後母となる。
何よりもそうしなくては、彼女自身が生きられないために。
知っていたのか?
いや、知っていたのだ、ベルーデルはすべてを。
だからこそ、城壁の上でハナに見せた、あの物憂げな眼差し。
――途中で死んでしまうんだとしても
――自分のつばさで行けるところまで行けたなら
――きっと嬉しいんじゃないかしら、って
あふれてくる。受け止め切れずにこぼれ落ちる。
突然に多くを知りすぎてしまった。嗚咽を漏らす手前で踏みとどまるも、今にも膝は砕けそうで。
そのハナの手の中で、しかし疾師は、容赦なく淵の底を掘り進んでいく。
「入り婿よ。《王家の丸薬》は、十一視蝶の卵鞘よねぁ?」
「……おっしゃるとおりです」
「!?」
重々しく肯定したフォルストの声を聞き、ハナはもう一度息を呑む。
卵鞘はその名のとおり、卵を包むさやのこと。
季節を問わず繁殖しようとする虫の中に、大量の卵をそれで包んで産むものがいる。か弱い卵を乾燥や冷気から守るためのもので、孵化に最適な季節となるまで、卵はその中で眠り続けることができる。
《丸薬》と十一視蝶。
二つの間に浅からぬ因縁があることはハナも予想していた。
しかし二つがほとんど同一のものだとまでは、思い至っていなかった。
「大量の極小卵を硬い卵鞘に閉じ込めて産むのは、本来の十一視蝶が水のない寒冷地の生物であるがゆえよのぅ。水溶性の卵鞘は、水棲環境下に到達することで溶解し、中の卵の休眠を解いて孵化を促す。水分のある場所という意味では、生物の体内も例外ではない。ただし生きた生物の体内では、幼虫は成長ができずに死滅するけに、死骸から《長命成分》がまき散らされることになる。
《長命成分》――すなはち、生物体の〝変化〟を抑制し、無病と不老をもたらす物質ぞに。それは羽化にともない鱗翅上に移るねど、幼虫の時点では体内に保有されちおる。卵鞘を飲めば、十一視蝶数千羽分の鱗粉をまとめて一度に吸い込むのと変わらぬ効能が得られるじゃろうねぁ」
それが《丸薬》の――エルヴルの繁栄の正体。
翅から自然にはがれ落ちた鱗粉をいくら吸い込んでみたところで、吸収量は頭打ちだ。
だがその程度でも、すでに身体の異常を抑え尽くすほどの効能は現れる。
ならば、はたして卵鞘の服用によって摂取できる《長命成分》はその何百倍か。
量と服用の仕方を誤った万能薬は、人間ほどの大きさの生物の成長をも遅らせ、子を身ごもるのに合わせた肉体の自発的な変容をも打ち消してしまう、〝毒〟となるのではないか。
しかしエルヴルの民たちは、《丸薬》を毒とは見ていない。
医療者のいないこの国に無病と長寿をもたらす、彼らにとってはかけがえのないもの。誰もが失われることを望んでいないもの。
ただ、それが十一視蝶の卵であるということは、十一視蝶を維持する《初代女王の呪詛》の影響下にないはずもないということ。
《呪詛》が失われれば、十一視蝶とともに《エルヴルの丸薬》も消えてしまうことになる。
ゆえに女王を霊廟に押し留め、巫女としてイシヅエにその身を捧げさせる。
そして国民たち自身も、たび重なる死産に慣れ親しみ、水子を城に納め続けるよりほかにない。
「市井に、そこまで知る者はおりません」
フォルストがおごそかに口を開いた。
「イシヅエや《呪詛》についても、流布していません。無論、王宮勤めをしている者たちは事情が違います。何かのきっかけで気づく者もあれば、漏れ聞いて知る者もいるでしょう。それでも騒乱にまで至った例は、今日まで一度もないままです」
「だからっ、て……」
こらえ切れず、ハナは喉を震わせる。
けれど、結局自分が言うべき言葉なんて見つからず、誰にこのこぶしを見せればいいのかも思いつかず、ただ息をするうちに、奥歯をかみしめてしまっていた。
「そう――だからと言って、何も感じずにいてよいことではないのです」
そう断言したのは、国の内実を話すフォルスト自身だった。
彼はハナを見あげたまま、何かを決意したように毅然とした表情をたたえていた。
「我々は、数多の幼い屍の上に生きている。その自覚は、エルヴル国民の誰もが持っていることです。信仰なきこの時世に、信じられるものがあることは幸いなのやもしれません。しかしながら――自然にもたらされた境遇にいないことと、何も違わない」
「……フォルスト様?」
彼の語調に、ハナはかすかな異変を感じ取る。
ウルウァも同様か、ハナの手の中で頭骨がくすくすと笑った。
「ケフフッ。為政者の長が口にするには、ちくと物騒な愚痴じゃ。まさしくウルら以外に聞かせられんわねぁ」
「なぜ、じぶんたちに……?」
ウルウァの言う通り、為政者の立場で自国のありようを根本から否定するのは、あまりほめられたことではないだろう。そのありようそのものについて、まずは責任を担うのが道義のはず。
だがそれ以前に、なぜハナたちに話をしたのか。
いかに内部の者には聞かせられないからといって、部外者に告白してしまう理由には当たらない。自身の胸中に止まらず、国の実態の真実までも。
「ある一心ゆえに」
フォルストは答えた。
眉間に深くしわを刻み、そうして今までで最も厳粛な物腰でこう言った。
「私は、反乱を企てています」
「……ッ!? クー、デター?」
ハナに馴染みのある言葉ではない。だが、それが含むところと色合いとを即座に感じ取って、ハナは後ずさるように身をすくませた。
目の前にひざまずく者が誰なのか、一瞬わからなくなる。
「ケヒヒッ! 執政自ら簒奪を目論むとはのぅ。玉座に埃を座らせちおるのがよほど我慢ならんと見える」
「あながち間違いではございませんな。目的は玉座の廃棄、王室の解体ですゆえ」
「ほう?」
ウルウァの声色に不吉な熱がこもる。
喜々として。あるいは鬼気として。
「やはり、イシヅエが持たんか」
「……どういう意味ですか?」
ハナはたずねた。飲まれかけた状態から徐々に気を持ち直してきたところだった。
反乱という言葉から直接受けた印象とは、事情が違うらしいことに気づき始めていた。
「この洟垂らしめ。まだ思い至らんかゃ?」
ウルウァがじれったそうになじる。
「あのやかましい王女から聞いたはずぞに。現女王の王女時代の国土がどれほどであったか。なぜそれが今のように縮み、国境が王宮に近づいたち思うねぁ?」
「国境……《呪詛》の効果範囲? っ、まさか……」
「いかにも。《呪詛》の弱体化、つまりはイシヅエの劣化にほかならん」
疾師は断定した。
「イシヅエに宿る《呪詛》の規模や効力ちいうのは、元の呪詛憑きの肉体に比するイシヅエの体積と、機能の正常度に左右されるぞに。呪具とはいえイシヅエは生きた肉。老衰もあるうえ、同じ臓器を違う身体に幾度も移植しちおれば、劣化は避けられん。いかに万能の《長命成分》を塗りたくろうち、限界はある」
「ご賢察のとおりです」
フォルストが合いの手を入れる。
ながら「ただし」と付け足し、続きを引き取っていった。
「本来であれば、現在の半径に縮小するまで百年余りの猶予があるはずでした。しかし、先代女王の頃、王女であったイズン陛下は不慮の事故に見舞われ、生まれつきの疾患が重篤化してしまったのです。症状そのものは鎮静致しましたが、その後に妊娠と出産を経てさらに虚弱に。その状態で無理に巫女の役目を継承したことで、イシヅエの劣化が急激に進行してしまったと言われています」
「ふんっ。たかが百年。遅かれ早かれぞに」
ウルウァが辛辣な野次を吐く。
だがフォルストは真摯に頷いた。
「ごもっともです。ただ、一度劣化の加速を許してしまったことで、イシヅエはその耐久性をも同時に著しく損なうこととなりました。このままベルーデルがイシヅエを受け継いだときには、再び《呪詛》の現界域に激しい減衰が起こることでしょう。我々の見立てでは、次に残る現界域は王宮とその周辺部のみです」
「それって……!」
フォルストの口にした予測は、そのまま国全体の瓦解を意味した。
ベルーデルが即位した瞬間、《初代女王の呪詛》が王宮内にしか作用しなくなる。
それはつまり、王宮の外を支えている《丸薬》の恩恵が、事実上残らず消滅してしまうことにほかならない。
「そんなことになったら……」
「本物の内紛が起こるねぁ」
国民たちの混乱と絶望はいかほどか、ハナの焦燥と懸念はそれだった。
しかしウルウァの突きつけた推察は、そんなことすら問題にならないことを示唆していた。
ハナはついに黙り込む。
血まなこになって王宮に押し寄せてくる人々。
温厚でのどかなエルヴルの人々に限って、そんな光景がまざまざと思い浮かぶわけではなかった。
しかし、彼らの平穏の根底にあるのが《王家の丸薬》であることもまた、否定しようのない道理だった。
「そうなる前に、幕を下ろします」フォルストが決意を告げる。
「すべての事実を公表し、国民が受け入れるのを待って、《初代女王の呪詛》そのものを廃棄します。最後には王室の解体をもって、エルヴルとしてのこの国の歴史に、いったん終止符を打つつもりです」
フォルストの思い描く穏やかな国の終焉。
どのみち、市井からの死産児の供給が絶たれる以上、《初代女王の呪詛》は廃棄されるまでもなく、消失が時間の問題となる。
《呪詛》も《丸薬》も、王宮が独占できる余地はない。
そのことを時間をかけて説き伏せれば、今いる人々で新しい『エルヴル国』を始めることは可能かもしれない。しれないが――
「……できるん、でしょうか?」
ハナはためらいがちに問うた。
ただ不安を疑念のかたちにしただけなのは、自分でもわかっていた。
しかし、一介の薬師でしかないうえに、ほとんど生まれついての流れ者である身には、国の変革の経過など到底現実味を持って想像できるものではなかった。
「恥ずかしながら、やらざるを得ないというところです」
ここに来て初めて、フォルストは内心の弱気をさらけ出すように苦笑してみせた。
「少なくとも、血を流さない改革のためには、他に取れる道がありません。十四年前の大縮小では、遺棄される土地が耕作地ばかりということもあったとはいえ、国民たちは何も訊かずに冷静な判断をしてくれました。その経験から、王室の代替わりにともなう何かを予感している者も少なくないでしょう。今度のことでも私は、彼らの聡明な気質に賭けてみるつもりです」
国民を、人を信じるのだと、フォルストは言っていた。
確かなことはきっと何もないのだろう。住む場所が狭まるのと無くなるのとでは勝手が違いすぎる。
それでもこの国にとっての最善を願うのであれば、それを担う者が矢おもてに身をさらし、全力で訴えるべきなのかもしれない。
最後の王配の役割として。
(役割……)
ハナは唾を飲んだ。だがもうそれは不安からではなかった。
試練に立ち向かう者が、目の前で手助けを求めていることを察していた。
その手が取れるよう、奮い立つため、自ら胸に力を入れる。
「……じぶんたちに、何をしてほしいんですか?」
そう問い直した薬師の目に、フォルストも覇気を覗いたことだろう。
待っていたように深く頷いてみせた。
「これは、現王配としての依頼でもあり、同時に一人の国民としての願いです。疾師様、そしてハナ殿、《初代女王の呪詛》が失われたのち、イズン陛下とベルーデル殿下が一日でも長く生きられるよう、お手をお貸しいただけないでしょうか。我々はそのために、あなた方を『この国の最初の薬師』として迎え入れる用意がございます」
「!?」
フォルストの願いそのものは、ハナもすでに考えていたことだった。
《呪詛》の喪失は十一視蝶の消滅。
それによって持病の発症を抑えられなくなったイズンとベルーデルは、国がどう転ぼうが関係なく命の危機に瀕することとなる。
ただ、すでにベルーデルと鱗粉に頼らない治療法の捜索を約束していたハナにとっては、頼まれるまでもなく、ただやってのける必要性が現実味を帯びてきたに過ぎない。
しかし、そのためにハナたちを薬師として誘致したいというフォルストの申し入れは、魚籠底にヘビを見つけたような思いがけない話だった。
都合がいいとも悪いとも言い切れずに、ハナはたちまち混乱した。
「ケヒヒッ。交換条件のように言いよるねど、ウルらを誘い込みたいのもそちらの都合よねぁ?」
ウルウァが目ざとく指摘してからかう。
「《王家の丸薬》が失われて何より民どもを煽るのは、病に通ずる者が国に一人もおらぬこと。しかもエルヴルはほまれ高き無病国として、流れの薬師どもの間ではとうに広く認知されちおる。ほまれが墜ちたと国の外にまで知れ渡り、医療者が自ら寄りつくようになるには、相応に労苦を要することじゃろうよ」
「恐れながら……」と、フォルストはつつしんで肯定し、
「我らとて、手をこまねいていたわけではありませんでした。流浪の薬師たちの拠点とされる『薬師の里』なる地の話を聞きつけ、なんとか渡りをつけようと尽力していたこともございます。
しかしながら、使いを送れそうな段になって、その場所から不穏なうわさが流れてくるようになりましてな。以来、こと医療者の誘致に関しては、手が詰まっている次第です」
「そりゃあ頼る先を間違えたねぁ」
「……」
また思いがけない名前を聞いたことで、ハナは少し冷静さを取り戻す。
ただ、同時に陰鬱な気持ちになることも避けられなかった。
ハナの故郷、《洞》、薬師の里。
思い入れは決して深くない。
だが、こうして実際に頼る人々がいたことを思い知らされると、《陰清》という麻薬にある意味で溺れていた里の姿に、出身者なりのやり切れなさを覚えずにもいられない。
それに、里がいかがわしいとなれば、里にゆかりのある者が多い旅薬師たちに対しても、慎重にならねばならなくなったことだろう。
元々自国民を《呪詛》の効果範囲外へ派遣しづらいため、外からやってくる商人などから場当たりに情報を買うほかなかったというのもあったはず。
医療者の誘致が暗礁に乗り上げたことも、薬師でなく疾師とその弟子を名乗るハナたちに、会ったばかりで為政者自ら国の命運の一端をゆだねかけていることも、無理もないように思えてくる。
今はもう、薬師の里は《陰清》から解放されている。
ハナ自身が証人になれるその報は、エルヴルに福音をもたらせるだろうか。
だが、深く寄りかかっていたものを失くしたあとの里の混迷ぶりは楽観視できない。
それこそ《丸薬》を喪失するエルヴルの未来の姿そのものとなっているかもしれない。
それを思えば、ハナはいっそう固く唇を噛んでいるよりほかになかった。
「無論、ここに残っていただけたのなら、新旧ともに国をあげ、できるだけのことをさせていただきます。王宮の外に医院を望まれれば、建物、人手ともにご用意いたしましょう。国の改革にあたってご不便をおかけしないことを約束いたします」
フォルストの真摯な申し出にも、ハナはやるせなさと申し訳なさを感じてしまう。
どう答えることが正しいのか、話を聞けば聞くほどにわからなくなっていくようだった。
「たわむれでも御免じゃのぅ、薬師としての招致なぞ」
ウルウァは拒絶した。ためらいないどころか、鼻先で一笑にふすような言いぐさで。
「ウルは疾師。疾師は疾師ぞに。罹るべき病からいかさまで逃げおおせちおった連中が、肥溜めに落ち、のたうち回る様なぞ、手を叩いて祝いこそすれ、憐れんで手を差し伸べようちするはずがあろうかゃ。汚い汚い」
卑しく嗤い、しかしどこかなじり飛ばすように疾師は吐き捨てた。
端から薬師としてしか誘われないことに矜持が傷いたとでもいうのだろうか。
さすがにフォルストもおののいたように目元をこわばらせている。
が、しかし、
「――と言いたいところじゃったがのぅ」
と、急に面倒くさそうな声が付け足す。
「あずかり知らんところでおんしらの《呪詛》に消えられては困る事情がウルらにはある。王族の病をどうにかすることについては、ウルのすばらしき叡智を特別に貸し出しちやってもかまわん」
「左様ならば、ありがとうございます。国民の感情を思えば、それだけでも充分に――」
「ただし――生きたままのイシヅエをウルらに引き渡すこと。それも薬が工面でき次第、ただちにねぁ」
「……!?」
フォルストが瞠目する。色を失くす気配。
ハナもまた眉をひそめる。
確かにウルウァの言うとおり、ハナたちにはエルヴルの事情だけに合わせられない理由がある。
十一視蝶を持ち帰り、アーシャの治療を完遂するまでは、十一視蝶をこの世に存在させている《初代女王の呪詛》を廃棄させるわけにはいかない。
そしてアーシャの治療の課題はただ一つ。
いかにしてアーシャ当人を《初代女王の呪詛》の効果範囲に連れてくるか。
とはいえ、アーシャ自身を連れてくるのは不都合の方が大きい。
十一視蝶を守る《呪詛》をイシヅエごと持ち帰ることの方が、この場合は理に適っている。
しかしそれができるようになるのは、エルヴルの改革が成り、十一視蝶の卵である《丸薬》をエルヴルの国民が必要としなくなってからのこと。
悠長に待っていれば、ウルウァが《呪詛》をもってしてまで延ばしているアーシャの余命であっても、十一視蝶を届ける前に尽きてしまう可能性は高くなる。
だからといって、「待たない」という宣告は実にウルウァらしかった。
嫌なら延命薬を調合し終わるまでに国民を説き伏せろという、脅しじみた要求にもほかならない。
土台無理な話であっても、彼女には関係などあるはずがなかった。
「そう気張るなや、入り婿よ」
まるで見ているかのように、呪具頼りのはずの疾師が嘲笑う。
「一人の国民として? ケフフッ。本当のおんしは民どもと肩なぞ並べちおらん。耽溺する妻と娘の身がかわいいだけの、一介の男児ぞに。為政者の資格など、端から望んぢおるまい?」
「……敵いませぬな」
王配の顔が自嘲するように歪む。
疲れて諦めたような、それでいてどこか安心したような、またここに来て初めて見せる顔だった。
「あなた方への提案は、まだ他の執政官や補佐らには話していない、私個人の願望のようなものです。彼らを納得させられるかは、私の努力次第ということですな」
「ケッヒヒッ。気張りや、王婿」
今言ったばかりのことと全く逆の言葉を投げかけるウルウァ。
ハナにはもてあそんでいるようにしか聞こえなかったが、フォルストは口の端を持ちあげて頷いただけだった。
「おお、そうじゃ」思い出したようにウルウァが続ける。
「ウルはウルの求道が尊いねど、そこにおる愚弟子の身の振り方まではあずかり知らぬ。薬師なり情婦なり、どうとでも仕立てれば良いぞに」
ハナとフォルストは、再び顔を見合わせる。
フォルストはその目に光を取り戻したようだったが、ハナはただ戸惑っていた。
流れに身をゆだねかけていたところで、突然木の梢に打ち上げられたような心地だった。
どの枝に移れば降りられるのか見当もつかないというのに、降りることを求められてもいる。
またハナは、朽木のように黙り込んだまま見つめる視線を、ウルウァが口を開いたあたりからずっと背中に感じ続けていた。
冷たく急き立てるでもなく、生温かく見守るでもなく、ただ見開かれただけの琥珀色の双眸が、今も首筋を貫いているようだった。
明日昼頃次話投稿予定。毎日更新中。





