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第一章・第二節 虫くだしとクロスボウ

【前回のあらすじ】

 街かど診療を行っていた旅の薬師・ハナのもとへ、くちばし型の面鎧(ハーフメイル)をつけた、見たこともないような大男が訪れる。

 男は奇妙な白い刀剣状のものを差し出すと、これを薬に精製してほしいと依頼してきた。


 困惑するハナをよそに、助けに出てきた師匠・ナーシャは、その刀剣を見て豹変。

 日頃能天気でおだやかな師匠が、あからさまに剣呑な態度を取り始めると、大男の依頼をはねつけてしまう。


 大男はあまり食いさがらず、素直に退散。

 ハナは一抹の不安を覚えたが、直後にいつもの調子に戻った師匠を見て胸をなでおろすのだった――



(字数:15,644)

☆ 挿絵協力:伊呂波 和 さま (@NAGOMI_IROHA on Twitter)

挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


 

 薬師の里というのは、それがある場所だけを指して、外の者が使う呼び名だ。


 里の薬師たちは、自分たちという集団と()()、両方のことを指して《(うろ)》と呼ぶ。


 隠れ里と呼ばれることも多いが、いわれがあって特に世を忍んでいるわけではなかった。えてして人の入らないような、険しい幽谷の秘境にあっただけのこと。


 ただ、めずらしい薬草や薬木(やくぼく)の群生地のただ中にあり、流れる水も無類の清浄さを持つことから、薬をあつかう者らにとっては金や鉄の鉱脈よりも価値があった。かつて同種の行商らが流れついて開墾し、そこそこの規模の集落にまでなって定着した。そういう場所だ。


 ハナと師匠のナーシャが、ともに生まれ育ったその地を離れて、もう五年余りがたつ。


 その間、一度として「《洞》へ帰る」という話が出たことはない。


 《洞》の人間が一時的に外へ出ていくこと自体は、めずらしいことではなかった。

 いかに金脈以上の価値があろうと、里の地形は農耕には向かず、採れるのは草と木の実ばかり。生活は質素だ。


 豊かで滋養にもいい山の幸は、病や体の不調を遠ざけてくれる。ただその分、薬師としての実入りには乏しかった。

 修練の甲斐(かい)がなければ気持ちは貧しくなる一方だ。

 足しげく仕入れに訪れる奇特な行商もいはしたが、結局自ら売りに出ていくのが一番合理的なのだった。


 それに、せまい里に閉じこもっていては、治療の知識は廃れていく。ちまたには常に新種の病、流行り病の盛衰があるものだ。

 だから、里の薬師は旅先で診療をおこなうことを美徳としていた。

 行く先々で仮設の診療所を開き、格安で診断と治療を提供する。その地で採れない薬草などを持ち込めることも多く、薬師の里の出身と称せば、市場の真ん中に天幕を置けるほどの名高さもあった。


 とはいえど、知見を広げるための診療行脚(あんぎゃ)であれ、通例は長くとも一年単位にとどまる。


 《洞》は知識の集積所としても機能する。

 市井で得たものを持ち帰るまでが《洞》の薬師の旅であり、持ち帰ってほかの薬師と共有されないのでは、旅に出る意味がない。


 にもかかわらず、師匠との旅はすでに五年以上も続いている。

 ひとつの街を出るにあたって、次はどこへ行こうかという話になるたび、ハナは師匠の口から「帰る」という言葉が出るか出ないかを、ひそかに固唾(かたず)を呑みつつ見守るようになっていた。


(じぶんは、特に帰りたいわけじゃないけど……帰らなくていいのか、だな)


 三脚に吊るした鍋の味を見ながら、ハナは自身の気持ちについて考えてみていた。

 焚き火の()ぜる音があいづちのように聞こえる。今夜は虫の声もあまり聞こえない。


 街からは幾分離れた森の中で、ハナたちは野営をしていた。結局、師匠が次の行き先として指定したのも、里とは正反対の方角にある街だった。

 たしかに落胆こそなかったものの、ハナは漠然とした疑念に悩まされていた。


(帰るどころか、《洞》から遠ざかっている……いや、さすがに偶然だろうが)


 考えすぎる癖は、昔から師匠にもよく指摘されていた。

 ただ、今度の師匠の采配が気にかかるのには、新しい理由もあった。


(里の出か、とあの人に訊かれてから、師匠の様子が変わった……)


 昨日ハナたちの仮設診療所を訪れた、面鎧(ハーフメイル)と巨体の男性。

 ()(もく)なあの客人が、あとから来た師匠の前で、ただ一度だけ口をあけたときのこと。


 ハナたちの出自が知られていたこと自体は、不思議でもなんでもない。薬師の里の出身者が街かどに診療所を開いていることは、ハナたち自身が喧伝し、いつも売り文句に使っている。患者もその肩書きを頼って訪れる者がほとんどだ。


 冷静に考えれば、あの客人も刀剣を薬に変えるなどという無理難題に()りつかれたあげく、独自の薬学体系を持つ《洞》の叡智(えいち)に手がかりを求めてきただけだったのかもしれない。

 だが、ハナはあのときの客人の言葉尻には、別の含みがあったようにも感じていた。


(あの刀剣自体、《洞》に(ゆかり)のある品、ということはないだろうか……?)


 あのとき、客人の依頼を額面どおりに捉えたハナは、雲をつかむような依頼ながら、助言くらいは薬師の里の薬師たちにならもらえるかもしれない、という純粋な期待だけを汲み取ろうとしていた。

 しかし、今のハナの想像が真実なら――薬師の里の薬師ならば、手がかりを知らないはずがない、という確信の示唆(しさ)に変わる。


 そして、彼がなにか〝確証〟をつかんでそのことに言いおよんでいたのだとしたら……師匠は、彼の思惑を見抜きながら、しらを切りとおした、ということにならないだろうか。


(結局、あれから師匠とはまともに話せていない。あのあとは慌ただしくて、話どころではなかったから……)


 あの客人が去ってから少しあとのこと。

 虫くだしの粉末が、入れものごとそっくり消えていることが発覚した。


 最後に見た場所は、荷置き用の小天幕だ。よく使う薬は薬壺(やっこ)ごと荷袋から出して、入り口付近に並べてあった。その中からひとつだけが、いつのまにか見当たらなくなっていた。


 普段なら、小天幕にはいつもハナか師匠のどちらかがいる。

 昨日のうちで無人だったのは、師匠があの客人のために大天幕の方へ出張ってきて、ハナが着替えにさがるまでのあいだのみ。


 あのわずかな隙に盗みに入られたのだとしたら、あの客人は実は(おとり)だったのではないか――と、師匠は推論を口にしていた。つじつまは合うが、しかしハナは腑に落ちなかった。(それ)にしては気配が物々しすぎやしなかったか、と。


 いずれにしろ、その日のうちに師匠は、次の街へ行くことを提案してきた。

 盗まれた分を補充するための原料が、その街では売られていなかったためだ。


 虫くだしはハナたちの目玉商品だ。

 原料となるニムノキの枝は、それ自体が効能を持つことで知られているが、師匠が独自配合した水薬(みずぐすり)は効きが早く、より強いうえに、しばらくのあいだ寄生虫を寄せつけないようにもしてくれる。

 効能自体もそう飛び抜けていたが、さらに無視できないのが需要の大きさだった。


 激しい腹痛や吐き気の原因の多くは寄生虫である。そちらは言わずと知れた話だが、長期にわたって改善しない不調のほとんどもまた寄生虫のしわざとは、あまり知られていない。

 頭痛と不眠に悩んでいた若者が、ニムノキを焚き火にくべて煙を吸い込んだところ、その晩はぐっすり眠れて、以来頭痛も収まった――という逸話は、薬師のあいだでだけ有名なものだ。


 ハナたちも、原因がわからなければ、ためしに虫くだしを処方してみるということはよくあった。そしてほとんどの場合、効果があった。


 その虫くだしが切れたのだ――といって、《洞》の薬師の面目躍如(やくじょ)と呼べる診療からいきなり程遠くなってしまうわけではなかった。

 代替品もないわけではない。ただし効果は落ちる。


 すでに評判が広まっていることもあり、期待を裏切る場合が多くなるだろうと予想された。

 そうなれば、もめごとの機会も増えてくるかもしれない――という話になって、急遽(きゅうきょ)昨夜のうちに天幕をたたむ運びとなり、翌朝には街を出たのだ。


 通常、ハナたちはひとつの街に十日から二十日ほど滞在する。

 治安が怪しければ短縮することもあるが、窃盗(せっとう)くらいはどこの街でも起こるもの。

 その窃盗ごときのために七日もたたずに移動したのは、ハナも初めてのことだった。


(都合がよすぎた……? じぶんたちにしか見分けのつかない薬壺(やっこ)の中から、よりにもよって一番厄介なものだけが抜き取られていた……偶然に? それに気がついたのも、ふたたびじぶんが診療側に出て、師匠が小天幕に戻ったあと……ニムノキを薬屋があつかっていないことも、初日の買い出しであらかじめわかっていた……師匠の、自作自演……つじつまは合うかもしれないけれども、しかし……なぜ?)


 結論ありきの憶測――ハナは自分の疑念をこそ、そのように疑ってかかっていた。

 師匠から充分な動機が見えてこないことも、ハナに逡巡(しゅんじゅん)を与えていた。


「ハナちゃんっ、おたま! おたま燃えてるっ!」

「もぇ……?」


 名を呼ばれていることに気がつく。

 振り向くと、解熱用の散剤(さんざい)を小分けにして、うす紙で包む作業をしていたはずの師匠が、熱の引きすぎた青い顔でハナになにかを訴えていた。

 彼女の秘密主義を勘ぐっているまっ最中だったハナは、その()(たん)のない慌てように鼻白んで、ポカンとしてしまう。


 おたま? おたまがどうしたんだ師匠?

 そういえば師匠は手もとを見るよう促しているみたいだった。

 手もと……手に持っているもの……ハナが手にしているのは、たしかにおたま――お玉杓子(レードル)の持ち手だ。

 今はまるい先端を鍋の下につっ込んで、たきぎが焦げつかないように軽くかき混ぜ……


「って焦げてる! うわぁあっ!?」


 ハナは跳ねるようにあとずさって尻もちをついた。

 思わず手から離してしまった杓子(レードル)は、焚き火の中に持ち手までころがりこむ。


「あ……」

「……あらー」

「……お、おぉ、ぉ?」

「いやー、それはもう取れない、わよ?」


 取れなくは、ない。

 鍋をおろして三脚をどけて、生木の枝で挟めば引っぱり出せるだろう。そのときまだ使いものになる状態を保っているかは別の話だが。


「おぉぉ、お気にいりの無頂木(トゥルル)杓子(レードル)が木炭に……」

「えぇっ、高級品じゃない? いつのまにそんなものを」


 半年くらい前だ。

 こつこつ貯めていたなけなしの遊興費をまるごと出資して行商人から手に入れた。

 軽さのわりに丈夫であつかいやすく、見た目もしなやかで手に吸いつくようなさわり心地だった。使い込むと色味が濃くなり、光沢が出てきて風格を増した。


 質素な土地の生まれで、今は旅情の身のためか、ハナもどちらかといえば物にあまり執着するたちではない。

 が、目の前で愛着のある道具がみるみる木炭になっていく光景には、内臓をゆっくりと揺すられているような、非常に受け入れがたいものを感じさせられた。


「でっ、でもねハナちゃん? ほら、すっごくいい香り! これってとってもぜいたくな焚き火でしょう? ね? 三食連続おイモだけの香草(こうそう)()が、おかげで何杯でもいけちゃいそうっ」

「どうしてもう食べてるんです?」

「えっ?」


 うちひしがれる弟子をなぐさめながら、師匠の手には鍋の中身をなみなみよそった(わん)とさじがいつのまにか握られている。

 その小さなさじで見てないうちに何回すくったのか、あえて問い詰めるのもおっくうになったハナは、「……よそえるものを取ってきます」と言ってランタンを手に立ちあがった。

 荷物用の小天幕にむかってのっそりと歩いていくその背中に、「あっ、待って! これお椀ごとあげるから! わたしはあとでいいから! なんならお鍋から直接食べるから! ハナちゃん? ハナちゃん!?」慌てて取りつくろおうとする声が追いすがってくる。


 当たり前のようにすべて無視して、ハナは天幕に逃げ込んだ。

 入り口にランタンをおき、まとめてある荷物の中から日用品用の雑のうを手に取る。


(師匠は普段どおりだ)


 袋の口をあけてブリキのマグを探しながら、ハナはふたたび師匠について思いをめぐらせていた。

 店じまいのために大忙しだった昨日はともかく、今朝方から今しがたまでの師匠の様子は、普段となにも変わらない。

 根はまじめで律儀だが、のんびりやで、常にどこか抜けている。やさしくて弟子想いなのに、妙なところで不器用で、口下手で。


(自分自身に正直で……うそをつくのが下手)


 愚痴(ぐち)るように心の中で師の人となりを並べ立てているうちに、ふと気がつく。


「……じぶんとそっくりか」


 思わず声に出してしまってから、いやいや、と首を振る。

 薬師としては一流なのに、ほかのことになるとなぜかことごとく手に余る師匠に代わり、ハナは炊事に洗濯、裁縫から日用品の買いそろえに旅荷物の整頓、果ては薬の在庫管理や帳簿づけまで、師匠と旅に出る以前からあらゆる雑務と家事をひとりでこなしてきた。なんなら物心ついたころからだ。


 よく言えばまめまめしく、悪く言えば神経質な弟子と、鷹揚(おうよう)だが自堕落でもある師匠。


 なにかにつけて正反対の性質で、いつもたがいの不足を補いあうようにしてきた、ふたりでようやく一人前のようなふたり組。


 隠しごとをしない仲というわけではない。

 実際、ハナも高価な調理道具のことは黙っていた。

 肉親ではないからと、引きあった一線はある。


 それでも、師匠はいつのまにか、ハナのとなり以外の、ハナには知りようもない道を歩きつづけていたのかもしれない。その疑念は、ハナの胸の内をどうしようもなく不安にさせていた。


(あの客人とは、初対面に見えた。そこは疑いようがない)


 今一度順を追って、疑念の本体を捕まえにいく。


(仮に、ほかに本命の意図があって街を出ようと言い出したのだとしても、奇怪な客人の来訪を重く見ているという建て前でよかったはず。薬が盗まれたという新しい理由をわざわざ用意したとすれば、あの客人のことは気にしていないと思わせたかった、ということなのか。面識のないはずのふたり……)


 手を止め、軽く息をつく。


(じぶんの注意をそらしたかったのは、あの客人からではない?)


 だとすれば、行きつくのは例の〝刀剣〟――。


 仮定の多い推論なのはわかっていた。論拠にも乏しい。

 結局のところハナは、昨日のあの装飾剣を目の当たりにしてからの師匠の変わりようが、脳裏に焼きついて離れないのだった。


(師匠は、あれがなにかを知っていた……いや、そればかりか、師匠はあれと関わりをもったことがあるのでは……)


 憶測は妄想へと延長する。これ以上は、本人に直接訊いてみるよりほかにない。

 ハナは目を閉じ、気持ちを落ち着けた。


 意識を天幕の外へ向けた拍子に、見つからないマグのありかを思い出してそっと目をあける。

 ここでの野営を決めて火を(おこ)し始めたあたりからずっと、自分のそばにおいてあったのだ。


 自他ともに認める几帳面な性質ながら、どこか抜けている。

 やっぱり、少しは似ているのかもしれない。


 そう思うと、半分苦々しく、半分小恥ずかしい。

 それでいて口もとがゆるむのを禁じえないような、複雑な感慨(かんがい)を抱きながら、ハナは天幕の入り口を振り返った。



 そこに、(やじり)を見た。



 鏃だ。

 角錐(かくすい)形に()がれた、銀に光る鋼のつぶて。


 ハナには一瞬でそれとわかるほど見飽きた猟具の先端が、細く開いた幕の合わせ目から突き出ている。射線をハナの鼻先に合わせて。


「止まれ」


 鏃のむこうから命じられる。

 見慣れた得物の次は、聞き慣れない女性のこえだ。


 すでに凍りついていたハナは、向けられている感情が敵意であることを悟っていっそう張り詰める。首のうしろがじわりと熱い。


(ひと)りじゃない」冷たい声が告げた。「ゆっくりと(あか)りを持て。顔はこちらを見たままだ。持ったら出ろ。口は開くな」


 言われたとおり、ハナは手探りで足もとのランタンの持ち手をつかんだ。それから、外へ出ていく鏃につき従うように歩いて、天幕から顔を出し――かけたところで、立ち止まった。


「……っな!?」


 息を呑んだ拍子に声が漏れる。

 動くべきでないとわかっていても、視線がめぐるのを止められなかった。


 独りじゃない、どころではない。


 ハナに肉迫している者だけでも、三人。

 ハナたちの野営を取り囲むようにして、事実としてそれができるだけの人数がそこにいた。振り返らずに見える限りでも十人、それ以上。


 旅装(りょそう)じみた濃色の合羽(クローク)と、レバー式のクロスボウ。

 彼らは全員がおなじ恰好をし、おなじ得物をたずさえていた。

 目深(まぶか)にかぶったフードの縁取りには、幾何学模様の刺繍(ししゅう)があしらわれている。

 クロスボウはハナたちのものより小さく、先端にあぶみがない。代わりに(かぎ)(つめ)のような刃物がついていた。


 彼らのうち少なくとも三人の視線は、各々が弦につがえた矢の先とおなじくハナに向けられている。

 残る視線が一様に注ぐ焚き火のそばには、地に膝をついてうなだれる師匠がいた。


 そして彼女の両腕をうしろ手にまわさせ、(あし)で押さえつけている旅装がひとり。その手に抱え込まれたクロスボウの先端は、師匠の後頭部に押しあてられている。


「師匠ッ!?」

「ハナちゃん! 動いてはダメ!」


 うつむいたままの師匠から、火花のように警告が飛び出す。

 ハナは身を乗り出しかけたが、鏃のひとつが眼前に詰めてくるのを見てふたたび凍りついた。


「弟子想いだなあ、(,)(,)(,)(,)(,)?」


 焚き火のそばから冷笑まじりの女の声が立ちのぼる。

 フードの下の唇をゆがめて肩を揺らしているのは、まさしく師匠にのしかかっている旅装の者だった。どの合羽(クローク)の刺繍も赤い糸で縫われている中で、彼女の刺繍糸だけが白い。


「そうだ、動く必要はない。こちらも急ぎなんでね。手みじかにいこうじゃないか」


 気さくな口調に反し、あたたかみの感じられない声。

 女は鏃を師匠の頭から離すと、師匠の首根をつかんで強引に体を起こさせた。

 眉根を寄せて歯を食いしばった顔の師匠と目が合う。その師匠の首すじに、前にまわってきたクロスボウの先の鉤爪が添えられる。


 女は鉤爪を動かさないまま、器用に前かがみになって、師匠の肩にあごを乗せた。


「ンで? どこにあるんだい、《大棘(オオイバラ)》は?」


 オオイバラ――女は師匠の耳もとでささやくように言ったが、夜の森の静寂の中でははっきりと聞き取れた。


 オオイバラ。ハナの知らない言葉だ。


 師匠は答えない。代わりに横目で女をにらんでいる。

 女はやはり冷笑していた。


「おいおい、観念しとけって、この状況で。急ぎだっつったろう?」

「ありはしないわ、そんなもの」師匠がうなるように言った。「あなたたちの、勘違いよ……ここにはなにもない」


「えっ、そうなのか?」女はいささか頓狂な声をあげた。「ありゃあ、無駄足かよ。絶対(,)(,)(,)だと思ったんだがなあ。そっかー、そりゃしょうがねえなあ」


 大げさに困惑するそぶりを見せる。そうしながら、女は周囲にいる仲間たちに目くばせをした。


 すると、そちらの旅装の者たちも銘々にうなずきを交わし始める。うち数人が、腰にさげていた木の棒を手に取った。

 棒の先端には布が巻かれていた。彼らはそれを焚き火の中へさし込んでいく。


「……なにをする、つもり?」


 目を見開いて師匠がたずねた。先ほどまでと違い、わななきを露わにして。


「あん? なにっておまえ――」


 とぼけきった声色で女は、


「《大棘》は燃えねえからな」


 と答えた。


 まもなく火のついた松明を手に手に、旅装の者たちが天幕へ近づいていく。

 乾いた()(ぬの)へ一斉に火が寄せられるのを見た瞬間、ハナは叫んでいた。


「そんな!? やめろッ!!」


 しかしより大きな(,)を得た火は、またたく間にふくれあがる。


「――――ッッッ!!」


 気がついたときにはもう身をひるがえしていた。天幕の中へ飛び込もうとするその腕を、しかしうしろからつかまれて引きとめられる。

 ハナが振り向くと、目もとまで覆うフードと、その下の引き結んだ唇とが目に映った。


「!?」


 とっさに振りほどこうと腕を払う。

 が、「うあっ!?」振った方に合わせて腕を引かれ、「っぐぅ……!」あお向けに引き倒され、そのままふたりがかりで押さえ込まれてしまう。


「このっ、くそぉ!」

「ハナちゃん!?」

「ははは、根性あるなあ、お弟子ちゃん」


 師匠の悲鳴と女の嘲弄を聞き流し、ハナは必死にあがこうとした。

 しかし地面に押しつけられた両腕はびくともしない。

 そうしているあいだにも炎は燃え広がり、人ふたりがやっと入れる程度の小天幕は、造作もなく燃え落ちていく。


(このままでは、薬師の道具も……)


 強盗が金品を奪う。雨が薬を濡らす。険しい山道が荷物を捨てさせる。

 旅に喪失はつきもので、けれど、身ひとつ以外に残るものが、必ずなにかありはした。


 だが炎はどうだ?

 問答無用ですべてを火にくべられる仕打ちなど想像したこともなかった。

 なにかが残るという希望さえないことが、ハナの目の奥をも焦げつくように熱くさせる。


 突風にさらわれるのとも違う。濁流に流されるのとも異なる。

 炎の中でかたちと色を失っていくことは、道具に染みついた過去もろとも灰になることを連想させた。

 師匠と旅をしてきたハナという存在ごと、火の粉とともに宵闇へ吸い込まれていく感覚が胸のうちを幾度も過ぎり、ハナは奥歯を割れんばかりに噛みしめて、全身に力を込めつづけた。


(じぶんにもっと力があれば……!)


 無益な抵抗を続けた末に、感覚のなくなってきた両腕を憎む。


 想起されたのは昨日の客人だった。

 あの()(うす)のような腕を押さえつけるのに、ここにいる旅装の者たちが幾人がかりで挑まざるをえなかっただろうか。きっと引き倒すことさえかなわず、かえって()散らされる運命だったに違いない。


 たまらず撃った矢もことごとくたたき落とされ、炎すらも踏みつぶされる。

 おとぎばなしの巨人の怪物。

 師匠はなんと呼んでいた?


(そう、オルク。化け物。巨人。怪物。オルクだ! あの人のように! オルクのように!)


 血の味がする。視界がよどむ。

 黒く塗りつぶされていく頭の中で、奥で、どこかで、光の粒が踊っている。


 爆ぜるような心音に導かれるまま、どこかの奥の奥から咆哮(ほうこう)をあげかけた。


 瞬間、天幕がふっとんだ。


「!?」

「!?」

「「「「!?」」」」


 半ば、炎の柱と化していた小天幕が、くしゃっ、と折れるようにつぶれて、宙に浮いた。


 大地に(はりつけ)にされていたハナの真上を、ゴウ、と巨大な熱風が飛び越えていく。

 当然、ハナを押さえていた旅装の者たちも、その付近にいた一味も、飛びかかる炎塊によって悲鳴ごと蹴散らされた。


「……は?」


 起きたことの意味がわからず、ハナはあお向けのまま放心していた。

 視界の(よど)みも光の粒もかき消え、ただよう白煙ごしに木々のこずえと夜空が見えていた。

 いまだ燃えつづける火で明るむ方角からは、火傷を負った者たちのうめき声が流れてくる。


 その流れの中、不意に枯れ枝の折れる音を聞いた。


 炎とは反対側の、ハナの足のある方角からだ。

 思わず上体を起こしたハナは、さっきまで天幕のあった場所に、自分たちの荷物が無傷で残されているのを目撃する。


 と同時に、視界のそとで激しい音と怒声がした。


 振り向く。そして瞠目(どうもく)する。


 師匠のいる場所、彼女の背後で、旅装の女が吹き飛ばされていた。

 盾にするように掲げたクロスボウが、木っ端を糊で固めてできていたかのように四散していく。


 台座も弓もまとめて打ち砕いたのは、振りおろされたマサカリだった。

 ひとつ断ち抜いてなお止まらず、大地をうがち、土塊を噴きあげる。


 マサカリを握るのは、いっとき目を疑うほどに大きな手と太い腕。はち切れそうな黒のローブに無理やりそでを通したその姿。


 つば長の黒帽子。くちばし型の面鎧(ハーフメイル)――


 見まがいようがない。二つとないその姿は、たった今(くら)い絶望の(ふち)でハナが見出した夢想そのままの、あの巨大な客人だった。


「っな、にぃ……!?」


 得物を粉砕された反動で旅装の女がよろめく。

 客人は地面に突き刺さったマサカリから手を離し、女を捕まえにいくそぶりを見せた。


 近くにいた四人の旅装がすかさず反応し、客人に矢を向ける。

 しかしそれより早く、客人はもう片方の手に持っていた(なが)()のマサカリを彼らに投げつけた。


 一瞬にして複数の怒号と悲鳴。

 みねを外にして放たれたマサカリは、居並ぶクロスボウをまとめてたたき壊し、持ち主の三人を(から)め取るように殴り飛ばす。


 ひとりは難を逃れながら、倒される仲間たちに気を取られて一瞬わきを見る。

 その目がふたたび前を向いたとき、標的はすでにマサカリを構え直して間合いにいた。


 振りもせず、柄がしらで胸部を一撃。

 四人の旅装がほぼ同時にその場へ崩れ落ちる。


 速い――突如として現れた端から現実離れした奮迅ぶりを見せつけられ、ハナはわれを忘れて息を呑んでいた。驚きや痛快さを通り越して青ざめるような心地でいた。

 比類なく力強い姿は思い描いたとおりだ。

 だが、あの巨体からは想像もつかない精密さと手ぎわのよさはいったいなんだ――あの人は、なんだ?


嘴野郎(クロウフェイス)……!」


 殺気立った様子もなく、足を止めてたたずむ客人の頭ごしに、いかにも忌々しげなうなり声が聞こえる。

 客人が体を動かすと、短刀を手に立ちあがる旅装の女がハナからも見えた。


 女はすでに師匠からも離れた位置にいる。

 気色ばんだ様子ではあったが、気迫の様相はすでに警戒をも下回って及び腰だ。クロスボウを破壊された際に痛めたのか、あいた手はかばうようにうしろにさげていた。


「テメエの(,)で正解だったってことか……それともグルかぁ?」


 女は客人と面識があるらしい。たがいに歓迎しあえるたぐいのものではないようだったが。


「別動隊はどうしたぁ!? 山をうろついてたテメエが怪しいとにらんで追いかけてった連中は!?」


 吠えた女に答える代わり、客人はふところからなにかの入れものを取り出した。それを足もとへ捨てるように投げ出してみせる。


 半ばで折れた筒状の木器。

 ――矢筒に見える、とハナは思った。


「……テメェぇ」女の声色に気迫が戻る。「ブッッッコロしてやる……!」


 女は震える手で短刀を小わきに持ちあげた。

 半身を引いて刺突(しとつ)の構えを見せる。


 対し、動じる気配のない客人。


 ハナは彼のその態度が陽動であることを不意に悟る。

 女を挑発し、間合いに飛びこんでくるのを待っている。

 客人の(りょ)(りょく)で振るわれる鉄刃広(はびろ)の前で、あんな小刀は()(かく)にすらなっていないのだ。


 感情的になって飛び込めばひとたまりもない。ひとたまりもないとはつまり――ハナは予期される光景が、客人による単なる制圧に留まらないことを、わずかに遅れて理解した。

 理解し、今度こそ総毛立つ。


「待っ……!」


 思わず声をあげかけたが、かすれて言葉にならない。

 強烈な緊張の連続に喉は()れ果てていた。――いやさ、声が出ないのは嗄れ果てているせいだけではなかった。


 焦る。

 心のどこかでハナは、ハナたちの窮地を救うべく現れたあの心やさしい巨人は、ハナたちを襲った旅装の集団を(,)(,)(,)(,)ものと決めつけていた。


 すでに旅装の者らのほぼ半数が武器を失うか負傷し、立ちあがるのもおぼつかない容態に陥っている。

 負傷者が増えすぎれば身動きが取れなくなる集団にとって、今がこれ以上ない引きぎわなのだ。


 そうほのめかしながら距離を詰めるかのようにしておどかせば、彼らはためらいなく逃げる判断をしたに違いない。

 あえて(,)(,)(,)(,)(,)(,)(,)(,)(,)(,)(,)(,)(,)(,)に意図があるとすれば、すなわち(,)(,)(,)(,)(,)(,)(,)意に沿わないということ。


 目の前にそびえる黒い背中を見て、ハナは、今さらのように恐怖した。肺が、(ぞう)()が、血潮までもが凍りついていくようだった。


「やめなさい!」


 その氷結を、()(ぜん)とした声が打ち砕く。


 ハッとしてハナが見たのは、天幕が消えて(あら)わになった自分たちの荷物。

 そのかたわらに、険しい面差しで立つ師匠の姿があった。


 彼女が両腕で抱えるようにして構えていたのは、旅装たちの小ぶりな猟具以上に見慣れた鋼弦弩(アバレスト)

 鉄の弦はすでに引き絞られ、照準は旅装の女に定められていた。


「終わりよ。あなたたちの負け」


 落ち着いた声音が冷徹に告げる。


 鉄線を弦にもちいた大型のクロスボウは、鋼の鎧をも貫ける速度と威力を持てる。

 ハナたちがそれを使うのは、主は狩猟のためと、急な斜面をのぼる際、なわを結んだ鉄杭(アンカー)を崖の上まで飛ばしたりするためだった。

 しかし、ひとたび生身の人間に向けてしまえば、回避困難で高い殺傷力を持つ武器となる。


 同種の得物をあつかう者として、その脅威を理解したか、旅装の女の身構えからも覇気が消えていた。


「もう充分でしょう?」


 相手のひるみを追うように師匠が言う。

 その言葉はどこか、旅装の女だけに向けたものでないようにも聞こえた。


「いさぎよく退()いて。それとも、これ以上怪我人を増やして立ち往生したい?」


 女は姿勢を変えないまま、目だけをせわしなく動かしている。


 ハナも辺りを見渡すと、旅装の者でまだ立って歩ける者は、負傷した仲間をひとり、ないしはふたり抱え、燃え盛る天幕の残骸から遠ざかろうとしていた。あいた手にまだ撃てるクロスボウを握っている者もいるが、牽制(けんせい)以上の意思は感じられない。


 いかに小型のクロスボウといえど、不安定な姿勢で振り向きざまの片手撃ちとなれば、当てられるはずもないだろう。なにより次射の装填がままならない。(,)(,)(,)(,)(,)(,)のうえに、反撃の理由を与えることにもなる。

 もはや旅装の側から攻勢に出られる余地は残されていなかった。


「チィッ……」


 旅装の女も大きく舌打ちし、威嚇を続けながらも後退を始める。

 視線と短刀の先は師匠にではなく、依然客人へ向けられていた。

 とうの客人は、ただそれを目で追う。


「見つけ出す……必ずまた見つけ出すぞ、嘴野郎(クロウフェイス)! 《大棘》も取り返す! それからテメエのそのふざけた仮面(ツラ)をひっぺがして、でけえケツにねじ込んでやるからな!」


 捨て台詞を最後まで言い放つと、女は近くのやぶの中へ獣のように飛び込んだ。

 ほかの旅装の者たちも、手近な木立ちの奥へ散り散りに逃れていく。


 人いきれと葉擦れの音が遠のき、すぐに聞こえなくなる。ひきかえに、しじまが戻る。


 ひたりとした夜の気配に包まれていた。

 うそのように静まり返り、沈み切っている。


 浮き足立ちすぎた空気のすぐあとだった。本当にうそかもしれない。

 乱暴者たちはまだ近くで息をひそめていて、逆襲の機会をうかがっているのかもしれない。


 焚き火の火はすでに小さく、代わりに天幕が明々(あかあか)と燃えている。


 本当に危機が去ったのなら、辺りは襲撃の以前とほとんど同然に戻ったはずだ。


 なのに、静寂が鼓膜を刺してくる。

 ハナと師匠だけで野営をしていたときから変わったことといえば、荷物の上に張っていた小天幕がなくなったことと、クロスボウの置き忘れがいくつかとその残骸があること。

 それから、(いち)()のきりと思われていた客人がふたたび現れ、そしてまだ居残っていること。


 ――まさか。彼はとても落ち着いている。


 ここへ現れてから、大立ち回りを見せているときだって、ほんのわずかな殺気のようなものさえ彼は放っていなかった。どころか今や、存在感こそ大きけれど、あくまで無言で立ち尽くし、まるで昔からそこにある大樹のように、ほとんど静寂の一部と化している。


 ならば、この消えない不安と緊張のありかは、何処(どこ)か。


「行った……のでしょうか?」


 言い知れぬ不安感の処遇に迷い、ハナはだれにともなくたずねていた。


 客人は答えない。

 自然、ハナは師匠の方へ目をやった。


 途端、悲鳴をあげた。


「師匠っ!?」


 ハナは、自分とおなじように逡巡し、緊張を解けずにいる師の姿を思い描いていた。視界の端で鋼弦弩(アバレスト)の先が地を向かないのも、そのためだと信じていた。


 しかし、その目でたしかな敵意を識別する。


 ハナの最も信頼し親愛を寄せる人。彼女の視線は親指大の鏃の先とおなじく、窮地(きゅうち)の救い主の眉間を狙いすまして、揺らぐことを忘れていた。

 固く結んだ唇はなにごとを発するきざしも持たず、鋼のようなつめたさだけを滾々(こんこん)とたたえている。


 いつしか客人も、かすかに首をこちらへ向けかけていた。帽子の下の目をすがめさせ、横目に師匠と視線をぶつけあったようにも見える。

 沈黙と落ち着きようは変わらず、あくまで戦意はただよわず、どころか、非難や疑問を呈する気配もないまま、この状況をあたかも自然ななりゆきとするかのようにたたずんでいる。


 無言で対峙するふたりを見比べながら、声をあげたハナもそれ以上どうしてよいかわからず立ちすくんでいた。徐々に気も遠くなってくる。単なる戸惑いのせいだけでなく、積み重なる精神の疲労が体にも響きかけていると自覚され始める。


 思えば、昨日の突貫的な店仕舞いからの即時出立と、立てつづけの強行軍でとっくに疲労は溜まり切っていた。空腹も抱えてようやく食事というところで、今しがた野盗のような集団にも見舞われたばかりだ。

 奇跡的に鍋は無事だったが、焚き火が消えているので夕食はそのうち冷めてしまう。

 それどころでないとわかってはいたが、その程度のことばかりが気になってしかたがなかった。


 そのうち師匠が、肩を休めるように息をついた。


 そして――ほほえんだ。


 唐突に。本当に唐突に。

 出し抜けに、前ぶれもなく。


 口角をあげ、目じりをさげ、頬をあまく染め、色鮮やかな花のように笑んでみせた。長年彼女の弟子をしてきたハナでさえ、一瞬空腹と疲労を忘れて見惚れてしまうほど、その笑顔は整い切っていて、気品すら香るようだった。


 鋼弦弩(アバレスト)(ボルト)は依然そのまま、微笑とおなじ方を向いている。


「危ないところを助けていただいて、本当にありがとうございました」


 突如、花開く。


 それは澄んだ謝辞だった。言葉づかいや抑揚にも不格好さはない。


 いつもどおりの師匠。

 だが、それゆえにぞわりとする、予感めいた感触もある。


「お見かけどおり、ほんとにお強いんですね」


 ぞわり。

 師匠がますます笑み、瞳が潤んで艶やかさを宿す。頬には赤みがさし、いたいけな少女のような愛らしさをもかもしだす。


「お礼になんでもしてさしあげたい、と申しあげたいところですが、まあ、それは(,)(,)(,)(,)


 今鋼弦弩(アバレスト)につがえてあるのは、狩猟用に破壊力をおさえた細めの(ボルト)だ。

 それでも鋼弦弩(アバレスト)が出せる矢勢をもってすれば、分厚い肉の鎧であれ、頭骨に阻まれる()(がい)であれ、容易に貫けることだろう。


 芳醇(ほうじゅん)な笑顔のまま、その殺意のかたまりのような得物を、師匠は見せつけるように構え直した。


「とりあえずひざまいて、命乞いをしましょうか?」


 発射用の引き金にはすでに指がかかり、いささか食い込んでいるようにも見える。


 ハナは飛び跳ねるように立つと、夢中で師匠と客人のあいだにおどり出ていた。


「待ってくださししょぅわあああああああっ!? おおおお落ち着いてくださいぃッ!」

「……わたしは落ち着いてるわ。どいて、ハナちゃん」


 あわを食ってじたばたする弟子を、師匠は言葉どおり冷静な口調で諭す。


「今日のごはんは焼き肉よ」

「より悪いではないですか!」

「本当にどいた方がいいわ、ハナちゃん。その人が彼らを連れてきたんだから」

「えぇ?」


 師匠の言葉の意味がわからず、ハナはとっさにうしろを振り返る。ひさしの影ごしに客人と目が合った気がしたが、彼はうなずくでもなく、首を振るでもなく、やはり黙ったままつっ立っていた。


「元はといえば、昨日のことよ。その人がわたしたちのところへ《大棘(オオイバラ)》を持って現れさえしなければ、それを追う人たちに襲われることもなかったのよ」

「持って現れ……まさか、あの剣がオオイバラ?」


 旅装の集団が雑多な盗賊の集まりでないことはハナも察していた。

 統率の取れた彼らの求める《大棘》もまた、並みの代物ではないだろう。その実物が、客人の持ち込んだあの白い装飾剣のことだったと聞いて、多くのことに合点がいき始める。


 ただ少し、ピンとは来なかった。

 薬師を脅して〝剣〟を取りにくるのは、やはり不合理だ。


「そうだ師匠、やはりあなたはあの剣の正体を知って――」

「その話は(,)(,)


 師匠の笑顔になにか凄みのようなものがさす。

 鋼弦弩(アバレスト)のあるなしとも関係なさそうな謎の威圧感を浴び、ハナはまたなにも言えなくなってしまった。

 ひるんだハナを師匠はわきへどけ、かばうように前へ出ながら、ふたたび引き金に指をかける。


「だいいち、都合よく助けに現れたことからして、うさんくさすぎるのよ。最初からあとをつけて、取り入る機会をうかがってたとしか思えないわね。追っ手のことも知ってたんじゃないかしら? おおかた一番いいところで手を出して、憔悴(しょうすい)したわたしたちに護衛を雇わないかなんて持ちかけて、お代はいいから、《大棘》の精製に協力してほしい、なんて言うつもりだった……こんなところ?」

「し、師匠、さすがに考えすぎでは……」


 考えすぎというよりはむしろ、そんな場当たりじみたお粗末な計略があるもんか――という思いで、ハナは師匠をいさめつつ、彼女の肩ごしに客人の反応を盗み見る。


 黒い帽子の影で、あいかわらず表情はうかがえない。

 が、なんとなくだが、また目が合った気がした。


 途端、とがり気味の細長い帽子のつばの先が、ほんの少し遠のく。


 これは――目をそらされた?


(図星だとぉ!?)


 ハナは今度はあぜんとして言葉が出なくなる。


 ()(びろ)のマサカリを片手で担ぎ、不気味な面で顔を隠した巨体の怪人が、ひたすら会話に窮してもじもじしている、気弱な子どもとおなじものに見えた。

 そんなはずがないだろうとすかさず否定してみるも、彼の(たばか)りもまた稚拙と今しがた断定されてしまった手前、どうしても今までほどおそろしい相手に見えなくなっていく。

 こうして師匠に糾弾されている姿も、なんだか普通に叱られているみたいではないか。


「助けてもらったことには感謝してるわ」と師匠。「本当よ?」


「でもそれだけ。お礼はしない。貸し借りはなし。たとえあったとしても、あなたが《大棘》を持っている限り、わたしたちはあなたのどんなことにも関与しない。わたしたちとあなたは、最初から無関係だった。そのことを肝に銘じて、この場を去りなさい。今すぐに」

「師匠、それはあんまりですよ」


 ハナはたまらず口を挟んだ。

 まくし立てられて徹底的に拒絶される客人が、とりわけ()(びん)に見えてきていた。


「こんな森の中です。せめて今晩だけでも。寝床と食事をさしあげるくらいなら、特に支障は――」

「いいえ、ハナちゃん。こういうことははっきりさせておかなくちゃ。それにわたしは、もう充分譲歩してるつもりよ?」


 師匠の声音はだんだんと低くなっていった。ほほえみの仮面もいつしかはがれ落ち、険しい表情が戻ってきている。

 譲歩、という言葉が、引き金に張りついた指と鋼弦弩(アバレスト)のことを指していると悟って、ハナはごくりと喉を鳴らした。


 しばしの沈黙。思い出したように風が吹き、木立ちと(ほむら)を軽く揺らす。


 葉擦れの音に、ハナは少しぎくりとした。

 正直なところ、客人を引き留めたのは、今夜師匠とふたりきりになるのが心細いせいでもあった。


 やがて客人が、おもむろにきびすを返し、やぶに向かって歩き始める。


 入っていけそうもないところへなにをしに行くのかと思えば、客人はやぶの中へ腕を突っ込み、そこに埋まっていた長柄のマサカリを引きずり出した。


 その彼の肩ごしに見えていた木の幹に、いびつな(,)がうがたれる。


「ッ!?」


 ハナは今度は声もあげられなかった。

 とっさに(,)(,)を見やると、(ボルト)の消えた鋼弦弩(アバレスト)を構えたまま、また見たことのない眼光で客人の背を射貫(いぬ)いている姿があった。


 鋼弦弩(アバレスト)の固い弦を引く機構は手回し歯車式(クレインクイン)。威力の高さとひきかえに、次射の装填には弓やレバー式のクロスボウよりもはるかに時間がかかる。


 師匠と客人のあいだはわずかに十歩。

 客人が肉迫できる(ゆう)()はあり余るほどにあり、マサカリの投擲(とうてき)ならば、師匠には次の(ボルト)を取り出すいとまもないだろう。


 それを承知してか、撃ったきり師匠は動かない。


 客人は、


「……」


 動きを止め、顔だけ少し振り返り、横目に師匠を見ているようだった。


 が、やがて視線をはずすと、二本のマサカリを束ねて片手にさげ、迷わず木立ちの中へ踏み入った。そうして灯りも持たないまま、暗い夜の森へ沈むように消えていった。


本日17時次話掲載予定【済】


☆ 2020年10月13日、再推敲版に差し替えました。文章の洗練と漢字レベルの調整・ルビ振りを行っております。内容に変更はありません。

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[良い点] 挿絵から世界観に引き込まれ、読み進めるうちに呼吸さえ忘れるほど読み入っていました。 圧巻。 緊張感で固められた中、師匠とハナちゃんの一瞬見せる可愛さが絶妙なスパイス。 感嘆のため息が出て…
[良い点] 旅装! 途中からこれは、これは来るんだよね!って思ってたら来たからスッキリした! [気になる点] オオイバラが。逃げた人達が。 [一言] ボリュームがあるのでゆっくり味わって読んでますが、…
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