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第三章・第一節 王国と薬師

【第二章のあらすじ】

 師匠のもとを離れた薬師・ハナは、手に入れた秘薬『アムリタ』を用いて、士人(ミスター)ことハーフオルクの少年の姉・アーシャの治療に成功する。

 そのまま彼らとともに、この世すべての病の生き字引き・疾師(しつし)の屋敷へ、一時的に身を寄せていた。


 しかしその三日目、アーシャが新たなる古代の死病『落果病(ミィロ・カリシチニ)』を発症。

 そもそもアーシャの病はただの病ではなく、彼女自身が保有する《病により死に至る呪詛》によってもたらされる罹患再現だった。


 さらに、《落果病》を癒せる唯一の秘薬『青き瞳の乙女』のことを“人間”であると誤解した士人が、碧眼のハナを手にかけようとする。

 憔悴したハナは、自分がアーシャのために何もできない人間であると一度は絶望しかけたものの、そのアーシャから士人を連れていってと頼まれていたことを思い出す。

 そしてハナは、今一度自分自身の目で“()(きわ)める”ために、先に出発した士人を追って旅立つことにしたのだった――



(字数:5,562)


☆ 挿絵協力:伊呂波 和 さま (@NAGOMI_IROHA on Twitter)

挿絵(By みてみん)



「入国審査……ですか?」


 ハナは聞き慣れないその言葉を、思わずおうむ返しに尋ねていた。


 きっと声と目にも現れていたはずの緊張の様相に対し、目の前の()()はやんわりと笑みを返す。

 身構える旅行者を安心させようとする、落ち着いた態度。

 ハナと木のテーブルを挟んで向かいに座る彼は、いっぱしの兵員らしく、青い詰襟服と白レギンスの制服を着こなしている。


「言葉の響きほどたいしたものではありませんよ。一応持ち物を確認させてもらって、あとは簡単な質問と、手形か足形を押してもらえれば結構です」

「手形……ずんぶん厳重なんですね」

「あぁ、いえ。入国できないということはほとんどないので、安心してください。誰がどんな目的で入国しているのかを、こちらで把握するためのものに過ぎませんので」

「はぁ……」


 おだやかに説明されても、ハナは生返事になってしまう。

 ただでさえ〝国〟の体裁をなしている土地が数少ない時世に、長年根無し草を続けてきたハナからすれば、入国者を管理するという感覚からしてピンと来ないものがあった。無断で診療所を開くと地元の組合(ギルド)に怒られる、というようなことならわかるのだが。


「ただ今、荷物担当の者が外へ出ていますので、先に質問からさせてもらいますね」


 言いながら少年はインク壺のふたを開け、茶色い羽根ペンの先を墨にひたし始める。

 壺のそばには、『入国者名簿』とだけ隅に書かれた紙がずっと置いてあった。


「それで、お嬢さんは、移住希望者ですか?」

「お、ぉじょ?」


 思わず舌がもつれて声が(うわ)()る。

 見返した少年は、ハナより明らかに年下に見える顔立ちに怪訝そうな表情を浮かべ、「移住ですよ。移住か滞在かです」と言い直した。


「いきなりですいません。ただ、実はここを一番はっきりさせておかなくてはいけなくて」

「い、いえ、こちらこそ、でも、その……」


 こちらの年齢も先にはっきりさせておかなくていいんですか、と訊いてしまいそうになりながら口ごもる。


 職業柄、いろんな性格の人間と関わってきただけに、特に居丈高な者や横柄な物腰にいちいち苛立ったりなどしないのがハナだったが、目の前の少年の、慇懃(いんぎん)だが妙に垢抜けて気安さのある態度には、先ほどからずっとモヨモヨしたものを感じていた。

 例によって年上に間違われることはあるが、()は一切なかったというのもある。

 何より少年の物腰がとても()()なっていて、特に間違っていないような気がすることにも動揺していた。


「見たところ、移住希望という感じではありませんよね。滞在で問題ありませんか?」

「は、はぃ……何か、違うんですか? 滞在か移住かで」

「それはもちろん。といっても、審査にはさほど影響ありませんよ。あとで変えることもできます。ただし定住者には、王宮から支給されるものがあるので、それを受け取れないことがないようにするために訊いているんです」

「支給品?」

「ええ。これですよ」


 少年はおもむろに、詰襟のホックを外した。


 首にかけていた紐を引いて、服の中から小さな袋を取り出す。

 巾着状になっていた袋の口をゆるめ、手の上で傾けると、小指のツメよりも小さなものが二つほど転がり出てきた。


 干す前の胡椒の実を黒く塗ったような、小さな球状の粒だった。

 表面は見た目からつるんとしていて滑らかで、いくらか瑞々(みずみず)しくも見える。

 光沢はやや青みがかっていて、とても深い色をした宝石のようだった。


「エルヴル国民にだけ支給される、《王家の丸薬》です」

「丸薬?」

「ええ。ぼくたちも単に《丸薬》と呼んでいます。その様子だと、やはり知らずにいらしたようですね? 大方の移住希望者は、これが目当てで――」

「おぅい、済んだぞ」


 背後の木戸が開かれる音とともに、外から男の声が聞こえる。

 首を動かした少年の目線を追って振り向くと、少年と同じ兵員服姿で、軍帽を浅くかぶった門兵が、この詰所へ入ってくるところだった。


 門兵の男は、土のついた革の手袋を外しながら歩いてくると、テーブルに手をついて少年の手元を覗き込む。ひげを生やしてはいるが、こちらもまだ若く、ハナの見かけの歳とほとんど変わらないようにも見えた。


「なんだ、まだ名前も聞けてないのか」


 ひげの門兵は素直に呆れた様子で少年の顔を見る。

 少年はこともなげな様子で首を振りながら、《丸薬》を巾着に戻す。


「いえ、実は、このお嬢さん、あんまりよく知らずにこの国(エルヴル)へ来たみたいなので、入国審査のことからしっかり説明していたんですよ」

「ほーう? 美人を前にしてアガってるのかと思ったぜ。お前の愛しのロウンちゃんに名前を聞けたのも何回目のデートのときだったかな?」

「お客さんの前でからかわないでください。独り身で言うとひがみっぽいですよ」

「言うねえ」


 門兵はおおらかに笑い飛ばしたあと、急にきりっとした真顔に切り替わる。「それで、だ」と、ハナの方を向き、


「よく知らないで来たって話だが、()()()()()、わざわざ出入りの隊商(キャラバン)にのっけてもらってきたってことは、興味があってこの国へはるばる来たんだろう? 実際狭い国だが、街並みは白く美しく立派だし、土地柄も涼しく落ち着いていて、住人もあったかい人しかいない。この俺も含めてね。馴染むのにはさして苦労しないと思うが、どうだろう? とりあえず見て回りたいなら案内を――」

「先輩? ナンパしなくていいので、この子の荷物の確認をしててください」

「おいおい、俺はエルヴルを愛す模範的国民の責務として、移住の勧誘をだな――」

「こんな軽い人ばかりじゃないので安心してくださいね。確かに移住者は歓迎していますけど」


 にこっと笑いかけてくる少年。

 テーブルに手を突くのをやめ、片目を閉じてハナを見おろしながら口角を上げるひげの門兵。

 二人とも親しみやすい人柄には違いないのだろう。


 ただ、二人が言葉を交わす様子は、なんというか――表面上は子供じみてもいるものの、その奥に深い余裕を感じさせる物腰は、ハナの倍くらいの歳の大人の男たちじみたもの――に思えてならなかった。

 傷病者ならともかく、健康でしかも紳士的な男性二人に囲まれている感覚に、ハナは度しがたく委縮させられる。


「……ってあれ? お嬢さん? 聞いていますか? おーい」

「あーあー、お嬢ちゃん固まっちゃったじゃないか。お前が変にかしこまって相手するからだぞ?」

「違います。先輩が出てくるまでまともに話してました」

「名前もまだなのに?」

「怒りますよ。順番に聞いてると言って――」

「あっ、あの!」


 たまらなくなって声をあげる。

 四つの目に同時に見返されると、ハナは再びひるんだ。が、飲まれている場合ではないことを思い出して、言葉を続けた。


「ハナ、です。ハナ・ヴァレンテといいます。ここには、その……人を探しに」

「人探し?」

「おい、ハナちゃんだ、ハナ。書け」

「もう書いてますよ」


 いい加減邪魔です、とばかりに腕ずくで先輩の顔を押しのけながら、少年は興味深そうにハナへ尋ねてくる。


「ここの住人ですか?」

「いえ。じぶんと同じように、旅人で、たぶんここ数日か、もしかしたら何日も前かもしれませんが、先に入国していると思うんです。あの、他にはいないくらいすごく大きい男の人で、顔だけに変わった鎧をつけてもいるので、目立つとは思うのですが」

「それは来ていたら覚えてるはずですね。先輩は見てますか? ぼくが非番だった日とか」

「俺は今、猛烈に打ちひしがれている。長身美人のハナちゃんが自分より背の高い男を追ってきたという事実に。いや悲劇に!」

「先輩」

「見てないなぁ。いや嫉妬から嘘をついたりしてないぞ? だいいち目立つぐらいなら門兵同士で噂になってるだろ?」

「ですよね。ハナさん、間違いなくその人はエルヴルに?」

「はい。追い越してしまわなかったかと言われれば、絶対ないとは言い切れませんが」

「あー待て待て。他の門から入ったのかもしれん」

「他の門?」

「エルヴルには門が三つあるんですよ」


 ハナが首を傾げると、年上の門兵ではなく少年の方が答えた。


「この南門以外に、北側と東側に一つずつ。そういえば先輩、確か今日、門兵長同士の連絡会がありましたよね?」

「それだ! いいぞ、後輩。門兵長にかけ合って俺とハナちゃんがついていけるようにしよう。他の門の連中も何人か来てるだろう」

「いや、ハナさんだけ行けるようにすればいいですよね? 先輩が行ってしまったらここがぼく一人になってしまうんですけど」

「頼んだぞ、後輩。俺はエルヴルを愛す一市民として、移住候補者を無事に送り届ける重い使命を負わなくてはならない」

「あの……お仕事のお邪魔でしたら、じぶんで直接門を回りますし……」

「とんでもない。狭い土地に建物がひしめいているせいで道が結構入り組んでいるのを知っていながら放り出す方が、エルヴル国民として恥ずかしい行為だからね。ここへ来た目的は目的として、ついでにおいしいお店に寄ったりもしながらひとときの思い出を作っていってほしいなあ、一国民としては」

「よかったですね、ハナさん。宿も食事もこのおじさんが(おご)ってくれるそうですよ」

「金を貸してくれ後輩」

「そういうことはもっとこっそり言いましょうよ」

「あの、じぶん、本当にお構いは……」

「話が分かるな、さすが後輩だ。よぉし、俺がハナちゃんの荷物を確認してるうちに、お前も早く仕事を終わらせるんだぞ?」


 テーブルの下に置いてあった背負い箪笥(だんす)のそばにしゃがみ込み、ひげの門兵はやけに張り切った様子で箱の外観を眺めまわし始める。

 勝手に話が進んでいることにハナがおろおろしていると、少年が顔を寄せて「すみません。必ず門兵長を同伴させますので」と小声で断ってきた。ハナとしては、それはそれで畏れ多いというか、そもそもつまりもう助けられないと言外に宣告されていることにも気がついて、本格的に背筋が汗ばんでくる。


「んー、これは鍵がないと開かないのか?」


 箪笥(たんす)の金具をいじっていた年上の門兵の声に、ハナと少年はもう一度顔を見合わせた。

 無言で頷く少年に、腰に提げていた鍵を差し出しながら、ハナは最大限懇願が伝わるよう視線を送ったが、少年は至極曖昧な微笑と実体のない「ありがとうございます」を返しただけだった。


「先輩、鍵です」

「よし、いいぞ。さって中身は……おおっ、何だこれ?」


 年上の門兵が、不審がるというより興奮したような声をあげる。


 背負い箪笥の中身は、およそ空の入れ物ばかりのはずだった。

 容器自体や道具こそ、ウルウァの使い古しや、ふもとの村の売りものからあらかた揃えはしたものの、街道馬車をほとんど切れ間なく乗り継いでここまで来たため、薬草を摘んで煎じたりする余裕など、数えるほどしかなかったのだ。


 おおかた村の工芸品でもある、凝った意匠の瓶が並んでいるのを見て驚いているのだろう。

 そうハナは思っていたが、門兵がその中から慎重に取り出したのは、目ざとくも数少ない中身の入っている入れ物だった。

 ガラス製の地味な小瓶で、それだけは村で買い足したものでもない。


「こりゃあ、何だい? 変なにおいがするな」

「あ、それは虫くだしです」

「ムシクダシ? ……って、香水か何かかい?」

「へ? いえ、虫くだしといえば、おなかの薬というか、寄生虫の駆除のための飲み薬、ですけど……」

「くすり?」

「はい……あれ?」


 ひげ面の門兵は、心底怪訝そうな目で、古ぼけた小瓶とハナとを見比べている。

 ハナが少年の方を向くと、少年も門兵と似たような顔をしてハナのことを見あげていた。

 ハナは息を詰め、まばたきをする。


 今しがた自分が何を言ったのか。思い出そうとするが、正直何もピンと来ない。

 それもそのはずで、なにしろ特別なことを口にしたつもりなどなかったのだから。


 とにかく自分の方が変でないことを主張しなくてはならないと思い、思いつくままに何かを言いそうになる。

 が、そのとき――背後の木戸が勢いよく開いて、石壁に衝突する激しく音を聞いた。


「おい! いるか? アール!」


 振り返る。

 町人風の格好をした壮年の男性が、木戸に手をついた姿勢でそこに立っていた。

 走ってきたのか荒い息を吐き、薄茶色の髪が乱れて汗で額に貼りついている。


 彼のことを「副兵長?」と呼んで立ち上がったのは、ハナと向き合っていた少年の方だ。


「どうしたんですか? 今日非番では……」

「まずいぞ。ロウンが産気づいた」

「はぁ!?」


 少年が口を大きく開けて驚く。

 副兵長らしき男性は彼に外へ出るようあごで促したが、取り乱した少年は木戸のそばまで来て相手に食ってかかった。


「そんな馬鹿な! 予定はまだ先ですよ? 何があったっていうんですか?」

「説明できることじゃない、アール。ひとまずまだ間に合う。馬車を連れてきたから、早く行くんだ」

「ロウンは危ないんですか?」

「俺の口から言わせるな。今は近所の連中がついてる。とにかくそばにいてやれ」


 ――助産師は?


 会話に耳を傾けるうち、ハナは思わず少年の隣に立ってそう尋ねそうになっていた。


 お産。妊婦は少年の身内。


 出産時期の見立ては数多(あまた)の前例にならうだけのおおよそのものでしかなく、多少の過期(かき)や早産は起こりうるもの。だが、少年の口ぶりや二人の切迫した様子からして、重大な想定外が起きていることは明白だった。


 自分は部外者。ハナはそう自覚していた。

 そもそも助産の経験がない。

 ひとそろいの知識は持ち合わせていても、役に立つかどうか、使ってみたことのないもののことは絶対にわからないと知っていた。

 陣痛を和らげるような薬さえも、今手元にはない。


 そうとわかっていても――わかっているか、と――ハナは一瞬目を閉じて自分に問いかけた。


 そして目を開き、緊迫した表情で向き合う二人の姿を捉える。

 彼らに必要なものは、有効な助けだ。わかっている。わかってはいても。


「あのっ、じぶん……」


 寄り添う者として、ハナは声をあげる。


お久しぶりです。ヨドミバチです。

優に4か月ぶりの更新になります。お待たせいたしました。


本日より完結まで毎日更新していくつもりです。

時刻はおおむねお昼~お昼過ぎ頃を予定。一番遅くて今日ぐらいでしょう。


なろう用フォーマットへの再編集作業が併行になのでちょっと不安ですが、原稿自体は最後まで完結しております。少なくともエタる心配は皆無となりました。


作者自身としても待ちに待った最終章、エルヴル編です。文字数なんと14万字オーバー!

全章合わせて文庫一冊くらいの気持ちだったのですが、予定外に膨らみすぎてしまいました。

もちろんその分、丁寧につづることはできたと思います。ダークさや絶望感もひとしお。

必ずや読者の皆様をガオケレナの世界の深淵まで導けることでしょう。


それでは、続きをお楽しみいただければと存じます。

願わくはあなたの魂によどみなき呪いと慟哭を。


ヨドミバチ

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― 新着の感想 ―
[良い点] 新展開!いきなり検問に引っ掛かってるハナちゃん。 先輩も後輩も丸薬もアヤシい~~~ 国の体を成しているところは、この世界ではめずらしいですね! (ヴオルカシャでも自治でしたね) 丸薬…
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