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第二章・第六節 孤児院と洟水

【前回のあらすじ】

 村から屋敷へ戻る帰り道。木陰に腰を下ろしたハナとアーシャは、談笑するうち、それぞれの行く末について語らうことになる。


 ハナは予期せぬ門出であったために、まだこれといった展望を持ててはいなかった。しかし話題になったことを好機と捉え、死病から立ち直ったアーシャを旅の道連れに誘う。

 するとその返答の代わりに聞かされたのは、アーシャ自身の将来への想いと、弟である士人の方をハナには連れ出してほしいという願いだった。


 ハナがその気持ちに答え切らないうちに、病み上がりのアーシャを心配した士人が迎えに現れる。

 その彼に聞こえないように、彼が話したがらないアムリタについての話を自分に聴かせて、と耳打ちするアーシャ。

 ハナはその真意はさておき、彼女の2つの頼みごとはともに自分にしか引き受けられないことだと気がつく。ならば聞き入れない理由がどこにあるだろうか。そう自問自答しながら、二人のあとを追うように帰路についたのだった――



(字数:5,170文字 )

 

 実際、ハナは甘かった。


 屋敷へ帰る道すがら、今夜の歓迎会に必ず出席するよう幾度も念を押されていたはずの士人は、ハナたちが河原の洗濯物を取り込みに再び出かけているうちに当たり前のように行方をくらませていた。ついでに命じられた芋の皮むきと瓜の種取りを、その短時間で完璧かつ抜かりなく丁寧に終わらせたばかりか、しっかりとかまどの火まで熾して。


「紐でもつけとくんだったねー?」


 アーシャは肩をすくめてそんな冗談を飛ばしていた。あたかも自分の失敗を茶化すように。残念がってはいても、腹を立ててはいないらしかった。確かに歓迎会は一度きりだが、旅の話を打ち明けるだけなら機会はいくらでもあるのだから、焦ることはないだろう。ハナにしてみても、一旦寝かせられる間ができたことはむしろ好都合かもしれなかった。

 ただ、アーシャがいきさつの機微を知ることについて、士人はやはり警戒しているようだ。ハナとアーシャのやり取りを芋畑二つ挟んだあの距離から聞いていたとは考えにくいが、そうでなくても遅かれ早かれハナが話してしまうと考えるのが自然だろう。当のハナは二人の険悪な関係を望んでいなかったが、そのハナが何から何までをどう話すのかによって、アーシャの心象もある程度左右されてしまう。彼が逃げたくなるのも当然だ。


(考えてみればそうだよな。アーシャさんを救えるアムリタを欲するあまりとはいえ、師匠についてあらぬ噂も流したようだし。《大棘》の危険性を教えずにじぶんに託したこともまずいな。それ以前に薬を嗅がされて眠らされたり、あと、投げられたりも……)


 食堂で座って待っててよ、とアーシャには言われた。そのときはどうにか頼み込んで木の実の(から)()きを引き受けさせてもらえたものの、併行して頭の中を整理しているうちに手が止まっていた。


(もしかして、じぶんはもっと怒ってないとおかしいのか?)


 ハナとしては彼の事情を理解したうえで、安易に責めるわけにもいかないだろうと、妥当な判断をしているつもりだった。しかし額面通りに捉えれば、とてもそう穏便に済ませられるような話でもない、などと今になって思い至っていた。少なくとも起こったことをありのままに話してしまえば、あの姉弟の間に深い亀裂が走るのも想像に難くない。次第によってはハナが誘わないうちから士人が出奔という事態までありうる。

 だいいちその前提でハナが彼を旅の道連れに誘うこと自体()()なのだろうか。わりと真剣に戦慄される次元で能天気な娘としてしか誰からも認識されないのではないだろうか。ごく最近まで師匠の非常識ぶりに日夜振り回されてきた身なだけに、それはとてもとてもまずいことに思えた。


(師匠……あなたの弟子は薬師のくせに、あまり深く考えずに他人の生命線的なものを握っていたようです……)


 嘆いてはみるものの、今さら臆して口を噤むわけにもいかない。何も話さなければ話さなかったで、いかにあのアーシャとはいえ、悪い方に捉える可能性も膨らんでこないわけではないだろう。

 せめて士人のしたことがハナや師匠にとって害にしかならなかったわけではないことを、アーシャには知ってほしかった。ただそう印象付けるための妙手は浮かばず、もどかしさに頭を抱えていると、堅い木の実の殻も思うように剥き終わらなかった。


 そうこうしているうちにアーシャの料理ができてくる。

 ヒゲイモの細切りを重ねて焼いた特大平焼き(ガレット)。中に塩もみしたマダラウリの果肉を挟み、包み焼きのようになっていた。ハナがかろうじて磨り潰した木の実粉を煮詰めて白いソースにしたものをかけて食べる。やさしい木の実の香りと塩気が鼻孔と舌を同時にくすぐり、ぎゅっと詰まった瓜とホクホクした芋の食べごたえも相まって、ハナは無限に食べ続けられる気がした。


「気に入ってくれてよかった。孤児院にいた頃からの得意料理なんだ」

「その()()孤児院のノリで作りよる()()、いつもこうなる()やないかい?」


 口いっぱい頬張るハナを眺めて笑顔をキラキラさせているアーシャの陰で、食卓でも頭骨付きのヴェールを脱がないウルウァが、元から青白い顔をさらに青くして眉をひそめている。一人だけ豪奢な浮彫の椅子に座る彼女の冷たい視線の先では、テーブルの真ん中に置かれた皿の上に、湯気と芳醇な香りを振りまく黄金色の平べったいものがうずたかく積まれて、何かの塚のようになっていた。さすがのハナも自分の体積より多くは食べられない現実を認めざるを得なくなって思わず口が止まる。アーシャは小さな舌をペッと出して笑っていた。


「あはは。気合い入れすぎるとついやっちゃうんだよねー」

「その()()が再々でないかゃ? これでまた三日は同じメシぞに……」


 ウルウァが涙声でぐずりだす。顔立ちが幼女そのものなのでいっそう子供っぽかったが、今はハナも彼女に同情した。そもそも三日後まで虫やカビにやられない保証もない。


「だいいちうちの育ちざかりはどうしよるねぁ? あれに食わさんねやったら食い切る前に腐るぞに」

「うーん、お腹すかないみたいだねえ」

 アーシャはあまり心配していない様子だ。


(そういえば、ミスターが食事をしているところを見たことがないな)


 二人の会話を聞きながら、ハナはそんなことを思い返していた。

 アムリタと共にこの屋敷へ来るまでも、彼は夜に眠るときと、昼に時たま休息を取る以外は、ハナを背負ってひたすら走り通しだった。ほとんど身一つだったにもかかわらず、食料を探す時間の確保さえしようとしなかったのだ。かろうじて通りすがりに山菜や木の実を見つければ、ほぼすべてハナに回してくれた。彼は走るのをやめれば寝るだけだった。背負われているだけのハナと比べても、単純な体積から考えても、彼の方がずっと補給を要するはずなのに。実際ハナは度々そう言って遠慮しようとしたが、彼も彼らしく無言で取りつく島も見せなかった。


 そして屋敷に着いて以降は、例によって不在である。ハナが見ていないところで食料が減っている気配もなかった。アーシャの手料理がいつも絶品なだけに、彼女の快復のために尽力した者がその恩恵にあずかっていないことも、居候以上の者になれている実感のないハナからすれば至極気がかりだった。


「煩いことじゃのう」溜め息交じりにウルウァがぼやく。「空かなかろう()張り裂けよう()、知ったことかゃ。持っていって押し込んででも食わしゃ()いねよ。どうせ彼奴の好物ねやろ?」

「……」


 好物、とウルウァが口にしたとき、アーシャから押し黙るような気配がした。ハナがふと彼女を見やると、何も聞いていなかったかのように瓜の実を乗せた突き匙(フォーク)を口に運んで頬を緩ませる姿があった。いたたまれなくなってハナは、まだ口に入れたばかりだったものをほとんど噛まずに嚥下する。


「ん……っ、あの、アーシャさん」


 どうにか息をついたハナは、彼女に尋ねた。


「孤児院、とは、どんなところだったのですか?」

ふじーん(こじいん)?」


 突き匙をくわえたままだったアーシャが、意外そうな目をして首を傾げる。


「はい。じぶんは大勢で暮らした経験がないので、あまり想像がつかなくて。今の《神亡き時世》以前は、各地にそういった奇特な施設があったと聞いたことはあるのですが」

「んー、そうは言っても、ほんとに大勢なだけだったしねぇ」


 背もたれのない丸椅子を後ろに傾けながら、アーシャは天井を仰ぐ。


「場所はだいぶ人里離れてたんだよね。ここより深ぁい森の中にある小さなおうちで、子供が十七人。大人がお母さんとお父さんの二人だけ――つまり院長さんたち夫婦しかいなかったから、とにかく忙しくて騒がしかったかなあ。家のことをみんなで分担のはずだったけど、下の子たちはウルみたいに遊びたくてしょうがないのばっかりだったからね。いくらお母さんが百人力でも手が足りないよ」

「その(はな)()らしの(はな)も拭いちおやり家政婦」


 ウルウァが青筋を立て半月眼鏡越しに睨んでくる。アーシャは動じず見向きもしない。さすがにハナはたじろいだが、作り笑いでごまかした。


「その……ミスターは、ちゃんとお手伝いをする子だったんですか?」

「んー、まぁね。ずっとわたしにくっついてくる子だったから、わたしがさせてただけといえば、だけなんだけど。……ね、想像できる? その頃のあの子ってさ、今のわたしより体が小さくて、泣き虫で寂しがり屋だった、なんて」


 アーシャは笑い話のように語ったが、ハナは軽く絶句してしまう。先に質問しながら彼の幼い頃を想像しなかったわけではないが、そのはるか上をいくものが実物だったと聞かされて像が溶けてしまった。それ以上は想像すること自体を脳が拒んでいるかのように怪しい霧がかかる。ハナにわかるのは今の顔を絶対当人には見せられないということだけだ。


「お母さんたちの実の子はあの子一人だったけど、二人はみんなのお父さんとお母さんだったからね。それにお母さんの方は、いろいろと豪快な人だったから、気弱なあの子はあんまり懐けなかったみたい。それでわたしが代わりに懐かれたんだけど、きっと寂しかったんだろうね」

「じゃあアーシャさんは、彼のお姉さんで、お母さんでもあったんですね」

「うーん、どうかなあ。結局最後はわたしの方が怖かったってあの子は言うかも」

「はは……」


 冗談かどうかわからず、ハナは苦笑した。ただ、嘘でも真実でも、嫌なものではないように思えた。


「ハナはお手伝いする子だったんでしょ? いてくれてとっても助かってるけど」


「そんな、じぶんは……」そんなことはない、と口をつきかけたのを飲み込む。相手がアーシャだけに謙遜ではなくわりかしハナの本音だったが、それこそアーシャにほめられると顔を熱くせずにもいられなかった。


「ずっと師匠と二人きりだったので、日常的なことは分担というか、その……やらざるを得なかった部分が大きかったといいますか……」

「ふうん。ハナがいなくなってお師匠さん大変なんじゃないかな?」

「それは……そうかもしれないですね。ああ、でも、いろいろと適当でも気にしない人ですから、なんやかんやでやっていけてはいる、と――おも、って………………あれ?」


 声が――


 その瞬間に気づいたものの、事態がつかめずハナは戸惑う。


 声がぶれる。意図せず、また予期もせず。

 高く、鼻にかかるように上擦って、吐き出す息で喉が塞がる。


 顔が熱かった。焦りも恥ずかしさも追い越して、まぶたの奥が燃えるようだった。

 にじんでいく視界にまた戸惑って、まばたく間もなく頬を伝うものにただうろたえる。拭う手を待たずこぼれ落ちるものは膝に染みて冷えていく。あとから、あとから。


「あの、あのっ……! 何、でしょうね、これ? どうして、止まらな……っ?」

「ハナ、落ち着いて。ハナ?」


 認識不能な感情のさざ波にただ振り回されるハナに、アーシャが毅然と呼びかけて手を差し出そうとする。だがハナは拒むように席をたち、激しく首を振った。


「ちがっ、違うんです。こんな、つも、りじゃ……!」


 たとえ翻弄されていても、自分自身のことをわからないはずがなかった。

 止まらなくては、抑えなければ、と思うのに、あらゆる考えにかぶさって浮かんでくるのは、いつも師匠の顔だ。

 笑っている顔。怒っている顔。落ち込んでいる顔。

 得意げな眼差し。困ったときの下がり眉。

 思い詰めた口元。やさしい灰色の瞳。


 ハナは信じている。

 またどこかで、いつかきっとと。


 ただそれが自分の本当だと理解(わか)っているなら、その隣にもう一人の自分がいることも知らないはずがなかった。頑なに見ないふりをしていたかっただけで。

 堰が切れた今も、それは変わらない。変えたくなかった。


「だって……だってミスターは! じぶんと師匠を、助けたかったわけじゃない……けど――それでもっ、あの人のおかげで、じぶんたちは……!!」

「いいよ、ハナ。わかってる。わかってるから」


 ハナの振り払うような叫びにも臆さず、アーシャは歩み寄って、ハナの握りしめたこぶしの上に自分の手をそっと重ねた。途端、糸が切れたように崩れ落ち、膝をついたハナの頭に、もう片方の手を乗せる。


「ごめんね」


 そう囁くのが聞こえ、今にも焦げつきそうだった目の奥が急に暗く冷えていくのをハナは感じた。なぜ謝られているのか、ハナは咄嗟に彼女を見上げたが、涙越しの視野では読み取れない。そもそも知っているはずだったが、頭が泥を流し込んだように重く鈍く、うまく思い出すことができなかった。


「……わたし、やっぱりあの子を呼びに行ってくるね」


 そう言い残してアーシャは離れ、傍らを通り過ぎていく。


「……! 待っ――」


 声を上げるまでにどれだけ経っていたのだろうか。ハナにはほんの一瞬にしか感じられなかったのに、振り返った先の出口と自分との間に、人影はおろか、足音さえもはや見つけられなかった。

 今週金曜夜次話投稿予定【済】。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 平気なわけ無いんだよねぇ。 アーシャさんの「ごめんね」は何を指すのか。 飯テロ回!! お腹空くぅ!!
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