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第一章・第一節 巨人と刀剣

【導入部あらすじ】

 旅先での診療を生業としている薬師の弟子・ハナ。

 あるとき、診療中の彼女のもとへ、とある奇妙な客人が、前触れもなく訪れる――



(字数:9338字)


☆ 挿絵協力:伊呂波 和 さま (@NAGOMI_IROHA on Twitter)

挿絵(By みてみん)


 

 ――精製を頼む。


 そういう言葉とともにさし出されてきたのは、典礼用かなにかのための装飾剣。

 まずハナにはそのようにしか見えなかった。


 (かな)()のない白い刀身が印象的だった。

 片刃で、わずかに反り、不釣りあいに短い(つか)までおなじ材質でひと続き。(つば)はなく、代わりに刃と柄の境目が菱形(ひしがた)につぶれている。植物の(つる)を模した浮き彫りの緻密な意匠が、柄がしらまでうねりながら這いまわっていた。


 骨董品(こっとうひん)のたぐい……ほど古びているようにも見えないが、値うちものだろうか。


 ハナは困惑していた。

 一介の(くす)()見習いに過ぎない身で、その手の目利きに通じているはずもなかった。

 そもそも刀剣(それ)をさし出してきた客人の意図から汲み切れずにいた。


 おそらく、薬代の代わりに納めてくれ、ということなのだろう、とは思える。

 街かどに天幕を張って(,)(,)(,)の診療をしている流れの薬師を訪ねてきて、強盗を働く、ではなくただ刀剣をさし出した――というのは、そういうことなのだろう。前例はないが、なくてもそうなのだろう。


 だからきっと(,)(,)(,)(,)も、ハナの聞き違いなのだろう。


 向かいの丸木椅子に座った客人を、ハナは少し緊張して見返した。

 もとい、見あげた。


 ハナは上背のことをよく人から言われる。

 歳が十五にして、すでに男性の十人並みを越えているためだ。

 髪は首元の見える長さだが、顔だちも体つきもわかりやすく女性的ではあるので、とにかく目立つ。


 そのハナとたがいに座って向かいあっていて、ハナの目の高さには客人の〝腹〟しかなかった。

 縦にも横にも、視界が腹でいっぱいだ。

 前を掛け金でとじた黒いローブがぱつぱつに引きつれている。胸、首、とたどってようやく視界に入る頭には、床置きのランタンの明かりが満足に届いていない。


 巨大だ……天幕の外に姿が見えたときから抱いていた印象を、ハナは改めて強くした。


 ハナたち薬師の天幕は、占術師(せんじゅつし)なんかのこぢんまりとした幕屋とは違う。担架で運び込まれる病人もめずらしくないため、それなりに広さがなくては立ちゆかないと考えるのが普通だ。

 かがむのがおっくうな怪我人や老人が訪れるのはもっと当たり前だし、煎薬(せんやく)を天幕内でおこなえた方が都合がいいため、煙と匂いを逃がすためにも高さがいる。流れの薬師は行く先々で、わざわざ築材屋などから材木を借りうけ、人間ふたりが中で手を回してもぶつからないくらいの空間は確保するものだ。


 その天幕の天蓋(てんがい)に、座っていても頭をこすりそうだと錯覚するほど、客人の体格は非常識だった。


 上背だけではない。

 すさまじいのは幅もだ。


 体と服のあいだに肉を着ている、と言われても信じたかもしれない。

 二の腕ひとつとってもハナの腰より太く見える。特に張り出した腹部など、大人ふたりを両側から抱きつかせても、両手をつなぎあえるか怪しまれるほどだ。

 前とじのローブは寸法こそ間違っていないようだが、布地は張りつめ切って余裕がなさそうだった。


 大きいことは悪いことではない、とハナは思っている。

 師匠には都度都度からかいの種にされるが、それこそ天幕張りだったり、木に生っているものを採るときだったりと、役立てる機会は多い。そういうときには師匠も「男手いらずね~」などと素直に喜んでくれる。


 横に広がってしまった経験はハナにはあまりないが、客人の体形からはさほど不健康な印象も受けてはいなかった。服の上からでもわかるほど張りはある一方、だらしなく垂れてはいないようだったからか。

 天幕に入ってきたときの身ごなしにも、余計な肉や自重(じじゅう)が干渉しているような鈍重さは感じられなかった。


 印象としてはむしろ、重厚な鎧を着込んだ人のそれに近い。そのことがいっそう、ハナの苦手とする威圧感を強めてはいたが。


 真に問題があるとすれば、二つ。

 よくわからない刀剣を、よくわからない要望とともにさし出してきた、という事実と――あとはその(かお)だ。


 素顔ではない。まず素顔はわからない。


 客人の(かお)の問題も二つに分けられた。片方がそのこと。素顔が隠されていること。


 そしてもう片方は、素顔を隠す面鎧(ハーフメイル)のこと。

 その意匠が、よく言えば風変わりで、悪く言えばきわめて不気味なことだ。


 目を覆わずに鼻梁(びりょう)から下を守る面鎧(ハーフメイル)は、輪郭(りんかく)を頬に合わせつつも、鼻すじに沿って隆起させ、鼻全体にかかるような形状とするのが一般的だ。

 しかし客人のそれは、鼻すじよりも明らかに高く長く前へ突き出し、やや下向きに弧を描きながら鋭利に先細っている。

 巨大な鳥のくちばしを模したらしき、大胆な造形。


 ハナは師匠とともに行商の薬師となってもう五年余りだが、面鎧(ハーフメイル)自体をあまり見たことがあるわけではない。本来ならどういった者が着けるのかも正確には知らない。

 しかし、被服の上に顔面にだけ金物の防具というのは、大なり小なり奇怪な出で立ちには違いなかった。


 おまけに頭上には、これまた奇妙なかたちの黒帽子が乗っている。


 前後の(ひさし)がやたらに長い。


 おかげで、今ほとんど真下から覗き込んでいるハナの青い瞳にさえ、露出しているはずの客人の目とその周辺は映り込まない。

 影の濃くなる()の下では、もっと異様に見えるだろう。彼が現れたころから、天幕のそとはざわつきっぱなしだった。


 とはいえ客人は客人である。

 安くはなさそうな刀剣をさし出して、薬が欲しいと言ってきた。いや実際は「精製を頼む」としか言っていなかったか。


 重く濁り切って聞き取りづらい声だったので、きっとほかになにか聞きもらしたか、すれ違いがあったに違いないとハナは思っていた。ただ、客人の粛然(しゅくぜん)とした態度からは、()(えん)に奇をてらいたがる気配もまた感じられなかった。


 誰の正気も疑わず、率直に解釈するなら、依頼は次のようになる。


 ――精製を頼みたい。この刀剣が薬になるように。


(なぜ……いや、それ以前に、どうやって?)


 特定の金属粉を呑む習慣についてハナは耳にしたことがある。

 その部族は集落付近の河原で採れる鉱石を削り出し、婚礼や成人の儀の際に祝される者が呑むという。

 彼らはその金属が、体内に巣食って心を狂わせる悪虫を殺し、寄せつけないようにしてくれると信じていた。よって、精神を病んだ者の治療にも使われるのだとか。


 はたして、ハナの前の客人は、いささか――見る者によっては甚大(じんだい)に――個性的だ。

 とはいえ、金属粉を呑まなくてはいけないくらい、はたして〝病的〟だろうか。


 見かけだけで患者を判断するのは薬師の信条に反することではある。

 しかし、精神や知能といった手合いの診療に今まで縁がなかったこともあって、ハナは間を置かずに訊き返すことができなかった。特に、抗鬱薬(きつけぐすり)をお望みですか、とは。


 そもそも「刀剣を薬に」はハナの聞き違いの上の思い違いに違いないのだ。だから、欲しい薬はそういうたぐいではないだろう。

 ええと、よく聞こえなかったのですが……とでも切り返せば沈黙は破れる。ついでに子細な説明も求められる。


 客人は言い直すだろう。これこれに効く薬が欲しいのだが、お代はこの剣で。

 ああなるほどそうでございましたか。剣から薬を作ってほしいだなんていったいなんのご冗談かとおっほっほ。


 けれどハナの口先は、思い描いたようには動かない。

 したことのない笑い方を想像の中の自分がしていたせいでもない。


 しかしそんな想像が出てきたのは、おそらくハナがハナ自身の考えをこそまじめに捉えていなかったせいだろう。思い違いでも聞き逃しでもないような予感が最初からしていたせい。それはひさしの影に隠れたそこはかとない視線を見返すうちに、よりいっそう強まってもいた。


 なにしろ、怖い。


 客人の風体は、普通に怖かった。

 ハナにとってだけではなく、一般的な尺度してみてもきっと、怖い。


 特にハナは、もともと人見知りの気があったのを、背丈が伸びたおかげで〝克服〟できたという経緯がある。

 あなたのそれは克服じゃなくて、うやむやになっただけよ――とは師匠の談。まさにそのとおりで、ハナは自分より背の高い人間が苦手なままだった。


 そんなハナにとって、巨漢中の巨漢と呼べる客人は、いかにも恐怖の化身そのもの。


 恐怖の化身は冗談を言わない。うそをつかない。思い違いをさせない。


 なぜなら、冗談ですよね、とたずね返して、もしも冗談でなかったら、冗談では済まない目に遭うかもしれないからだ。ハナにとっておそろしいとはつまり、そういう先走った心配ごとに囚われることでもあった。


「……」

「……」

「…………」

「…………」

(……どどどどうする!?)


 ハナはしかも、固まってしまった自分自身にも焦っていた。

 客人の目もとを見返しながら、自分がなんとも言えない顔をしてしまっているのもわかっていた。


 実際、客人もハナを見おろしたままずっと黙り込んでいる。しかしそちらはハナが一向に動かないせいで苛立っているか、すでに怒っているといったところではないか。


 ――ええと、よくきこえなかったのですが……。

 ――聞いてなかっただぁ? ナメてんのか、嬢ちゃん?


 ハナの中で伝家の宝刀は棒きれ同然のなまくらと化して、脅される想像ばかりがたくましい。考えれば考えるほど進退(きわ)まっていく。


「ハナちゃん? ハナちゃーん」


 そこへ、

 天幕の外から呼ぶ声がした。


「おーい?」と、よく知った声。

 流浪の身を名前で呼ぶのは、道連れぐらいのものだろう。


「ハナちゃーん、どうかしたのー? さっきからずいぶん静かだけど……」


 声はハナの背後、天幕の裏手の方から聞こえる。

 すぐそこには、荷物を置くための小さい天幕が併設してあった。(あら)(かせ)ぐたちでないハナたちは、仕事中も誰かがそちらで荷の番をしたり、作り置きのできる薬の補充をしたりするようにしていた。


「よっいしょ。表は表で騒がしいみたいだけど、なにかあったの、かし、ら……」


 その裏手から幕の合わせ目をかき分けて、白い顔がひょこりと覗く。

 とほぼ同時に、灰色の双眸が大きく見開かれる。


 妙齢の、朽葉色の長い髪をひとつ結びにした女性。

 彼女の瞳は、仕事場に居座る異様な風体の巨体へとすでに釘づけとなっていた。振り返った弟子と目が合うより早く。


「……し、しょぅ?」

「はー……」


 彼女――ハナの師匠、薬師のナーシャは、両目同様あいたまま固まった口から、ため息とも感嘆ともとれる声を漏らした。ハナの呼びかけは届いていない。


 ただ彼女が顔を出したことで、ハナの息づかいはいくらか軽くなっていた。戸惑いを共有できそうな反応だったことも幸いに思えた。呼べばすぐ来てくれる距離に最初からいたのだが、ハナがそれを思い出したのも、今ようやくのことだった。


「あの、師匠。実はその、こちらの方が……」


 同時に舌まで軽くなったのを機に、ハナは落ち着いて事情の説明を試みようともする。

 が、そんな弟子のわきを、師匠は無言ですり抜けた。


「……は?」


 ぎくりとして、ハナは師匠があけた天幕の裏口を見たまま、ふたたび固まった。


 その背後にて、「まあ……まあ……!」と驚嘆の声が連続する。


 たちまちぞっとおしよせてきた不安に、ハナはほとんど息を止めて振り返った。


 依然として人間離れした巨漢で黒ずくめな客人は、丸木の椅子に腰をおろしている。そこから動く気配はない。

 その客人のすぐそばに師匠は立っていて、(えん)()色のボレロから伸びた白い両手が、なぜか客人の丸太のような二の腕に触れていた。ぺたぺたと手のひらを這わせたり、指先で押し込んで揉むようにしたりしながら、「まぁぁぁ……!」と、さっきより幾分うわずった声をあげる。


「すご~い。こんなに太いのに、カッチカチなんて……」

「あの……ししょぅ?」

「ねえ見てハナちゃん。指の押し返しがすっごいの。表面だけぷにぷにで、すぐ下はパンッパンのカチンカチン。こんなの見たことない……」


 止めどなく語りながら客人の体をさわりつづける師匠。失礼とか無遠慮とかを軽く通り越し、熱に浮かされた少女のようにはしゃいでいる。あわや客人の肩あたりに今にも頬ずりを始めそうな勢いだ。


(しまった……)


 ひとり呆然としていたハナは、内心で激しい戦慄と後悔に襲われていた。さっき、早く師匠を呼べばよかった、と気づいたときの悔いの比ではない。


 というか呼ばないのが正解だった。出てきても出てくるなと言えばよかった。

 師匠はハナと違い、むしろ正反対に、〝おっきい男性(ひと)〟に目がないのだ、たいへん。


 幸い客人はといえば、例によって表情はうかがえないものの、師匠にぐいぐいすり寄られながら微動だにしていない。

 師匠も外見は魅力的な方だ。同性のハナから見ても格別の部類に入る。男主人の薬問屋なら、どこも気前をよくしたものだ。


 とはいえ、美女に迫られれば大なり小なり高揚するのが男性だからといって、それでなんでも許されるわけではない。無反応だからといって、声も出ないほどに怒り狂っていない保証にはならない。

 いわんや傷病人、あるいはそのつかいともなれば――そうでなくても、今の師匠は客人の衣服によだれをつけかねなかったが。


「はぁ……師匠、仕事中なのですが」

「ウフフ。ハナちゃんハナちゃん、わたし余裕でこの人の肩に座れるわ。信じられない。昔からのあこがれだったの。小鳥みたいでしょう? すてき……」

「言い分はわかりましたが少しでもよじのぼろうとしたら袋詰めにして柱から吊るします。あの、ちょっとでいいのでこちらを向いてください。すぐですから」

「わあい、ハナちゃん、だっこして持ちあげてー。はいっ」

「誰が他人(ひと)様の肩に腰かけるのを幇助(ほうじょ)すると言いましたか! 師匠! いいからこれを見てください。お客人がお持ちになられて、じぶんたちに精製をっ……」


 にやけ顔で両腕をさし出してきた師匠の前で、ハナは小机の上で軽く開いていた粗布の包みをより大きく開いた。中身がよく見えるように、包みからこぼれた白磁のような(つか)に手を伸ばし――


「ハナちゃん、待って!!」


 手を引いた。


 ハナはその悲鳴じみた警告を、幼いころから聞いていた。幾度となく。


 ハナちゃん、待って。

 待ちなさい、ハナ。


 あるいは、火にかけてある鉄瓶を取りあげようとしたとき。

 あるいは、棘のある毒草を摘みかけたとき。


 ハナが目線をあげると、やはり見覚えのある険しい顔がハナを見ていた。

 ただそれは一瞬のことで、ハナと目が合い切る前に、ハナにも見せたことのない表情に変わっていた。

 ハナではなく、彼女がつかみかけた奇妙な白い刀剣を見おろして。


「師匠……?」

「離れなさい。そこから、(,)(,)(,)(,)(,)


 相貌(そうぼう)とおなじく恐怖に彩られた声が、言葉とは裏腹にハナを急かす。

 ハナは(,)(,)(,)(,)(,)(,)(,)(,)すばやく、なににも手を触れないようにそっと立ちあがって、奥の支柱のそばまでさがった。師匠が〝師匠の顔〟をしたときに、必ずいつもそうするように。


 ただその〝顔〟とは、つい今しがたの浮かれぶりさえうそになったかのような――背すじに触れる冷たいものが刃物であることに気がついたときのような――今現在のような彼女の、こわばり切った顔色のことではなかった。


「うそ……っでも、まさか……っ!」


 数瞬のあいだ、放心した様子で師匠はうわごとのようなものを口走っていた。

 やがて、思い出したように客人の方を振り返ると、ハナの側へ数歩あとずさる。


 その師匠を、視線で追うように客人の頭が動いた。


 頭以外は、あいかわらず微動だにしない。ただ、座ったままにもかかわらず、客人の目は立っている師匠の頭よりも上にあった。

 もしも客人がすばやく立ちあがって手を伸ばせば、まだ捕まえられる距離に師匠はいる。

 ハナは無意識のうちに記憶をたどり、柱の裏に吊るしてあるクロスボウの位置を確認した。


 が、そのハナを制するように、師匠の手がハナの前で持ちあがる。

 彼女のもう片方の手は、自身の胸に添えられていた。


「……お引き取り、願えますでしょうか」


 今はどんな顔をしているだろう。ただ()(ぜん)とした声で師匠は告げた。

 指先には震えが見てとれたが、気配は(おく)していない。声には芯がある。

 ハナは唾を呑んだ。


「わざわざお訪ねいただけたこと、光栄に思います。しかし、手前ども若輩では、ご期待には沿いかねるかと――」

「隠れ里の……」


 客人が口を開いた。

 面鎧の裏にこもって、低く聞き取りづらい声だった。にもかかわらず、山肌を削り落ちる(いわ)()のようなそれは、師匠の話をさえぎるには充分すぎた。


「……出と聞いた」

「……」


 師匠は一度口をつぐむ。

 歯がみするような間があった。


「……たしかに、手前どもは師弟ともに、かの《(うろ)》の一門より出でた薬師をうたい、こうして商いをいたしております。しかし、お客様がお持ちになられたその刀剣状の品。そのようなものからお薬を得るという話は、里にいたころにも一聞(いちぶん)だにしたことはございません。手前どもには想像もつかないことです」


 言い終わるころには、師匠の声にはかすかな愛嬌が乗っていた。それは彼女なりの覇気に違いなかった。

 自身の倍の倍もありそうな巨体を相手に、頑とした拒絶の意志を示すための。


「おそれいりますが、お引き取りくださいませ。外でお待ちの方々もいらっしゃいますので」

「……」


 客人は沈黙している。

 師匠も彼も向かいあったまま動かない。

 たがいに出方を探るようににらみあう。


 やがて客人が、おもむろに体を前へかたむけ、椅子から腰を離した。のそりと立ちあがると、頭は天井の闇に飲み込まれ、帽子の下の暗さがより深くなる。


 そしてなにを思ったか、ぐらりとかがみこむと、その巨腕で師匠のわきを貫いた。


 ハナの心臓が跳ねる。


 客人の大きな手は、師匠には触れず、彼女の足もとにある小机の上に伸びていた。

 自分でそこへ置いた例の装飾剣を取りあげ、ここへそれを持ってきたときとおなじように、刀全体に厚い粗布を巻き直していく。


 そうして包み終えると、客人は天幕のすそを振り返り、合わせ目をくぐって往来へと出ていった。ひとことも発さず。どころか一顧だにせず、ハナや師匠へ一瞥(いちべつ)をよこす気配すらなかった。


 重たい足音が遠ざかっていき、やがて聞こえなくなる。

 すべてに耳を澄ませ、またたきを忘れるほど高まっていたハナの動悸も、次第に収まっていく。

 ただ師匠だけは、風に揺れる天幕の入り口を見つめたまま、ずっと黙り込んでいた。


「……師匠?」


 自分に背を向けて顔の見えない師匠に、ハナは思わず声をかける。

 しかし、かすかに身じろぎをしたように見えただけで、返事はない。


 胸騒ぎを覚え、ハナは師匠の肩に手を置きかけた。

 そのときになって、師匠はようやく「ハナちゃん」と呼び返した。


「は、はい、師匠?」

「び……」

「……び?」

「…………――っっっくりしたわね~!!」


 くるりと振り返る。

 そこには、晴天もかくやというほど輝く、無邪気そのものの笑みが浮かんでいた。

 緊張の跡を示す安堵の色こそうかがえるものの、なんのしこりもなく、羽根を伸ばすかのように。


「ほーんとっ、あんな大きな人見たことなかったものねー。まるで、おとぎばなしのオルクみたい」

「おぅ、く?」

「あら? ハナちゃんは聞いたことなかったかしら。大昔にいたオルク族のこと。オバケみたいな巨人なのよ? 寒くてなにもないところにも平気で住んでて、緑色の肌の……でも、あの人は普通の肌色だったわね。服もちゃんと着ていたし。なによりオバケなんて失礼よね?」

「え、ええ、まあ……」


 思わずあいづちを打ってしまってから、なにを訊かれているのかとうろたえる。


 それは今話すべきことだろうか。

 ハナは里の子どもたちに混じらず、昔話などもあまり聞く方ではなかった。当然、オルクの伝説も耳にしたことがない。

 しかし、空想上の巨人の方が、実在するあの大きな客人よりもおそろしいということがあるだろうか。知るべきことはもっとほかにある気がする。


 ただ、まさにその知るべきこと、疑問に思うべきことが、あまりに多くいっぺんに押し寄せてきたせいで、思うようには整理がつかずにいた。


「あのぉー」出し抜けに、天幕の外から声がかかる。「前のひと出てったけンども、次入ってもええですかい?」


 見れば、入り口のすそを持ちあげて、工夫のような身なりの男性が天幕の中を覗いていた。待たせていた患者のひとりだろう。

 すみません、しばしお待ちを、とハナが断る前に、「あっ、どうぞ~」と師匠が呼び込んでしまう。


「ちょっと、師匠?」

「変にお待たせするのは悪いわ。ハナちゃんは休んでていいから」

「いえ、交代したばかりでそういうわけにも」

「そんな汗びっちょりで?」

「!?」


 ハナは自分を見おろして仰天した。

 香油でもまぶしたかのように、襟からのぞく胸もとがてらてらときらめいている。服の中もぐっしょりと湿って、背中や腹に生地が貼りつき、乳房のかたちまでくっきり浮き出てしまっていた。


 上衣(ボレロ)を羽織ってはいても、とても人前に出られる恰好ではない。そもそも気持ち悪すぎて診察に集中できる気がしない。


「実際ちょっとすごいわね。もうほとんど免疫過剰(アレリギーヤ)だわ。ハナちゃん、本当に自分より大きい人が苦手なのねえ」

「さがらせていただきます……」

「はいはい、よく拭いてらっしゃい」


 促されるまま、ハナはできるだけ身を縮めるようにしながらすばやく裏口へ向かった。


 天幕と外の小天幕とはほぼ隣接しているが、出入り口同士が密着しているわけではない。ほんの一瞬だが、移動の際は往来に姿をさらすことになる。背中をまるめていれば問題ないと、頭ではわかっていても、人目にとまらないことを祈らないわけにはいかない。


 ただそんな状態でも、幕の合わせ目に手をかけたところで、どうしても気になってうしろをかえりみていた。


 今朝方急に膝が痛みだして仕事に行けなくなった、と毒づき気味に話す男性に、師匠はほがらかな応対をしながら、患部に触れて反応を診ている。普通の客をさばき終えたあととなにも変わりないかのように、過ぎたことを引きずっている気配はうかがえない。


 あの客人のことは本当にもう済んだ――のだとしたら、ハナがこれ以上さっきのことで師匠と問答をする必要はない。いつもどおりに、切り替えればいいだけのこと。


 ただ――客人の持ち込んだ、あの刀剣――

 あの不思議な白い刀身の儀式剣のことだけは、ハナの意識の水面(みなも)にあって、いまいち沈む気配もなく揺蕩(たゆた)っていた。


 ハナは当初あれのことを、()(もく)な客人が〝薬の代金〟としてさし出してきたものと受けとっていた。

 しかし師匠は、あの刀剣自体が薬の素材であることを最初から承知していた風だった。なにより、あの逼迫(ひっぱく)した態度。


(師匠は、あの剣の正体を知っている……?)


 だとしたらそのことを、ハナが薬師の弟子として問いただすことはできる。

 師匠は薬のことなら、いかに危険な劇薬のたぐいであっても、そのおそろしさを理解させるために教えてくれた。


 ならば今度も、とハナは楽観する。

 はぐらかしたように見えたのは、本当に次の客を待たせないためだったのだろう。仕事が終わってから、改めて訊いてみればいい、と。


(それにしてもあのお客人、本当にあの剣から薬を作るつもりだったのか……)


 思考に区切りがついたせいか、骨折り損で去っていった客人のことを思い起こす。


 オバケなんて失礼よね――と、先ほどの師匠の言葉も追いかけてきて、自分は彼の容姿におびえていただけだったなと、今ごろになって後悔を抱きながら、天幕のすそをかき分けて外へ出た。


 本日深夜次話掲載予定【済】。

 更新は週末中心。不定期です【完結済】。

☆ 2020年10月8日、再推敲版に差し替えました。文章の洗練と漢字レベルの調整を行っております。内容に変更はありません。


 第一章・第一節にお目通しいただきありがとうございました。


 本作は小説家になろうを含め、私が連載形式でウェブに掲載する初めての作品になります。

 このまま薬師の少女・ハナを主人公として、一人称視点的三人称で進めていきます。


 基本1節1万字程度を意識してはおりますが、場面転換で区切っているため、文字数にはバラつきがあります(少ないことが多いです)。脱稿時に2万字を超えていたような長い節は二分している場合もあります。1節あたりの上限は1万5000字程度を意識しました。

 また、各話前書きには「前回のあらすじ」を掲載いたします。


 ボリュームは全体で書籍二巻分相当です。

 本作はシリーズ第一部的側面もありますが、全四章で一つのお話として完結しております。


 あらゆる意味で比較的“重い”作品です。

 表現についてはR15+水準を維持するつもりではありますが、本作は意図して残酷な展開や陰惨な描写を積極的に取り入れております。読者様個々人とのミスマッチに配慮し、このような注意喚起をさせていただいております。


 それではどうか、以降もお楽しみいただければ幸いです。

 ガオケレナへようこそ。


 ヨドミバチ

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― 新着の感想 ―
[良い点] 重たい地の文。不穏さがひしひしと伝わってきます。 ただの佇まいでこんなに不気味さが表現されるのすごいです。 このダークな雰囲気、好物です。 [一言] じっくり噛みしめながら読んでいきます…
[良い点] しっかりとした文体とは打って変わって人物の心情がわかる部分のメリハリが個人的に心地良い。丁寧で読みやす(*^^*) [一言] すごく面白いです! 静かな立ち上がりだけど、先が気になる♪ 文…
[良い点] しっかりとした文体で、尚且つ読みやすく書かれてますね。 刀身が薬になるという下りや、規格外の大男も物語に色を添えていると感じました。 [一言] その昔、何かの病気の時にアルミ粉を服用しまし…
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