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第一章・エピローグ:ナーシャ

【前回のあらすじ】

 刺獣と《大棘》が消えたあと、ハナの手の中にあった不思議な(しずく)

 それこそが、太古の災害《穢れた水》の浄化を果たせる秘薬・アムリタだった。


 師匠・ナーシャはアムリタをハナに託しながら、ハナに〝破門〟を言い渡す。

 それは、ハナがもはや《(うろ)》の薬師の弟子ですらない、ただひとりの薬師として、自分の患者を〝()(きわ)め〟ていくべき道を示していた。


 そしてナーシャは、〝患者〟のためにもハナを絶対に薬師として扱うよう、()(じん)にも釘を刺す。

 幻の亜人・オルク族の血を引く醜貌(しゅうぼう)をさらけ出した彼は、無言で彼女と視線を交わし合ったあとに、ハナを抱えて走り出す。


 なにもかもがあまりに唐突で、戸惑いながらも必死で離別を拒もうとするハナを、彼女の師匠だった女はおだやかに見送った――



(字数:5,329)

 

 しゃがんだまま見送った黒帽子のハーフオルクと弟子の姿が見えなくなって、ハナの師匠――ナーシャは意味もなく揺らしていた手をようやくおろした。


 思いのほか大きな喪失感はない。そんなものを期待していた自分に対する、そらぞらしさがあっただけ。


 ハナは一人前の薬師……そんなことは、もうとうの昔にわかっていたことだった。

 母親とおなじか、あるいはそれ以上の、(てん)()の才がハナにはあった。だからこそ患者を任せ、交代制で診療にも立たせていた。

 ひとり立ちなど、とっくにしていてもおかしくなかったのだ。


 あえて師弟の関係を続けていた理由は――欲だ。

 ナーシャひとりの、ただ離れがたかったというだけの。

 身を立てる野心も、才に対する(おご)りもなかったハナに、甘えていた。


 その結果がこの無様ぶりだ。

 ハナがひとり立ちする日が来たら、すべてを打ち明けるつもりだった、などと申し開きができたところで、悲しい()(まん)でしかない。


 破門を言い渡したのは、せめてものはなむけだった。

 これでハナが故郷や師の行く末について、気に病む必要はなくなる――というのも、やはりうそ。

 人のいいハナの性格を思えば、自分がそうなってほしいだけなのも明白だった。


(そういう意味では……あの古代人の子孫にすべて預けてしまったのも、あれこれと言いつつ、自分のための言い訳だったかもしれないわね……)


 そう思ってしまう時点で、自分があの男といっしょに行くわけにはいかなかったということでもあった。

 ままならないことはあると理解しつつも、ハナとおなじようには人を信用できないのもまた事実。


 アムリタは、数百年前の文明期に生まれた悪性物質、《(けが)れた水》を浄化できたという唯一無二の秘薬だ。

 けれどもその存在は、《穢れた水》の方が()(ちく)され尽くしたことにより、文献(ぶんけん)の中以外から忘れ去られた。


 《穢れた水》がこの世に存在しない以上、アムリタを求める者も現れるはずがない。


 そんなことが起こりうるとしたら、《穢れた水》を副産物として生み出したとされる古代の技術そのものを現代によみがえらせた者がいる、ということになる。

 正直、()(そら)(ごと)に近かった。そのあやまちごと消え去ったとされる旧人類の(えい)()は、今や見つかるだけでも奇跡なのだ。


 そして、たとえその奇跡に近づけたのだとしても――


 いや、最悪そうであってもなくても、アムリタが必要とされる状況になど、ろくなものが待ち受けているはずがない。

 すでに(,)(,)(,)(,)にいる者たちにしても、やはりまっとうというわけにはいかないだろう。

 そんな脈絡(みゃくらく)すらも省略されるとすれば、それは……


(《(じゅ)()》、か……結局ろくでもないわね)


 むしろ《呪詛》こそ(,)(,)(,)(,)(,)(,)だ。

 ナーシャは自分の膝もとを見やった。


 ちょうどそこに、骨のように白い指先が伸びてきて、ふれるところだった。


 石畳を這ってきたその女は、震える手でナーシャの服をつかみ、這いのぼるようにすがりつこうとしていた。

 老女のように生気のない髪のすき間から、にごり切った青い瞳がのぞいている。

 ひび割れてしきりにあえぐ唇は、空気以上のなにかを吸おうとしているようだった。


「ぁあ……ぁ……ぁあぁ……あ……」

「…………」


 ナーシャは彼女の腕を握り返すと、引き寄せ、そっと抱きしめた。


 枯れ木のように細く軽い体だ。

 抱かれると拒むようにうごめいたが、思うように力めないナーシャの片腕にすら、たやすく押さえ込まれてしまう。


「ヘティア……あの子は行ってしまったわ」


 幼児(おさなご)にさとすように耳もとでささやきかけると、女は「あぅ」とうめいた。

 それが返事でないことは知っていたけれど、口もとはほころぶ。


「結局あの子、あなたに気がつかなかったわね……これもわたしが教えなかったことになるのかしら?」


 白々しい。

 ただ、自嘲(じちょう)しながらも、悔恨(かいこん)もまたさほどではなかった。

 できれば気づかないでいてほしいと、願っていたことも事実だったから。


「彼は気づいてたみたいだけれど……教えないわよね。きっと。わたしとよく似てるもの」


 覚えずに苦笑する。だが気のせいではないと思う。

 あのハーフオルクとは、飛び出していったハナを追うために、ほんの少し言葉を交わしただけだったが、不思議と通じ合うものがあることは認めざるをえなかった。


 無言に意味を持たせすぎて、言葉を持てない者同士。


 ハナを共に行かせた理由のひとつが、それでなかったと言えばきっとうそになるのだろう。


 想像ができる。

 あの男のそばにいるハナの姿。

 自分のとなりにいたころと、なにも変わらない。


 あの子が変わらないなら、離れていってしまうのとは違うんじゃないか。そばにいることを感じられるんじゃないか――また都合のいい想像だとは知っていても、そう思うくらいは許されたかった。

 握りしめていた手を離すまではしたのだから。


「ねえ、ヘティア……覚えてる? わたしとあなたで、刺獣を見つけたときのこと」


 ふと、(ふる)き日を懐かしんで、ナーシャはただ身もだえするだけの友に語りかけていた。


「あなたは大はしゃぎだった。伝説の秘薬の手がかりを見つけたと言って、ふたりで泥だらけになりながら、刺獣を遺跡の外まで連れ出して、言うことをきかないからって、八つ当たりみたいに荷物を全部くくりつけて。目がない馬じゃ街道で怪しまれるからってあなた、手持ちの炭で書こうとしたわね?」


 彼女が今のハナとおなじ十五のころ。ナーシャは四つも年下だった。

 薬草を採りに行くより遺跡を探検する方が好きだった彼女に、そそのかされるたびついていっては、体格の違う彼女にはできても自分には無茶なことをさせられたものだ。


「でも、あれが最後の探検……。刺獣のツノにふれた水が、鎮静(ちんせい)作用のある液体に変わると知ったとき、あなたは見たことないくらい目を輝かせていた。この液体を使いこなせれば、薬師の施術の幅は今までとは比べ物にならないくらい広がるぞって、言って……」


 そうして彼女は、《(いん)(せい)》の研究の旗頭(はたがしら)として、《(うろ)》で自ら名乗りをあげた。

 里のはずれに新居が用意され、研究所も併設された。

 ちょうどナーシャがひとつ歳を取り、年配の薬師たちの見習いとして短期の診療行脚(しんりょうあんぎゃ)に出るようになったころのことだ。


 その最初の出発のとき、見送りついでに彼女の結婚相手を紹介された。

 すでにお腹に子どもがいることも教えられた。

 なにひとつ知らされず、気づきもしていなかったナーシャは、()(ぜん)とするよりほかになかった。


「言いたいことはいろいろあったけど、うまく言えないのはあのころからずっとだなあ。本当は、薬師としての最初の旅にもついてきてほしかった。あなたは緊張しっぱなしのわたしを心配して、旅に出る前に打ち明けてくれたんでしょう? なのにわたしは(いら)()って、お腹の子に集中して研究は人に譲るべきだなんて言い始めて、あなたも譲らないから、思わず喧嘩(けんか)別れみたいになってしまったわよね」


 それきりにならなくてよかったと、本当に思う。


 ふた月後、ほこりまみれでへとへとになって里へ帰ってきたナーシャを、彼女は笑顔で出迎えてくれた。


 それから、ふくらんだお腹に耳を当てたとき、聞こえた小さな鼓動。


 しがみついたまま眠りに落ちたのに、今でも覚えている。


「覚えてるわ。全部覚えてる……あなたの髪がとても黒くて綺麗だったことも、青の濃い瞳の色がうらやましかったことも、大きな笑いごえも、力強い手のひらも」


 彼女のお腹の子とは対照的に、研究の進捗(しんちょく)はかんばしくなかった。

 ごく少量の《気化陰清》を鳥や小動物に与えても、鎮静作用は働くものの、効果が切れると凶暴化する。

 効率的に希釈(きしゃく)する方法を探していたが、気体になると正確な濃度も把握しづらく、また一歩間違えば自分が吸入してしまうおそれもあることから、取り扱いだけでも困難を極めた。


 やがて実現したのは、恐れていた事態の方。


 彼女の夫の方が、《陰清》の乱用に手を染めていたのだ。


 彼女はその夫を、なんとか秘密裏に治療しようと自宅に軟禁していた。

 だが、依存症から来る渇望(かつぼう)にたえられなくなった夫がある日、彼女の目を盗んで刺獣を外へ連れ出し、反抗した刺獣のツノに往来(おうらい)で刺し殺されてしまったことで、すべてが()(けん)した。


 表向きは事故で片づいたものの、以来、《陰清》を未来の麻酔薬として有望視する声は聞かなくなった。

 もともと、身重の体で危険な研究にのめり込む彼女を快く思っていなかった者も多く、くじけずに研究を続ける彼女を指して、あれもとうに()りつかれているのではないかと、はばからずに非難する者もいた。

 風当たりの強さゆえに、近づく者もいなくなった。

 ナーシャもまた、どんな顔をして訪ねていけばよいかわからなくなり、逃げるように里の外へ出る(ひん)()を高めていった。

 臨月は近かった。


「ねえ、あなたはあの子を見た? とても大きくなったのよ。驚くくらいに」


 夜、独りきりで迎えた陣痛(じんつう)は、どれほど痛かっただろうか。


「あなたそっくりの青い目。あなたそっくりの黒い髪」


 止まらない血を押さえる者も、手を握る者もおらず、どれほど心細かっただろうか。


「でも、全然あなたに似てないの。いつもまじめで、薬師の仕事が大好き。だれに似たんでしょうね?」


 床に転がって震えていた、赤黒い小さな体。


「ちゃんとあなたがつけた名前よ? ハナ、って……」


 月明かりに照らされ、必死で産声(うぶごえ)をあげていたあの真っ赤な顔を、あなたは見た?


「あの子……もう、いないわ」


 腕の中の細い体は、なにか叫んでいるかのように、しきりに(なん)()を発し続ける。


 背や首すじをかきむしる爪は長く、幾度も皮膚に食い込んだ。


 その痛みまでも逃さぬように、強く抱きしめる。


「もういないの。だからもう、あなたが守ろうとしなくていいのよ?」


 《陰清》は毒薬とされ、研究は《濁》の者らに引きつがれた。


 彼らは、刺獣もまた《陰清》の影響を受けると知ると、取り外したツノ――《大棘(オオイバラ)》を、水の湧く洞窟(どうくつ)の奥に安置し、充満させた《陰清》の中に刺獣を幽閉した。

 重度の(いん)(せい)()(ぞん)(わずら)った末に、(じゅ)()()きと成り果てたヘティアと共に。


 呪詛憑きとなった者が正気に戻ることはない。

 おのれの狂気に()われ、咀嚼(そしゃく)され、消化され尽くしたそれは、ただ《(じゅ)()》を行使することだけを考える機械と化す。おのが願いに呪われるかのように。


 彼女の《呪詛》は、《大棘》の近くにあるだけの水からも《陰清》を生成させるもの。

 彼女自身が《陰清》におぼれるために発現されたその《呪詛》は、《陰清》の効果が切れたときに味わう〝()(だつ)〟の苦しみに応じて発現される。


 すでに高濃度の《陰清》を常時吸入していないといられない体になっていた彼女にしてみれば、《濁》の者らの仕打ちは決して無情なものとも言い切れなかった。

 《濁》以外の者たちは、ほかにどうしようもないと早々に諦めていたから。非力な自分をかえりみていたナーシャも含めて。


 だがその《呪詛》の性質に目をつけた《濁》の者らは、彼女に(せん)のついた特殊な防毒面(マスク)をつけさせた。


 栓には細工がしてあり、《陰清》の吸入量を調節できるようになっていた。

 栓を閉められれば、彼女はたちまち離脱症状を起こし、苦悶とひきかえにより多くの水を《大棘》と反応させた。

 彼女を利用して得た大量の《陰清》を、《濁》の者らは里の外へ売り出すことを(もく)()んだのだ。

 彼女の目指した麻酔薬としてではなく、()(こう)(むね)とした極上の眠り薬として。


 ナーシャがこれを知ったとき、幽閉からすでに十年の歳月が経ちかけていた。


 怒り、むせび、悩んで――彼女のそばに行くことにした。


 見つかって捕まったとき、誘拐(ゆうかい)の罪に問われた。

 だが実際には、彼女を連れ出そうなどとは思っていなかった。


 彼女と共に《陰清》の海に沈む。


 本当はずっと気づいていた。最初からそうすべきだったと。

 なにがあっても彼女のそばにいて、離れるべきではなかったと。


 彼女を独りにしてしまったこと。それをあがなうように娘を引き取り、彼女の面影を見ながら共に暮らしていた。すべて過去になるものと、おのれに言い聞かせていた。


 でも本当は、時間はあの日からずっと止まっていたのだ。

 壊れて動かなくなった最愛の人のかたわらで、泣き叫ぶ血まみれの赤ん坊を抱きあげた瞬間(とき)から、ずっと。


 その赤ん坊も、もういない。

 風に舞ううたかたのように()ってしまった。


 彼女の青い瞳に見つめられたとき、自分がここにいると感じた。


 彼女の澄んだ瞳の中でだけ、この体は躍動(やくどう)していた。


 その瞳が遠くにあるのなら、わたしもそこにしかいないだろう。

 ここにいるのは抜け(がら)だけ。


「……ね、ヘティア。わたしを見て」


 彼女の両肩をつかんでそっと引き離し、目と目で向き合う。


 西日を受けて、血の気のない皮膚が(あかね)(いろ)に染まる。落ちくぼんだ目の中には色あせた瞳。


 もはやなにものも映すことのないその瞳に向けて、ナーシャは心からの笑みを贈り、


「ほら。ね? ふたりともからっぽ。おそろいでしょ?」


 辺りでは、昏倒(こんとう)していた者たちが次第に起きあがり始めていた。

 狂おしいほどの怒りに満ちた息づかいも、背後に聞こえる。


 逃げるつもりはない。


 最初からこの場所にいなかった自分は、最後まで彼女のそばにいる。

 どこにもいないわたしは、もうどこにも行きはしない。行けはしない。


 だから、さようなら。


 さようなら。


 わたしたちの夢路草(モルフューム)






 第一章『アムリタ』――

 ――了



 今回で第一章最終回になります。

 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


 以降、第二章の準備もございますので、あらすじや章立て等を整理したのち、また順次掲載していく予定です【済】。

(まだここのシステムに慣れておらず、運用方針等も決めていないため、掲載に整理が追いついていなくてすいません…)


 ハナの物語はようやくこうして唐突に始まり、二人の物語についてはまだその片鱗しか見せておりません。

 道のりは長いですが、私も行き着くところまでは共に歩んでいく所存です。


 もしもここから続く彼らの足跡も、またあなたの目に触れることがあれば、幸いに思います。

(ヨドミバチ)



☆ 2021年1月31日、再推敲版に差し替えました。文章の洗練と漢字レベルの調整、ルビの振り直しなどを行っております。内容に変更はありません。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 救いのない呪詛……。 切ないよぉ……。
[一言] なんて容赦のない世界でしょうか。 その中で、ハナの純粋さ、真っ直ぐな心が、閉塞感を切り裂いてくれるようでした。 先も楽しみに読んでいきます。
[良い点] 練り込まれた世界観と、ハードだけどどこか童話的で優しい物語を楽しませていただきました。 師匠・・・(´;ω;`) とても面白いです。 [気になる点] 続きが気になりますので、引き続き読ま…
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