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第二章 魔王選抜トーナメント1

「すぐに迎えに来るからね」


 詰まらない嘘だ。


 少女はそう胸中で呟いた。目の前にいる女性。背丈のない少女と視線を合わせるように屈み込み、こちらを一心に見つめている。女性の表情には奇妙な影が落ちており、その顔を確認することができない。そのことから、少女は冷静に現況を分析する。


 これは過去の記憶だ。


 白く掠れた景色。少女と女性の二人きりの空間。顔を隠した女性がまた口を開く。


「お義父(じい)さんとお義母(ばあ)さんの言うことを、ちゃんと聞くのよ。良い子にしていてね」


 合成音のような不気味な声。女性のことを顔だけでなく、声も忘れているようだ。


 この女性の言葉に、幼い少女であった自分は何と答えたのだろうか。頷いたのだろうか。頭を振り駄々をこねたのだろうか。それとも何も答えなかったのだろうか。それもまた何も覚えてはいない。だが現在の自分の答えなら決まっている。


(馬鹿馬鹿しい)


 下らないことだ。女性のこの言葉に少女を想う気持ちなどない。自身の罪悪感を軽くするためだけのパフォーマンスだ。女性が身勝手にも望んでいることは――


 娘を心配する健気な母の姿なのだろう。


(捨てる娘の未来なんてどうでもいいでしょ)


 少女は吐き捨てるように胸中で呟く。このような杓子定規の言葉で、免罪符を得られると思っているのか。このような見え透いた偽りで、騙せるとでも思っているのか。


(あたしはそんな――馬鹿じゃない)


 捨てるならば捨てればいい。後ろ髪を引かれるような面倒な演技など必要ない。どうせこちらの目が届かなくなれば、女性はすぐに少女のことをなど忘れてしまうはずだ。それで構わない。こちらも女性のことなどすぐに忘れた。自分はこの時から――


 一人で生きてきたのだ。


「これを……ずっと身に着けていて」


 女性が右手を開いて、そこに握られていたネックレスを少女に見せる。簡単に千切れてしまいそうな細い鎖に、ガラス細工のペンダントが付けられた、安物の玩具だ。


 女性がネックレスの留め金を外して、少女の首に両腕を回す。カチリと音がして、少女の首にネックスレスが掛けられた。女性がニコリと笑い、少女に言葉を伝える。


「これはお守り。このネックレスがきっとアナタのことを守ってくれるわ」


 少女はひどく冷めた心地となる。


 お守りなどという抽象的な物で、女性は母親としての責任を逃れようとしているのだろう。ドラマでもよく見かける常套手段。このような装飾品に何の力もないことなど、馬鹿でもない限りは誰でも知っている。そして少女は馬鹿ではないのだ。


(本当に……下らない)


 いつまでこのような女性の自己満足に付き合わされるのか。辟易する。さっさといなくなればいい。この馬鹿なやり取りを終わらせたい。馬鹿な人間と関わるのは――


(嫌いなのよ)


 その少女の思いが通じたのか、女性がさっと立ち上がった。毛先のカールした少女の栗色の髪。そこに柔らかく手を乗せて、女性が最後となる言葉を少女に告げる。


「お母さんはアナタを愛しているわ――茜」


 そして女性が――少女に背を向けた。



======================



 ベッドの上で目覚めた芹沢茜は、すぐには起き上がろうとせず、しばしぼんやりと天井を眺めていた。太い梁が通された木造の天井。眠る前に蜘蛛の巣だけは取り除いたが、天井には黒い汚れが染みついており、この建物の老朽化を如実に表していた。


 栗色の瞳を瞼の奥に一度隠して、再び瞼から覗かせる。それを三度ほど繰り返し、意識にこびりついた眠気を払う。茜は大きく深呼吸をすると――


 伸ばしていた右腕をゆっくりと下した。


「……馬鹿馬鹿しい」


 誰にともなく呟いて、ベッドの上で上体を起こす。寝癖のついたくせ毛をポリポリと掻きながら、茜は視線を巡らせた。ベッドの他には、壁に掛けられた鏡以外何もない、伽藍洞とした十畳ほどの部屋。茜は小さく欠伸をすると、硬いマットレスのせいで凝り固まった首を回しながら、ベッド脇に置いてあるスリッパに足先を掛けた。


 ペタペタと引きずるような足取りで、鏡の前まで移動する。白く曇ったその鏡に、覇気のない栗色の瞳をした、くせ毛の少女が映し出された。茜は寝癖を適当に指先で梳かしながら、自身の恰好を意識する。首から一枚布を被ったかのような簡易な衣服。昨日眠る前に、この村の住人から借りた寝間着だ。


 寝癖を整えて、茜はまた小さく欠伸をした。寝起きはいつもこうだ。思考が円滑に回転するまで時間を有する。茜は鏡を見つめながら、手持ち無沙汰に指先を襟に入れて――


 そこからネックレスの鎖を引き出した。


 ガラス細工のペンダントがつけられた、見るからに安物のネックレス。首からぶら下がるその玩具を鏡越しに眺めて、茜は特にどうということもなく率直な感想を呟く。


「……ダサ」


 するとその独り言に――


「そっか? 綺麗じゃねえか」


 思いがけず返事がされた。


 ぎょっと栗色の瞳を見開く。いつのまにかすぐ横に奇妙な物体が立っていた。丸みあるトカゲに似たシルエット。つぶらな瞳に、頭に乗せられた小さな王冠。


 流王商店街のマスコットキャラ――リュウオウくんだ。


 茜は見開いた瞳をゆっくりと半眼にすると、鏡越しにつぶらな瞳を向けてくるリュウオウくんを――その着ぐるみの中身である流王真治を、鋭く睨みつけた。


「何してんのよ?」


 声に怒りを滲ませるも、こちらの意図など気付いた様子もなく、真治が気楽に答える。


「ん? 起こしに来てやったんだろ? 案外寝坊助なんだな茜は」


 カラカラと笑う真治。その何とも不快な声に、茜は殊更ゆっくりと瞼を閉じて――


 真治に右手のひらをかざした。


「――死ね」


 その直後――


 茜の右手から光熱波が撃ち放たれ、部屋の壁もろともに真治を吹き飛ばした。



======================



「痛ってえな……いきなり何すんだよ」


 村の中をとぼとぼと歩きながら、真治は隣にいる栗色髪の同級生――芹沢茜にそう呟いた。ワンピースのような寝間着を着た茜が、彼の愚痴に栗色の瞳を鋭く細める。


「女子の寝室に許可なく入ったんだから、死刑にされても文句は言えないでしょ」


「そうか? 他人の家ならともかく、寝泊まりしている家をうろつくのは自由だろ?」


「……着替えていたらどうするのよ?」


「……なるほど。考えてなかった」


 実家暮らしのため、ノックをしてから部屋に入る習慣などなかった。だが両親の部屋に入るような感覚で、同級生の女子がいる部屋に入っては問題があるようだ。


 ひとつ賢くなった真治は、着ぐるみについた焦げやほつれを、適当にパンパンと手のひらで叩く。突然の光熱波に焼かれて見るも無残な有様だが、さして問題もないだろう。疲労感の滲んだ溜息を吐いて、茜がこちらを半眼で見やる。


「どうせその着ぐるみの汚れも、綺麗さっぱりなくなるんでしょ? 昨日みたいに」


 茜の感情のこもらないその言葉に、真治は「多分な」と曖昧に頷いて見せた。


 異世界転生。正確には死んでいるわけではないため転生ではないが、何にせよ昨日、いつの間にか見知らぬ森にいた真治と茜の二人は、そこが異世界であることを知った。


 漫画などで見る異世界は、それぞれ独自の世界観がある。真治と茜がいるこの異世界は、魔界と呼ばれている世界であり、人間は誰一人として存在しておらず、魔族と呼ばれる種族だけが文明を築いているらしい。


 とりあえず森から脱出しようとする真治と茜の二人。その道中の成り行きで、真治は魔族と何度か喧嘩をすることとなった。魔族は人間の膂力を遥かに上回る。本来ならば、魔族は人間にとって恐ろしい相手なのだろう。だが元の世界で天然チートと呼ばれていた真治には、魔族に手応えこそ感じたものの、脅威を感じるほどの相手ではなかった。


 しかしそれでも多少の手傷は負った。具体的には炎による着ぐるみの焦げだ。裁縫で繕う技術もなければ道具もないため、その焦げを仕方なく放っておいたのだが――


 何とその焦げを含めて、着ぐるみの汚れ全てが数時間ほどで消えてしまったのだ。


 真治は歩く足を止めないまま、着ぐるみについた新しい焦げを指先で触れる。すでに焦げが薄くなりかけていた。真治は着ぐるみの大きな頭部を傾げてぽつりと呟く。


「すげえんだな。今の着ぐるみは。ほっとくだけで汚れとか傷が消えるなんてよ」


「馬鹿なの? 着ぐるみ全般がそうなわけないでしょ」


 嘆息する茜に、真治は着ぐるみのつぶらな瞳をパタパタと瞬かせる。


「んん……じゃあこの着ぐるみが高級品だからか? 随分と金をかけたらしいぜ」


「幾ら材質が良くても、自然に傷が直るなんて聞いたことがないわ。その上、刃物は受け止めるし炎には焼かれないし、普通じゃないわよ」


「普通じゃねえなら、この着ぐるみは何だってんだよ?」


 率直に尋ねる真治に、茜が「さあ?」と匙を投げるように肩をすくめる。


「異世界ってだけで普通じゃないもの。真面目に考えるだけ馬鹿らしいわ。何にしろ光熱波で焼いてもこのていどじゃあ、やっぱり着ぐるみを破壊して脱ぐことは難しいわね」


 茜の言葉に、真治は「まあ……そうか」と落胆して肩を落とす。


 この異世界に来てからというもの、真治は一度もこの着ぐるみを脱いでいない。それは着ぐるみの中身を明かすわけにはいかないというプロ意識――ではなく、どういうわけか背中にあるチャックが開かないためだ。


 そこであまり気は進まないが、着ぐるみを破壊して脱ぐことも考えた。だがこの着ぐるみの強度は異常で、真治の力でも破壊には至らなかった。さらに焦げや傷さえも自然回復してしまうとあっては、この着ぐるみを破壊して脱ぐことは絶望的といえるだろう。


 短い腕をブンブンと振り不満を顕わにする真治に、茜がふと眉根を寄せる。


「どうでもいいけど……昨夜の食事とかどうしたの?」


「このワニみてえな口を開くと穴が開いてるからよ、そこに食器ごと入れて食うんだよ」


 パカリと口を開けて見せる真治。茜が着ぐるみの口の中を覗き込み、片眉を曲げる。


「確かに穴があるわね。着ぐるみの中は暗くて見えないけど」


「あん……そうなのか? おっかしいな、こっちからは良く見えてんだけどな」


「……これも着ぐるみの謎のひとつなのかしら? 因みに……トイレはどうしたの?」


「いやだから……ここに穴があるからよ」


「もういいわ。大体わかったから」


 眉間に皺を寄せる茜。便器に顔を突っ込んでいるリュウオウくんの姿を思い浮かべたのだろう。真治としても不本意な姿だが、こればかりは仕方ない。


 気分悪そうに溜息を吐いた後、茜が栗色の瞳を動かして村をくるりと見回した。


「もうすぐ彼らの家ね。彼らの話で、今ある疑問点のひとつでも解決すればいいけど」


「まあ何とかなるんじゃねえの? 少なくとも悪いようにはならねえだろ」


「……楽観的な馬鹿ね」


 呆れたように溜息を吐き、茜が栗色の瞳で村の中にいる村人を――


 ()()()姿()()()()()()()()()()を見据えた。


「ここは魔族の村なのよ。親切に見せかけて、ぱくりと食べられないとも限らないわ」

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