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第一章 魔界と魔族2

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 地面に屈み込んだ茜が、仰向けに失神するトカゲ怪物の頬をつねる。グニィと無遠慮に怪物の頬を引っ張りながら、彼女がやや顔をしかめる。


「やっぱり着ぐるみとか、特殊メイクとかじゃない。本物みたいね」


「そりゃそうだろ。こんな森の中で着ぐるみ着てうろつく奴なんていやしねえって」


「アンタがそうでしょ。馬鹿なの?」


 じとりと半眼になる茜に、「そりゃそうか」とポンと手を打つ。深々と溜息を吐く茜。怪物の頬から手を離して、彼女が「異世界ね」と思案するように唇に指を当てた。


「仮にここがそうだったとして、どうしてあたし達の言葉が通じているのかしら?」


「ああ、そういうことは考えなくていいぜ」


「何でよ?」


「そういうもんだからだよ」


 胸を張ってそう答える真治に、茜がひどく不満げに顔をしかめる。だが特に反論することもなく、茜が「まあ、考えても仕方ないわね」と頭を振った。


「一旦ここが異世界だと仮定する。それで、どうすれば元の世界に戻れるの?」


「あん? 茜は元の世界に帰りたいのか?」


 何の気なしにそう尋ねると、茜がピクリと眉を大きく跳ねさせた。


「……名前で呼ばないでくれる?」


「何でだよ? 別にいいじゃねえか」


「馴れ馴れしいって言ってるのよ」


「細かいこと気にすんな。俺のことも真治って呼び捨てにして構わねえからよ」


 そう気楽に告げてやる。その態度が気に入らないのか、鋭く睨みつけてくる茜。だがしばらくして、何かを諦めるように嘆息した彼女が、こちらから僅かに視線を逸らす。


「……こんな怪物がいるような世界に留まりたいわけないでしょ」


「いいじゃねえか。こんな怪物を相手に喧嘩できる機会なんてそうそうねえぜ? 茜のことは俺が守ってやるからよ、安心しろって」


「大きなお世話。それにアンタにも家族はいるんでしょ? 心配かけることになるわよ」


「ああ……まあそれはそうか。親父はともかく、お袋を泣かせんのは気が重いかもな」


 ポリポリと頭を掻く真治。茜が「それで話を戻すけど」と淡々とした口調で続ける。


「どうやったらこの世界から出られるの? お得意の漫画の知識とやらを教えなさいよ」


「別に得意ってわけじゃねえけど……ああっと、どうだったかな? ただまあ大抵は元の世界には戻らず、異世界で楽しく過ごすっていうパターンが多いのかもな」


「……それって物語として完結してるの? しかもこんな怪物のいる世界で楽しく?」


「刺激があっていいじゃねえか。命懸けの喧嘩なんざ興奮するだろ?」


「……とりあえず、アンタとその物語の登場人物が馬鹿だってことはハッキリしたわね」


 そう吐き捨てて立ち上がる茜。お尻についた土をパタパタと叩きながら、彼女が「初めから漫画なんて参考にならないと思っていたけど」と肩をすくめる。


「あたしは馬鹿じゃないから、元の世界に帰るつもりよ。別に怪物がいるとかはどうでもいいけど、こんな携帯もパソコンもない世界なんて不便だからね」


「んん……まあそりゃいいけどよ。どうやって元の世界に戻るつもりなんだよ」


「言ったでしょ。情報が不足しているのに結論を急ぐのは馬鹿だって。今は最終目標だけを定めて、優先事項の高い問題を解消していくだけ。差し当たっては、森の脱出ね」


 失神しているトカゲの怪物をちらりと一瞥して、茜が栗色の瞳をすっと細める。


「この怪物が目を覚ましたら、この世界の街にでも案内してもらいましょ」


「ええ? ぶん殴っちまったのに、素直に案内してくれっかな?」


「素直になれるよう、アンタがまたぶん殴ればいいんじゃない? あとついでに、この世界で流通しているお金を持っているなら、それも貰っちゃえばいいわ」


 さらりとカツアゲ宣言をして、茜がくるりと周囲に視線を巡らせる。


「とりあえず暴れないよう、今のうちに拘束しておきたいわね。縛るものないかしら」


「着ぐるみ着る時に荷物を置いてっちまったからな。ああでもベルトならあるぞ」


「ベルトか……それでいいわ。というか、アンタいつまでそんな恰好しているの?」


 片眉を曲げてそう尋ねてくる茜。彼女のまっとうな疑問に、真治は「いや……それなんだがよ」と体を捻りながら、着ぐるみの短い手を背中に回そうとする。


「さっきから何度か試してんだが……どうも背中にあるチャックが開かなくてよ」


「は? いつもはどうやって脱いでるのよ?」


「着ぐるみの内側から簡単に開けられるんだよ。だがどうも金具が壊れたのか無理みたいでな……んで、外側からなら開くかなっと思ったんだが、こう……腕が届かなくてよ」


「……はあ。背中向いて」


 呆れたように肩を落とす茜に、真治は言われるがままくるりと背中を向けた。茜によりチャックがぐいっと引っ張られる。だがやはりチャックが開く気配はなかった。


「……開かない。何かしら。特に金具が壊れているようにも見えないけど。いっそのこと、この着ぐるみを破ったらどうなの? 馬鹿なアンタの馬鹿力ならできるでしょ?」


「だけどこの着ぐるみ、結構金が掛かってるって親父が言ってたし、ぶっ壊すのはなあ」


「そう言えばこの着ぐるみ、怪物の剣を受け止めたのに破れてもない。結構丈夫に作られているのね。馬鹿なアンタの馬鹿みたいに頑丈な腕はともかくとして。馬鹿だから」


「なあ、そろそろ俺泣いてもいいか?」


 三頭身の巨大な頭で項垂れつつ、とぼとぼと体を回転させて茜に振り返る。こちらの落ち込む様子などまるで意に介さず、茜が「まあどうでもいいわ」と息を吐く。


「とりあえず森を出るまではお互い協力しましょ。馬鹿と一緒なんて吐き気するけど」


「だから泣くぞ。まあ協力するってのは賛成だし、トカゲ野郎に道案内させるのも異論ねえけどよ、待つだけってのは退屈だな。なあ、この辺りぐるりと回ってみようぜ?」


「森の中を下手に動かない方がいいわよ」


「んん……でもな。こんな怪物ともう一回ぐらい喧嘩しておきてえんだけどな」


 そう話しながら、シュッシュッと拳を左右交互に突き出す真治。着ぐるみのつぶらな瞳をキラキラと輝かせる彼に、茜が「馬鹿らしい」と栗色の瞳をさっと逸らした。


 するとここで――


「きゃあああああああああああ!」


 森の中に女性の悲鳴が響き渡る。


 声のした方角に素早く振り返る。声の響きから、悲鳴を上げた女性がすぐ近くにいることは知れた。着ぐるみの瞳をキリリと引き締めて、真治は声に緊張を含ませる。


「今のは……女の悲鳴だよな。誰かがこのトカゲの怪物に襲われてんじゃねえのか?」


「……そうなのかもね」


 溜息まじりにそう応えて、茜が気のない様子で頭を振る。


「何があったのか知らないけど、放っておきましょ。あたし達には関係ないわ」


「けどよ……その女を助ければ、森を出る方法を教えてくれるかも知れねえぞ」


「そんなの、このトカゲから聞き出せばいい」


 茜が苛立たしげに瞳を尖らせる。


「この面倒な時に、他人の危険にまで首を突っ込むなんて馬鹿よ。下手に森を動けば迷うリスクもあるしね。それに怪物に襲われてるなら、どうせもう手遅れよ」


「そんなの行って見なきゃ分からねえだろ。このまま放っておくなんて――」


 ここでこちらの会話を遮るように、また女性の悲鳴が響いてきた。「ちっ」と軽く舌を鳴らし、声のした方角へと駆け出す。「ちょっと! 勝手な行動しないで!」という茜の声を背中に受けつつ、真治は樹々の隙間を縫うように走り抜けていく。


 走り始めておおよそ三十秒。突如として密集していた樹々が開ける。一瞬森から抜け出したのかと思うも、そこは森の中にぽっかりと空いた、広場であるようだった。


 まるで柵のように広場を取り囲む樹々に、絨毯のように地面に広がる青い雑草。視界の奥には、目測で十メートル以上はあるだろう岸壁がそそり立ち、その頂上から流れ落ちた水が広場に湖を作っていた。そしてその澄んだ水を湛えている湖のほとりに――


 裸の女性が立っている。


「ぬおおお!?」


 思いがけない女性の姿に、真治は思わず駆けていた足を止めた。十代後半と思しき若い女性だ。腰まで伸びたゆるくカーブした碧い髪に、長い睫毛に縁取られた金色の瞳。一枚の布で体の正面を隠しているが、その突き出した大きな胸は大半が露出していた。


 女性の全身が濡れている。恐らく水浴びをしていたのだろう。このような場所で女性が無防備に水浴びするなど、さすが異世界というところか。だがそんなこと今はどうでもいい。いま考えるべきことは、女性が涙を浮かべた瞳で見据えている――


 頭上を飛翔している怪物の対処だ。


(あれも――異世界の怪物か?)


 頭上を旋回している怪物を見据えて、真治は深呼吸して動揺を鎮めた。


 頭上を飛んでいる怪物は、一見して巨大な鳥のようであった。両翼を広げた大きさはおおそよ二メートル。羽毛で覆われた全身に、鋭いかぎ爪が伸びた二本の脚。ここまでは鳥として奇妙な点もない。この怪物を怪物たらしめる特徴。それはその頭部にある。


 この怪物の頭部は鳥のそれではなく、人間の形状をしていたのだ。


「――何だ貴様は? ここに何の用だ」


 ギロリと睨みつけてくる怪物。この怪物の言葉に、水浴びをしていた女性も真治の存在に気付いたのか、その金色の瞳をこちらに向けてきた。ほぼ裸の女性に見つめられてまた動揺がぶり返るも、真治は何とか平静を保ち、怪物に向けて大きく声を上げた。


「んな上空からのぞき何て男らしくねえぞ! やるなら正々堂々真正面から見やがれ!」


「貴様……何の話をしている?」


 本当に何を話しているのか。やはりまだ動揺しているらしい。「うっせえ鳥野郎!」と理不尽に怒鳴りながら地団太を踏む真治に、怪物がギラリと眼光を瞬かせる。


「……ふん。どうやらダニエルとは無関係の者のようだな。何にせよこの私――パトリック・ハーピーに大層な口を利くとは、どうやら貴様、命が惜しくないらしいな」


「上等だコラ。怪物は話が早くて助かるぜ。掛かってこいや鳥野郎が!」


 着ぐるみの短い腕で手招きをする真治に、怪物の表情が醜く歪んでいく。


「……貴様リザードマンか? それにしてはどこかキュートで愛らしいが……何にせよ、地を這うだけの無能がこのハーピー族に逆らうその愚行――後悔してもらうぞ!」


 怪物が上空でクルリと回転し、勢いよくこちらに向けて加速した。怪物の胴体から生えた人間の頭部。その口が頬まで裂けて鋭い牙を覗かせる。瞬く間に距離が縮まり、怪物がその肉厚のかぎ爪を閃かせる――


 その前に、真治の拳が怪物の顔面を捉えた。


「ぶごげえええええええええええええ!」


 顔面の穴という穴から血を噴出させ、怪物があっけなく殴り飛ばされる。まるで冗談のようにポーンと上空へと放り出され、そのままキラリと星になる怪物。そのあまりの手応えのなさに、真治はしばし呆気に取られた後、がっくりと肩を落とした。


「……んだよ。見かけ倒しか。さっきのトカゲ野郎のほうがよっぽど――」


 ここで突然、真治に碧い髪の女性が抱きついてきた。着ぐるみ越しとはいえ、ほぼ裸の女性に抱きつかれ、「うぉお!?」と狼狽する真治。あくせくする彼に、頬を紅潮させた女性が、涙を浮かべた碧い瞳をキラキラと輝かせる。


「助けてくださりありがとうございます。もう私……本当に怖くて怖くて」


「いや……まああれだ。気にするな。とりあえずあれだ……一旦落ち着けよ……な?」


 女性から視線を逸らしつつ、真治はやんわりと女性を引き剥がそうとした。だがこちらを抱きしめる女性の腕が意外にも強い。どうやら先程の怪物に相当恐怖していたようで、肩をカタカタと揺らした女性は、こちらから頑なに離れようとしなかった。


 着ぐるみを着ているとはいえ、女性の大きな胸が押し当てられているこの状況に、真治もさすがに顔を赤くする。だからとはいえ、怯えている女性を力づくに引き剥がすのも憚られる。どうしたものかと悩んでいると――


「……何してんの?」


 抑揚のない声が掛けられる。


 真治は「うぉお!?」と必要以上にビクついて横に振り返った。声の主は予想通りの茜である。走ってきたのか小さく息を切らせている茜に、真治は慌てて釈明を口にした。


「いや違うぞ! この女は初めから裸で、決して俺が何かしたわけじゃ――」


「……は? 何があったかなんて、どうでもいいんだけど。それよりも――」


 茜がすっと女性を指差す。真治はきょとんと瞳を瞬かせると、頑なに逸らしていた視線を、恐る恐る女性に移した。碧い髪をした綺麗な女性。水に濡れたその肌は透き通るように白く、傷ひとつない滑らかなものであった。だがその彼女の背中には――


 緑色の鱗がびっしりと並んでいる。


「――これは……?」


 声を詰まらせる真治。その彼を不思議に感じたのか、碧い瞳を瞬かせた女性が――


 まるで首を傾げるように、トカゲに似た太い尻尾を傾げて見せた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「我らリザードマンと似た姿をしているが、どことなくキュートで愛らしい――」 「……貴様リザードマンか? それにしてはどこかキュートで愛らしいが……」 どんだけ着ぐるみキュートなんだよ!…
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