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エピローグ

 ケルベロス都市。その中心に位置している旧闘技場。そこで行われた決闘。ランキング8位マリーズ・ケルベロスと、ランキング36位シンジ・リュウオウの闘いは、決闘のお膳立てをした芹沢茜が見守る中、辛くも流王真治の勝利に終わった。


 決闘を終えた直後、ケルベロス族の実質的な二番手、ディオン・ケルベロスがマリーズに対して謀反を起こす。決闘により体力と魔力を使い果たしていたマリーズ。その彼女の窮地を救ったのは、彼女と死闘を繰り広げた真治であった。真治に蹴散らされたディオンとその部下は、旧闘技場にいた数名のケルベロス軍により拘束されることとなる。


 旧闘技場での一連の騒動。それらを終結させた茜と真治は、闘技場内に隠れていたアリエル・リザードマンとジョゼフ・コボルトとともに宿へと戻り――


 ベッドで泥のように眠りについた。


 そして――


 翌日を迎える。



======================



 ケルベロス都市の商店街。その通りにある階段に、芹沢茜は腰を下ろしていた。


 茜の視界を横切る通行人。彼らは皆、人ならざる姿形をした魔族だ。だがすでにこの奇妙な光景にも違和感を覚えることはない。それどころか、彼らの個性豊かなその姿は、ただぼんやりと眺めているだけでも、それなりに面白いとさえ感じられた。


(そういえば……漫画とかの登場人物も異世界で楽しく過ごしているとか言ってたっけ)


 当初はその話を馬鹿にしていた。だが今は、存外そんなものなのかも知れないと、思うようになった。人間は想像するよりも遥かに図太い。どのような世界だろうと、慣れてしまえばそこに楽しみを見つけることができるのだろう。もっとも――


(元の世界に戻ることを諦める気はないけど)


 そう胸中で呟いて欠伸をひとつする。栗色の瞳に浮かんでくる涙。それを指先で拭いつつ、茜はすぐ横に視線を移動させた。階段に腰掛けた自身の、その隣に置かれた紙袋。その紙袋を何の気なしに眺めつつ、またひとつ欠伸をする。するとここで――


「眠いのか、茜?」


 そんな怪訝そうな声が掛けられた。


 涙の滲んだ瞳をパチパチと瞬かせて、茜は声のした方角に振り返る。階段に腰掛けたこちらのすぐ横に珍妙な物体が立っていた。丸みを帯びたシルエット。大きな頭に大きな瞳。頭にちょこんと乗せられた小さな王冠に、トカゲに似た三頭身のキャラクター。


 流王電気店のマスコット、リュウオウくん――その着ぐるみを着た流王真治だ。


 つぶらな瞳でこちらを見つめている真治を、茜は半眼にした栗色の瞳で見返した。


「当たり前でしょ。昨日は夜遅くまで起きてたんだから、眠くてしょうがないわ」


「でもよ茜、昼前までお前グースカ眠ってたじゃねえか?」


 そう指摘してくる真治に、茜は毛先のカールした栗色の髪を弄りつつ淡々と答える。


「あたしは一日十六時間の睡眠が必要なの」


「猫かよ」


「シャー」


「せめてニャーって言えよ」


 下らないやり取りを終えて、茜は何とも平然としている真治に眉をひそめる。


「というか、あれだけズタボロにされたくせに、朝から元気に動き回ってる真治が異常なのよ。今更ではあるけど、一日であの怪我が治るって、どういう体してんの?」


「んん……前から怪我は治りやすかったけどよ、確かにいつもより治りが早いかもな」


 話しながら首を捻る真治。茜は唇に指先を当てると、思案しながら口を開く。


「確証はないけど、あたしのお母さん――悪魔セーレの魔法の影響かも知れないわね」


 真治がきょとんと目を瞬かせる。話を理解できていないのだろう。茜は溜息を吐くと、首から掛けているネックレスの、その先に吊るされたペンダントを手のひらに乗せた。一見して安物に見えるガラス細工のそれは――


 母の魔法(おもい)が込められたお守りだ。


「このペンダントに込められた魔法は、あたしを守るためのものだから。もしかしたらこの魔法によって異世界に移動する際に、真治の体にも何かしらの魔法が施されたのかも知れない。あたしを守るための存在としてね」


「えっと……あの落下してきた室外機から茜をかばった時にか? もしかして着ぐるみのチャックが開かないのも、傷が消えたりするのもその魔法の影響ってことか?」


「かもね。というかそう考えるしか、この奇妙な着ぐるみを説明できないだけだけど。何にしろ、真治があたしを守るための存在なら、これから気張ってあたしを守りなさい」


「守るのは構わねえけど、そう当然のように言われんのは釈然としねえな」


「背中痒いから掻いて」


「そういうのは守るのと違うだろ。というかよ、俺たちがこの異世界に移動したのは、そのペンダントの魔法が原因だったのか?」


 さらりと尋ねてくる真治に、茜は呆れながらも肩をすくめる。


「ジョゼフがオレアンダー森林で悪魔セーレの魔法が発動したって言ってたでしょ? タイミング的に、その魔法があたし達を異世界に移動させたものだって分からない?」


「ああ……なるほどな。いやあ、そんなことまったく思いついてなかったぜ」


「……やっぱり馬鹿ね」


「でもよ、どうしてその魔法が、俺たちを異世界に移動させたんだよ?」


 真治の何気ない疑問。その問いについて推測はできている。だがそれを答えるのは躊躇われた。その答えに確証がないから。それもひとつの理由だ。だが何よりも――


 それを認めることが気恥ずかしかったのだ。


(……まあ、この馬鹿にならいいか)


 不思議とそう思い、茜はガラス細工のペンダントを見つめつつ、真治の問いに答えた。


「あたしのお母さんは多分、自分の故郷であるこの魔界に戻っているんだと思う。だからこのペンダントの魔法は、あたしを魔界に連れてきたのよ。あたしが――」


 一呼吸の躊躇い。茜は一度ゆっくりと瞬きをした後に、自身の想いを口にした。


「死んでしまう前に、お母さんにもう一度だけ会いたいと、無意識に願ったから」


 我ながら根拠に乏しい推測だ。普段ならば頭に思いついたところで、絶対に口にはしなかっただろう。根拠薄弱な推測を語るのは馬鹿のすること。この魔界に訪れてすぐに自分自身が口にした言葉だ。その理屈にならえば、今の自分は馬鹿そのものなのだろう。


 だがそれでも――敢えてその言葉を口に出して誰かに伝えたかった。


 すると――


「会いたいならよ、この異世界で茜の母ちゃんを探してみようぜ」


 真治が特にどうとでもないように、そう気楽に話してきた。


 ぽかんと目を丸くする茜。だがすぐに丸くした瞳を半眼にして、彼女は眉をひそめた。


「あのね、人の話を聞いてた? これはあたしのただの推測、いいえ、妄想と言っていい類のものよ。お母さんがこの魔界にいるか何て本当は分からないし、そもそもその推測が正しいとしても、お母さんが今どこにいるかも分からないのよ」


「まあそう難しく考えんなよ。どうせ元の世界に戻る方法を探して、いろんな場所を見て回るつもりなんだろ? だったらついでに、茜の母ちゃんも探せばいいじゃねえか。可能性云々はよく分からねえけど、もし会えたら儲けもんだろ?」


 何とも楽観的な発言だ。この魔界がどれほど広いのか分からないが、人ひとり探すことが容易でないことぐらい十分に知れる。まさに雲を掴むような話となるだろう。


 だがしかし――


(元の世界に戻る方法を探すことも……同じぐらい無茶なことなのかもね)


 そう考えるならば、確かに可能性云々を検討しても詮ないのかも知れない。真治が言うように、見つけられたら儲けものだと、その程度の感覚がちょうど良いのだろう。


 たまには馬鹿になるのも悪くない。茜は小さく溜息を吐いて、ふっと記憶を探った。


「芹沢(あかり)。あたしと同じ色の髪と目をしていて、身長はだいたいアリエルと同じくらい」


「ん?」


「あたしのお母さんよ。大まかな特徴でも分からないと探しようがないでしょ。昔だから顔はよく思い出せないけど、あたしと良く似てるって周りから言われたことがあるわ」


「なるほどな。茜をアリエルと同じ身長にした感じかな。あっと……ここらへんは」


「胸について触れたら――殺す」


 自身の胸元に近づけていた手を素早く下して、真治が直立不動の姿勢を取る。表情を強張らせる真治――着ぐるみだが何となく分かる――に、茜はふんと息を吐く。因みに母の胸は自分と同様、慎ましいものであった。


 多少苛立ちつつ、手のひらに乗せていたガラス細工のペンダントを胸元に下ろす。ネックレスの鎖を移動させ、ペンダントの位置を調整する茜に、真治がぽつりと呟く。


「そういや、そのペンダント。もう服の中に隠しておくの止めたんだな」


「……そうね」


「それが良いと思うぜ? せっかく綺麗なペンダントなんだからよ」


「……素材自体はただの安物よ」


 そう言葉を返しながら――


「だけど……あたしも綺麗だと思うわ」


 茜は栗色の瞳を柔らかく細めた。


 ここでふと、茜はこちらに近づいてくる足音に気付く。視線を通りに戻すと、こちらに駆けてくる女性の姿が見えた。腰まで伸びた碧い髪に濁りのない金色の瞳。突き出した大きな胸にお尻から生えた太い尻尾。


 オレアンダー森林を縄張りとするリザードマン族――アリエル・リザードマンだ。


「すみません。お待たせしました」


 目の前に立ち止まり、ニコリと微笑むアリエル。相変わらず表情豊かな女性だ。常に仏頂面をしている自分とは違う。真治がアリエルの背後を覗き込みつつ首を傾げる。


「アリエル一人か? だってさっき……」


「ああ、彼女ですね。もちろん一緒ですよ。ただちょっと恥ずかしいようで、店から出るのを躊躇っているんです。えっと……ほら、ようやく出てきましたよ」


 アリエルが指差す先にある一軒の店。商店街にある何の変哲もない服屋。そこから紙袋を手にした一人の女性が姿を現して、こちらを見るや否やさっと顔を僅かに伏せた。


 明らかに躊躇しながら、店から現れた女性がこちらに歩いて近づいてくる。肩口で切り揃えた黒髪に鮮やかに輝く赤い瞳。女性らしいスタイルの良い体格。頭から生えた三角耳に、背後で左右に揺れる獣の尻尾。


 ケルベロス族の長にして最強の戦士――マリーズ・ケルベロスだ。


 だが今の彼女には、その最強たる面影はまるで見られない。自信なく肩をすぼめて歩くその彼女の姿は、歳相応のありきたりな少女であるようだった。否。マリーズがそのように見えたのは、歩き方の他にも理由がある。もっと直接的な原因。それは――


 彼女の着ている服装にあった。


 昨日までの彼女の服装は、黒のロングコートで体を隠した、良くも悪くも女性らしさを感じさせないものであった。その彼女が今――


 アリエルが着ているような、可愛らしいワンピースに身を包んでいたのだ。


 マリーズの女性らしいその姿を――因みに真治と同様に、すでに決闘での怪我は完治しているらしい――、真治がぽかんとして見つめている。彼女の身慣れない姿に見とれているのか。そう茜が考えていると、マリーズが目の前に立ち止まった。


 恥ずかしそうに頬を赤く染めたマリーズが、僅かに両腕を開いて口を開く。


「ど……どうだろうか? やはり私には……こういうのは似合わないと思うが……」


「そんなことありませんよマリーズさん。とても可愛いと思います。ね、シンジさん」


 屈託なく称賛するアリエルに、真治が「お……おお」と頷いて、笑みを浮かべる。


「俺は女の服とかよく分かんねえけど、可愛いと思うぜ。喧嘩とかしづらそうだけどな」


「そ、そうか? それは良かった」


 真治の余計な一言にも構わず、ぱあっと表情を華やがせるマリーズ。自分の恰好を嬉しそうに一度見下ろして、隣にいるアリエルに柔らかい微笑みを向ける。


「コーディネートしてくれて助かったよ、アリエル。私はこういったものをこれまで遠ざけてきたので自信がなかったんだ。突然このようなことを頼み、迷惑ではなかったか?」


「いいえ。マリーズさんはどの服もすごくお似合いになるので、私も服を選んでいてとても楽しかったです。マリーズさんさえ良ければ、また一緒にお買い物に行きませんか?」


「もちろんだ。こちらこそよろしく頼む」


 そう微笑み合う二人。ここで真治が周りを見渡して「ん?」と首を傾げる。


「そういや、ジョゼフは一緒じゃねえのか。あいつはどこ行った?」


「あ……ああ……ジョゼフさんは」


 表情を曇らせるアリエル。マリーズが微笑みを打ち消し、冷たい眼光を覗かせた。


「ジョゼフ……あの私のスカートの中に突然潜り込んできた、礼儀知らずのコボルト族の者か。あいつなら私自らの手で、店の床に埋め込んでおいてやったぞ」


 先程から少年の姿を見掛けないと思えば、ケルベロス最強の女性にまでセクハラを遂行していたらしい。何とも命知らずだが、自身のスタンスを崩さないその姿勢はある意味で立派でもある。「まあそんなことは良い」とマリーズが頭を振り、また頬を朱に染める。


「それでだ……その、シンジ。君が良ければ二人でこのまま街の散歩に行かないか?」


「散歩?」


 きょとんとつぶらな瞳を瞬かせる真治と、ぴくりと眉を動かすアリエル。マリーズが顔を赤くしたままこくりと頷き、熱のある赤い瞳を真治に向ける。


「訓練場での一件で、私はケルベロス族の長としての威厳を失ってしまった。もう体裁を取り繕うこともないゆえ、私はこれから素直な自分の姿を、街の人々にも見せて行こうと思う。だがやはりこの格好は気恥ずかしくてな。その……君がいると心強いんだが」


「まあよく分かんねえけど、散歩ぐらい付き合うぜ。別に暇だからよ」


「そ、そうか。なら早速――」


「あ、それじゃあ私もお付き合いします。二人より三人のほうが心強いと思いますから」


 興奮気味のマリーズの声を遮り、アリエルが笑顔のまま言葉を挟み込んだ。ぎょっと赤い瞳を見開くマリーズ。明らかに不満げな気配を見せる彼女だが、アリエルに借りがあるためか、躊躇いながらも「確かに……」と引きつった笑みを見せた。


「三人のほうが心強い。アリエル、君も頼めるか。まあ無理はしなくていいが」


「もちろん大丈夫ですよ。さあ行きましょうシンジさん」


 パタパタと真治に近づいて、真治の右腕にきゅっと抱きつくアリエル。彼女のこの行動に、マリーズもまた慌てたように真治に近づき、真治の左腕にきゅっと抱きついた。そして金色の瞳と赤色の瞳を互いに交差させた後、二人同時に意味深な微笑みを浮かべる。


「お、おい! これじゃあ歩きにくい……てか、胸が……二人の胸が当たってるから!」


 狼狽する真治。だがそれをきっぱり無視して、マリーズが真治の腕をぐいっと引く。


「さあシンジ! まずどこにいく!? 私の屋敷にでも行くか!? この街で一番広い屋敷だ! 君もきっと甚く気に入って、ずっと居座りたくなること間違いなしだぞ!」


「それじゃあ散歩になりませんよね! せっかくだから遠出しませんか!? このままオレアンダー森林まで散歩をして、村で唯一の教会とかに行きません!?」


「それこそ散歩じゃないぞ! それに教会なら私の街にも立派なものが――」


「だから二人して引っ張るな! あと胸を押しつけるな! だ……おい茜!」


 二人に引きずられながら、真治が茜に振り返る。この一連のやり取りを、ひどく冷めた心地で眺めていた茜。絶対零度の瞳をした彼女に、真治が口早に尋ねてくる。


「お前も散歩行くだろ!? ならそんなところに座ってないで、早くこっち来いよ!」


 恐らく真治は、この奇妙な状況を――そう考えているのは真治だけだが――茜に解決してほしいのだろう。それを理解しつつも、茜は栗色の瞳を半眼にして淡々と答えた。


「……行かない」


「あ!? え……な、何で!?」


 疑問符を浮かべる真治。茜は紙袋を手に掴むと、階段からすっと腰を上げた。


「あたしは自分の服を買いにきただけだし、もう用も済んだから宿に帰るわ。三人で散歩でも何でも、行ってくればいいんじゃない?」


「いや……これ散歩って雰囲気でもないんだが……おい、どうなってんだ!?」


 魔族の中でも突出して美人だろうアリエルとマリーズ。その二人の美女に挟まれている真治を、通行人の魔族たちが羨ましそうに眺めている。茜はその光景をしばし眺めた後、小さく息を吐いてくるりと踵を返した。そして――


 ギロリと背後の真治を一瞥する。


「ぎゃあああああああああああ!」


 突如火柱に包み込まれる真治。こんがり焼かれて倒れた彼に、二人の美女が狼狽する。


「きゃあああああ! ど、どうしたんですかシンジさん!」


「しっかりしろシンジ! これは何だ!? 敵襲か!?」


 そんな美女の声を背後に聞きつつ、茜はテクテクと一人歩き出す。しばらく無言で歩いた後、茜は押しつけるものがない自身の小さな胸をパンパンと叩き――


 苛立たしく舌を鳴らした。


「やっぱり馬鹿は嫌いよ」

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