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第四章 奔走する馬鹿2

======================



「――い! 起きろ!」


 何者かがユサユサとこちらの体を揺する。茜はやや眉をひそめると、パチンとこちらの体を揺する手を払い、またまどろみの中に心を浸した。覚醒しかけた意識が溶けるように形を崩し、心地よく全身へと広がっていく。


「だから、起きろ! いつまで寝てんだ!」


 先程よりも強く体を揺すられる。溶けた意識がまた形を取り戻し、チカチカと思考が明滅する。何とも不愉快だ。茜は胸中で溜息を吐くと、栗色の瞳をゆっくりと見開いた。


「ようやく起きやがったか。ったく、よくもまあこの状況で熟睡できるもんだ」


 呆れたようにそう呟いたのは、犬顔の男であった。眠気眼に映るその男の顔に、疑問符を浮かべる茜。寝起きで思考が上手く回転しない。首を捻ることしばらく、茜はようやくその男がケルベロス族であることを理解した。


 眠りにつく前の記憶を探る。アリエルと雑談を交わした後、ベッドに横になり眠りについた。そのはずだ。だが頬に触れている固い感触は、ベッドのものではない。栗色の瞳を動かして確認する。どうやら自分は今、土が剥き出しの地面に寝転んでいるようだ。


 ここまで思案して、茜はようやく上体を起こした。栗色の癖毛をポリポリと掻きながら欠伸をする。まだ眠り足りない。茜は座り込んだまま、ぐるりと周囲を見回した。


 そこは見慣れない場所であった。土が剥き出しの地面が広がる平地。視界の奥には、こちらをぐるりと囲い込む、頭上高く起立した石造りの壁が見える。一体ここはどこなのだろうか。少し思案して、すぐに茜は思い至る。


 闘技場。ケルベロス軍が訓練場として利用しているという、ケルベロス都市の中心にある巨大な円形の建造物。その中を覗いたことはないが、恐らくここがそうなのだろう。夜空に浮かんだ満月。その月明かりを頼りに周囲を観察していると――


「気分はどうかな?」


 そんな居丈高の声が聞こえてきた。


 周囲の観察を中断して、正面に栗色の瞳を向ける。正面には、黒いつなぎを着込んだケルベロスが十数人と立っていた。ずらりと横に並んで、赤い瞳でこちらを鋭く見据えている犬顔の魔族。その中にただ一人だけ、人間の顔をしたケルベロスがいる。


 隔世遺伝体。高い魔力を有する魔族。他のケルベロスよりも一歩前に出ていることから、この隔世遺伝体のケルベロスが、彼らの中心的な存在なのだろう。そう当たりをつけて、茜は人顔のケルベロス――細目の男に気だるく呟いた。


「最悪。こんな土が剥き出しの地面で気持ちよく眠れるわけがないでしょ」


「熟睡しているように見受けられたが?」


「宿に戻してくれる? まだ眠り足りないの」


 状況から判断して、自分を闘技場まで運んできたのは、ここにいるケルベロス達なのだろう。それを踏まえて、茜はそう細目の男に呟いた。人顔のケルベロスが「申し訳ないが、それはできない」と頭を振り、その細い瞳をすっと尖らせる。


「君は人質ゆえに返すわけにはいかない。手足を拘束しないのはせめてもの配慮だ」


「優しいのね。ならついでに眠気覚ましにコーヒーでも持ってきてくれる?」


「余裕があるのは結構だが、自分の立場を弁えたほうが良い。あの珍妙な魔族がここに来なければ、君を無事に帰すわけにはいかないのだからな」


 珍妙な魔族。恐らく流王真治のことだろう。彼ら魔族は、真治のあの滑稽な姿が、着ぐるみであることを知らないのだ。細目の男がニヤリと牙を剥き、言葉を続ける。


「あの珍妙な魔族と私との決闘を、君にはサポートしてもらいたいのだよ」


「……あいつを脅して決闘を強制する?」


「そういうことだ。あのような珍妙な魔族に、ランキング36位など相応しくない。ゆえにこの私が、ディオン・ケルベロスがそれを貰い受けてやろうということだ」


「それは結構なことね。でも自分が負けるとは考えないの?」


 細目の男――ディオン・ケルベロスが「馬鹿なことを」と呆れるように肩をすくめる。


「あれに敗北するはずがないだろ。私ほどの実力者となれば、見ただけで相手の程度が知れるというものだ。あいつは身の程知らずの雑魚だ。私に負ける要素などない。それに心配など要らんよ。私が勝利しようと、決闘さえ実現すれば君は無傷で帰してやる」


 そう自信たっぷりに断言すると、ディオンがその口調を僅かに緩める。


「すでに奴には連絡をしている。その旨を記した手紙を部下に持たせて(・・・・・・・・・・)、奴のもとに送り込んだからな。今頃は顔を青くして、この訓練場まで向かっているだろう。君は奴が来るまでの間、ここで大人しく待っていてもらう」


 肩を揺らして笑うディオン。茜は溜息を吐くと、栗色の瞳をゆっくりと閉じた。


 下らない。心からそう思う。どうして自分がこのような面倒に巻き込まれなければならないのか。やはり魔族のトーナメントなど無視すべきだったのかも知れない。


(ほんとに……馬鹿ばっかり)


 このような茶番に付き合う義理などない。すぐに宿に帰るべきだろう。ケルベロスの見張りがいようと関係がない。自分には魔法がある。彼らを退けることなど容易だ。


(そう……別に難しいことじゃない)


 真治が駆けつけるのを待つのは時間の無駄だ。そもそも真治がここに来る保障すらない。待ち伏せされていると分かっているなら、そこに罠があると考えるのが普通だ。それを無策のままノコノコとやって来る人間も、それを期待して待つ人間も――


 ただの馬鹿だと言える。


(あたしは馬鹿じゃない。だから――待つなんてことはしない)


 娘を捨てた母親。その帰りを待つことなど馬鹿げている。それと同様に、他人の助けを待つこともまた馬鹿げている。馬鹿ではない自分は、母の帰りなど待たない。期待などしていない。それで良かった。昔も今も――自分は一人で生きてきたのだから。


 仮にそれを期待したとして――


 挙句に裏切られたとしたら――


 それこそ――


(大馬鹿ね)


 宿に一人で帰る。それでいい。それが最適な選択だ。宿に帰れば、何食わぬ顔をした真治たちがいるはずだ。心配していただのと上辺の会話をするだろう彼らを適当にいなして、またベッドで眠りにつく。それだけだ。難しいことなどない。簡単なこと――


 ――であるはずだ。しかし――


(……いえ)


 茜は胸中で頭を振る。


 そう決断するのは早計かも知れない。


 自分を拉致したケルベロス。彼らの実力がまだ不明確だ。ランキング8位、マリーズ・ケルベロスほどの実力はないだろうが、曲がりなりにも彼らも魔族だ。いかに魔法を行使しようとも危険がないとも限らない。何よりまだ自分は、魔法を覚えたてで不慣れだといえる。あまり過信しても良くないだろう。


(……もう少し様子を見てもいいかも知れないわね。いま彼らはあたしに注目している。その中で強行突破しなくても、彼らの意識が逸れた時にでも逃げればいい)


 期を見定めるための待機。


 これは決して――


 助けを期待して待っているわけではない。


(あたしは馬鹿じゃない。状況に応じて適切な選択をするだけ)


 小さく息を吐いて気を落ち着ける。まずは焦らずにケルベロス達の隙を窺い、安全を確認したうえで、魔法により逃走する。これが今の自分ができる最適解だ。


 そう決断して、茜はおもむろに口を開く。


「……ランキング8位の……確かマリーズ・ケルベロスだったわね」


 茜の呟きに、懐中時計に視線を落としていたディオンが、ちらりとこちらを見やる。しばらく待機することを決めたのなら、ついでに確認しておきたいこともあったのだ。


「昼はランキング36位のアイツに興味なんかなさそうだったのに、彼女はどういうつもりなのかしら? それともこんな卑怯な手を使わないと何もできない臆病者なの?」


「……ふん。これはマリーズ様のご命令ではない。俺の個人的な意思によるものだ」


 やはりそうか。茜は胸中で一人得心する。ディオンの口振りから何となく推測していたが、この拉致はマリーズの指示ではないらしい。マリーズの部下が真治のランキング欲しさに暴走した。恐らくそんなところだろう。


(こちらを気にも掛けてないのなら、マリーズと決闘するのはやっぱり難しそうね)


 もっとも、それは自分に何の関係もないことだ。トーナメントなど元の世界に帰るための保険に過ぎず、気が向けば助言ぐらいするが、積極的に関わろうとまでは思わない。


(ただこうして巻き込まれるなら、アイツのそばにいること自体、考えものね)


 とりあえず話は済んだと、茜はディオンから目を逸らそうとした。だがここで彼女はふと気付く。こちらを見据えるディオンの赤い瞳。それが先程よりも僅かに――


 鋭さを増していた。


 怪訝に眉をひそめる茜。ディオンが小さく息を吐き、犬歯を覗かせた笑みを浮かべる。


「臆病者か。彼女のことを知らぬとはいえ、命知らずな言葉だな。ランキング8位。マリーズ・ケルベロス。彼女はまさにケルベロス族を体現した最強の戦闘者だぞ」


 マリーズ・ケルベロス。その彼女を崇拝する言葉を、声高に口にするディオン。だがその口振りはどこか奇妙だ。沈黙する茜に、ディオンがさらに口調を強めて続ける。


「ケルベロスは魔族の中でも、闘争本能が一際強いとされている。そしてマリーズ様はまさに戦うために生まれたような存在だ。全てを蹂躙する戦闘能力に、全てを焼き焦がすほどの闘争衝動。一族の中には、女性である彼女は長に相応しくないとする声もあるが、それは誤りだ。彼女に比べれば、軟弱な男どものほうがよほど女々しく見えるだろう」


 尋ねてもいないことをベラベラと話して、ディオンが両腕をバッと左右に広げる。


「闘争を本質とするケルベロス。彼女はその意味を誰よりも理解している。ゆえに彼女は長となったその日に、ケルベロスとして相応しくない物を街から徹底的に排除した。下らぬ飾りつけや役にも立たぬ人形、それら全てを処分して、ケルベロスらしい街を作り上げてきた。ケルベロスの名を貶める物。彼女はそれら全てを嫌悪しているのだよ」


 ケルベロス都市。その街を十年ぶりに訪れたアリエルは、街の雰囲気が以前と違うことに困惑していた。どうやらその原因は、長についたマリーズの改革によるものらしい。闘争を本質とするケルベロスとして、相応しくない物を街から排除した結果、物寂しいだけの街になってしまったのだという。


 マリーズ・ケルベロス。彼女の姿をこの闘技場で一目見た時、肌をピリつかせる凶暴な気配を感じた。まるで誰彼構わずに牙を剥いて、威嚇しているようだ。あれがケルベロスの本質ゆえのものであるなら、確かに彼女はその体現者と言えるだろう。


(……だけど)


 マリーズの行動にどこか違和感を覚える。だがその違和感の正体が判然としない。眉をひそめる茜に、ディオンが「素晴らしいだろ?」と唇の端を曲げる。


「しかしまあ、おかげで街の収入は大きく落ち込むことになったがな。無理もない。それほど強引な改革であったのだ。誰もが混乱したことだろう。むろんケルベロスとして彼女は正しいことをした。だが彼女の長としての資質を疑問視する声があるのも事実だ」


 ようやく本音を覗かせ始めたディオンに、茜は呆れて溜息を吐いた。


 女性であるマリーズがケルベロス族の長に相応しくないとする者がいる。そうディオンは声高に語ったが、恐らく彼自身がその一人なのだろう。表向きはマリーズを支持しているように見せて、こちらにマリーズの不手際を愚痴っているのだ。


(……ほんと下らない)


 同族のケルベロスには、その愚痴をこぼすことさえ危険なのだろう。だから敢えて無関係の茜に、鬱憤を吐き出しているのだ。何と気の小さい男だろうか。そんな小心者の留飲を下げるためだけに、長話を聞かされたのかと思うと、何とも腹立たしい。


 だが男の言い分も理解できる。そのような改革をすれば、反発されることは目に見えている。だというのになぜ、そのような無意味な改革を推し進めたのか。この男が言うように、ケルベロスとしてあるべき姿を求めたからか。それとも他に理由でもあるのか。


 どうしてマリーズはそれほどに、ケルベロスであることを誇示するのか。


 どうしてマリーズはそれほどに、ケルベロスでないものを拒絶するのか。


 ディオンはその感情を嫌悪だと表現した。だがそれとも違う気がする。彼女のその徹底された感情は、恐怖と呼べるものに近い。まるでそれに触れてしまうことで――


 自分が変わってしまうかのように。


(……あたしが)


 そうであるように?


 ここで茜はハッと我に返り、まとまりのない思考を打ち消した。下らない。小心者がこぼした愚痴を真剣に捉える必要などない。マリーズのことなど、どうでもいい。今は逃走する隙を窺わなければならない。そう自身に言い聞かせて――


 茜は胸中でぽつりと声を漏らす。


(どうせ……助けになんか来ないんだから)


 そう考えているはずなのに――


 不思議と鼓動が早まるのを感じた。



======================



「ちくしょう! 茜はどこだ! 返事ぐらいしやがれクソったれがあああ!」


 建物の屋根を伝いながら、街の中を走り回ることすでに三十分。両腕にジョゼフとアリエルを抱えて、しつこく襲い掛かるケルベロス軍をなぎ払いながら、大声を上げて茜の捜索を休まずに続けている。体力には自信のある真治も、さすがに疲労を覚えていた。


 駆ける足を止めないまま、ゼエゼエと息を切らせる。ただでさえ蒸し暑い着ぐるみの中で、噴き出した汗が止まらない。眼球を濡らした汗に舌打ちしながら、真治はまたぐるりと視線を巡らせて、街の中に茜の姿を探した。


「やはり広い街でこのような捜索は無謀だ。作戦を練り直すべきだろう」


「だったら、そこでその作戦とやらを考えてやがれ! 俺は一人で探してっからよ!」


「シンジさん! 少し休まれたほうが……これではシンジさんが倒れてしまいます!」


「いらねえ心配だ、アリエル! この程度でぶっ倒れるほど、やわじゃねえよ!」


 そう言いながらも、真治はぐらりと視界が揺れるのを感じた。ただ動き続けるだけならばまだしも、神経を張り詰めての捜索は、思うより体力の消耗が激しいようだ。


(クソ……まだ街の一割も見て回れてねえんだ! へばってられるかよ!)


 崩れそうな膝に活を入れると、別の建物の屋根に飛び移り、すぐにまた駆け出した。きょろきょろと周囲を忙しなく見回す真治に、ジョゼフが溜息混じりに言う。


「考え足らずな奴だ。よく考えろ。あの小娘はただの小娘ではないのだぞ?」


「――ああ!?」


「貴様も知っての通り、あの小娘はどういうわけか強力な魔法を行使できる。並みの魔族がいかに束になろうと、小娘を害することなどできないだろう」


「――だから!?」


「だから焦る必要などないということだ。案外もう宿に一人で戻っているかもし――」


「んなもん知るかボケ!」


 理屈をこねていたジョゼフを一蹴する。理不尽に怒鳴られたためか、ぽかんと目を丸くするジョゼフ。真治は大きく舌打ちすると、視線を巡らせながら声を荒げる。


「魔法だとか何だとか、んなこと何の関係があるんだ! 俺が茜を心配してっから助けに行くんだろうが! ごちゃごちゃと小難しい理屈こねるんじゃねえ!」


「……どこが難しい? ようは無駄なことはするなと言っているんだ」


「無駄だろうが何だろうが、俺にはこのやり方しかできねえんだよ! 茜がさらわれた! それなら見つけて助ける! 他のやり方なんざ知ったことか!」


 がなり立てる真治に、ジョゼフが呆れたように溜息を吐く。「想像を遥かに凌ぐ愚か者だな」などと呟いている少年は無視して、真治は焦燥に奥歯を噛みしめる。


 この周辺は一通り捜索した。だが茜の姿は影も形もない。そもそも建物の中に隠されているのなら、外から見渡したところで無意味だ。だが取れる手段がこれしかないのなら、そこを気にしても仕方がないと言える。


(くそ! とりあえず街の外周に沿って街をぐるりと一周してみるか!)


 適当に方針を決めると、真治はまた別の建物に飛び移り、駆け出した。きょろきょろと視線を巡らせる真治。その彼の死角となる位置。彼から遠く離れたその場所に――


 闘技場は静かに鎮座している。

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