第三章 ケルベロス嬢4
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マリーズ・ケルベロスに勝利して、ランキング8位を獲得する。その目論見は、そもそも決闘すらさせてもらえないという大きな障害を前にして、暗礁に乗り上げた。
夕闇が訪れつつある時間帯。茜たちは一旦この問題を先送りにして、ケルベロス都市内で宿泊できる施設を探すことにした。リザードマン村とは異なり、流通が盛んなこの街には旅人が泊まれる宿が多くある。茜たちは適当に選んだ宿泊施設で男女別の二部屋を借りて、疲労した体を休めていた。
満月が浮かぶ夜の時間。ランプの明かりに照らされた部屋の中で、茜はリザードマン村から拝借してきた本に目を通していた。当然ながら、異世界の書籍はどれも見たことのない文字で書かれている。だというのに、不思議とその内容が理解できた。
(言葉もそうなのかも知れないわね。異世界の住人が私たちの理解できる言葉を話しているのではなく、私たちが彼らの言葉を理解できる形に翻訳しているだけなのかも)
奇妙なことだ。だがもはや奇妙なこともこれだけ続けば、さして疑問にも感じない。以前に真治も話していたことだが、そういうものだと受け入れるしかないのだろう。
読んでいた本――下らない恋愛小説だった――をベッド脇に置いて、大きく欠伸をする。意識に圧し掛かる眠気。それに導かれるまま、ベッドに寝転がろうとしたところ――
「今日はその……残念でしたねアカネさん」
そんな躊躇いがちな声が掛けられた。
傾けた姿勢を戻して、声の主に栗色の瞳を向ける。窓辺で満月を見上げていたアリエルが、いつの間にかこちらに視線を向けていた。恐らく茜が本を読み終わるタイミングを見計らい、声を掛けてきたのだろう。
「残念って……トーナメントの件?」
こくりと頷くアリエル。茜はまた欠伸をひとつすると、小さく肩をすくめる。
「残念というより呆れたわ。馬鹿だとは思っていたけど、まさかあれほどとはね」
「あの……きっと私の説明の仕方が悪かったんです。それでシンジさんも……」
真治を擁護するアリエル。もじもじと体を揺らす彼女に、茜は何の気なしに――
「あの馬鹿のどこがそんなに好きなの?」
そう確信を突いてみた。
茜の言葉に、「え?」と金色の瞳を丸くして、カァと顔を赤くするアリエル。何とも分かりやすい彼女を眺めることしばらく、恥ずかしそうに俯いたアリエルが口を開く。
「……気付いていたんですか?」
「文句あるなら上手く隠しなさいよ」
「もしや……シンジさんも?」
「あの馬鹿は多分気付いてないわよ。喧嘩のことで頭が一杯でしょうからね」
あからさまにアリエルがホッと安堵する。できれば勘違いであって欲しかったのだが、この反応は確定的といえる。茜は溜息を吐くと、顔を赤くしたアリエルに尋ねる。
「あの馬鹿に助けられたから? だとしたら随分と安っぽい理由ね」
「それも……もちろんあります。だけどその……実は一目惚れしてしまって」
ぽかんと目を丸くする。「きゃっ」と赤くした頬に両手を添えて、恥じらう素振りを見せるアリエル。その彼女に、茜は何かの間違いではないかと慎重に訊き返す。
「……一目惚れ? アレに?」
「丸みを帯びたシルエットに、大きくつぶらな瞳。何て……カッコイイのかと」
呆然とする茜。最悪可愛いはまだ理解できる。可愛げこそマスコットキャラの本分でもあるからだ。しかしカッコイイとなると、その感性は未知の領域と言わざるを得ない。
(これは……彼女が魔族だからかしら? 魔族にはあれがカッコよく見えるの?)
そう首を捻る。もっとも、一目惚れなどという曖昧な感情に明確な理由などないのかも知れない。茜はそう割り切ることにして、「あっそ」とアリエルに溜息を吐いた。
「アカネさんはその……シンジさんとは同じ島の出身なんですよね?」
怪訝に眉をひそめるも、すぐに自分たちがポニーロンブルグシュナイダル島――クソ長い――出身という設定であったことを思い出し、茜は「まあ、そうね」と頷いた。
「トーナメントや悪魔様のことが知られていない島なんてあるんですね。あと魔法も初めてでしたっけ? ああでも、アカネさんの使う魔法って変わってますよね?」
矢継ぎ早に尋ねてくるアリエル。本当に尋ねたいことは別にあり、それを敢えて先送りしているようにも見える。茜は片眉を曲げつつ、手のひらをかざすと――
瞬間的に意識を集中し、手のひらにポンッと風船のような人形を生み出した。
「変わった魔法ってコレのこと?」
茜の生み出した人形を見つめ、アリエルがパチンと手を鳴らし「はい」と頷く。
「悪魔様から伝承された魔法は数多くありますが、このように人形を生み出す魔法は聞いたことがありません。私の持っている魔導書にもないはずですが、どこでこれを?」
「オリジナルの魔法よ。自分で考えたの」
金色の瞳を丸くするアリエル。茜は風船人形をクルクルと回しながら言葉を続ける。
「魔導書を見れば、魔法を構築している術式の意味合いが大筋で分かるわ。それを応用すれば、自分独自の魔法も簡単に作れるのよ」
「簡単にって……悪魔様以外で魔法の術式を解析できた魔族なんていないんですよ?」
アリエルが苦笑気味にそう話す。どうやらそれなりに高度な技術であるらしい。だが茜は特に興味もなく、「ふうん」と気のない返事をするだけだった。
「このお人形さんは見たことないですが……これもオリジナルなんですか?」
「これは……あたし達の島で一時期流行していた物語のキャラクター……モンスターなの。あたしの祖父母がこのヌイグルミをよくプレゼントしてくれてね、ベッド脇にたくさん並んでいたから、その形状を覚えちゃって」
「へえ……丸々として、とっても可愛いですね」
どうやら人間と魔族で、美的感覚が大きくズレているわけでもないらしい。だとすればますます、真治をカッコイイとするアリエルの真意に首を捻るばかりだが。
「珍しいものがある島なんですね。私もいつかアカネさんの故郷にお伺いしたいです」
「……まあ機会があればね」
「そのような場所から、二人きりで旅をしているということは……その――」
金色の瞳を戸惑いに揺らして、アリエルが意を決したように尋ねてくる。
「アカネさんとシンジさんは……こ……恋人だったりするんですか?」
なるほど、そうなるか。アリエルが本当に尋ねたかった疑問を理解して、茜は深々と溜息を吐いた。魔法で生み出した人形をさっと打ち消して、不機嫌に眉根を寄せる。
「仮にそう見えていたとしたら屈辱だわ」
「じゃあ違うんですか?」
期待に声を弾ませるアリエルに、茜は「当たり前でしょ」と軽く舌を鳴らす。
「あの馬鹿とは成り行きで一緒にいるだけ。顔見知りになったのもつい最近よ」
「そうですか……そうなんですね」
平静を装いながらも、アリエルが喜びを隠し切れずに頬を綻ばせる。何とも純情な反応であるが、その想いの向けられる先があの馬鹿とあっては、苦笑を禁じ得ないだろう。
(まあ、他人の色恋なんてどうでもいい)
こちらに面倒さえ掛けなければね。茜はそう胸中で締めくくると、ごろんとベッドに寝転んで栗色の瞳を閉じた。そろそろ眠気も限界だ。すぐに心地よいまどろみが全身に広がり、意識がゆっくりと闇へと溶けていく。眠りにつく一歩手前。だがここで――
「お二人はただのお友達なんですね?」
独りごちるように呟かれたアリエルのその言葉に、茜はつい反応してしまう。
「友達じゃない。あんな……馬鹿な奴――」
即座に反論を返す。だがすでに意識が落ちかけていたため、言葉尻がすぼんで掠れてしまった。こちらの声が良く聞こえなかったのか「え?」と訊き返すアリエル。だがもはやそれに応える気力もない。茜は呼吸を静かに浅くしていき――
(馬鹿は嫌いなのよ)
眠りについた。
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「この仕打ちに対する説明を要求する」
縄で全身をぐるぐる巻きにされて、床に転がされているジョゼフが、何とも凛々しい表情でそう尋ねてきた。真治はひとつ欠伸すると、床に転がる少年を見やり嘆息した。
「その質問、十分前にも聞いてきたよな?」
「その発言は正確性に欠ける。十分前以外にも、二十分、三十分前にもしたぞ」
つまり同じ質問が十分おきにされているということだ。こちらが音を上げるのを待っているのだろう。キリリと視線だけは誠実にするジョゼフに、真治は呆れて肩をすくめる。
「お前が昨日、茜とアリエルに夜這いを掛けようとしたから、こうして茜から俺が監視を命じられたんだろうが。俺だって眠ってえんだよクソ」
「ならば、俺の拘束を解いて貴様は寝るといい。安心しろ。これは貴様にもメリットがあることだ。夜這いが成功した暁には、あの小娘の下着を奪取し、貴様にくれてやる」
「……なんで茜のほうなんだよ?」
別にアリエルの下着が良かったというわけではないが――というか下着自体いらないが――、当然のごとく茜のほうを欲していると思われるのも釈然としない。すでに闇に満たされた街並みを窓越しに一瞥して、真治はまた大きく欠伸をした。
「下らねえこと言ってねえで、さっさと寝ちまいやがれ。じゃねえと俺が眠れねえだろ」
「おい、いいか? よく見てろ? いいな? はい、せえの……ぐう」
「露骨な狸寝入りすんじゃねえよ」
がっくりと肩を落とす。この調子ではまだしばらく眠れそうにない。時計などないため正確な時間など分からないが、このままでは明日の起床時間に影響しそうだ。
「ちくしょう……朝一にもういっぺんマリーズに喧嘩ふっかけようと思ってんのによ」
「……貴様、またあのようなやり方で決闘を申し込むつもりなのか?」
顔をしかめるジョゼフに、「仕方ねえだろ」と真治は着ぐるみの短い腕を組む。
「他にやりようねえし。それに朝なら寝ぼけて受けてくれるかも知れねえじゃねえか」
「浅はかもここまでくると感銘を受けるな。言っておくが俺とてそう暇ではない。いつまでも貴様に付き合ってはやれんぞ」
「つうかもう帰れよ。お前は」
誰も頼んでいないのに、恩着せがましいことを言うジョゼフ。何とも迷惑な少年に呆れていると、ふとここで、真治はマリーズから去り際に言われた言葉を思い出した。
「そういや、マリーズのやつがすぐに街を出て行けって言ってたっけか? 普通に宿とって泊まっちまったから、明日会った時、マリーズのやつ怒っちまうかもな」
「……さらりと重大発言してないか? ケルベロス嬢から脅しを受けていたのか貴様?」
「脅しなのかコレ? 向こうは忠告って言ってたぜ? まあどっちにしろ、喧嘩するまでは街を出るわけにもいかねえし、マリーズには明日謝っておけば――」
ここで突如――
窓ガラスが外側から破られ、部屋の中に黒い影が飛び込んできた。
反射的に窓に振り返る。黒い影は部屋に侵入するや否や、体勢を低くしてこちらへと迫りきた。影の右手には鈍色に輝く刃。瞬きする間もなく突き出しされたその刃が――
真治の腹でパキリとへし折れる。
「……あれ?」
疑問符を浮かべる黒い影。真治は突然の侵入者に戸惑いながらも、黒い影の頭をゴンと軽く叩いてやった。黒い影の頭部が石造りの床に激突し、軽快に跳ねる。
「誰だコイツ?」
床に頭部を叩きつけて失神した黒い影。それを真治は改めて観察する。黒い毛並みをした二足歩行の狼。ケルベロス族だ。服装は黒のつなぎを着ており、腕や脚に巻かれたベルトには武器と思しき道具が多数装備されていた。
「これは……ケルベロス軍か」
ジョゼフが呆然とそう呟いた、その直後、バタンと部屋の扉が勢いよく開かれ、さらにガラスの割れた窓からも、ズカズカと足音が打ち鳴らされた。部屋の扉から二人、窓から二人と、黒のつなぎを着込んだ四人のケルベロスが姿を現す。そしてその四人が、部屋で失神したケルベロスを見つけるや否や――
「ナルシス隊長ぉおおおお!」
と一斉に声を上げた。
きょとんと首を傾げる。ケルベロスの一人がぐっと拳を握り、その瞳に涙を溜めた。
「何ということだ! この程度の敵、俺一人で十分だ。お前たちは奴が逃走した際のサポートに回ってくれ。何、安心しろ。俺も『疾風の狼』と伊達に言われているわけじゃねえのさ。とカッコよく飛び出していったというのに、まさかこうもあっさりと――」
「隊長おおお! 先週お子さんが生まれたと喜んでいたじゃないっすか! まあそれは愛人との間にできた子供でしたが、とにかく子供を残して死なないでください!」
「俺、隊長に貸したお金まだ返してもらってないっす! 利子も雪だるま式に膨らんでえらいことになってますが、俺は取り立ての手を緩める気なかったんすからあああ!」
失神したケルベロスに向けて、涙ながらの声で呼びかけるケルベロスの男たち。よく分からないが、どうやらこの失神したケルベロスは、彼らの上司であるらしい。
「おのれ! 隊長の無念晴らしてくれる!」
新たに侵入してきた四人のケルベロスが、ベルトからナイフを引き抜いて迫りくる。無駄のない洗礼された動きだ。並み外れた彼らの身体能力に驚きつつ――
「だから何だっての」
真治は迫りきたケルベロスを、ゴスゴスと順番に殴りつけてやった。
「ぶげぇ!」とカエルが潰れたような声を吐き、石造りの地面に頭部を跳ねさせるケルベロスの男たち。四人のケルベロスが失神したことを確認して、真治はまた首を傾げる。
「本当に何なんだコレ? ケルベロス都市のアトラクションか?」
「そんなわけがないだろう」
珍しく声に緊張を滲ませたジョゼフが、失神したケルベロスを見据えて口を開く。
「恐らくケルベロス嬢の指示だ。貴様を亡き者にしようとしているのだろう」
「は? 亡き者って、俺を殺そうとしているってことか? 何でだよ?」
「貴様が無礼を働いたからだろう……と考えるのが自然だが、不可解でもある」
ジョゼフが思案するように眉をひそめる。
「軍まで出すとなるとただ事ではない。たかがランキング36位に生意気な態度を取られたからと、ケルベロス嬢がそこまでムキになる必要があるか?」
「……まあよく分かんねえけど、この程度なら何十人こようと――」
問題ない。そう言いかけたところで、真治は自身の読みの甘さを痛感した。
「きゃあああああああああ!」
隣の部屋からアリエルの悲鳴が鳴る。真治は自身の失態に歯噛みすると、すぐに廊下へと飛び出した。何やら縛られたままのジョゼフが文句を言ったような気もするが、それは一切無視して、隣の部屋に足を踏み入れる。
部屋の中には床にへたり込んで震えているアリエルの姿があった。
「あ……シ……シンジさん」
部屋に駆けつけた真治の姿を見て、アリエルが呆然と声を震わせる。見たところ彼女に怪我はない。ケルベロス族の姿もなく、部屋の中は彼女一人だけのようだ。アリエルに危険はない。それを確認して、ほっと胸をなでおろす真治。だがすぐに彼は――
部屋にアリエルが一人だけしかいないという事実に、背筋を凍らせた。
「……茜は? あいつはどこにいる?」
体を震わせているアリエルに尋ねる。彼女が金色の瞳から涙をこぼして――
「ケルベロスに……さらわれてしまいました」
そう力なく呟いた。




