プロローグ
「随分と好き勝手してくれたようだが、今日で年貢の納め時ってやつだ。なあ?」
にやけた顔をした金髪の男がそう話して、懐からバタフライナイフを取り出した。カチャカチャと指先でナイフを回転させ、折り畳まれていた刃を露出させる金髪男。男がナイフの鋭利な先端をこちらに向けて、にやけ顔をより一層と強くする。
自身に向けられた凶器をしばし見つめ、彼は小さく嘆息した。彼のその反応を見て、金髪男が「ああ?」とにやけ顔をグニャリと歪ませる。
「なに余裕こいてんだ、テメエはよ。この人数を相手に勝てっと思ってんのか?」
金髪男の言葉を受けて、彼はぐるりと周囲を見回した。
彼の周りには、金髪男と同じ系譜の人間――とどのつまり、不良然とした連中が十数人とおり、こちらを取り囲んでにやけ顔をしていた。角材やら鉄パイプ、釘バットやら果てはヌンチャクまでと、各々が武器を所持しており、それを誇示するようにかざしている。
取り囲んでいる連中の服装はそれぞれで異なる。だが共通して、近隣校で採用されている制服であった。つまりこの連中も、自分と同じ高校生なのだろう。彼はそう判断すると、自身の着ている青いブレザーを何の気なしにパタパタと叩きながら――
またも深く嘆息した。
「――っ! 余裕こいてられんのも今のうちだ! すぐにぶっ殺してやっからな!」
唾を飛ばして怒声を上げる金髪男に、彼はこめかみを掻きながら気だるく呟く。
「たるいんだよ。テメエらじゃあよ」
「ああ!? んだとコラ!」
人気のない通りに――取り囲んでいるこの連中が人払いでもしたのか――、顔をどす黒く染めた金髪男の声が響く。彼は欠伸を噛み殺しつつ、金髪男にハラハラと手を振る。
「大層な人数集めたところで、テメエら雑魚じゃ暇つぶしにもならねえ。俺をぶっ殺したいならよ……ああっと、そうだな。ゾンビゲームとかのバズーカぐらい持ってこいよな」
強がりでも何でもなく、彼は自身を取り囲んでいる不良連中にそう告げた。彼の飄々とした態度にざわつく不良たち。金髪男がギリギリと歯ぎしりをして――
「舐めてんじゃねえぞ!」
ナイフを突き出してくる。
ギラリと銀色に輝くナイフの刃。その輝きからは、玩具の類ではない確かな殺傷力を感じさせた。だが彼は特に焦ることもなく、ひょいと手を持ち上げると――
素手でナイフを掴み取り、握りしめて刃をパキリと破壊した。
ポカンと目を丸くする金髪男。呆然とするその男の額に、指を握り込んだ拳を近づける。そして軽くぱちんと中指を弾いて、金髪男の額を叩いてやった。
「ごぎゃっ!」
金髪男の体が後方に吹き飛んで、ごろごろと地面を転がる。まるで車に轢かれたかのような金髪男に、不良連中の表情が一瞬にして凍りついた。額から血を垂らして、ぴくぴくと痙攣する金髪男。それを見下ろしつつ、彼はまた溜息を吐く。
「やっぱこんなもんかよ。ああクソ、退屈だ。どいつもこいつも弱くって話にならねえ」
「――や、野郎!」
不良の一人が飛び出して、鉄パイプを後頭部に叩きつけてきた。だが彼は痛みに呻くどころか、微動だにすらしない。逆に不良のほうが、彼を叩いた衝撃に鉄パイプを取り落としてしまう。彼は地面に落ちた鉄パイプを拾い上げると、その両端を握り――
クイッと鉄パイプを折り曲げて見せた。
「ぎゃあああああああ!」
悲鳴を上げて、こちらを取り囲んでいる不良連中が一歩退いた。ポイっと鉄パイプを捨てる彼に、顔を蒼白にした不良が口を戦慄かせて声を震わせる。
「て……天然チート! 噂は本当だったんだ! こいつ人間じゃねえぞ!」
「逃げろ! 殺される! ひゃあああ!」
各々悲鳴を上げながら、不良連中が散り散りに逃げていく。そして十秒もしないうちに、通りには彼と失神した金髪男の二人だけが取り残された。白目を剥いて気絶する金髪男を見下ろして、彼は眉をひそめる。
「仕方ねえな。仲間を置いていっちまってよ」
病院にでも運んでやろうかと思うも、自分を襲ってきた男を相手に、それも変だろう。とりあえず救急車だけでも呼ぼうかと、彼はズボンから携帯を取り出した。
「えっと救急車って何番だっけ――って、やべ! もうこんな時間じゃねえか!」
携帯の画面に表示された時刻に驚愕する。バイトの時間が迫っていたのだ。金髪男のことをさらりと忘却して、彼は慌てて通りを駆け出した。
商店街にある古い電気店の『流王電気店』。バイト時刻から五分遅刻して電気店に飛び込んだ彼に、店長の流王誠が渋い顔で出迎えた。
「おい遅えぞ、真治。何をちんたらしてやがったんだ」
「うるせえな。ちと変な連中に絡まれちまったんだよ」
顔をしかめる彼に、店長が「言い訳はいらねえよ」と舌を鳴らす。
「もうすぐ人通りも多くなる。さっさと着替えてきやがれ、このバカ息子」
「分かってんよ。このクソ親父」
普段通りの軽口を叩き合い、彼――流王真治はそそくさと店の奥にある小部屋に入り、バイトの準備を始めた。適当にカバンを放り投げ、上着を脱いでいつもの衣装に手早く着替える。準備を済ませた後、真治はスタンドミラーで自身の姿を確認した。
鏡に映し出された自身のその姿は、簡潔に述べるなら三頭身のトカゲであった。
流王電気店のマスコットキャラ――『リュウオウくん』だ。店の名前にちなんだドラゴンのキャラクターで、この着ぐるみで客寄せするのが真治のバイトなのである。
リュウオウという名前の通り、頭に小さな王冠を付けた着ぐるみドラゴン。着ぐるみのつぶらな瞳でその王冠を眺めつつ、真治は「よし」と着ぐるみの中で気合を入れる。
「んじゃあまあ、今日もあくせく働いて金を稼いでやるかね」
わざわざそれを言葉にしたのは、ひとたび着ぐるみを着ると、人前で声を出すことができないためだ。今のうちにどうでも良いことでも、口に出して話しておきたかった。
「えっと看板は……コイツか。なになに……『宇宙一安い電気店』……ね」
看板に書かれていた文字を読み上げて、ひとり苦笑する。何とも安っぽい売り文句だが、こじんまりした電気店には相応しい。真治は看板を肩に抱えると、部屋を出て店内へと戻った。レジでタバコをふかしている親父を横切り、そのまま店先まで歩いていく。
店先に立った真治は、ドラゴンの着ぐるみの中から通りをぐるりと眺めた。この商店街が多少なりと賑わうのは少し先の時間帯であり、今の時間帯は通りも閑散としている。
人が居なければ客引きも何もない。とはいえ時給が発生している以上、店内でのんびりと休むわけにもいかないだろう。真治は着ぐるみ姿で軽くストレッチをしながら、正面にある建物を何の気なしに眺めた。
通りを挟んだ向かいにある、五階建ての雑居ビル。その入口付近にクレーン車が停車しており、何かを屋上へと運搬していた。何だろうかと首を傾げる。だがすぐに向かいの建物がエアコンを新調するというような話を、親父から聞いていたことを思い出した。
なぜ近くにある自分の店でエアコンを買わないのかと愚痴をこぼしていた親父。その顔を頭に思い浮かべつつ、真治はクレーンに吊るされた巨大な荷物――屋上に設置する室外機なのだろう――をぼんやりと眺めていた。
ここでふと人の気配を感じて、視線を横にずらす。向かいの歩道を女性が一人歩いている。それは毛先のカールした栗色の髪を首筋まで伸ばした小柄な少女で――
自分と同じ高校の制服を着用していた。
(――って、よく見ればアイツ、同じクラスの奴じゃねえか? 確か名前は――)
着ぐるみの中で思案する。まだ二年生に上がったばかりだが、自分のクラスの生徒はおおよそ把握していた。だが栗色髪の少女の名前をすぐには思い出せない。問題児と認定されている自分とは異なり、あまり目立つような生徒ではないのだろう。
(まあ別にダチってわけでもねえし、無理して思い出す必要もねえか)
どうせこのような着ぐるみ姿では、自分が何者であるか分からないのだ。話しかけられたところで栗色髪の少女も困るだけだろう。そう考えて、真治は思考を打ち切った。
文庫本に視線を落としながら、一定の速度で通りを歩いている栗色髪の少女。客引きのバイトであるため、彼女にも流王電気店をアピールする必要があるはずだ。しかしどうも彼女の雰囲気からは、人を遠ざけようとする気配がひしひしと感じられた。
(そういや、クラスでも誰かとつるんでいる姿を見たことなかったっけかな?)
自分も積極的に仲間を作ろうとするタイプではないが、少女のクラスでの態度は――
人を拒絶しているきらいさえあった。
(根暗な奴ってことか。なら客引きなんてしても無駄だから、やらなくていいよな)
自分勝手にそう決めつけると、真治は栗色髪の少女から視線を外して、また正面の建物を何の気なしに眺める。雑居ビルの前に停車したクレーン車と、その先端に吊るされた巨大な室外機。少女を眺めていた十秒弱。その間に景色など変わりようもない。そのはずだった。だが彼はふと気付く。クレーン車により頭上高く吊るされている室外機が――
大きく傾いている。
「――なっ!?」
驚愕のあまり思わず声が漏れる。室外機を固定している縄の一本が切れていたのだ。そのため安定性を失い室外機が傾いている。そしてその傾いた室外機の下に――
栗色髪の少女が近づいてきていた。
文庫本に視線を落としている栗色髪の少女は、頭上の室外機に気付いていない。今にも落下してきそうな室外機の下に、無防備にも近づいていく少女。その彼女を見て――
「危ねえ! 上を見やがれ!」
真治は咄嗟に声を上げて駆け出した。
肩をピクリと揺らす栗色髪の少女。だが足を止めようとはしない。真治の声が、自分に掛けられたものではないと判断したのだろう。真治はまたも「テメエだ女! 上を見ろってんだ!」と駆けながら声を上げた。ようやく少女がちらりと頭上を見上げた。だが遅かった。すでに少女は室外機の真下まで来ており、丁度そのタイミングで――
巨大な室外機が少女へと落下する。
大きく瞳を見開く栗色髪の少女。否。それは幻かも知れない。悠長に彼女の様子を確認している時間などなかった。真治は駆けた勢いをそのままに――
少女の小柄な体に抱きついた。
(俺ならこの程度の衝撃なんともねえ!)
腕に抱いた栗色髪の少女とともに地面に倒れ込み、頭上より迫りくる室外機に向けて、自分の背中を盾にする。瞬きする間もない一瞬が経過した、その時――
視界が眩い光に塗りつぶされた。