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Beside You  作者: 藤原 秋
Beside You 2 ~君の居る場所~
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プロローグ

 懐かしい、夢を見た。


 それは、一人の幼い少女の夢だ。


 緩やかなくせのある、ふわふわの銀に近い長い灰色の髪に、薄もやがかった大きなすみれ色の瞳。


 愛らしい、ふんわりとしたその笑顔は、いつの間にか自分にとって、とても大切になっていたものだ。


 自分の名前を呼ぶ舌ったらずの彼女の声、雛鳥(ひなどり)のように柔らかなその身体、春風のような肌の香り―――子供特有の、少し高めの体温。


 その全ては、自分という存在を少しだけ穏やかに、優しくさせる。


 うららかな光が降り注ぐ、新緑に彩られた草原で、彼女は隣を歩く自分を見上げ、いたいけな瞳を輝かせる。小さな手をいっぱいに伸ばし、何かを伝えようと、その愛らしい唇を動かす。


 その声を聞き取ろうと少し腰をかがめた自分の耳に、耳慣れた、舌ったらずな声が届いた。


『がらるどぉ……』








「ガラルド……ねぇ、ガラルドってば!」


 心地良い眠りの中に沈んでいたガラルドは、その名を呼ばれ、ぼんやりと目を覚ました。


 声の主の、澄み切ったすみれ色の瞳が目の前で(またた)く。


「ねぇ、起きてよ。何かあっちの方が騒がしいんだけど」

「……あぁ?」


 夢の途中で起こされたということもあって、ガラルドは不機嫌な面持ちで、寝転がっていた木の根元から身体を起こした。日はまだ高く、柔らかな木漏れ日が頭上から降り注いでいる。


 旅の途中、木陰で少し休憩を取ることにしたのだが、いつの間にかうたた寝してしまったらしい。


 甘い夢の余韻(よいん)を振り払うかのように軽く目をこすりながら、ガラルドは目の前に(たたず)む人物を見やった。


 緩やかなくせのある、ふんわりとした背の中程まである銀の髪に、澄み切った大きなすみれ色の瞳が印象的な、整った顔立ちの少女―――それは、夢の中の幼い少女と同一人物であり、十三才に成長した旅の連れの姿だった。


 淡いピンク色の短衣(チュニック)に旅人仕様の膝丈の茶色のブーツ、という姿の少女は、肩から生成り色の外套(がいとう)を羽織り、腰には先端に宝玉の付いたロッドを装備している。左の手首から中指に通すような形で透け感のある黒い布を()め、その上から物々しい護符のついたリストバンドを着けている。


 短衣からスラリと伸びた細長い手足はまだ女性らしい曲線を帯びておらず、その体つきもまた、少年とも少女ともつかないような中性的な体型だ。


 一方のガラルドはというと、薄茶色の髪に切れ長の暗い緋色の瞳。精悍(せいかん)な顔立ちの青年だが、その年齢は実は外見に比例していない。


 その原因は全て、彼の父親にあるのだが―――実際の年齢がいくつなのかは、だいぶ前に数えることをやめてしまったので、彼自身にも分からない。見た目的には二十代前半から半ばといったところだろう。


 ガラルドは服の上からつや消しされた金属製の胸当てを身に着け、旅人用の頑丈なブーツを履き、枯草色の外套(がいとう)を羽織っていた。だるそうに立ち上がったその身長は高く、少女の頭の位置がちょうど彼の腹部あたりといった具合だ。


「ったく……何だってんだ?」

「ほら、あっちの方。騒がしくない?」


 溜め息混じりに尋ねるガラルドに少女はそう言って、そわそわと街道の方角を見やった。確かに、そちらからは何か争うような声と音が聞こえてくる。


「……あぁ、確かに何か聞こえるな」

「もしかしたら、誰かが何かに襲われてるのかも。だとしたら、助けてあげないと!」

「あ? 面倒くせーな、ンなコトする必要―――」


 バカバカしい、とばかり吐息をつくガラルドに、少女は澄み切ったすみれ色の瞳を向けると、きっぱりとこう言い放った。


「困った時はお互い様、っていうでしょ!」


 言い終わった次の瞬間には、その身体は問題の場所へと駆け出している。


 彼女が身を(ひるがえ)した瞬間、胸元の鈍色(にびいろ)のペンダントが木漏れ日を浴びて、キラリと光った。


「おい―――……」


 溜め息をつき、うんざりと髪をかきあげながら、ガラルドは足元の荷物を手に取った。


 放っておきたいのは山々だが、彼には彼女から離れるわけにはいかない理由があった。


「ったく、あのガキ……」


 ぶつくさと(つぶや)きながら肩から皮製の道具袋を斜めに掛け、大振りの剣を背負う。


 少女のおせっかいは今に始まったことではなかったのだが、それに毎度付き合わされるはめになる身としては、迷惑なことこの上なかった。








 問題の現場では、傭兵風の姿をした二人の男が無様に地面に転がり、今一人は剣を捨て、背を向けて、命からがら逃走したところだった。


 傭兵達の雇い主らしい、薄茶色の長衣(ローヴ)を身に纏った老婆を背にかばうようにして、ガラルドの旅の連れである銀色の髪の少女がロッドを構えている。


 その目の前で牙を剥くのは、灰色の頑丈な体毛に覆われた、グレイヴと呼ばれる肉食の巨熊だ。その鋭い爪先に毒があることでも知られている。


 通常はもっと山の方にいる生物なのだが、こんな街道沿いまで出てくるのは珍しい。よほど、空腹だったのだろうか。


「フユラ」


 苦々しい口調で連れの少女の名を呼ぶと、緊張した面持ちだったその表情が、ぱぁっと華やいだ。


「ガラルド!」

「勝手な行動取んなって、いつも言ってんだろ」


 自分が必ず助けに来ると分かっていて行動するのだから、タチが悪い。


「だって……」


 口をとがらせるフユラの前で、グレイヴが咆哮し、後ろ足で立ち上がった。仁王立ちになったその姿を見て、倒れていた男達が悲鳴を上げ、飛び上がるようにして我先に、と逃げ出す。


 巨熊は空腹のせいでかなり気が立っている様子だ。


「ち……」


 少女に万一のことがあっては、目も当てられない。舌打ちして、ガラルドはフユラの前に立った。一瞬で数十メートルという距離を詰めたそのスピードに、老婆が浅葱(あさぎ)色の目を(みは)る。


「選べ。ぶった斬られるか、山へ帰るか」


 剣呑(けんのん)な光を帯びたガラルドの暗い緋色の瞳と、グレイヴの血走った金色の瞳がぶつかり合う。


 この巨熊に人の言葉など分かるはずもないのだろうが、次の瞬間―――グレイヴは四つ足に戻ると、それまでの剣幕がウソのように、身を縮めて木立の中へと逃げていった。


「助かったぁ……ありがとう、ガラルド」


 ホッと肩の力を抜くフユラに、不機嫌さ全開のガラルドが向き直る。


「てめぇの頭に学習能力、ってモンはねぇのか! 放っときゃいいモンをイチイチ首突っ込みやがって……尻拭いするハメになんのはオレなんだからな!」

「ゴ、ゴメン……でもほら、結果的に人助けになったワケだし……ね?」

「何が『ね?』、だ!」


 がなるその言葉を遮るかのように、場違いなくらい穏やかな老婆の声が二人の間に割って入った。


「やれやれ、助かったよ。ありがとう、お嬢ちゃんにお兄さん」


 やむなく口を閉じたガラルドに背を向けて、フユラが老婆に笑顔で応じる。


「どういたしまして。大丈夫だった? おばあちゃん」

「あぁ、おかげさまでね」


 頷きながら、老婆は地面に転がった剣に視線を落とし、そして延々と続く街道を見やった。


「……まったく、高い前金を払わせておきながら、こんな道の真ん中で、か弱い老婆を放り出して逃げ出すなんて……傭兵の風上にもおけん奴らだよ」


 ぶつぶつと独りごちる老婆に、ガラルドが皮肉めいた声を投げかける。


「あいつらにいくら払ったか知らねーが、三人がかりでグレイヴ一匹倒せねーようなエセ傭兵、よく雇う気になったな」

「騙されたんだよ。一流の剣士とかほざくバカ者にね。こんな年寄りじゃ、足下も見られるさ」


 老婆はそう言って、深々と溜め息を落とした。


「おばあちゃん、どこまでいくつもりだったの?」

「マウロだよ。その先の丘に、用事があるんだ」

「マウロ? じゃ、あたし達と一緒だ! ねぇおばあちゃん、良かったらあたし達を代わりに雇わない? 町に着くまで護衛として、さ」


 唐突なフユラのその発言に、ガラルドがぎょっと目を見開く。


「おいっ! てめぇ、勝手に―――」


 抗議の声を上げるガラルドの手を引っ張り、フユラは老婆から少し離れると、背伸びしてその形の良い耳に唇を寄せ、こう囁いた。


「ガラルド、残金いくらあるの?」

「っ……」

「この間、せっかく割のいい傭兵の仕事があったのに、雇い主が気に入らないってボコボコにしちゃったのはガラルドでしょ? 町に行けば、お金は何かと()りようだよ?」


 彼女の言っていることは正論なので、その件に関してはガラルドは言葉が出ない。


 ここからマウロの町までは、歩いて二日というところだ。老婆の足を考えても、三日あれば着くだろう。


「……わーったよ」


 三日の辛抱だ、と自分に言い聞かせて、ガラルドは不承不承ながら頷いた。


 傭兵などという人に使われる仕事は基本的に好きでないが、仕方がない。


 自分一人であれば金を調達する方法などいくらでもあったが、その思いつくものが社会通念上よろしくないこととされるものである以上、フユラにそう教育してきた立場上から、それを実行することは、さしもの彼にもはばかられた。彼の過去を知る者達が聞いたなら、間違いなく耳を疑うことだろう。


「おばあちゃん、どうかな?」


 フユラのその提案に、老婆は値踏みするような視線を向けた。


「わたしとしては願ってもない申し出だけど、(ふところ)によるものだからねぇ……ヘボ傭兵に高い前金を取られてしまったことだし、お嬢ちゃんとお兄さんの二人を雇えるかどうか……」

「あたしは呪術師だけど、まだ修行中だから、ガラルドの分だけでいいよ」

「そうかい? そいつはありがたいことだねぇ……けれど、凶暴なグレイヴをにらみつけただけでやっつけてしまうようなお兄さんだ……。料金の方も、高いんじゃないのかい?」


 ヘボ傭兵に騙されたことで用心深くなっているのか、それとも元々の性格なのか、老婆はしきりに交渉してくる。


「いくらまでなら出せるんだ」


 ガラルドが口を挟むと、老婆は少し考えた後、思った以上の金額を口にしてきた。


 即OKしてもいいような数字だったが、すぐに承諾すると彼女が提示額を下げてくる恐れがあったので、わざと難しい顔をして、もう少し上乗せするよう要求してみた。


 しかし、老婆は頑として、それ以上は出せないと首を横に振る。ガラルドは少し考える素振りを見せた後、大仰(おおぎょう)な溜め息をついて、渋々承諾するといった様子で首を縦に振った。


 交渉、成立。


 老婆はこれまで、こういった世界に縁のない人生(みち)を歩んできた人種らしい。


 その彼女が、何を思って傭兵などというものを雇い、危険な旅路を行くのか-----その理由は分からなかったし聞くつもりもなかったが、エセ傭兵に相当ボッたくられたことだけは間違いのない事実と言えそうだった。


 思いがけず転がり込んだ『割のいい傭兵の仕事』に目を丸くするフユラに、ガラルドは少し唇の端を上げてみせた。


 意外なところで、少女に交渉術を教える機会が出来たものだった。

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