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Beside You  作者: 藤原 秋
Beside You
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01

 薫風が、爽やかな緑の香りを運んでくる。


 若葉の色が目にも鮮やかな草原の道を歩きながら、ガラルドは後ろを歩く連れの少女を振り返った。


「フユラ、もうすぐ着くぞ。見えるか? ゼルタニアの街の砦だ」


 その言葉に、フユラと呼ばれた少女がこくりと頷く。ゆったりとした淡いオレンジ色の短衣(チュニック)を身に纏い、オフホワイトの外套(がいとう)を羽織った人形のような可愛らしい外見の少女だが、その存在感は驚くほどに薄い。


 緩やかなくせのある、銀に近い灰色の長い髪に、薄もやがかったすみれ色の瞳。その左の手首には、鳥の雛が刺繍された黄色のリストバンドがはめられている。


 奇妙な縁でガラルドと魂を結ばれた幼女は、五年の歳月を経て、少女と呼べる年齢へと成長していた。


 一方、外見上全く変化の見られないガラルドは、薄茶色の髪を風に遊ばせながら、フユラと名付けた少女に口酸っぱくこう言い聞かせた。


「いいか、昨日から言ってるがゼルタニアは大きな街だ。その分おかしな奴等もいっぱいいる。

オレの知らないトコで一人きりになるなよ。お前が死ぬとオレも死ぬんだからな」


 いわくつきに違いない少女と行動を共にするようになってから、幸いなことに今のところ彼女絡みでのトラブルには巻き込まれたことがなかったが、ガラルドは気を抜くことはなかった。ほんのわずかな油断が取り返しのつかない事態に繋がることを、目の前の少女を見る度に思い知らされるからだ。


 それに、過去の自分の所業を顧みると、誰に恨みを買っていてもおかしくない―――と言わざるを得ない。油断は禁物だった。


 フユラが素直に頷いたのを確認して、ガラルドは再び歩き始めた。








 ゼルタニアの正門が見える距離まで来た時、ガラルドはその異変に気が付いた。


 草原の道の真ん中を塞ぐようにして、何かが横たわっている。近付いていくと、それが人間らしいことが分かった。


 それは、奇妙な光景だった。


 大勢の旅人達が行き交う街へ続く道は、つい先程も隊商(キャラバン)の一行が通り過ぎて行ったはずだった。


 こんなふうに人が転がっていれば何らかのアクションがあって然るべきだが、そういう反応はなかったはずだ。ならば、隊商が通り過ぎたその後、“それ”は出現したということになる。


 そして今、滅多に絶えないはずの人の流れは途絶え、草原の道に自分達以外の人影はない。


 何とも言えない、嫌な予感が、した。


「フユラ」


 連れ人の手を取り、ガラルドはそれを無視して通り過ぎることにした。辺りに気を配りながら、用心深く歩を進める。


 倒れていたのはまだ年若い少女のようだった。周囲に争ったような跡は、ない。顎の辺りまである銀色の髪が大地に散らばり、緋色の短衣(チュニック)から突き出た細長い手足を肩から羽織る白い皮製の外套(がいとう)が覆っている。


 その脇を足早に通り過ぎようとしたガラルドは、次の瞬間、連れの少女が取った意外な行動にぎょっと目を見開いた。


「! フユラ!?」


 彼女はガラルドの手を引っ張り、倒れた少女に触れようとしたのだ。


「ばっ……! 変なモン触んじゃねぇ!」


 慌てて小さな手を引っ張り返すと、いつもは聞き分けのいい連れ人が、珍しくそれに抗った。


「……っや……ぁ! がらるどぉ!」


 ほとんど初めてのフユラの抵抗に、ガラルドは虚を衝かれた。彼女は小さな身体に渾身の力を込めて運命を共有する青年の手を振りほどくと、倒れている少女の頬をわしっと掴み、もの珍しそうにその顔を覗き込んだ。


「てめっ……勝手なことすんじゃねぇ!」


 ガラルドは舌打ちしつつその小さな身体を得体の知れない少女から引き剥がそうとしたが、抵抗するフユラは少女が身に着けた鈍色(にびいろ)のペンダントを掴み、離そうとしない。


 成長するにつれ色々なものに興味を覚え始めている様子のフユラだったが、こんな行動に出たのは初めてだった。


 首を引っ張られる形になった少女が小さく(うめ)き、その瞼がかすかに震えた。ゆっくりと、澄み切ったすみれ色の瞳が開く。


 それに驚いたのか、フユラがペンダントから手を離した。はずみで後頭部をしたたかに地面に打ちつけた少女は、朦朧(もうろう)とした様子で頭をさすりながら半身を起こした。


 宙を彷徨っていたその瞳が、ガラルドの暗い緋色の瞳とぶつかった、その瞬間―――。


 少女の瞳に輝きが戻り、極上の笑顔が弾けたのだ。


「―――ガラルド!!」


 驚いたのは、ガラルドだった。


 目の前の少女に、全く見覚えはない。


 年の頃は十四か五―――眉の上で整えたざくざくの前髪に、澄み切った、強い輝きを放つすみれ色の瞳が印象的な、整った顔立ちの少女だ。もし過去に会っていれば、こんなに目立つ容姿の持ち主を忘れるはずがなかった。


 念の為、思い出しうる限りの過去の記憶をさらってみたが、思い当たる者はいない。


 自然と、少女を見つめるガラルドの瞳が険しさを帯びる。そんな彼の様子を不審に思ったのか、少女が不安そうな声で呼びかけてきた。


「ガラルド? どうしたの?」

「……誰だてめぇ。どうしてオレの名前を知っている」

「……えっ!?」


 彼女は大きく目を見開き、次の瞬間、あたふたと辺りを見渡した。


「―――え……え、えぇっ!? ……あ、あぁ、そっか……って、ここどこぉ!? えぇっ!? ガラルド、あたしのこと、分からないの!? あたしが誰だか、分からないの!? 本当に!?」


 一人でパニックを起こして意味不明のことをわめきたてる少女に、ガラルドは眉をひそめた。


「何わけの分かんねーこと言ってる。いいからオレの質問に答えろ」

「がーん……本当に分からないんだ……絶対分かると思っていたのに……すっっごいショック!!」


 青冷めて涙ぐみながら、少女はなおもわけの分からないことを話し続ける。


「でも、分かってくれないと困るんだってば!! ガラルドが名前を呼んでくれないと、あたし、帰れないんだから!」

「だから、てめぇは誰だってさっきから聞いてんだろーが! さっさと名乗れ! わけの分からんことばっか言いやがって……。名前を呼ぶかどうかはそれから考えてやる」


 もっとも少女が名乗ったところで、名を呼んでやる気などガラルドにはさらさらなかった。先端に小さな宝玉のついたロッドが彼女の腰に装備されていることに彼は気付いていた。


 この少女は恐らく、呪術師だ。名を呼んだ瞬間に、どんな災厄に見舞われるのか分かったものではない。


 ―――この女、何が目的だ? フユラに所縁(ゆかり)のある者か?


 油断なく相手を見つめながら、ガラルドはその一挙一動に細心の注意を払った。


「なっ、なーに、その高飛車な言い方。それに、そういうんじゃダメなんだってば。ガラルドが自力であたしのこと分かってくれないと、意味がないの。言霊(ことだま)にこもる想いにこそ意味があるんだから」


 困ったようにガラルドを見上げた少女は、その時になって初めて、彼の腕の中にいるフユラの存在に気が付いたようだった。


「うわっ……わ、どうしよ……すっっごい可愛いっ!! ―――ね、お名前は?」

「こいつに近寄るな」


 ガラルドの声に殺気がこもる。


「そんなに怖い声出さないでよー。まぁその気持ちも分かるけどさ……あたしはほんっと、貴方達に危害を加えるつもりはこれっっぽっちもないんだから」

「信用できると思うか?」

「信用してくれないと困るんだけどな~……」


 そうぼやきながら、少女は興味津々でこちらを見つめるフユラに、にっこりと微笑みかけた。


「こんにちは、お名前は?」

「……ふゆら」


 ガラルドにしがみつきながら、おずおずとフユラが答える。


「フユラっていうの? 月の女神様と同じ名前ね、とっても素敵」

「……おねえちゃ、は?」


 フユラがそう問い返したので、ガラルドは内心驚いた。この極端に口数の少ない少女は人見知りな部分もあり、初対面の人間に口をきくことはほとんどなかったからだ。


「お姉ちゃんの名前はね、ガラルドが知っているはずなんだけど分からないって言うからねー、そうねー、とりあえず『ハルヒ』っていうことにしとこっかな」

「??」

「ハルヒよ、ハ、ル、ヒ」

「はるひ?」

「そう、ハルヒ。よろしくね、フユラ」


 ハルヒとは、月の女神フユラの姉妹とされる太陽の女神の名前である。


 ガラルドは不機嫌さを全開に表しながら、ハルヒと名乗った少女をにらみつけた。


「何がよろしく、だ。言っとくがオレ達はお前に関わるつもりはさらさらねぇぞ! ぶっ殺されたくなかったら質問に答えてさっさと消えろ!」

「うわっ、ガラ悪ぅ~。だからー、さっきから言ってる通り、ガラルド次第なんだってば。ガラルドがあたしの真実の名前を呼んでくれれば、あたしは帰れるんだから。あたしが誰だか分からないなんて、愛が足りないんじゃないの!?」

「あぁ!? てめぇの言ってることはさっきから、全部が全部わけ分かんねぇんだよ! ちったぁ分かりやすく説明しろ!!」


 そう怒鳴りつけると、ハルヒは困ったように眉根を寄せた。


「だからー、あたしはガラルドの知り合いで、だけど、本来はここにいるはずの人間じゃないのよ。あのストーカー女のせいで、ここに飛ばされちゃって……元居た場所に戻るためには、ガラルドにあたしの名前を呼んでもらう必要があるんだよね」


 やっぱり、わけが分からない。


「……何でそこにオレが出てくるんだ」

「だって、あの女がそういう呪いをかけたんだもん」

「あの女?」

「あ―――……、思い出したら何かだんだん腹立ってきた……だいたい、元はといえばガラルドのせいなんだからね! ガラルドがあの女を弄んで捨てたからこんなことになっちゃったんだから!! 考えてみたら、あたし、思いっきり被害者じゃん!! ねぇ、心当たり、あるでしょ!?」


 女を弄んで捨てたという件に関しては、正直、心当たりがありすぎて分からなかったが、ストーカーという言葉がぴったりの呪術を使う女には一人だけ心当たりがあった。しかし、それは気が遠くなるほど昔の話で、彼女は今、ガラルドの手によって深い眠りの中にいるはずだった。目の前の少女が知るはずもない。


「……だとして、何でその女がお前を狙う?」

「それは、あたしのことを恋敵だと思っているから」


 ガラルドはそれ以上の話を聞く気が一気に失せた。


「行くぞ、フユラ。くだらねー作り話にこれ以上付き合ってられねー」

「あっ、あ、ちょっと待ってよー」


 ハルヒが慌ててガラルドの前に回りこむ。


「どけ。たたっ斬るぞ」

「それは嫌だけど、どけないよ! あたしだって必死なんだから……」

「じゃあ斬る」


 スラリと剣を抜くと、ハルヒは青冷めながらも果敢にガラルドに言い募った。


「言っとくけど、あたしを斬って一番後悔するのはガラルドだからね!」

「後悔? するわけがない」


 言いざま、ガラルドは白刃を振り下ろした。


 切っ先が空を切り裂き、少女の頬と髪を浅く薙いで、朱と銀色の欠片を宙に飛ばす。


 その間、ハルヒは微動だにせず、ガラルドの瞳から視線を逸らさなかった。


「……気の()ぇーガキ……」


 ガラルドがハルヒを斬らなかったのは、彼女が最初に見せた笑顔が気にかかっていたせいだった。


 果たして演技で、あれほどの笑顔を作ることが出来るものだろうか?


 得体の知れない少女だが、どうやらフユラとは無関係そうだ。自分達に危害を加えるつもりがないというのも事実らしい。だが、これ以上のトラブルを抱え込むのはゴメンだった。


「……信じてくれた?」

「……何度も言うが、オレはお前に会った覚えがない」

「そのうち、分かるよ」

「お前がうろつくのは勝手だが、オレ達の邪魔になると判断した時点で斬り捨てるぞ」


 強張っていたハルヒの顔から、太陽のような笑顔がこぼれた。


「あはっ、それはないよ、安心して」

「―――フユラ、行くぞ」

「がらるどぉ、はるひ……?」

「あれは別だ」

「ううん、一緒だよ、フユラ」


 草原が茜色に染まり始める頃、奇妙な三人組の人影は、ゼルタニアの正門の中へと吸い込まれていったのだった。








 ゼルタニアの街の活気に、小さなフユラは圧倒された様子だった。薄もやがかった大きなすみれ色の瞳をいっぱいに見開き、可愛い口をぽかんとあけて、その光景に見入っている。


 きちんと区画整備された街並みに、敷き詰められた石畳。大通りには様々な店舗が立ち並び、商人達の威勢のいい声が響き渡る。ごった返す人波は、彼女が物心ついてから初めて体験するものだった。


 一方ハルヒの方も、もの珍しげに辺りをきょろきょろ見渡している。


「あれぇ、この街……ゼルタニアって言ったっけ? ここって……」

「フユラ、迷子になるから手ぇ離すなよ」


 しっかりと連れ人の手を握ったガラルドの後を追い、ハルヒも歩き始めた。


 大通りを抜け、裏道に入ると人通りも減り、立ち並ぶ店の種類も変わってきた。道端に濃い目のメイクの女性達が立ち並び、ガラルドに妖しげな視線を送ってくる。


「ガ、ガラルド……? 何か、だんだん怪しげな道に入ってきちゃったけど……」

「何だお前、まだいたのか」

「どこに行くの? まさかこういうお店じゃないよね?」


 こわごわといった様子のハルヒの質問を、ガラルドは鼻で笑った。


「ガキが何の心配をしている? フユラを連れてそんな店に行くと思うのか?」

「いや……そういうわけじゃないけどー」

「まぁ行くとしたら、コイツを寝かしつけてからだな」


「え」


 ぴきっ、とハルヒの表情が強張った。


「……行ったこと、あるの?」

「大人の男で行ったことがない奴はいねーだろ」

「それってあの、お店のお姉さんとお酒飲んだりとか、そういうコト?」

「知らない女と酒飲んで何が楽しいんだ? やることはひとつだろ」


 それを聞いた途端、ハルヒは頬を紅潮させて烈火の如く怒り始めた。


「しっ……信じらんないっ! 好きでもない人とそんなことするなんて、不潔ッ! 最っ低! バカガラルドッ!!」

「あぁ!? 何でてめぇにンなこと言われなきゃならねぇんだ!」

「バカバカ変態! ケダモノ!!」

「男も知らねぇガキが知ったような口きくな!」

「ガキガキって何よ! このじじぃっ!!」

「何だと!?」

「そりゃあガラルドはあたしよりずっと年上だし、過去に恋人だっていたことあっただろうし、そういうのはしょうがないけど、好きでもない女の人とそんなことするなんて、絶対に嫌ッ! 嫌ったら嫌ッ! あたしは全部ガラルドが初めてなのに……!」


 激昂しかけていたガラルドは、その瞬間、怒りより何より眩暈を覚え、よろよろと額を押さえた。


「ま、待て……その言い方だと、まるでオレがお前と関係を持ったみてーじゃねーか……」

「え……、あっ……」


 ハルヒがほんのり頬を染め、口元を押さえる。


「そのマジっぽい仕草をやめろ!」

「だ、だって……ホントだし。キスまでだけど」

「……てめぇ……黙らねぇと腹に一発入れて黙らせるぞ」


 ガラルドの全身から噴き出す殺気にびくつきながらも、ハルヒは強気で言い返した。


「何よー、都合が悪くなるとすぐ威嚇してさっ。ガラルドってこんなにとげとげしい人だったっけ?」

「お前の言う『ガラルド』はオレとは別人だ!」


 そうガラルドは確信した。


 自分にはロリコンの趣味はない。断じてない。こんな成長途中の棒切れのような身体の少女に自分が手を出すことなど、太陽が西から昇っても有り得ない。


 それに『あの一件』以来、遊び半分で素人に手を出すことはやめていた。ハルヒが生まれるずっと以前の話だ。恋愛気質ゼロのガラルドには、生理的欲求を満たす玄人の女で充分だった。もっとも、フユラと旅するようになってからはそれもだいぶご無沙汰だったが。


 歓楽街の奥まった場所にある安宿のドアを仏頂面で開けたガラルドは、宿の主人の言葉を聞いてますます不機嫌になった。


「いらっしゃいませ! お二人様ですね、恋人同士ですか? お部屋はひとつで宜しいでしょうか?」

「……オレの連れはこっちだ」

「えっ!? こ、こりゃ失礼しました。可愛らしいお嬢ちゃんですね、気が付きませんで、申し訳ありません。そちらの方は?」


 フユラが気付かれないのは良くある話だ。存在感の極めて薄い彼女は、感覚の鋭い者以外にはまず気付かれることがない。


「知らん。他人だ」


 ガラルドの回答に、ハルヒがぎょっと目を見開く。


「えっ!? ガ、ガラルド、あたしお金持ってないんだけど」

「オレがお前の面倒見る義理があんのか?」

「で、でも、もう暗くなってきちゃったし……あんな危ない通りにこんな若い女の子一人でほっぽり出す気?」

「オレは『不潔でバカで変態でケダモノのじじぃ』だからな。何とも思わねぇよ」

「そっ、そんなの根に持たないでよー、大人気ないなぁ、もう!」

「うるせぇな……邪魔だと見なして斬り捨てるぞ」

「がらるどぉ、ねむぃ……」


 こくり、こくりと船を漕ぎながら、フユラが舌ったらずな声で訴えた。


 そんな彼女を抱き上げながら、ガラルドが意外なくらい柔らかい声で言い聞かせる。


「もうちょっとだけ待ってろ。久々にシャワーで綺麗にしてからベッドの上で寝れるぞ。シャワー好きだろ?」

「ん……」


 そんな二人の様子を見つめながら、ぽつりとハルヒが呟いた。


「フユラには、優しいんだね……」

「あぁ?」


 喧嘩ごしで振り返ったガラルドは、穏やかな微笑を浮かべるハルヒを見て、何故か一瞬、言葉を失った。それが何故なのかは彼自身にも分からなかった。


「へへっ、ならいーや。野宿、頑張ります! ガラルド、フユラ、また明日ね! 知らないうちにいなくなっちゃ嫌だよ!」


 屈託のない笑顔でそう手を振ると、ハルヒはドアの向こうに消えていった。


「はるひぃ……?」


 ガラルドの腕の中で、フユラが夜の街に消えていった少女の名を呟く。


「―――……あ―、くそっ」


 ガラルドはがしがしと薄茶の髪をかき乱すと、宿の主人に向き直った。


「おやじ、部屋をもうひとつ。あの女を連れ戻してくる」


 それを聞いた宿屋の主人は、ひどく申し訳なさそうな顔になった。


「すみません、実は今日は他の部屋は全部埋まっていまして。一室しかご用意出来ないんですよ」


 ガラルドは海よりも深い溜め息をついた。自分はいったい、何をやっているのか。


「じゃあ一室でいい。予約だ。すぐ戻ってくるから、他の客を入れるんじゃねぇぞ」


 まったく、今日の自分はどうかしている。古い知り合いのあの呪術師が聞いたなら、腹が裂けるほど大笑いした後に、涙を流して喜ぶだろうと、ガラルドは思った。








 ハルヒの喜びようは大変なものだった。『フユラがだだをこねるから仕方なく』という理由をガラルドは強調したのだが、それがキチンと彼女の耳に届いたかどうかは疑問だった。


 ほんの少し前の自分には想像もつかなかった状況だ。慈善事業以外の何物でもない。


 もしかして、オレはすでにあの女の術中にハマっているのか……?


 そんな気配は全くなかったのだが、そう疑いたくなってしまうほどに想定外の自分の行動だった。


 ベッドに腰掛け、ハルヒは楽しそうにフユラと話している。さっきまで眠たがっていたフユラだが、ハルヒと同じ部屋に泊まれるということが嬉しいらしく、眠気もどこかに吹き飛んでしまったようだ。彼女が初対面の人間にここまでなつくのは珍しかった。


「……お前、自分はここにいるはずの人間じゃないって言っていたよな。あれはどういう意味だ」


 ガラルドがそう問い掛けると、ハルヒは澄み切ったすみれ色の瞳を向け、こう答えた。


「どういうって、そのまんまなんだけど。あのストーカー女にここへ飛ばされなければ、あたしは今ここにはいなかったわけだし」

「そのストーカー女ってのは呪術師か。そいつの呪術で飛ばされたってことか?」


 ハルヒは小首を傾げて少し考え込んだ。


「んー……『元』呪術師って言った方が正確なのかな。女の邪念って、凄まじいよ。その前にはこの世の(ことわり)なんて関係ないってカンジ。絶命する間際にこれだもん……まいったなぁ」

「……お前も呪術師だな?」

「あっ、バレてた? こう見えてなかなかの腕前なんだよ、あたし」


 悪びれず、あっさりとハルヒは認めた。


 呪術師とは、己の持つ魔力を源に様々な現象を具現化する能力を持つ者達の総称である。


 火水風土の四大元素に基づいた力を振るう者、神に祈りを捧げることで病気やケガを癒す者、逆に邪神に祈りを捧げ他人に災いを及ぼす者など、その系統は多岐に及ぶが、彼らに共通する点は、呪紋(じゅもん)と呼ばれる紋様を描くことでその力を発動するというところだ。


「お前、ここに飛ばされる前はどこにいたんだ」

「あれ、ガラルド食いついてくるね。あたしの言うコト信じてくれたの?」

「信じる信じない以前の問題だ。これは『情報収集』ってヤツだな」


 そう言うと、ハルヒは形の良い頬をぷーっと膨らませた。


「そんなこと言う人には話してあげない! 信じる気がない人にはいくら一生懸命話したって無駄だもん」

「オレに名前を思い出してもらわないと困るんじゃねーのか」

「それ、あたしの言う『ガラルド』が自分だって認めたってコト?」


 ハルヒのこの切り返しに、ガラルドは再び話をする気が失せた。この呪術師の少女はとことん負けん気の強い性格らしい。


「フユラ、シャワー浴びに行くぞ」


 連れの少女をそう促すと、彼女はベッドから降り、嬉しそうにガラルドの元に寄って来た。 この宿には浴場が無かったが、各部屋に狭いながらもシャワー室が備え付けられている。フユラにバンザイをさせ服を脱がしにかかると、ハルヒが慌てた様子で口を挟んできた。


「ちょ、ちょっと待って……」

「あ?」

「な、何、もしかしてガラルド、いつもフユラの入浴とか手伝ってあげているの?」

「こいつが一人で出来ねーんだから仕方ねーだろ」

「ま、まさか一緒に入ったり、とか……」

「その方が手間が省ける」


 そう言いながら手際よくフユラの服を脱がせていくと、真っ赤になったハルヒはガラルドの腕から半裸のフユラを奪い取った。


「だっ、だめーっ! フユラだって女の子なんだからっ!!」

「あぁ!? てめぇ、オレにケンカ売ってんのか!? そいつは女とかそういう以前の生き物だぞ!」

「だめったらだめったらだめっ!! あ、あたしが一緒に入る!」

「はぁ!?」

「お、女同士だもん! フユラの為にもその方がいいでしょっ」


 そうは言われても、ガラルド的にもここは譲るわけにはいかなかった。自分の生命(いのち)と繋がっているこの少女を、敵ではないと判断したとはいえ、得体の知れない呪術師の少女と二人きりにする危険(リスク)は冒せない。


「ガキが何言ってやがる。よこせ!」


 ガラルドがフユラを奪い返すと、


「だめだったら!」


 一歩も譲らないハルヒが再び奪い返す。


 それが何度か繰り返された時、


「くしゅっ」


 半裸のフユラがくしゃみをした。


「フ、フユラ……」

「おら、離せ! 風邪ひいちまうだろ!」


 ガラルドにそうにらまれて、ハルヒはしぶしぶ手を離した。


「分かったよ……ごめん、フユラ」


 当の本人はぽかんとした様子だったが、ガラルドは呪術師の少女の気が変わらないうちにフユラをシャワー室へと連れ込んだ。


「ったく、何なんだあの女……」


 ぶつくさと呟きながら、フユラのふわふわの髪を洗髪剤で泡立てて洗ってやる。


「お前はあんなやかましー女にはなるなよ。まぁならねーとは思うけど……」


 不思議そうな顔をするフユラにガラルドはちょっと微笑みかけた。


「……ほら、目ぇつぶれ。洗い流すぞ」


 普段はリストバンドで隠れている彼女の左手首、そして自分の左足首に刻まれた、黒く禍々しい呪紋(じゅもん)。それを目にすると、嘘のような現実を改めて思い知らされる。


「お前の母親は……何者だったんだろーな……」


 彼女の身に着けていたものからは、手掛かりになるようなものは何も見つけられなかった。


『どうか……あの子を……まもっ…て……』


 脳裏に甦る、母親の最後の言葉―――彼女はいったい何から、娘を守ろうとしていたのだろう。今となってはそれを確かめる術もないが、ただ言えることは―――。


「お前の母親といい、ハルヒ(あいつ)といい―――オレはどうも呪術師の女との相性が最悪らしい。関わるとロクなことがねー……」


 重い溜め息をつきながら、ガラルドはひとつ余計なことを思い出した。


 遠い昔の話だ。そういえば、やたらとしつこかったあの女も呪術師だった―――。








 人通りも途絶えた、夜の平原。


 それは、次元の狭間とでも呼ぶべきものからこぼれ落ちた。


 ずるり。


 黒い瘴気の断片のようなそれは、触れた土を、草を腐食させ、消えかける己の存在に怯えるように、わずかに震え(おのの)いた。かすかに残る想いの破片(カケラ)が、妄執となって、自らの消滅を拒絶する。


 愛……し、い、あの人―――……。


 怨嗟(えんさ)のこもった声なき声が、大気を震わせ、果てなき大地に響き渡る。その声は、彷徨える者達の魂を引き寄せ、負の気流へと引きずり込んだ。


 ぶつかり合う、負と負の感情―――強い想いはより強い想いへと飲み込まれ、膨れあがった負のエネルギーが、自分達を呼び起こしたモノへと襲いかかる!


 黒い瘴気の断片は、それをあっさりと飲み込んだ。エネルギーを充填し消滅を免れると、瘴気は(うごめ)くモノへと姿を変え、更なる力を求めて彷徨い始めた。


 これでは……まだ、足りない……。

 こんな醜い姿では……あの人に……会え、な……い……。


 ずるり、ずるり。


 狂気にも似た想いを引きずりながら、それは蠢く。失われた『己の器』がここに存在することを、それは知っていた。そこに戻るためには、もっと、もっと、強い力が必要なのだ―――。

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