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Beside You  作者: 藤原 秋
Beside You
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プロローグ

 通りかかったその村からは、ところどころ黒煙が上がっていた。


 すすり泣く、声。苦痛に(うめ)く負傷者達。


 野盗にでも襲われたのか、夕闇が赤く染め上げる村は悲愴感に包まれている。


「ついてねーな……」


 惨憺(さんたん)たるその光景を見渡したガラルドは、苦々しくそう呟いた。


 薄茶色の髪に、ぎらついた暗い緋色の瞳。二十代前半とおぼしき、精悍(せいかん)な顔立ちの青年だが、その表情はどこかすさんだ印象を与える。


 目の前に広がる光景は、特別、珍しいものではない。弱い者はいつの世も、様々な脅威に晒されているものだ。


 世界には魔人(ディーヴァ)と呼ばれる強大なチカラを誇る種族が存在し、特異な能力を秘めた生物達が跋扈(ばっこ)している。決して暮らしやすいとは言えないその環境で、人々は独自の文明を築き、その多くはつつましくささやかな生活を送っている。


 魔人(ディーヴァ)はその個体数が極めて少なく、人前に姿を見せるということはまずなかったが、そういった生物達や、野盗や山賊といったならず者の集団が小さな村を襲うというのはよくある話だ。


 死体が荒らされていないところを見ると、これは野盗の仕業だろうか―――こういった脅威に対して人々は様々な自衛策を講じてはいるが、それらはいずれもいかんせん有効とは言い難い。


 ガラルドにとっては、さして興味のない話だ。弱肉強食―――当たり前の自然の摂理、だと思う。それ自体は別に、どうということはない。


 ただこれで、今夜は野宿が確実になってしまった。その事実が、彼の口から重い溜め息をこぼさせる。


 原型をとどめていない家々の間を歩きながら、ガラルドはせめてもの収穫に金目の物を物色したが、元々そういうものがないのか、それともあらかた野盗が持ち去ってしまったのか、目ぼしい物は見当たらなかった。


「くそ……本当についてねー……」


 ひとつ舌打ちして、村を後にしようとしたその時―――彼の耳に、か弱い声がかすかに届いた。


「すみ…ません……そこの、方―――」


 振り返ると、瓦礫の上に傷だらけで倒れていた若い女が血のこびりついた細い腕を伸ばして、ガラルドに呼びかけていた。


 死にかけだな……。


 無視しようかとも思ったが、何となく興味を覚えた彼は、彼女の話を聞いてやろうと歩み寄った。


「……何だ?」

「旅の方、ですか……?」

「ああ、そうだが……?」


 ガラルドは服の上からつや消しされた金属製の胸当てを身に着け、枯草色の外套(がいとう)を羽織っていた。肩から皮製の道具袋を斜めに掛け、その背には、大振りの剣を背負っている。目にした者のほとんどが、旅人という印象をもつ姿だった。


 地に伏したままの女は、長身のガラルドを辛そうに仰ぎ見た。


「旅の方ならば……お願いが、あります……どうか―――どうか、私の娘……、を……」


 その時になって、ガラルドはようやく彼女の傍らに一人の幼女が(たたず)んでいることに気が付いた。


 歳はまだ二つか三つを数える頃―――背の中程まである、緩いくせのかかったふわふわの銀に近い灰色の髪に、大きな、薄もやがかったすみれ色の瞳。


 可愛らしい人形のような外見のその幼女は、息も絶え絶えな母親の側で泣き叫ぶでもなく、静かにその光景を見つめていた。


 決して気配を潜めていたわけではない彼女の存在に、それまで気が付かなかった自分自身にもガラルドは驚いたが、何より、彼女の様子とその存在感の薄さに驚いた。そこに「いる」と思って見なければ、視認することは難しいのではないかと思ってしまうほどに、彼女は景色に溶け込んで見えた。


「旅の方―――……」


 苦しげな女の声で、幼女に気を取られていたガラルドはハッと我に返った。


 女の言いたいことは想像がついた。


「わりぃな、オレは慈善家じゃねーんだ。ガキのお守りはゴメンだ、他を当たってくれ」


 それ以上、彼女の言葉に耳を傾けるつもりはなかった。


 そう言い捨てて(きびす)を返そうとするガラルドの足に、女が必死に手を伸ばす。


「……ってくだ、さ―――」


 ブーツの上から足首を掴まれ、ガラルドは短く舌打ちした。いらだちまじりにその手を振り払おうとした次の瞬間、自身の身に重大な影響が及ぼされたことを彼は悟った。


「―――がッ……!?」


 反射的に女の腕を蹴り飛ばしたが、遅かった。


「……っ……てめぇ……何、を……!?」


 足首に、尋常ならざる熱を感じる。見ると、女に触れられた左足首に、黒く禍々しい呪紋(じゅもん)が浮き出ていた。


「……それは……貴方と、あの子を繋ぐ、絆……」


 腕がおかしな方向に曲がったまま、痛みすらすでに感じなくなった女が呟く。


「絆だと……」


 怒りに震えるガラルドは、幼女の左手首に自身のものと同じ呪紋(じゅもん)が浮き出ているのを確認した瞬間、獣の如く剣を抜いて斬りかかった。


「―――ッざけんな! 断ち切ってやる!」


 白刃が幼女の頭部を捉えようとしたまさにその刹那、ガラルドの中に鋭い警鐘が鳴り響いた。


「……!」


 剣の切っ先はぎりぎり幼女の頬をかすめ、凄まじい音を立てて大地に突き刺さった。その間、彼女はまばたきすらしなかった。


 ―――何だ、今の嫌な感じは!?


 心臓が、不快なほどに脈打っている。


 まるで―――……。


 暗い緋色の瞳を見開き、大きく息をつくガラルドの耳に、彼の覚えた危機感を肯定する女の声が切れ切れに響く。


「その子と…貴方、の…『運命』を、繋ぎました……。良かっ…た……。最後に会えたのが……貴方のような、人、で……」

「……ッ……ふざけんなッ! てめぇ……!?」


 女の胸倉を掴み上げると、彼女は哀しく弱々しい微笑みを浮かべた。


「ごめんな……さ、い……どうか……あの子を……まもっ…て……」


 それが、彼女の最後の言葉となった。


 愛しみと、憂いと、様々な感情の入り混じった瞳で娘を見やり、彼女は息を引き取った。その様子を、娘はただ、哀しそうな瞳でじっと見つめていた。








 ―――冗談じゃねぇ!!


 突如として最悪の事態に陥ったガラルドは、災厄の元を抱きかかえ、壊滅的な被害の中、どうにか無事だった村の馬を一頭強奪すると、夜を徹して知り合いの呪術師の元へと走った。馬が倒れると、近場で新しい馬を無理矢理調達し、走り続けた。それを繰り返し、数日かかってようやくたどり着いた呪術師の口から出た言葉は、彼をひどく落胆させた。


「何だ、こりゃあ。こんな複雑な呪印、見たこと無いぞ。こりゃあワシには無理だ……手に負えん。どこぞの誰にやられた? ワシの手に負えんくらいだから、生半可な呪術師の手には負えんぞ」


 昔ながらの知り合いの呪術師にそう告げられ、ガラルドは苦虫をかみつぶしたような顔になった。


「……どこの誰なら手に負えるんだ」


 この呪術師の実力がかなり高位に位置することを、幸か不幸か彼は知っていた。だからこそ、この忌まわしい呪いを解いてもらう為にあれほどの強行軍でここまで駆けつけたのだ。


「さぁな……この呪いを解くことが出来るとすれば……そうさな、『アヴェリア』の呪術師くらいかのぅ」

「アヴェリアだと!?」


 それを聞いたガラルドは、思わず天を仰いだ。


 よりにもよってアヴェリアだとは、全くもって、とことんついていないとしか言いようがない。


「マジかよ……」

「アヴェリアの、しかもかなり高位の呪術師でないと難しいだろうな。遅れを取るとはお前らしくなかったが、これほどの術を施す相手では仕方がなかったと言うべきか……。まさか『生命(いのち)を繋ぐ呪印』、とはな。初めて見たわい」

「……」


 ガラルドはぎらついた暗い緋色の瞳を左の足首に向けた。


 油断した―――そうとしか、言いようがなかった。あの女がまさか呪術師だったとは、夢にも思わなかった。


 あの時、あの女の声を無視するべきだったのだ。何故自分は気紛れを起こし、あの女と関わってしまったのか……悔やんでも悔やみきれない。


「それにしても、お前が誰かと旅することになろうとはの。運命を共にする相手が可愛らしいお嬢ちゃんだったのは、不幸中の幸いかな」


 どこか楽しそうな年老いた呪術師の言葉に、ガラルドは形の良い眉を吊り上げた。


「てめぇ、他の人間だったら今の台詞(セリフ)で即死だぞ。他人事だと思いやがって……あのガキが死んだらオレも死ぬんだぞ。あんなひ弱そうなガキ、いつ死んでもおかしくねぇ……しかも絶対、いわくつきだ! あぁ、くそっ……」

「どちらかというとタフなお嬢ちゃんだと思うがな。お前のことだ、かなり無理してここまで来たんだろうが、そんな様子も見せずぐっすりと良く眠っている……大物の予感がするよ」


 問題の幼女は部屋の片隅のベッドで、すやすやと安らかな寝息を立てていた。


「死なれちゃ困るからな、オレだって最低限の気は遣ったさ。それにあいつ、ちょっと変わってんだよ」


 道中泣くこともわめくこともしなかった幼女を見やり、ガラルドは深い深い溜め息をついた。


「アヴェリアか……」


 アヴェリアは魔法文明の発達した独立都市で、呪術師達が多く集うことでも有名な都市である。ただその位置は、現在地とはまるでかけ離れた場所にあった。


「歩いて行ったら、いったい何年かかるんだ……? オレはその間、ずっとガキのお守りをしねーといけねーのか……?」

「長い人生だ、たまには変わったことがあった方が面白いさ。お前ほどの腕があれば大抵の敵からその子を守ってやれるだろう。することもなくフラフラしとるよりはよっぽどいいと思うが」


 ガラルドが仏頂面になると、昔馴染みの老呪術師は楽しそうに、カラカラと声を立てて笑った。








 白銀の月が、その白い光を夜の大地に投げかけている。


 焚き火を起こして暖を取りながら、ガラルドは毛布にくるまった幼女の小さな身体をその胸に抱いていた。


 野宿をするにはまだ冷える季節だ。


 風邪などひかれて死なれてしまった日には、目も当てられない。


「ったく、とんだ疫病神だぜ……」


 口に出してぼやきながら、手元の枯れ木を折り、火の中にくべる。


 あれから一ヶ月―――。


 何度も馬を乗り換え走り続けているが、アヴェリアはまだ、遥か彼方だ。


 幼女はガラルドを拒むことも厭うこともせず、素直に付き従っている。


 変わった子供だとは思っていたが、腕の中の幼女は、相当変わっていた。この年頃の子供特有の、意味もなく大きな声を出してみたり、はしゃぎまわったりという、子供らしい感情表現が全くないのだ。


 かといって感情がないわけでは、ない。機嫌のいい時にはかすかに微笑んだり、逆に悪い時にはちょっと眉を寄せてみたりする。


「ぉ……あ、たん……」


 舌ったらずの声で寝言を言いながら、幼女がガラルドの胸に頬を寄せてきた。会話らしい会話を交わしたことはまだなかったが、どうやら言葉を話せないわけではないようだ。


 知的な障害があるのか何なのかは分からなかったが、この子供が子供らしくない子供であったことはガラルドにはありがたかった。子供はぎゃあぎゃあうるさくて嫌いだが、これならまだ我慢できる。


「まぁ……懐炉(かいろ)代わりにもなるし、な……」


 自分の腕の中ですやすやと眠る、小さくて柔らかい、温かな生き物。


 ふんわりとしたその温かさが不思議と心地良くて、ガラルドはひとつあくびをした。


 何だか、変な感じだ。


「お……あーたん……」


 幼女はどうやら、夢の中で母親を呼んでいるようだった。


 娘の身を最後まで案じながら逝った、あの母親―――。


『どうか、私の娘……、を……』


 そういえば……こいつの名前、聞き取れなかったな……。


 そんなことが何故かぼんやりと思い出された。


 名前か……ないと、不便、だよな……。


 冴え冴えと降り注ぐ月の光―――その光を感じながら、ガラルドはいつしか深い眠りの中へと落ちていった。








 休む間もなく走り続けていた馬脚は、長い時間の中で、次第にその速度を緩やかなものへと変えていった。


 早駆けから、駆け足へ。

 駆け足から、早足へ。

 早足から、並み足へ―――。






 そしていつの頃からか、二人は徒歩で移動するようになっていた。

 あれから五年の月日が流れていた。

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