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蒼い凶気   作者: 赤井"CRUX"錠之介


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15/15

悪夢

 ついに、退院の日を迎えた。

 閉鎖病棟から出られる……入院している患者にとって、それは夢にまで見た日だろう。

 だが、牧村莉亜夢は違っていた。彼は神妙な表情を浮かべ、待合室にて座っていた。



 一月ほど前のことだった。


「牧村くん、実はね……お母さんから申し出があったんだ。君さえよければ、身元引き受け人になりたいと。そうすれば、退院できるよ。どうだい?」


 医者の言葉は、完全に想定外のものだった。莉亜夢は唖然となり、何も言えなかった。

 母の恵理子は、今まで一度も面会に現れなかった。恐らくは、親子の縁を切るつもりであろう。莉亜夢も、それが当然だと思っていた。あんな鬼畜以下のことをしでかした以上、自分には病院以外に居場所などない。残りの人生を、死ぬまで病院で暮らすことになる……そう思っていた。

 それなのに、身元引き受け人になるとは。いったい何を考えているのだろうか。


「お母さんは言っていたよ。全部、自分がいけなかったんだと。これまでの生活態度を改めて、君と一緒に生活していきたい……そう言っているんだ」


 そこで、医者は言葉を止めた。真剣な顔つきで、莉亜夢の目を見つめる。


「もちろん、決めるのは君だ。さあ、どうする?」


 莉亜夢は、とっさに答えることが出来なかった。その時、看護師が慌てた様子で入って来る。


「先生、すみません。尾形由美さんが暴れ出して……部屋の壁に、汚物で文字を書いてるんですよ。ハメられた、とか何とか」


「またか。仕方ないな……薬の量を増やすか」


 面倒くさそうな様子で、医師は立ち上がった。


「牧村くん、今言ったことを、よく考えておくんだ」



 

 やがて、その日が訪れた。だが、莉亜夢の胸の裡には疑問が渦巻いている。母がなぜ、自分の身元引受人になったのか……その理由が未だに分からないのだ。莉亜夢は、じっと座っていた。

 やがて、母が姿を現した。二年ぶりに見る姿は、少しふっくらしていた。


「莉亜夢、ごめんね。今まで、会いに来られなくて」


 そう言って、はにかむような表情で手を伸ばした。

 莉亜夢の手を取り、引いて行く。彼は予想外の行動に戸惑い、されるがままになっていた。

 そんな莉亜夢に、母は顔を近づけ囁く。


「さあ、家に帰ろ」



 様々な手続きを終え、駐車場に停めてあった車へと案内された。だが、莉亜夢の胸には違和感が残ったままだ。何かがおかしい気がする。

 恵理子に促され、莉亜夢は助手席に座った。次いで、母が運転席に座る。その顔には、嬉しくて楽しくて仕方ない……とでも言いたげな、妙に子供っぽい表情が浮かんでいる。莉亜夢は、おずおずと口を開いた。


「母さん、何を考えてるの?」


「えっ?」


 きょとんとなる恵理子に、莉亜夢はなおも語り続ける。


「ぼ、僕は、あ、あんなことをしたんだよ。なのに──」


「あなたは、母さんのこと嫌いになったの?」


「えっ? な、何を──」


 言いかけた瞬間、莉亜夢の唇は柔らかいものでふさがれた。あまりのことに、莉亜夢は何も出来ず硬直している。

 目の前には、恵理子の顔がある。その眼差しは、真っすぐ莉亜夢だけに向けられていた。


「ごめんね、あなたの気持ちに気づいてあげられなくて……これからは、母さんがあなたの傍にいる。私の可愛い子」


 囁くように言った母の瞳には、奇妙な光が宿っている。

 莉亜夢は、ようやく気づいた。入院している間に、恵理子は変わった。上手く言葉では表現できないが、何かがおかしい。少なくとも、莉亜夢の知っている母ではない。

 しばらく会っていない間に、何が起きた?


 その時、莉亜夢はひとつの言葉を思い出した。


(莉亜夢くん、君と話すのは楽しかったよ。感謝の印として、君にひとつプレゼントを用意したの……でもね、気に入らなければ、捨てちゃっても構わないから)


 ひょっとしたら、これがアヤスの言っていたプレゼントなのだろうか。

 だが、こんなのは……。


 客観的に見たら、狂っているとしか言いようがない。実の母親と、男女の関係を続けていくのだとしたら……まともな人間になることを、自ら拒絶したも同然だ。

 気に入らなければ捨てろ、とアヤスは言っていた。まともな人間になるなら、恵理子とは縁を切るべきだ。


「どうしたの?」


 恵理子の声に、莉亜夢は顔を上げた。彼女は慈愛に満ちた表情で、彼を見つめている。狂ったものであるにせよ、本物の愛情が感じられた。

 それは幼い頃より、莉亜夢が心から求めていたものだった。

 ずっと前から求め続けていたが、得られなかったもの。


 まあ、いい。

 僕は狂っているのだ。しかも、人を殺している。

 そう……僕の人生など、とっくに破綻しているのだ。もう、まともな人生など歩めない。

 このまま、行き着くところまで行くしかない。

 狂ったまま、無様に生き続けるしかないのだ。


「じゃあ、帰ろうか。この続きは、家で……ね」


 母の声に、莉亜夢は無言で頷いた。すると恵理子は、妖艶な笑みを浮かべる。その瞳の色は、微妙に変化していた。かつて、どこかで見た色だ。

 その時、莉亜夢は思い出した。

 アヤスも、あんな瞳の色をしていたことを。


「あなたは、母さんの……私だけのもの」


 ・・・


「有村くん、いつもお疲れさん」


 アルバイト先の店長に言われ、有村朝夫は軽く頭を下げた。ようやく今の生活にも慣れてきた。高卒認定の試験にもパスしたし、後は大学受験だ。全ては、順調にいっている。

 こんな日々を過ごすなど、数年前には想像もしていなかった。 



 裁判は、予想外の形で決着した。

 事件の舞台となったコンビニの店員が、法廷で証人として立ち、当日の様子をきちんと証言してくれた。


「私は拳銃を向けられ、恐怖のあまり立ちすくむだけでした。そこを助けてくれたのは、有村くんです。有村くんは、本当に勇気があります。彼のような正義感の強い若者が、この国には必要であると思います。これは殺人ではありません。皆さん、どうか寛大なる処置をお願いします!」


 その結果、殺人事件ではなく傷害致死として処理され……朝夫に対する罰は大幅に軽くなった。少年であることも手伝い、二年の少年院生活と、一年の保護観察処分で終わる。




 そして今、朝夫はバイトを終えて帰り道を歩いていた。誰も、朝夫が犯した罪のことなど知らない。自分は、普通に生きていられるのだ。

 後ろから、車のエンジン音が聞こえてきた。彼は気にもせず、そのまま歩き続ける。道路の幅は広い。朝夫が注意して避ける必要もないだろう。

 だが、車は朝夫のすぐ横で止まった。八人は乗れる黒いバンのドアが開き、中から二人の男が出て来た。朝夫が反応する間もなく、二人は朝夫に襲いかかる──

 朝夫は抵抗すら出来ず、力ずくで車の中に押し込められた。直後、ドアが閉められる。同時に、車が走り出した。




 朝夫は両手足を縛られ、口には猿ぐつわをかけられ椅子に座らせられていた。

 目の前には、髪の薄い小太りの中年男がいる。一見すると、中小企業の中間管理職という雰囲気だ。

 ただし、その手には包丁を握っていた。


「お前だ……お前のせいで、留美は死んだんだ! ふざけるな!」


 男は喚きながら、包丁を振りかざす──

 金属の刃が、朝夫の体を貫く。激痛のあまり朝夫は叫んだ。しかし、猿ぐつわのせいでくぐもった声しか出ない。


「俺の娘を殺しやがって! 人殺しのくせに、のうのうと生きてんじゃねえ!」


 男は包丁を引き抜き、またしても突き刺す。大量の血が流れ、朝夫は痛みと恐怖のあまり涙を流す。もはや我を忘れ、その場から逃れようと必死でもがく。

 だが、体は動かない……その時、声が聞こえてきた。


「皆本さん、早く終わらせてくれないかな。こっちも暇じゃないんだ。後始末をしなきゃならないんだよ」


 聞き覚えのある声だ。朝夫は、ハッとそちらを向いた。助けてくれ、と叫ぼうとする。

 だが、男がまた包丁を突き刺した。何度も、何度も──



 もはや痛みすら感じない。薄れゆく意識の中、朝夫は思い出していた。

 自分の殺した娘が、皆本留美だったことを。

 では、こいつはあの娘の父親か──


「ふざけるな! 人を殺しておいて、保護観察って何だ! しかも、娘は死んだ後も──」


 後の言葉は聞こえなかった。朝夫の意識は、闇に沈んでいく。


(罪を犯した者には、相応の報いがあるべきなのだ。少なくとも、人を殺した人間が、たった三年の刑で済んでいいはずがない)

 

 その想いから、俺はあれを始めたはずだった。

 俺は、間違っていたのか──


 ・・・


「お前は、運がなかったな」


 苦悶の表情を浮かべている死体を見下ろし、清田隆介は呟いた。かつて友であり、仲間であった者が、無惨な死体と化して横たわっている。


 隆介はこれから、朝夫の死体を消し去らなくてはならない。体をバラバラに解体し、肉と骨を粉々に粉砕して海に捨てる。そうすれば、後は魚が始末してくれる。

 耐性のない者なら、想像しただけで吐いてしまうかもしれない作業である。だが、彼は表情ひとつ変えず淡々とおこなった。

 今回の依頼者は、皆本洋一という男だ。朝夫が殺した皆本留美の父親である。

 娘を殺した朝夫を許せない、自分の手で殺したいと依頼してきた。隆介は手下のチンピラと共に、朝夫をさらい洋一に殺させた。後は、死体を始末するだけである。

 今の隆介は、朝夫に対し何の感情も抱いていない。運悪く死んでしまった愚かな奴、としか思っていなかった。

 もし、あのまま朝夫と行動を共にしていたら……彼もまた、死体となって魚の餌になっていたかもしれない。

 あるいは、立花欣也のように山に埋められていたか。


 隆介が板倉恭司の下で働くようになったきっかけは、偶然による部分が大きい。

 当時の隆介は、朝夫そして立花欣也らと共にヤンキー狩りをしていた。だが、彼ら三人は仁龍会の幹部・関根智也の息子を病院送りにしてしまう。

 それを機に、隆介の歩む道は大きく変化する。情報屋の成宮亮が、隆介たち三人のことを調べ上げて恭司に伝えたのだ。

 ヤンキー狩りトリオの中で、恭司が一番最初に見つけたのは隆介であった。二人が、横須賀正樹の家を襲撃していた時……隆介は街をぶらつきながら、スマホで二人と連絡を取っていた。

 そんな彼に、恭司と憐は近づいて行く。言葉と暴力と金で懐柔し、残る二人の情報を得る。

 その後、隆介と欣也との殴り合いを機に、三人は完全に空中分解してしまった。朝夫は、単独で事件を起こした。欣也は片桐の命令を受け、恭司を襲ったが……彼と恭司とでは、格が違いすぎた。あっさり返り討ちに遭い、死体となる。

 朝夫も死体となり、隆介の手で始末された。死体がない以上、今の朝夫は単なる行方不明者である。殺人事件の被害者として捜査されることはない。

 あちこちで暴れまくったヤンキー狩りトリオ。だが最終的には、恭司の下に付いた隆介だけが生き延びることが出来た。


「運だよな、運」


 全ての作業を終えた後、隆介はひとり呟いた。




 作業場から出ると、そこには恭司が立っていた。相変わらず、安物のスーツ姿である。もっとも、その下には防弾防刃ベストを着ているが。傍らには、工藤憐もいる。


「終わったか?」


 恭司の問いに、隆介は頷いた。


「はい、終わりました」


「そうか。だったら、引き上げるとしよう」




 それから一時間後、隆介は車を走らせていた。後部席には、三人が乗っている。恭司と憐、それに星野静香である。


「明日の予定は何だっけ?」


 不意に、恭司が口を開いた。


「午後二時から、桑原徳馬クワバラ トクマと会うことになっています」


 答えたのは静香だ。彼女は黒いスーツ姿で、眼鏡をかけている。頬の傷を隠す気はないらしく、堂々と晒している。

 桑原徳馬とは、桑原興行なる組織を束ねる男だ。裏の世界では、それなりの力を持っている。だが、その名前を聞いた途端、憐が露骨に不快そうな表情を浮かべる。


「俺、あの桑原って奴は嫌いだ。あいつは、いつか裏切る気がする」


 憐が、ぶっきらぼうな口調で言った。すると、恭司はくすりと笑う。


「まあ待てよ。あいつには、まだ利用価値がある。トチ狂った真似してきたら、いつだって始末してやるから……あ、そういえば、あのガキ退院したらしいな。まさか、病院から出られるとは思わなかったぜ」


 言いながら、恭司は静香の方を向いた。


「ガキとは、誰ですか?」


「牧村莉亜夢だよ。井上を滅多刺しにしたガキだ」


 その途端、静香の表情が歪む。一方、恭司は楽しそうだ。


「考えてみれば、あいつが井上を殺してくれたおかげで、俺が幹部になれたんだよな。莉亜夢には感謝してるよ」


 言いながら、恭司は静香の顔を覗きこんだ。


「お前、本当に関係ないのか? 又吉みたいに、混ぜものしたシャブで──」


「私は、彼のことは知りません。あの少年は、初めから狂っていたんです」


 静香は、すっと目線を逸らした。

 その言葉に嘘はない。彼女は、又吉修に覚醒剤を売っていた……ただ同然の値段で。又吉は、喜々として薬を受け取ったが、やがて完全に狂ってしまった。今では、東京拘置所の独房にて死刑の執行を待つ身だ。

 静香は、混ぜものをした覚醒剤を渡して又吉を狂わせた。だが、莉亜夢には何もしていない。本当なら、牧村親子にも地獄を見せるはずだった。

 しかし、その予定は狂ってしまった。


「そういえば、朝夫と牧村莉亜夢は、高校で同じクラスだったそうですよ」


 それまで、無言で車を運転していた隆介が、初めて口を開いた。


「えっ、本当かよ?」


 興味をそそられたらしく、恭司の表情が変わっていた。二十代の若者らしい顔つきになっている。


「はい。朝夫の奴、前に言ってましたよ。不登校になってる同級生と、公園で会ったって。よくよく聞いてみたら、牧村のことだったんですよ。莉亜夢なんて名前、そうそういないですからね。完全におかしくなってた、とも言ってました。星野さんの言う通り、既に頭おかしくなってたんでしょうね」


「そうだったのか……」


 恭司は、感慨深げな表情になっている。声にも、その感情が現れていた。

 横にいる静香は驚いていた。悪魔の生まれ変わりのような恭司にも、こんな表情があったとは。

 

「不思議なもんだな、人間の運命ってのは。俺は静香の復讐の手助けをしつつ、尾形に恩を売る……やりたかったのは、それだけだった。だが、無関係なはずの人間が次々とかかわってきた。終ってみれば死人だらけだ。生き残った俺たちの人生もまた、大きく変わっちまったがな」


 そこで、恭司はくすりと笑った。


「ま、だからこそ人生は面白いんだけどな」




 静香には、誰にも言っていないことがある。

 あの日、彼女は見たのだ……莉亜夢の足元にいた、不気味な怪物を。のために、静香は彼から手を引かざるを得なかった。

 だからこそ、莉亜夢が母の愛人である井上和義を殺したと聞いた時も、静香はさほど驚かなかった。

 彼女には分かっている。あの怪物が、莉亜夢を狂わせたのだ──


 怪物のことは、誰にも話していない。話したところで、信じる者などいないであろう。静香自身、あの時に自分が見たものが現実であるとは言いきれなかった。




 車は、交差点で停まった。信号待ちのためだ。さらに、すぐ隣にも車が停まる。静香は、なにげなくそちらを見た。

 隣の車には、助手席に少年が乗っているのが見えた。どこかで見たような顔だ。

 その時、静香の目が丸くなった。


 少年は、牧村莉亜夢だったのだ。では、運転席にいるのは誰だろうか。

 静香は驚きの表情を浮かべ、隣の車をじっと見ていた。莉亜夢は、運転席にいる者と楽しそうに話している……ように見える。隣にいるのは、恐らく牧村恵理子だろう。

 不意に、莉亜夢が身を屈めた。何かを落としたのだろうか。静香は、運転席にいる者と目が合った。

 直後、静香の全身に衝撃が走る──

 ハンドルを握っているのは、予想通り牧村恵理子だった。少なくとも、姿形はそう見える。

 だが、あれは恵理子ではない……静香には、それが分かる。彼女の裡にある、動物的な感覚が伝えて来るのだ。

 そう、あれは人間ですらない。あの時、見たものと同類だ。

 あの、ヘドロのような怪物と──




「どうかしたか?」


 恭司の声に、静香はハッと我に返る。いつのまにか、隣の車は消えている。追い越したのか、それとも追い越されたのか。


「な、何でもありません」


 静香は、下を向いた。

 板倉恭司の下で働くことを決意した理由のひとつが、の記憶を消し去るためだった。裏の世界で生きれば、血みどろの修羅場が日常となる。そうすれば、全てを忘れられるのではないか……そんな思いがあった。

 だが、甘かった。あれは、静香を解放する気はないらしい。

 このまま、覚めない悪夢の中で生きるしかないのだ──









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