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暗躍

 天井に、染みが付いているのが見える。

 牧村莉亜夢はベッドに寝転んだまま、その染みをじっと見つめた。大きさは五百円硬貨くらい、形は楕円形である。あれは、何の汚れだろう。そもそも、あんなものがあっただろうか?

 その時、染みが動いたような気がした。ひょっとしてゴキブリなのか、などという考えが頭を掠めた直後、さらなる変化が生じた。じっと見ているうちに、染みは少しずつ大きくなっていく。うねうねと不気味に動きながら、染みはどんどん巨大化していった。

 やがて、染みは天井を移動し始めた。ゆっくりとした速度で、滑るように天井を動く。端に到達すると、今度は壁の上を動き出した。壁を這うようにして移動し、床へと辿り着く。

 その間にも、染みはどんどん成長していた。見ているうちに、座布団くらいの大きさへと変化する。もはや、染みと呼べるものではない。ヘドロ状の体からは、短い触手のようなものが生えてきた。さらに、二つの瞳も現れる。

 改めて見ると、不思議な形の瞳だった。人間のそれと似てはいるが、明らかに違う。かといって、他の動物のものとも違っていた。奇妙な形の目玉が、ヘドロのような物体の上でゆらゆらとうごめいている。その様は、水面に義眼が浮かんでいるかのようであった。

 不意に、目玉の動きがピタリと止まる。まっすぐに莉亜夢を見つめた。


「莉亜夢くん」


 アヤスの声だ。今まで、天井の染みとして存在していたのだろうか。何とも異様な登場の仕方である。もっとも、存在自体が普通ではないのだが。


「来る前に、連絡くらい出来ないのかい?」


 莉亜夢の声には、親しみの気持ちがこもっている。実際、彼はこの得体の知れない怪物の来訪を歓迎していた。

 学校に行かなくなり、部屋の隅で膝を抱えていた日々。しかも、「奴」が来れば、母の命令により家から追い出される。安住の地など、どこにもない。世間で言われているニートのように、ずっと部屋に引きこもっていることすら、自分には許されないのだ。

 そんな莉亜夢にとって、アヤスは唯一の話し相手であった。この生物には、何も隠さなくていい。そもそも、人間ではないのだから。


「何よ。連絡して欲しいの?」

 

 聞き返したアヤスの口調は、相も変わらず飄々としていた。


「出来ることならね。僕が下半身裸でエロ動画見ながら、ハアハア言ってるところに出くわしたらどうするんだよ? お互いに気まずいだろ」


 気がつくと、そんな言葉が口から出ていた。

 直後、莉亜夢はクスクス笑う。暗く引っ込み思案な少年だった彼は、同級生と下ネタ混じりの軽い会話などしたことがない。それ以前に、友だちなどいた覚えもない。

 幼い頃から、莉亜夢は自分の家庭が普通でないことに気づいていた。その事実が彼の心に陰を落とし、同級生との間に壁を築いていた。少なくとも、物心ついてからの莉亜夢は、友だちと遊んだ記憶がない。

 それなのに、今は?


「ふふふ。別に、そんなこと気にしないよ。そもそも、あたしは君とは全く違う存在だし。人間の性行為なんて、犬がものを食べるのを見るのと同じ感覚でしかないの」


 そう言うと、アヤスはうねうねと動く。ヘドロのような体に不気味な眼球、そして異様な触手。さらに、口もないのにベラベラ喋る。この声は、どこから出ているのだろうか?

 どう見ても、この世界のものではない。しかし、今の莉亜夢にはどんな人間よりもありがたい存在であった。


「それもそうだよね」 


 そう言って、莉亜夢はクスリと笑った。その時、ふと頭に浮かんだ疑問を口にする。


「ところでアヤス、前から疑問に思ってたんだけど、君はどこから来たの? もしかして、宇宙から来たのかい?」


「宇宙、ねえ。 そういう発想からして、どうかと思うけど。そもそも、君は宇宙なんてものがあると信じてるの?」


「えっ?」


 アヤスの思いがけない問いに、莉亜夢は困惑した。宇宙があるかないか、だって? あるに決まっているではないか。


「いや、あるに決まっているだろう」


「だったら、君はその宇宙とやらを見たことがあるの? ないでしょ。そんなものを、どうして信じることが出来るの?」


 その言葉に、莉亜夢は何も言えなかった。その言葉は間違いではない。が、あまりにも極端だ。そんなことを言っていては、何も信じることが出来ない。

 その時、何かが莉亜夢の手に触れる。

 アヤスの触手だった。


「莉亜夢くん、何を信じて生きていくか……そんなことは、誰も教えてくれない。あたしのいた世界では、それは当たり前のこと」


「き、君のいた世界?」


 仰天する莉亜夢に、アヤスはうねうねと動く。彼をからかうかのように、滑るような動きでベッドの上を移動した。この生物は、どのようにして動いているのだろうか。もっとも、存在自体が謎なのだが。


「そう。あたしが、生まれ育った世界。いや、世界という言葉では説明するのは難しいね」


「それ、どういう意味?」


 莉亜夢は、恐る恐る聞いてみた。この奇怪な生物が、自分のことを話すのは初めてである。是非とも知りたかった。アヤスは、どこから来たのか。

 そもそも、彼女は何者なのか。


「だったら、ひとつ聞きたいんだけど……君は、自分の周りの世界というものを、どんな風に認識しているの?」


「世界? いや、それは……」


 莉亜夢は口ごもり、下を向いた。そんなことを聞かれたのは初めてだ。どう答えればいいのか分からない。

 その時、クスクス笑うような声が聞こえた。


「ひとつ教えてあげる。君とあたしとは、まるで違う。見た目はもちろん、見えているものもね。あたしと君との世界では、何もかも違うんだよ」


 その言葉は、莉亜夢をさらに混乱させた。見えているものが違うとは、どういうことだろう。

 だが、莉亜夢はすぐに気づいた。考えてみれば、今まで、そのことで悩んでいたではないか。アヤスのことが見えてしまう自分と、見ることの出来ない他人。同じ人間でありながら、見えているものは違うのだ。

 ましてや、違う生物だったら? 同じものを見ていても、その認識の差は計り知れない。たいていの人間は猫を見ても、怖いとは思わない。だが、鼠は違う。鼠は猫を見て、恐ろしさのあまり逃げ出すはずだ。

 そんなことを考えていた時、アヤスが言葉を発した。

 

「さて、そろそろ帰るね。今日は、いろいろ忙しいから」


「えっ、もう帰るのかい? 今日は、やけに早いじゃないか。いつもなら、ぐだぐだ言いながら部屋をうろうろしてるのに」


 莉亜夢の口から、残念そうな声が出ていた。次に、そんな声が出ていたことに、莉亜夢自身が驚いていた。このアヤスは、ついこの間までは彼を悩ませていた存在だった。存在しないはずのものが見える自分は、狂っているのだろうか……そんなことを考えてばかりいた。

 それなのに今は、彼女の存在が――


「仕方ないでしょ。あたしにも、都合ってものがあるんたからさ」


 この奇怪な生物の口から、都合という言葉が出て来るとは。莉亜夢は意外なものを感じつつも、一抹の寂しさを感じた。自由奔放な存在であるように見えるアヤス。しかし、何らかの制約の下で動いているらしい。

 そう、彼女もまた自由ではないのだ。


「そう、だよね。君にも、都合があるんだよね」


「そんなに、寂しそうな声出さないでよ。明日も、また来てあげるから」


 からかうような口ぶりに、莉亜夢は微かな苛立ちを覚えた。だが同時に、嬉しさを感じてもいた。こんな風に、軽い口調で冗談めいた言葉を交わせるような友だちなど、これまでの彼の人生には存在しなかった。

 今は、アヤスの存在がありがたい。


「うるさいな。今度来る時は、ノックくらいしろよ」


「わかった。今度来る時は、ちゃんと予告するから」


「予告? なんだいそりゃあ」


 思わず笑顔になった莉亜夢に、アヤスもうねうねと動いた。まるで、笑っているかのような動きだ。


「ふふふ、よかった。君が元気になってくれないと、来ても面白くないから」


 ・・・


 その話を聞いたのは、昨日のことだった。


 

「それ、本当か?」


 有村朝夫の問いに、清田隆介は頷いた。

 

「ああ、本当だよ。俺もちょっと調べてみたんだがな、あれは間違いないぜ。マンションの一室でひとり暮らししてて、そこで週末には仲間を集めてドラッグパーティーやってるらしいんだよ」


「なあ、その正樹マサキって、いったい何者だ?」


 尋ねたのは立花欣也だ。


「お笑い芸人の横須賀丈二ヨコスカ ジョウジっているじゃん、そいつの次男なんだよ。うちの学校じゃ有名な奴なんだけど、どうしようもないバカでさ。シャブやってんの、自慢げに話してんだよ。ま、だからこそ俺にも情報が伝わってきたんだけどな」


 そう言うと、隆介はにやりと笑った。


「で、どうするんだ? やるのか、やらねえのか?」


「やるに決まってるだろう。そんなクズには、きっちりとお仕置きをしてやらないとな」


 朝夫も、にやりと笑い返した。




 その翌日。


「お前、誰だ? 何しに来たんだ?」


 横須賀正樹は、訝しげな表情で首を捻った。

 学校が終わり、家でくつろいでいた正樹。そろそろ女でも呼ぶか……などと考えていた時、いきなりブザーが鳴った。

 ドアを開けてみれば、目の前にメガネをかけパーカーを着た少年がいる。パッと見た感じは、ごく普通の若者だ。年齢は、自分と同じくらいか年下に見える。体格もごく普通であり、危険な雰囲気は全く感じられない。

 仮に一般人を百人集め、正樹と訪問者ではどちらが怖く見えますかと尋ねたら、正樹の方が圧倒的な大差で勝利するだろう。彼は体はさほど大きくないが、目つきは鋭く顔つきもワイルドであり、かつ好戦的な雰囲気を漂わせている。

 実際、正樹はそれなりに喧嘩慣れもしているし、ヤンキーたちとの付き合いもある。ヤクザの知り合いもいる。そんな彼から見れば、訪問者は片手で捻り潰せる一般人にしか見えない。だからこそ、さして警戒もせずにドアを開けたのだ。

 正樹は分かっていなかった。ここにいるのは、片手で捻り潰せる一般人などではない。有村朝夫という危険人物なのだ。


「あのう、横須賀正樹さんですよね?」


 朝夫は、にこにこしながら尋ねた。


「はあ? だったら、どうだって言うんだよ? だいたい、お前何しに来たんだ? あんまりふざけてるとな、殺すよ」


 言いながら、正樹は睨みつけた。彼の目には、朝夫は脅せば引き下がるようなザコにしか見えない。しかも、今の正樹は苛立っていた。これから女たちを呼ぼうとしていたのに、こいつは何をしに来たのだろうか。くだらない用事だったら、この場で殴り倒すだけだ。

 だが、その態度は一転する。朝夫の背後から、厳ついスキンヘッドの大柄な男が現れたのだ。男は正樹の襟首を掴み、無言のまま一気に屋内へと入っていく。男の凄まじい腕力に、正樹は抵抗すら出来ず押し込まれていった。

 後に続く朝夫は、静かに扉を閉め鍵をかける。これで、目撃される心配はない。


 スキンヘッドの男は正樹の襟首を掴んだまま、壁に押し付ける。正樹は恐怖のあまり、何も出来ず震えるだけだった。


「おいコラ、お前ヤクやってるんだってなあ? さっさと出せ」


 低い声で凄む男。その正体は、言うまでもなく欣也である。彼の常人離れした腕力で壁に押し付けられ、正樹は震えながら頷いた。


「だ、出すよ。だから、離してくれ」


「ついでに、有り金も残らず出せや」


 言いながら、欣也は力任せに壁に叩き付けた。正樹は呻きながら、うんうんと首を縦に振る。


「だ、出すよ」


「出すよ、じゃねえだろうが。出します、だろうが!」


 吠える欣也に、正樹は泣きながら叫んだ。


「だ、出します! 出しますから!」


 その様子を、朝夫は苦々しい表情を浮かべながら見ていた。この正樹という男は、紛れも無いクズだ。マンションの一室で、ドラッグに塗れた生活をしている。先ほどの自分に対する態度も、非常に不快なものであった。相手が自分より弱いと見るや居丈高になるが、自分より強いと判断するや途端に卑屈になる。それが、どれだけみっともないか分かっていないのだろうか。

 もっとも欣也は、そんな朝夫の思いなどお構いなしだ。ただ、本能のままに正樹をいたぶっている。


「おいコラ、俺らも暇じゃねえんだ。さっさと出すもん出せ。でないと、怪我じゃすまねえぞ」


 言った直後、欣也は力任せにブン投げた。

 正樹はくるりと一回転し、床に叩きつけられる。その衝撃で、呻き声をあげた。硬い床に叩きつけられる衝撃は凄まじいものだ。これは、打撃技よりも威力がある。


「早くしろや。でないとお前、本当に死ぬよ」


正樹を見下ろす欣也の顔には、残忍な表情が浮かんでいる。正樹は痛みのあまり顔をしかめながら、這うようにして部屋の中を動いた。

 本棚から、DVDのケースを取り出す。


「ネ、ネタはここです」


 震えながら、そのケースを差し出した。

 欣也がケースを開けると、中にはクレジットカード大の小さなビニール袋と、注射器が入っていた。

 ビニール袋の中には、氷の結晶のような粉末が入っている。朝夫も欣也も、その粉末が何であるかは知っていた。


「シャブかよ。ったく、このクズが」


 そう言うと、欣也は再び正樹の襟首を掴んだ。


「おい、これだけじゃねえだろ。この家にあるネタ、全部出せや。もちろん、現金もな」




 その帰り道、朝夫と欣也は並んで歩いていた。

 正樹の部屋にあった現金とドラッグは、全て奪い取った。ドラッグは公衆便所の便器に流し、現金は二人のポケットに入っている。さらに、正樹とドラッグの入ったビニール袋とを並べた画像もスマホで撮影した。その上「僕は横須賀丈二の息子の正樹です。僕は、覚醒剤をやっていました」と告白している動画も撮影している。もし警察に訴えたら、この動画が世間に流れるぞ……という言葉を残し、二人は去っていった。

 ちなみに、金は二十万と少しあった。


「ったくよ、隆介の奴は本当にどうしようもねえよな。金はいくらあったんだって、さっきからしつこく聞いて来やがる。俺たちが、金をくすねると疑ってやがるんだよ」


 不意に、欣也が吐き捨てるような口調で言った。

 今回の襲撃に、隆介は加わっていない。正樹と顔見知りである隆介が、現場に行くのは危険……という判断で、あえて外したのだ。隆介も、それは承知している。

 にもかかわらず、欣也のスマホには何件もメッセージが来ている。金はいくらあったんだ、俺の取り分はいくらなんだ、という内容らしい。

 実のところ、朝夫のスマホにも隆介からのメッセージは来ている。全て無視しているが……。


「なあ、お前は隆介をどう思う?」


 いきなりの欣也からの問いに、朝夫は首を捻った。


「どう思う、って……確かに金にはうるさいけど、仕方ないだろ」


「あいつ、大丈夫なのか?」


 尋ねる欣也の表情は、真剣なものだった。


「大丈夫って、何が?」


 一応、聞き返しはしたものの、朝夫には彼が何を言おうとしているかは分かっていた。


「あいつさあ、はっきり言って金に汚いじゃん。金が絡めば、俺たちのこと平気で裏切るんじゃねえか」


「いや、そんなことはないだろう」


 そうは言ったものの、朝夫も同じ気持ちを抱いていた。

 欣也という男は、金にはさほどこだわらない。もらえるものはもらうが、金払いもいい。宵越しの銭は持たない、とばかりに風俗などであっさり散財してしまう。人柄も単純であり、粗暴ではあるが付き合いづらくはない。

 ところが、隆介は金が絡むとシビアになる。路上でヤンキーやチンピラを狩った時も、隆介はきっちり有り金を取り上げていく。数百円しか持っていないような輩からも、残らず回収していくのだ。その姿に、朝夫は微かな不安を感じていた。

 その時、朝夫は思い出した。隆介が、欣也のことを不安視していた事実を。短絡的であり、衝動に任せて動くことの多い欣也は、いつかとんでもないことをしでかすのではないか……と、常々ぼやいていたのだ。

 ところが、欣也もまた隆介に対し不安を覚えていたとは。意外だった。


「朝夫、あいつには気をつけた方がいいぜ。俺らも、いずれヤクザとやり合うことになるかも知れないからな。そん時、金次第で裏切るような奴がいたら困るだろ」


「ヤクザ?」


「そうだよ。なあ、ヤンキーなんか狩ってても仕方ないだろ。俺たちも、そろそろ大物を狩っていこうぜ。ヤクザを狩った方が、世のため人のためだよ」


 その言葉に、朝夫は思わず立ち止まった。この男は、何を言いだすのだろう。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ。お前は何を言ってるんだ――」


「朝夫、お前はこのままヤンキー狩りで終わるつもりか? この先は進学して就職して、平凡なサラリーマンになるつもりかよ?」 


 欣也は、真剣な眼差しで問い掛けてきた。だが、朝夫には何も言えない。ただただ困惑するばかりだった。まさか、欣也がこんなことを言い出すとは。

 ただただ、享楽的に毎日を過ごしていると思っていたのに。

 

「朝夫、お前は悪人を狩りたいんだろ? だったら、ヤンキーやチンピラみたいな小物を相手にすんのは、そろそろやめようや。もっと大物を狙おうぜ。ちょうど今、極悪なヤクザの話を聞いたんだ。そいつ、俺の先輩を病院送りにしやがったらしい」


「えっ……」


 想定外の話の流れに、朝夫は戸惑い口ごもる。すると、欣也はにっこり笑った。


「まあ、考えておいてくれや。ただ、俺はひとりでも、そのヤクザを殺るぜ」


 ・・・


「板倉、後は頼んだぜ。俺は、ちょっと叔父貴と会って来るからな」


「はい」


 板倉恭司は、深々と頭を下げる。そんな彼を見て、井上和義は首を傾げた。


「お前、本当に大丈夫なのか? 分かってるとは思うがな、あと二日だぞ。二日以内に、青島を見つけられんのか?」


「もちろん、見つけます」


「あのなあ、明後日になってから、やっぱり見つかりませんでした……じゃ、済まないんだぞ。もし青島が見つからなかったら、お前の指十本飛ばしても足りねえんだからな。分かってんのか?」


 そう言って、井上はまじまじと恭司の顔を見つめた。だが、恭司は表情を変えない。すました顔つきで、言葉を返していく。


「分かっています。ですが、問題はありません。仮に見つけられなかったら、自分の首を叩き切ってもらっても構いません」


「そうかよ。お前のその自信、どっから来るのかねえ。バカなかのかアホなのか、はたまた天才なのか」


 井上は、呆れたような口調で言った。もっとも、その目には冷酷な光が宿っている。




 井上が去った後、入れ替わるように入って来たのが末端の組員である島田隆文だ。島田は恭司の顔を見るなり、卑屈な表情を浮かべてペコペコ頭を下げる。


「ど、どうもっス。板倉さん、後のことは任せてください」


 そんな島田を無視し、恭司は工藤憐の方を向いた。


「レン、行くぞ」


 憐は頷き、音も立てずに動いた。



 恭司と憐は、繁華街を歩いていた。憐は、今からどこに何をしに行くのか、いっさい知らされていない。だが、彼は余計なことを何ひとつ聞かない。無言のまま、恭司の後を付いていく。

 やがて、恭司は目指すものを見つけた。ひとりの若者が、十メートルほど先を歩いている。パーカーにジーンズ姿で、体つきは一見すると痩せ型だ。しかし、パーカーのそでから覗く手首や手のひらは厳つい。首から肩にかけてのラインも、しなやかな筋肉に覆われている。常人には分からない部分だが、恭司は素早くチェックしていた。

 前を歩いている若者は、何か格闘技をやっている。あるいは、やっていた雰囲気だ。もっとも、憐の敵ではないが。両者が闘えば、二三秒でケリが着く。

 頭の中で様々な計算を巡らせながら、恭司は若者の後を付いていった。気付かれないように距離を空け、さりげなく歩いていく。憐も、数歩離れた位置から付いていった。

 若者は、スマホをいじりながら進んでいく。時おり表情を歪めるあたり、何か不快なやり取りをしているらしい。

 だが、不意に立ち止まった。若者は、さりげなく背後に視線を移す。

 次の瞬間、恭司と目が合った。

 見つかったか、と恭司は思った。もっとも、これは想定の範囲内である。尾行がバレたらバレたで、打つ手などいくらでもある。むしろ、ここから若者がどう反応するか知りたい。

 だが、若者は立ち止まったままスマホをいじっている。恭司の存在に気づいたはずなのだが、離れようとする気配はない。それどころか、こちらの出方を窺っているかのような雰囲気だ。

 恭司も、その場で立ち止まった。尾行がバレているのは間違いない。にもかかわらず、様子見とは。狙われているという自覚がないのか、あるいは度胸があるのか。

 どちらにしても、こうなったら小細工は不要だ。恭司は、周囲を見回した。人通りは少なくない。だからこそ、無茶はして来ないと踏んでいるのだろう。

 だが、それは間違いだった。若者は、恭司の怖さをまるで分かっていない。

 恭司は、さりげなく憐に目で合図した。直後、つかつかと若者に近づいていく。若者は、ようやく顔を上げた。


「ちょっと話がある。付き合ってくれよ」


 恭司が言った直後、憐が背後から近づく。若者に反応する隙を与えず、持っていたスマホを奪い取る。と同時に、恭司は若者の肩に腕を回した。顔を近づけ、ドスの利いた声で囁く。


「なあ、おとなしく来てくれよ。でないと、マジ殺すよ」


 言いながら、ニヤリと笑う恭司。若者は、やっと自身の置かれた状況を理解したらしい。震えながら、ウンウンと頷いた。


 ・・・


「片桐、そいつらは本当に使えるのか?」


 関根智也が尋ねると、片桐は頷いた。


「ええ。最近、ガキどもの間じゃヤンキー狩りトリオとして話題になってます。実際、喧嘩は恐ろしく強いですよ」


「あのなあ、ガキの喧嘩レベルじゃねえんだよ。板倉は、そう簡単に殺れる相手じゃねえ。もし仕留め損ねたら、どうするんだ?」


「大丈夫ですよ。奴らは、ヤンキーやチンピラを手当たり次第に狩ってます。そんな連中が、調子に乗って板倉を襲った……もし、返り討ちにあったとしても、こっちには何のダメージにもなりません。万が一、上手く殺ってくれれば儲けものですよ」




 関根と片桐は今、デリヘルの事務所にいた。事務所といっても、マンションの一室を少し改造した程度のものである。片桐が経営者で、関根はケツ持ちだった。


「いずれにしても、立花が失敗したところで、こっちには何の問題もないですから。ただ、立花は度胸もありますし、喧嘩も慣れてます。その上、きっちり空気入れてやりましたからね。鉄砲玉としては、申し分ないですよ」


「そうか。ガキとハサミは使いようだな」


 そう言って、関根は笑みを浮かべる。

 今のところ、板倉はまだ青島を見つけていないらしい。タイムリミットは、あと二日なのだ。にもかかわらず、板倉は落ち着き払っている。あの男は、無茶苦茶ではあるがバカではない。恐らく、もう青島を見つけているのだろう。

 では、何故にさっさと青島を差し出さないのだろうか?

 関根には分かっている。板倉は、何か計算をしているのだ。いや、計算などではない。奴は絵図面を描いている……それも、とんでもない絵図面を。

 根っからの武闘派である関根は、頭のキレる方ではないが勘は鋭い。しかも、板倉恭司という男の怖さを、間近で見てきた。最初のうちは頼もしい弟分と思っていたが、今ではあの男が恐ろしい。奴は、単なるヤクザの枠には留まらない怪物だ。

 だからこそ、今のうちに潰す。






 

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