第三話 予言
凱駻と袁瑞は、極度の緊張の中にいた。こちらへゆっくりと歩いてくる老婆は、明らかに異様だった。白髪を頭の上部でお団子に結い上げ、耳たぶは何かの動物の骨で作られた耳飾りで垂れている。着物も帯も白色で、右手でついている杖も、動物の骨で作られている。深い皺がある顔は、眼光鋭く威圧的な雰囲気を醸し出していた。
「お待たせして、申し訳ない。」
言葉とは裏腹に、少しも悪びれた口調でないのが、より威圧的な印象を与えた。老婆は、凱駻たちが座る椅子の向かい側にどかりと座ると、隣に控える少年に杖を預けた。
「まずは、王太子殿下と王女殿下のご誕生、お祝い申し上げる。」
凱駻が礼規どおりに口上を述べようとしたところ、唐突に老婆が抑揚のない声で遮った。凱駻は一瞬迷うように口をつぐんだが、静かに「ありがとうございます。」と返答した。
「回りくどいのは好きじゃないのさ。それじゃ、早速占いの結果を言わせてもらうよ。」
凱駻は、隣で袁瑞がそわそわと体を揺らすのを視線の端で見た。確か十年前も、こんな風に唐突に結果を言われた気がする。何せ、当時凱駻も初めての聖山で、今の袁瑞の様に雰囲気に呑まれてしまっていた。覚えているのは、道中がとてもつらかったことと、洞主であるこの老婆の印象だけだった。
老婆は、着物の襟の間から、紐で括られ丸められた獣皮の束を取り出した。獣皮は茶色の毛に白い斑点模様で、凱駻は子鹿の獣皮だとすぐに分かった。老婆が獣皮を括っていた紐をするりとほどくと、獣皮はふわりと石机の上で広がった。
「書いておかないと、すぐ忘れちまうからね。最近物忘れがひどくてひどくて。」
老婆はぶつくさと文句を言いながら、獣皮に書かれた文字を指でなぞりながら読んだ。凱駻と袁瑞も何が記されているのか気が気でなく、覗き込むように獣皮を眺めた。獣皮に記されているのは、人の形や三角、○に一本線が入ったもの等で、凱駻や袁瑞たちが使用している文字とは違うものだった。
「まったく読めん……。まるで象形文字だな。」
凱駻は何か分からないかと食い入るように獣皮を見つめていたが、ふと老婆の視線を感じ、顔を上げた。
「お主、煌平君のお子が生まれた時に来ておった、近衛兵じゃな。」
老婆の言葉に、凱駻は素直に「その通りです。」と頷いた。十年前、占いをしてもらうため来たのは、羅謐王の弟、煌平君、羅慧に娘が生まれたからだった。羅慧は羅謐と母親が同じ弟で、婚姻は羅謐より五年も後だったが、奥方が懐妊したのは羅慧が先だった。奥方の懐妊が判明した当初、このまま羅謐に子が生まれぬ場合、その子が王太子になるのではと王宮は混乱したが、幸い女の子であったため事なきを得た。
「これはなんという偶然か。神はわざわざそなたをここへ来させたのだな。」
老婆は感慨深く頷いた。凱駻はその意味を測り損ねたが、老婆が急に押し黙ったので、問うのをやめた。隣に座る袁瑞も、場の空気を察してか、黙ったままだ。しばしの沈黙の後、老婆は深く長い息を吐いた。
「それでは、予言を授ける。良いかな。」
老婆は真っ直ぐ凱駻を見つめると、静かに問いかけた。これは暗に、「占いの結果が良くないから、覚悟をしろ」ということなのか、それともさっき言っていた「凱駻がここへ来たのは、神の思し召し」と関係するから問うたのか。凱駻は不安になりながらも、「はい。」と頷いた。
「まずは、双子のどちらか。王太子か王女か判じかねるが、どちらか一人は、麒麟の才士の器である。」
老婆の言葉に、凱駻と袁瑞は顔を見合わせた。三国統一よりさらに昔にいた英雄。その彼|(もしくは彼女)からこの数百年、麒麟の才士と呼ばれた傑物は一人しかいない。齋国の東隣に位置する大国、嵩国の宰相、洸賢である。今から四十年ほど前、嵩国で死に至る流行り病が流行した。死者は数千人にのぼり、街は死体で溢れたという。それを解決し、民を救ったのが洸賢だ。元は貧しい町医者の家庭で生まれ、自らの足で水や薬草を探したという。
凱駻もまだ子どもだった頃、旅芸人に洸賢の話を聞いて、心踊らせたものだ。隣の国の大英勇。伝え聞きでは、その後政に携わる文官になるよう王から頼まれたが、それを断った。洸賢は自らの力によって科挙を受験し、医官となったらしい。その後も医官の立場から国を立て直し、現在は最上級官吏の宰相として、王を助けているという。通り名の「洸賢」とは、民衆がつけたあだ名で、本名は分からない。そもそも国交があったとしても、周辺国に官吏の本名が伝わることはない。それでも、通り名が他国へ伝わるのは、まさしく麒麟の才士と言われるからだ。
「凱駻様、良かったですね!これで齋も安泰です。王太子殿下が麒麟の才士であれば、きっと稀代の名君となられます!」
袁瑞の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。王の苦渋、覚悟を知っているからこそ、嬉しさは人一倍だ。凱駻も無言で何度も頷いた。
「喜んでいるところ悪いが、続きを言わせてもらうよ。」
老婆は抑揚のない声で言った。大喜びをしていた凱駻と袁瑞は、急に現実へと引き戻された。小躍りしたい気持ちを抑え、老婆へ向き直った。
「麒麟の器を持たない方、どちらか一人は、十三歳の年に死ぬ。」
老婆の言葉に、凱駻と袁瑞は呆然とした。さっきまで喜びで天にも昇れそうな気持ちだったのに、一気に地獄へ落とされた気分だった。言葉も出せず、ただ押し黙る凱駻と袁瑞を見て、老婆は溜息をついた。
「喜んだり落ち込んだり、なかなか忙しいね。こちらとしても、良い結果が出るに越したことはないが、なんせ私が決められるもんじゃないからね。」
凱駻も袁瑞も、何も言えなかった。やっと授かった双子。この占いの結果を王と王妃が知ったら、どんなに悲しむだろう。使者任命式の時の王の顔を、嫌でも思い出してしまう。
「何か……、救う方法はないのでしょうか。」
絞り出すように声を出したのは、袁瑞だった。凱駻も乞うように老婆を見た。どんな些細なことでも良い。救う方法があるのなら、どんなことでもやる気持ちは、凱駻も袁瑞もあった。
「残念ながら、救う方法はない。」
老婆は緩く首を降った。絶望に満ちた表情の凱駻と袁瑞を、溜息をついて見た。
「定めは変えられない。だが、焔副隊長。」
十年前に来た時は一兵士に過ぎなかったのに、何故今の官職をこの老婆は知っているのか。そんなことをぼんやりする頭で考えていると、唐突に老婆が凱駻の腕を取った。
「良いか。この後、そなたに息子ができる。その子を慈しみ、大切に育てるのだ。」
老婆とは思えぬ強い力で腕を握られ、凱駻は一気に現実へと引き戻された。老婆の顔は苦痛に歪んでいた。ここへ来て初めて見る、老婆の人間臭い一面だった。
「私に息子ができるのですか。」
凱駻には、すでに二人の娘がいる。上の娘が十三歳、下の娘が十歳。凱駻はどうしても息子が欲しかったが、妻は懐妊しなかった。
「血が繋がらぬ息子だ。その子は多くの問題を抱えているが、そなたが大切に育てれば、必ず齋国を救う者となる。」
「多くの問題、ですか。」
凱駻は、深い霧の中にいるような、漠然とした疑問に頭を抱えた。双子の死は免れない。それに今の老婆の言い方は、これから齋国に災いが起こるような言い方だった。そして、齋国を救えるのは、問題を抱える自分の息子。
「齋国を見守ってきた仙女の一族として、助言できるのはここまでだ。」
老婆は、ゆっくりと椅子から立ち上がると、少年に預けていた杖を受け取った。釈然としない凱駻と、絶望に満ちた表情の袁瑞を交互に見た。
「それでは、これで失礼する。……齋国に幸あらんことを。」




