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朱殷(しゅあん)の麒麟  作者: 退紅ほまれ
第一章
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第十三話  謀略

 夜の王宮は美しい。美しい装飾が施された灯籠たんろんや、松明たいまつの灯りで浮かび上がった宮殿は、厳かで神秘的だ。特に王が政務を執り行う正龍殿せいりゅうでんは、より一層美しい。りゅうは、白い息を吐きながら正龍殿の屋根に鎮座する龍の彫刻を見た。

 「何をぼーっとしてるんです!早く入らないと、遅れてしまいますよ!」

 隣では、倶備くびがイライラと隆を急かす。それもそのはず、既に軍議が始まる時刻は迫っている。隆は「分かった、分かった。」とひらひらと手を振った。

 「それじゃ、行ってくるとしよう。倶備、詳細は明日追って知らせる。今日はお疲れさん。」

 隆の言葉に神妙に頷いて、倶備は踵を返して後宮へと足を向けた。倶備の背中をしばし眺めてから、隆は一つ息を吐く。隆が後宮から青蘭隊せいらんたい隊舎に帰ってきてすぐ、召集を知らせた部下の顔は青ざめていた。

 「煌昭君殿下と煌平君殿下が、登殿されたようです!」

 「何?」

 眉根を寄せて部下を見れば、部下も信じられない、といった表情で首を横に振った。本来、王の兄弟は王宮を出なければいけない。王位をめぐる争いを避ける為であり、王が死没した後も王宮に入ることはできない習わしだ。

 「どうやら、御史大夫ぎょしたいふが手引きした様です。」

 「きな臭くなってきたな。」

 隆は、また一つ白い息を吐く。御史大夫と言えば、最近不穏な動きが顕著になってきた百官の長だ。明らかに何か裏があるに違いない。

 「ま、ここでやきもきしても仕様がねぇよな。」

 隆は、正龍殿へと続く長く高い石階段を登り始めた。

 「第三副隊長、えんりゅう参りました。」

 正龍殿の重厚な扉の前で、歯切れ良く声を出す。内側から扉が開いた。

 塵一つ落ちていない黒光りする床は、美しく精巧な装飾が施された天井が写しだされている。次に目に入るのは、朱色の柱。そして広間の再奥には、十段ほどの階段を上がった場に、玉座があった。玉座に上がる階段は全部で三つ。正面に一つと、左右にそれぞれ一つずつ。正面の階段を使用して良いのはこの世で一人、王だけであった。しかし、その王の姿はない。その玉座に背を向けて立っている男が一人。この国の軍事の最高責任者であり、隆の養父であるえん凱駻がいかんだった。

 険しい顔つきに、暗に「遅い!」と怒っているのだと分かる。隆は軽く目礼をして、広間へと足を踏み入れた。凱駻が立つ両脇には、鎧を身に付けた十数人の屈強な男たちが向かい合うように立っている。隆から見て左側には、紅色や青色、橙色のマントや襟巻をした軍兵が並ぶ。これは近衛兵の隊列である。紅は王と王妃、そして王太子を護衛する近衛兵、隆が身につける青は公主を護衛する近衛兵、そして橙は側室を護衛する近衛兵を指す。隆は、近衛隊の隊へ入って行った。

 隆は青色の襟巻をする隊列へ入る。公主を護衛するのは、右中郎の青蘭隊。青蘭隊は一列のみで、この場には四名しかいなかった。隆は先頭から二番目の位置に立つ。

 「遅いぞ。何をしていたか知らんが、後でこってり絞ってやるからな。」

 先頭の男は、前を向いたまま小声で隆を叱る。隆と同じく青色のマントを纏う、青蘭隊隊長のしゅう袁瑞えんずいである。隆は、内心苦笑しながら「すみません。」と衣摺れのような微かな声量で謝った。

 近衛隊の隊列は、広間の奥から王と王太子を護衛する左中郎、右中郎が紅蘭隊、青蘭隊、黄蘭隊の順に並ぶ。近衛隊で一番人数が多いのは、勿論王と王太子を護衛する左中郎である。しかし、現在別邸で過ごしている王に随従している者が多い為、この場には二十名ほどしかいない。紅蘭隊は十名ほど、黄蘭隊は三名ほどである。

 近衛隊と対峙するように並ぶのは、虎賁こほん羽林うりんの部隊である。これは、王直属の軍であり、兵卒の数で言えば、虎賁だけで千人ほど、羽林と合わせれば五千人ほどの大きな部隊だ。王の私兵である為、現在半数以上随従している。

 「それでは、軍議を始める。」

 凱駻の一言で、虎賁の部隊から一人の男が駆け足で凱駻の隣へ立つ。漆黒のマントに漆黒の鎧。マントを着用をできるのは、どの部隊でも中郎以上の位にある者。彼が出てきたのは、虎賁隊先頭から二番目である。故に、彼が虎賁隊副隊長であるのは明白だ。

 「まずは、この場において皆に紹介したいお方がいる。王亦おうえき、お連れしろ。」

 「はっ!」

 王亦と呼ばれたのは、先程凱駻の横に立った虎賁隊副隊長である。齢は三十そこらの、精悍な顔立ちの男である。

 王亦は、素早い動作で正龍殿の大扉ではなく、玉座の真横にある扉へと姿を消した。その扉の先は、王が休憩や臣下と謁見する為に用いられる部屋へと続く。凱駻の言う“紹介したいお方”とやらは、きっとその部屋に控えているのだろう。

 間を持たずして、王亦を先頭に正龍殿へと入ってくる人影が三つ。一人は王太子の朱羅しゅら、そして煌平君こうへいくん羅慧らけい煌昭君こうしょうくん羅豪らごうである。

 きっと文官どもであれば、大騒ぎしていただろうな、と隆は内心苦笑する。しかし、軍人というものは、上官の許しなく口を開くことはない。喋ることのみならず、全ての行動が上官の許しなく行うことができないのだ。それを叩き込まれているから、この広間で騒ぐ者は誰一人いない。

 三人が玉座の前へ到着したところで、ザッと揃った音と共に、全ての軍が片膝をつく。一糸乱れぬ挙動に、きっと初めて見た者は驚くに違いない。

 「本日より、王太子殿下の政務を補佐する為、登殿された煌平君殿下と煌昭君殿下である。」

 凱駻の声が広間にこだまする。隆も羅豪と羅慧とは、面識がある。親しく会話をしたことはないが、隆も一応は王族の一員なので、顔を合わせたことはあった。

 (問題は、御史大夫一人が何かを企てているのか、それとも煌平君殿下と煌昭君殿下と共に何かを企んでいるのか。)

 王の不在と、乱れる政務。招かれざる王族の登殿により、裏で誰かが糸を引いているのは明白だ。

 (少し、探りを入れてみるか。)

 隆は、注意深く羅豪と羅慧を見た。羅豪は剣豪として名高く、性格も温厚であると聞く。噂通り恰幅は良く、精悍な顔立ちの美丈夫である。着用している衣服も鮮やかな翡翠色で、とても齢四十を超えているとは思えないほど若々しい。

 対して、羅慧は小柄で痩身である。結い上げられた髪は白髪が混じるものの、乱れはなく綺麗に纏められている。眉根を寄せて軍兵を見つめる様子は、如何にも神経質そうな男である。羅豪より十歳以上歳が下の筈だが、羅慧の方が老けて見えた。

 隆は、羅豪と羅慧の人となりについて詳しくは知らない。二人を試すには、この場は絶好の条件だ。

 「……現在の戦況はこの通りです。剣正は既に瑛州を抑えており…」

 凱駻の声のみがこだまする正龍殿で、隆は大声を出すため息を思い切り吸い込んだ。

 「よろしいでしょうか!!」

 上官の命にしか動かない兵卒が、皆ぎょっとした様にこちらへ顔を向ける。袁瑞も素早くこちらを振り返り、驚いた表情で隆を見た。

 隆は袁瑞と黄蘭隊の間を抜けて、玉座の前へ歩みを進める。羽林と虎賁の兵列の者たちも、皆ぽかんと呆けた表情をしているのが目に写る。中には、苦々しく隆を睨む者もいる。

 「近衛第三副隊長、焔隆にございます。不躾にも御前を汚しましたこと、深くお詫び致します。」

 隆は片膝をついて礼を取ると、朱羅、羅豪、羅慧に目を向ける。朱羅は動揺を悟られまいと緊張した面持ちだが、羅豪は面白いものを見るように隆を見つめ返している。羅豪とは対照的に、羅慧はあからさまに不機嫌な顔をしていた。

 「焔副隊長、無礼にも程があるぞ。早々に隊に戻るが良い。」

 凱駻の静かな声が広間に響く。隆はちらと養父を見た。落ち着いた声音であっても、内心では相当怒っていることが分かる。額の青筋が浮き出た顔は、隆を殺してやると言わんばかりの形相である。

 「焔副隊長、と言えば。大司馬の子息であるな。」

 ゆったりとした声は羅豪のもので、鷹揚な態度で凱駻に問う。

 「は。恥ずかしながら、私の愚息にございます。」

 「ならば、殿下にとっては伯父にあたる方。何一つ無礼ではありませんな。」

 羅豪は、にこやかに隆へ視線を移す。凱駻は何か言いたげに口を開いたが、苦々しげに顔を歪めたまま黙った。

 「それでは、わたくしから煌平君殿下と煌昭君殿下に、お尋ねしたき事がございます。」

 隆は、ゆっくりと立ち上がると羅豪と羅慧に向き直った。

 「まず、“大齋律だいさいりつ第一編”について、如何に思し召しか。」

 大齋律とは、刑法や民法その他齋国における全ての法律をいい、別称を国計こくけいという。第一編は、主に王族について定められており、“王太子以外の十五を超えた王子は、王宮に入る可からず”も、この第一編に記載されている。

 羅豪は、ぴくりと眉を動かすのみで、余裕の笑みを浮かべて隆を見つめたままだ。

 羅慧は、明らかに不機嫌な表情を見せた。それもそのはず、隆は暗に羅豪と羅慧に対し、“何故お前たちが宮殿ここにいる”と喧嘩を売っているようなものなのだ。

 しんと静まり返った広間は、ピリリと緊張した空気が漂う。軍兵たちは微動だにしないものの、固唾を飲んで自分たちの様子を伺っているに違いない。それでも隆は気にしてない振りをして続ける。

 「ましてや、陛下の許しを得ず正龍殿へずかずかと足を踏み入れた挙句、軍議に参加するなど、わたくしからすれば陛下への謀反と捉えられても仕様がないと考えますが、如何に。」

 視線の端で、養父が顔を真っ赤にして怒っているのが目にはいる。朱羅が顔を真っ青にしてこちらを見つめているのも目に入る。しかし、隆は静かに羅豪と羅慧の返答を待った。

 「我々が王宮に足を踏み入れたのは、王太子殿下を補佐すべき事態が発生していたからである。」

 羅慧が唸るような低い声で、釈明する。

 「王宮の外にいても分かる。民が、国が疲弊してゆくのがな。」

 羅慧は、隆を睨みながらゆっくりと前へ立ちはだかる。

 「確かに、国計には王族の男系が宮殿に入るのを禁じている。王太子以外の王子は、父王や母親の葬儀にすら参列できないのだからな。」

 羅慧は、自嘲の笑みを浮かべる。その笑みは何を表しているのか。明らかに自らを卑下した笑みに、隆は全身がぞわりと粟立つのを感じた。

 「王太子殿下は、まさしく麒麟の才子であり、齋国わがくにの危機を救う天命を担っておられる。しかし、宗謙王そうけんおうに仙女がついていたように、年若い殿下には結束の固い王族の支援者が必要だ。故に我々は王宮に足を踏み入れた。」

 羅慧は背を丸めて隆の耳元へ顔を近づけ、隆にだけ聞き取れるような声で囁く。

 「君も慎むべきではないかね。十年以上経過しているとは言え、王妃様との仲は、皆が周知している。昼間のように二人だけで逢瀬を重ねるのは、如何なものか。」

 ゆっくりと離れていく羅慧の顔には、冷たい笑みが浮かんでいる。隆は思わず苦笑いをした。

 「なるほど。後宮に犬を飼っているな。」

 昼間に隆と義姉が会っていたことを知っている人物は限られている。後宮に密偵を配置しているということは、以前から周到綿密に罠を張り巡らせていたに違いない。王宮に数十年ぶりに足を踏み入れた羅慧が、そのような謀略を仕掛けられるとは考えにくい。後宮に密偵を配置できる人物と手を組んでいると考えて間違いないだろう。

 隆が自らの疑念を確信に変えたところで、パンパンと手を叩く音が広間に響く。

 「そこまでです。叔父上、焔副隊長。」

 朱羅が固い表情で声を上げる。

 「大司馬だいしば、焔副隊長は軍議の場においてみだりに和を乱し、軍の士気を下げた。よって一月の謹慎を与えたいと思う。如何か。」

 朱羅の問いに、凱駻は大きく頷いた。

 「相当です。王亦、その者をつまみ出せ。」

 凱駻が傍らに控える王亦に指示すると、羽林軍が素早く隆の周囲を取り囲む。

 固い表情でこちらを見る朱羅と、あまり動じた様子を見せない羅豪。そして苦々しげにこちらを睨む羅慧に礼を捧げ、隆はゆっくりと立ち上がる。両腕を羽林軍に抱えられながら、正龍殿を後にする。

 外に連れ出されれば、宮下に灯された王宮の全貌が目に入る。赤い灯籠たんろんによって映し出された王宮は、まるで燃えているかのようだ。

 「国が戦乱や災害にみまわれた時、麒麟の才士が現れ、民を救うであろう。」

 すでに国は傾き始めている。隆はただ呆然と燃えるように赤い王宮を見つめるほかなかった。

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