<8>
「ぶへっくしょいっっ!・・・っくしょいっ!」
風邪を引いた。
元旦から風太と一緒に庭で雪遊びをしたせいだ。
翌日、なんだか調子がおかしいなと思っていたら、夜になって熱が上がってきた。
これはまずいと近くの夜間診療をしている病院に駆け込み、インフルエンザの検査をしてもらった。
万が一インフルエンザに罹っていたとしたら、風太にうつしてはまずい。
幸い、検査結果は陰性。
インフルではなかった。
だが、風邪を引いたことには変わりなく、薬をもらって帰宅したのだった。
「ゲホッ・・・ゴホッ、ケホッ・・・」
昨日は頭がガンガンしてふらふらしたが、薬のおかげかそれは少しマシになった。
だが、今朝から咳が止まらない。
喉が燃えるように熱い。
「きょうすけ、だいじょぶ・・・?」
つぶらな瞳を揺らしながら、風太が不安げに覗き込んでくる。
朝から寝たきりの自分を前に、心配でしかたがないといった様子だ。
長いモフモフの尻尾が、パタパタと音を立てるほど揺れている。
犬は嬉しい時に尻尾をパタパタ振るが、猫は違う。
不安だったり気持ちが落ち着かなかったり、またイライラしている時に尻尾が揺れるのだ。
ちょこんと座り、布団の端をギュッと握る姿がいじらしい。
こんないたいけな存在を不安がらせている己の不甲斐なさに、恭介は思わず歯噛みした。
「大丈夫だ。ただの風邪だからな。しばらく寝てりゃ治るさ」
「かぜ?」
「ああ、風邪だ」
「おそと、びゅーびゅーいってる?」
「いや、その風じゃない」
「んん?」
どうやら風太は、風邪と風を混同しているようだ。
なんと説明したらいいものやら、熱で頭がぼうっとするせいでイマイチ考えがまとまらない。
それにしても、たかが数時間庭で雪遊びしたくらいでこのざまとは。
営業マンだったころと比べて、確実に体力が落ちている。
一日家で仕事をしているのだ、無理もないかもしれない。
毎朝毎晩、満員電車に揉まれて通勤し、クライアント先まで足しげく通っていたあの頃と比べると、明らかに運動量が減っている。
まだ二十代だと言うのにこれではこの先思いやられる。
「風太、俺は平気だからあっちに行ってなさい」
「どうして?」
「風邪がうつっちゃまずいからな」
「うつる・・・?」
「俺の病気が、風太の体の中に入っちゃうってこと」
「びょうき?きょうすけびょうきなの?」
「ああ、風邪っていう病気だ」
「びょうき・・・」
「この病気は人から人にうつるんだ」
「でもふうたはねこだよ」
「猫でも今は半分は人間だろ?人間の病気をもらっちまうかもしれない」
そう、心配なのはそのことだ。
風太に風邪をうつすわけにはいかない。
普通の病院には連れて行けないし、かといって獣医にも連れて行くわけにはいかないからだ。
「きょうすけ、びょうき、いたい?」
「いや、痛くはないよ。薬を飲んだからな」
「おくすり・・・」
「ああ、しばらくこうやって寝てたら治る。だから心配しないで風太は向こうの部屋でテレビでも見てなさい」
「うん・・・」
納得したわけではなさそうだったが、とりあえず言われたとおりに風太は寝室から出て行った。
この状態だと、今日はまともに夕飯を作るのは無理だな。
風太の体のことを考えると、なるだけジャンクフードや店屋物は避けたいところだが、いたしかたあるまい。
今夜だけ、出来合いのもので済ませることにしよう。
ぼんやりと見える柱時計の針は、夕方の5時を指している。
今朝からずっと寝込んでいるのだが、なかなかすっきりしない。
熱も下がりきっておらず、まだ37度少しある。
「まいったな・・・」
健康が取り柄だと思っていたのに、こんなことになろうとは。
決して油断したわけではない。
日頃から風太を病気にさせまいと気を使っているし、食べ物だってオーガニックなものを選んでいる。
「年末、仕事の納期が重なってちょっと無理したからかな・・・」
恭介の仕事はウェブデザインだ。
以前もウェブ関係の会社に勤めていたが、デザイナーではなく営業担当だった。
だが本来恭介は、デザイナーの方を希望していた。
そこで一念発起して独立したのだ。
これにはもちろん、風太のことが関係している。
残業の多いIT業界で、帰宅時間は10時、11時は当たり前。
そんな状態では風太の面倒をまともに見ることはできない。
なるだけ、風太のそばにいる時間を増やしたい。
それには、フリーランスになって自宅で仕事をするのが一番良いという結論に至った。
だが、四六時中パソコンに向かう作業は、健康に良いとは言い難い。
一日中家にいると、ついつい運動不足になりがちだ。
夜中まで仕事をしたり、生活も不規則になりやすい。
風太も元は猫だからか、夜遅い時間に起きていても平気だったりするし。
だからといって、自分がこんなに体力が落ちているとは夢にも思っていなかったが。
テレビの音が聞こえてくる。
風太がテレビを見ているらしい。
最近の風太は、テレビを通じて色々なことを覚えるようになった。
特に好んで見ているのは、アニメや動物が出てくる番組だ。
その辺は、人間の子供とあまり変わりないように思える。
歌番組を見ながら、一緒に歌って踊ることもある。
もふもふの尻尾をゆらゆら揺らし、腰をふりふり踊り歌う姿は悶死しそうなくらいに愛くるしい。
この世に風太以上に愛らしい存在などないのではないか。
「ふうぅ・・・。早く治んねえぁかな・・・」
ふうっ、と大きく息を吐いたときだった。
ガシャンと大きな音が台所の方から聞こえてきて、恭介は思わず飛び起きた。
「風太、どうしたっっ・・・」
慌てて袢纏を羽織り、襖を開けて台所に向かう。
するとそこには、炊飯器をひっくり返して途方に暮れる風太の姿があった。




