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思わず声を荒げてしまった。
これまで風太に対してこんなに強い口調で叱ったことはない。
いつもと違う様子の恭介に、風太は大きな瞳を不安げに揺らしながらこちらを見つめてくる。
途端に罪悪感が込み上げてきた。
「や・・・そのっ・・・」
「おいおい、どうしたんだよ上坂。いくら具合が悪いからって子供にあたることないだろ」
常田の整った顔が歪む。
まずいと思ったが、自分でも不思議なくらい感情をコントロールすることができない。
熱のせいだろうか。
それとも・・・
「上坂、おまえ、ストレスもあるんじゃないか」
「ストレス?」
「ああ。1人暮らしで風太君の面倒を見るのは楽なことじゃないだろ。どういう事情があって今の生活に至ったのかはまあ、俺もあえて聞かないけどさ。でも何かわけがあるんだろ」
「それは・・・」
「風邪もあるだろうけど、それだけじゃなくて日頃の疲れとかストレスから体力が落ちていて、抵抗力も落ちているんだよ。熱がなかなか下がらないのはそれもあると思う」
「・・・・・・」
そんなことはない、とは言えなかった。
風太との暮らしは楽しいし疲れなんてこれっぽっちも感じていないつもりだったが、風太の正体がばれないように気を張ったりしていたことは確かだ。
外に出かけたがる風太の希望を叶えてやりたくて、遠出したり旅行したり。
その道中、やはりどうしても風太を連れていると人目を引いてしまう。
アクシデントが起きないよう、常に最新の注意を払っていなくてはならない。
そういう緊張感が積もり積もって、今一気に来たのかもしれない。
「上坂、俺はおまえたちのことに干渉したりするつもりはないよ。どういう事情があるのかも聞かない。だから安心して甘えろよ。こうして久しぶりに再会したのも何かの縁だろ。弱っている時は無理しない方がいい」
「きょうすけびょうき・・・しんぱいなの」
「ほら、風太君だって不安になってるじゃないか」
「ふうた、きょうすけげんきになるの。まってるの」
「大丈夫、すぐに元気になるよ」
「ほんとう?」
「ああ。ちょっと疲れがたまってるだけだからね、じきに治る」
「すぐなおる?げんきになる?」
「なるよ、だからそんな顔しないで、ね?」
「うん・・・」
常田にやさしく諭され、風太も落ち着きを取り戻したようだ。
それでもまだ不安げな顔つきで、床に伏した恭介を見つめてくる。
たまらない気持になった。
寝込んだことで風太にいらぬ心配と不安を抱かせてしまった。
まだ小さい彼にとって、恭介は庇護者であり親同然の存在なのだ。
それなのに、こんな風に倒れてしまうなんて。
あまつさえ、助けにやってきてくれた旧友を前に八つ当たりしてしまうなんて。
大人げないにもほどがある。
原因はもうわかっている。
これは嫉妬なのだ。
風太が自分以外の人間に対して心を許し、甘えているのが面白くないのだ。
いつもなら自分にしか向かわないそのきれいな双眸が、まだ出会って日の浅い常田に向けられているのが許せないという、理不尽で幼稚な感情。
我ながら情けなくなってくる。
風太にしてみれば、庇護者である恭介が弱っているだけでも不安でしかたがないはずだ。
そこに頼もしい大人が現れれば、安心するし甘えたくなるのも当然だろう。
「はぁ~~~すまない、風太」
「うん?」
「ごめんなぁ。俺、熱で体が怠くってさ、ついついおまえに当たっちまった。悪かったよ」
「きょうすけ、ごめんしてる?」
「ああ、ごめんしてる。俺が悪かった。許してくれるか?」
「ふうた、へいきだよ」
「許してくれるのか?」
「うん。ふうた、きょうすけすき」
「風太・・・」
風太の顔にいつもの笑みが戻る。
花が咲いたような笑顔に、恭介は心がほんわりと温かくなるのを感じた。
「風太君は良い子だね」
「ふうたいいこ?」
「ああ。すごく良い子だ。上坂、風太君のためにも早く復活しないとな」
「そうだな」
「とりあえず今夜また来る。適当に何か買ってくるから。おまえも風太君も、栄養のあるもの食って元気にならないと」
「すまないな」
「気にすんなって言ったろ。食料以外に必要なものはあるか」
「そうだな・・・ああ、できればティッシュも買ってきてくれないか」
「オーケー。じゃあ、俺はそろそろ戻る。たぶん7時頃には顔を出せると思う」
「助かる。今回はお言葉に甘えさせてもらうよ」
よっこいせ、と立ち上がる常田に風太も一緒に立ち上がる。
「風太君、お見送りしてくれるのかい?」
「うんっ」
「上坂は寝とけ。風邪には睡眠が一番だ。疲れにもな」
「悪い」
「いいって。風太君、玄関まででいいからね。それと戸締りをちゃんとするんだよ。と言ってもここは縁側から回って来れるからあまり意味はないか」
「今どき珍しいくらいにセキュリティー甘々な家だろ」
「まあ、若い男が住んでる時点で誰も狙わないよ」
「だといいけど」
「じゃあ、また後で」
「ああ。風太、先生をお見送りして」
「うんっ」
襖を開けると風太はその小さな手を常田の手に伸ばす。
それに応えるかたちで常田が風太の手を取る。
手を繋ぎながら廊下に出ていく二人の後姿を、恭介は胸の奥にもやもやしたものが込み上げてくるのを感じながら見送った。
「心の狭い人間だな、俺って」
大きなため息を吐くと、その熱に頭がくらくらする。
まだ吐く息が熱い。
この熱が下がってくれないと、冷静に考えることもままならない。
やっぱり疲れがたまっていたんだろうか。
若いし体力にもそれなりに自信があった。
こんな軟な自分は自分じゃないみたいだ。
ああ、胸が苦しい。
なんでこんなに胸が苦しいんだろう。
風太が自分以外の男と手を繋いでいるのを見ただけで、まるで鉛を飲み込んだような気分になった。
自分以外の誰かに笑いかける風太に、怒りを覚えた。
こんな気持ちは初めてだ。
風太の笑顔は自分だけのものだと、あのきれいな瞳は自分にだけ向けられているのだと、いつの間にか勝手にそう思い込んでいた。
恭介と話がしたくて、一緒にいたくて人間になれるように神様にお願いしたと、以前風太は言っていた。
その言葉が嬉しくて、風太の為ならなんだってできると思っていた。
だが、それは思い上がりだったのではないか。
というより、単なる思い違いだったのではないか。
そもそも風太は猫なのだ。
人間の感覚とは何もかも違うのかもしれない。
ダメだ・・・
考えると頭の中がグルグルしてくる。
袋小路に入ってしまった鼠のように、恭介の思考は同じ場所を何周も回り続ける。
似たような光景、似たような景色。
ここはさっきも通ったはずじゃないか。
「きょうすけ」
永遠に抜け出せない迷路を行ったり来たりしている自分を、どこか俯瞰で見ている。
ああ、そこは行き止まり。
もう一度元来た道を戻るしかない。
「きょうすけ」
馬鹿だなぁ、何度も同じ間違いを繰り返して。
学習能力がないのか。
「きょうすけ!」
遠くで誰かが自分を読んでいる。
あれは風太の声だ。
いや、違う・・・大人の男の声?
「おい、大丈夫か」
目を開けると、そこには常田と風太の顔があった。




