<57>
午後になって常田が往診にやってきた。
インターホンが鳴った瞬間、弾かれたように玄関に飛んでいく風太を複雑な思いで見遣る。
「せんせい、いらっしゃい!」
「おお、君は・・・風太君だね」
「うん!」
「元気がいいなぁ」
「ふうた、げんきだよ」
「そのようだね。どれ、早速上がらせてもらうよ」
「こっち!」
常田の手を引っぱるようにして寝室に連れていく。
木造平屋の廊下はそれなりに年期が入っていて、歩くたびにミシミシ言う箇所がある。
どことなく懐かしい感じのする家の中を、常田は目を細めながら見回す。
「きょうすけ、せんせいきたよ!」
「ああ、サンキュー」
「上坂、大丈夫か」
「すまないな、忙しい時に」
「気にすんな・・・って、いいから寝てろよ」
「悪い・・・」
起き上がろうとする恭介を制すと、常田は枕元に座り往診バッグを拡げる。
Tシャツにベージュのチノパンという医者らしからぬ装いで、長髪のせいもあってかバンドマンか飲食関係者のようにも見える。
「白衣・・・」
「ん?」
「白衣じゃないんだなと思って」
「ああ、あれ、自転車こぐとき邪魔なんだよ」
「自転車で来たのか」
「車より小回り利くんでね。車だと駐車場を探すのに無駄な時間を取られたりするからな」
「なるほど」
会話する間も常田は手際よく聴診器を恭介の胸に当てていく。
その表情は真剣で、やはり医者なのだなと思う。
そばにちょこんと座って様子を見ている風太の目は、好奇心で爛々と輝いている。
猫だとばれないように、常田が来たら他の部屋に行くようにと言い聞かせていたのに、そんなことはすっかり忘れたのかその場を動こうとしない風太に、恭介は今までにない苛立ちを覚えていた。
「う~ん・・・ちょっと胸が苦しそうだね。まあ、ただの風邪だと思うけど。熱はまだあるかい?」
「今朝測ったら38度以上あった」
「もう一度測ろう」
呼吸が浅いのは胸が苦しいからだ。
そんな恭介を初めて見る風太はずっと不安げだったが、今は常田がいるからか少し落ち着いている。
というよりどこか楽しそうにさえ見える。
「風太君はいまいくつだい?」
「うん?」
しまった、と思ったがもう遅い。
この手の会話に風太が対応できるはずはないのだ。
だから向こうに行ってろと言ったのに。
「常田、悪いが水をもらえないか」
「あっ、ふうたがもってくるっ」
トコトコと台所に向かって走る風太の後姿を見ながら、この状況をどうやって乗り越えようか考える。
年齢的に風太は小学校に通っていてしかるべきだ。
だが、話をすれば学校に通っていないことがばれてしまうだろう。
どうしたものか・・・
「きょうすけ、おみずもってきたよ」
「風太君は偉いね、お手伝いして」
「ふうた、いいこなの」
「ああ、本当にいい子だね」
「風太、おまえはもう向こうの部屋に行ってなさい」
「どうして?」
「どうしてって、ここにいたら風邪がうつるだろう。おまえはまだ小さいんだし、うつっちゃいけないから近くに来ちゃダメだって、今朝から何度も言ってるだろう」
「でもお・・・」
「いいからお庭で遊んでなさい」
ついつい言葉尻がきつくなってしまう。
納得できない風太はその白い頬をぷう~っと膨らませ、眉根を寄せている。
「風太君、良い子だね。上坂のことが心配なんだね」
「常田・・・」
「上坂、別にかまわないじゃないか。インフルエンザじゃなさそうだし、そうそううつることもないから心配しなくていい」
「でも」
「これはただの夏風邪だ。この時期に風邪を引くと結構ダメージ食らうし長引くんだよ。2、3日安静にしていたら治るよ」
「せんせい、きょうすけなおる?」
「ああ、治るよ。お薬出しておくから、今夜には熱も引くだろう」
「おねつ、くるしいの」
「そうだね、熱があると辛いからね。お、そろそろいいかな。どれ・・・37度8分。まだ結構あるね」
「きょうすけ、だいじょうぶ?」
心配そうに顔を覗き込んでくる風太に、辛うじて笑いかけてやる。
熱のせいもあるが、なんだか頭の中がもやもやする。
なんだろう、このスッキリしない感じは。
「とりあえず、熱さましを出しておくから。これは今すぐ飲んでおくといい。あと、念のために胃薬も出しておく。これは抗生物質。食事は・・・この状態だと大変そうだな。おかゆか何かあればいいんだが」
「レトルトのかゆがあるから、それを温めて食べるよ」
「それがいい。風太君の食事は・・・」
「なんとかするさ」
「なんとかって、起き上がるのも苦しそうだぞ」
「大丈夫だ。熱さえ下がれば」
「夜、もう一度来てやろうか」
「え?」
「せんせい、またくるの?!」
風太が嬉しそうに飛び上がる。
あ・・・
まただ。
なんだか胸がもやもやする。
というか、チクリと痛むような・・・
「ああ、今日はこれからまた夕方まで診察があるけど、7時には終わるから。近所だし、夕飯作りにきてやるよ。風太君の食事とか、大変だろう」
「いや、気遣いは嬉しいけど俺一人でなんとかなるんで」
「遠慮しなくていいんだぜ。困った時はお互いさまじゃないか」
「だが・・・」
「せんせいきてくれるの、ふうたうれしい」
「風太!」
思わず語気を荒げてしまう。
そんな恭介の険しい表情と声音に、風太がビクンと肩を揺らす。
ただならぬ雰囲気に、常田は目を丸くして二人を見つめた。




