<56>
「きょうすけ、だいじょうぶ?」
「う・・・ああ、大丈夫だ。俺は平気だから向こうのお部屋に行ってなさい」
「でもお・・・」
「そばに来ちゃダメだ、風邪がうつっちまうからな」
不安げに瞳を揺らしながら覗き込んでくる風太に、かろうじて微笑んでやる。
だが正直言って今はしゃべるのも辛い。
健康だけが取り柄の恭介が、夏風邪でダウンしてしまった。
事の始まりは昨日の夕方で、何だか喉が痛い、ゾクゾクすると思ったが押している仕事があったので夜中まで無理して作業した。
寝る時にちょっと体が怠いような気がしたが、ほっとけば治るだろうと油断したのがまずかった。
今朝になって熱は急激に上がり、体中の関節が痛むという最悪のパターンとなった。
朝からまともに起き上がることもできず横になっている恭介に、風太がオロオロしてしまうのも無理はない。
風太が来てからというもの、寝込んだことはほとんどないからだ。
喋ろうとするとゴホゴホと咳が出る。
体を揺らして咳き込む恭介の姿に、風太の不安はマックスに膨れ上がったようだ。
「きょうすけ、おくすりのむ?」
「いや、薬はもう飲んだ」
「痛い?」
「そうだな・・・まあ、大丈夫だ。心配ない」
「ふうた、きょうすけのそばにいる」
薬は飲んだとはいえ、ただの市販薬だ。
さっき熱を測ったら38度8分もあった。
まさかこの時期にインフルエンザということはないとは思うが、性質の悪い風邪かもしれない。
子供の頃から健康で持病などはないが、気管支炎など大人になってから罹るケースもある。
念のために医者に診てもらったほうがいいかもしれない。
それに何より、風太にうつしてしまってはまずい。
万が一風太が病気になった場合、医者に診せることはできないからだ。
猫でもない、人間でもない風太を、人間の医者にも獣医にも診せるわけにはいかない。
もしかすると妖力とやらで病気など吹き飛ばしてしまえるのかもしれないが、できればリスクは最大限に回避しておきたい。
だが、風太は頑としてそばを離れないと言う。
真剣な顔を見ると、追い払うのはかえって可哀相な気もする。
「そうだ・・・風太、ちょっと俺の携帯を持ってきてくれるか」
「でんわ?」
「ああ、小さい電話の方だ」
「うん」
トコトコと居間の方に駆けていくと、スマホを片手に風太が戻ってきた。
それを手に取るとアドレス帳を開く。
高校時代の友人で医者になったやつがいる。
先日夏祭りで近所の神社に出かけた時、偶然再会したのだ。
この近くで診療所をやっているという。
祖父が開業した診療所を、インターンを終え大学病院に勤めていた彼がつい最近引き継いだらしい。
地域に密着した丁寧な診療は近所の人にも評判が良く、また気さくに往診にも応じるという話だ。
平日のこの時間ならちょうど診察中だろうが、手が空いた時に来てもらえないか頼んでみることにした。
「はい、常田医院です」
数回のコールの後、受付らしい年配の女性に繋がる。
事情を話すと「先生に代わります」と言われる。
しばらく待たされた後、若い男の声に代わった。
「やあ、常田・・・」
「上坂か?どうした、具合が悪いのか」
「声を聞いただけでわかるのか?」
「ああ、かなりつらそうだ」
「そうか・・・忙しいところすまないな。実は熱が下がらなくてな」
「何度あるんだ」
「38度8分」
「そりゃ結構な高熱じゃないか」
「ただの夏風邪だとは思うんだが、情けない話、体が痛くて動くのもつらいんだ。それで・・・」
「わかった。往診してやる。まだ午前の診察が残ってるから今すぐと言うわけにはいかないが、昼過ぎなら行けると思う」
「悪いな」
「気にするな。どうせ昼間は往診で回ってるんだ。そのついでさ」
「助かるよ」
常田に会った時、風太と一緒だったので、親戚の子を預かっているということは彼も知っている。
だが念のために風太にも口裏を合わせるよう言い聞かせておかなければ。
「風太、これから俺の知り合いのお医者さんが来る」
「おいしゃさん?」
「ああ、ほら、前に神社のお祭りで会っただろう?常田って男の人」
「トキタさん・・・」
小首を傾げる風太は可愛い。
熱でぼうっとした頭でそんなことを思ってしまう。
懸命に思い出そうと考え込んでいる風太だったが、ふと思い至ったのかパァッと顔色が明るくなる。
「めがねのひと?」
風太はこう見えて記憶力が良い。
一度会った人間のことは、どうやら忘れないようだ。
「そうだ、よく覚えてたな」
「めがねかけてたの。きょうすけとおはなししてた」
「そうだ、眼鏡かけたちょっと長髪のやつだ」
「ちょーはつ」
「髪の毛の長いって意味だよ」
「かっこいい」
「え?」
「かっこいいひとだね」
「え・・・あ、まあ・・・そうだな。言われてみりゃ確かに男前だな」
「めがねでちょーはつ・・・?のかっこいいひと、きょうすけにあいにくるの?」
「うん・・・具合悪いって言ったら診に来てくれるってさ」
「やったぁ!!」
嬉しそうに布団の周りで小躍りする風太に、複雑な気持ちになる。
常田のことを“かっこいい”と言ったことが、なんだか気に入らない。
確かに常田はクールな美形だ。
高校時代、恭介は典型的なスポーツマンタイプでそこそこ女子に人気があった。
自惚れているわけではないが、おそらく学年でも1、2を争う人気だったと思う。
そしてその1、2を争った相手が他でもない、常田圭吾なのだ。
常田は恭介とは正反対のタイプで、頭脳明晰で見るからにお坊ちゃんという雰囲気で、これまた女子に人気があった。
王子とかプリンスとか言われていたっけ。
互いに一度も同じクラスにはならなかったこともあり、特に親しく話をすることもなかった。
だがお互い顔と名前は知っていたと思う。
高校を卒業して10年以上経つのに、偶然再会しても誰だかわかるくらいには、知っていたということだろう。
「ふぅ~~~」
そんなことをグルグル考えていると、熱が上がってきたような気がする。
「きょうすけ?」
「ん、いや、大丈夫だ。ほら、風邪がうつっちゃいけないから、向こうでテレビでも見てなさい」
「うー」
「それと、常田が来たら耳と尻尾は絶対に出しちゃダメだぞ」
「おみみとしっぽ、ださないよ」
「あと、おまえは俺の親戚の子ってことにしてるからな。何か聞かれてもあまりしゃべるんじゃないぞ」
「しゃべっちゃダメなの?」
「猫だってばれたらまずいだろ」
「でもぉ・・・」
何となく言葉じりが強くなってしまっていることに、恭介自身気付いていない。
風太の「かっこいい」という一言が、小骨のように喉に詰まって取れないのはなぜだろう。
頭がガンガンする。
「チクショウ・・・風邪くらいで情けねえなぁ・・・」
ちょっぴりネガティブになってしまう恭介であった。




