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「ふを~~~」
「こりゃあ旨そうだ」
豪華な料理の数々を前に、二人は感嘆の声を上げる。
シックな黒の座卓の中央には、新鮮な刺身の舟盛りがドーンと置かれている。
だが、何より目を引くのは伊勢海老の活造りだ。
大きな伊勢海老は長い触角がまだ動いており、その新鮮さがわかる。
猫の本能なのか、動く触覚に目が爛々と反応している。
「風太、落ち着けよ。ゆっくり食べたらいいからな」
「うんっ」
次々と料理の小鉢を卓上に並べる仲居が、そんな風太を微笑ましげに見ている。
「これ、高野豆腐ですね。珍しい」
ふと目に留まった小鉢には、高野豆腐が上品に盛られている。
豆腐の上に乗せられた小さな人参とさやえんどうが、鮮やかな色のコントラストを演出している。
東京出身の恭介は、これまで高野豆腐を食べたことが数えるほどしかない。
だからつい珍しいと言ってしまったのだが、仲居の説明になるほどと膝を打った。
「高野豆腐の高野は、高野山から来てるんですよ。高野山の修行僧が食べていた精進料理ですわ」
「ああ、なるほど!高野山だから高野豆腐なのか」
「ええ。高野山は和歌山にありますさかい」
「そうか、地元の料理なんですね」
「まあ、そういうことになりますねぇ」
ひとつ勉強になったと感心しながら、並べられた料理を目で堪能する。
「ほな、どうぞごゆっくり」
全ての皿を並べ終えたところで、仲居は人の良さそうな笑顔を残して立ち去って行った。
次の瞬間、風太がバッと身を起こして膝立ちになり、伊勢海老の触角を指で摘まもうとする。
「こら、風太。なにやってんだ」
「んっとねぇ・・・えびさん、ぴくぴくしてるの」
「食べる時はちゃんと座りなさい」
「だってぇ」
「食事中にお行儀が悪いぞ」
「えびさん、うごいてるの」
「まあな」
「えびさん、たべないでっていってる?」
「え・・・」
「だって、おひげがうごいてるもん。たべちゃだめなの・・・」
「いや、まあ・・・それはだな・・・」
「きょうすけ、えびさんたべるの?」
「う・・・」
どうやら風太は、まだ動いている伊勢海老を食べるのは可愛そうだと思っているようである。
だが、実際のところこのエビはもう生きてはいないのだ。
触角が動いているのは、甲殻類の構造がそうなっているだけに過ぎない。
それをどう説明すればいいのか。
「あのな、風太。この海老さん、俺たちに食べて欲しくてひげを動かしてるんだよ」
「そうなの?」
「ああ。ほら、この触覚・・・じゃなかったヒゲ、風太のほうに向かって動いてるだろ。風太に食べて、って言ってんだよ」
「ふを~」
苦し紛れの説明に、素直な風太は感心しているようだ。
じぃっと触角を見つめると、指でつんつんと突いてみせる。
「ほれ、風太。刺身食べるだろ」
いつまで経っても食事が進みそうにないので、風太の小皿にしょうゆを入れてやると、まぐろの赤身を一切れ取る。
まぐろは風太の大好物のひとつなのだ。
目を輝かせてまぐろを箸で摘まむ。
器用な風太は、あっという間に箸の使い方を覚えた。
風太くらいの年代の子供で、こんなに上手に箸を使うのを見たことはないように思う。
まぐろを食べ、次は鮃を口にすると、満面の笑みを浮かべる風太。
風太の笑顔だけでもいいつまみになりそうだ。
「う~ん、やっぱり刺身と日本酒はよく合うなぁ」
日頃はそんなにアルコールを飲まない恭介だが、旅先となれば話は別だ。
せっかくの豪華な料理に、やはり飲まないのはもったいないだろう。
海の幸となれば日本酒、それも冷酒がピッタリだ。
仲居に勧められるまま、結構高い酒を頼んでしまった。
だが、高いだけあって旨い。
舌の上を芳醇な香りが転がっていくようだ。
そんな恭介を、風太が興味深そうに覗き込んできた。
「おさけ?」
「ああ、冷酒だよ」
「れいしゅ・・・」
「風太にはまだ早いな」
「ふうた、おさけいらない。おさけ、くしゃいの」
「はは、風太には臭く感じるのか。やっぱり子供だな」
「きょうすけ、これなに?」
「ん?」
風太が指さしたのは、鴨のローストだ。
そういえばチキンは何度も食べさせているが、鴨は一度もなかったかもしれない。
「ああ、これは鴨だな」
「かも・・・」
「鳥の一種だよ」
「とりさん?」
「そう、チキンみたいな感じだな。どれ、一口食ってみろ」
「うん」
鴨のローストを頬張ると、美味しかったのか風太の顔が綻ぶ。
料理は海の幸を中心にした和食だが、マリネのようなものもあるし、鴨のローストもある。
あとで仲居がしゃぶしゃぶの小鍋を用意すると言っていたので、風太の好きな牛肉も出てくる予定だ。
「あんかけも美味いな。さすがは高級旅館だ。ここにして正解だったな」
「おいしい、きょうすけ、えびさんおいしいの」
「どれ、俺もいただくとするか」
口に含んだ瞬間甘みが広がる。
新鮮な活伊勢海老なんて食べたのは、いったいいつぶりだろう。
まだ小さかったころ、家族で伊豆に旅行したときに食べた気がするが、子供だったので味なんてほとんど覚えていない。
「う~ん、美味いな」
二人して舌鼓を打っていると、仲居がしゃぶしゃぶの準備をしにやってきた。
土鍋の小さいのを二つと、霜降りのしゃぶしゃぶ肉に色とりどりの野菜を入れた皿を二つ、仲居が手際よくテーブルに並べる。
タレはポン酢とゴマの二種類ある。
薬味も十分な量があり、これはまた酒が進みそうだ。
「風太、しゃぶしゃぶは初めてだな」
「しゃぶしゃぶ?」
「ああ、この鍋の中の出汁が煮立ってきたら、そこに肉をさっと潜らせて食べるんだ。あまり長いこと肉を浸けるとせっかくの風味が薄れるからな。まだピンク色の状態で引き揚げて、たれに付けて食べる」
「んん・・・」
口で説明しても風太には理解しづらそうだ。
というわけで、実際に恭介が食べるところを見せることにする。
興味深げに見つめる風太の前でデモンストレーションすると、風太は感動の声を上げた。
「ふを~~~すごいねっ」
「だろ?」
「おにくをしゅーーーってやるの?しゅーって」
「そうだ。しゅーーーってやって、たれに浸けて食べるんだ。ほれ、やってみろ」
「うん!」
見よう見まねで肉を鍋に泳がせる風太である。
「そろそろいいぞ、引き上げろ」
「うん」
さっと肉を引き上げ、ポン酢たれに浸けるとそれを口の中に含む。
美味しかったのか、風太の目が大きく見開かれる。
「おいしい・・・きょうすけ、すごくおいしい」
「そうか、よかったな。たくさん食べろよ」
「うんっ!」
時間をかけてフルコースを完食した頃は、9時前になっていた。
こんなにゆっくりと、たくさんの種類の料理を食べたのは、本当に久しぶりだった。
大満足の二人は、その夜は早めに床に就いたのだった。




