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水が触れると生理的に拒絶反応が出るのか、最初は全身をこわばらせいていた風太だったが、時間が経つにつれてだんだん慣れてきたようだ。
とはいえ、左手はてんとう虫の浮き輪に、右手はしっかと恭介の手を掴んで離さないのだが。
恭介が少しでも動くとそのたびにビクビクッと身を震わせる。
これでは泳ぐこともままならない。
「風太、平気だからちょっと手を離してごらん」
「うーーー」
「なんだ、あれだけ海に行きたがってたくせに」
「だって・・・おみず・・・」
「風太は猫だから水は嫌いなのか」
「んーーーおかおにかかるの」
「顔にかかるのが嫌なのか」
猫とは繊細な生き物だなぁと、改めて思う。
きれい好きだし、大雑把な人間とは根本的に違うのだろう。
だがせっかく遥々南紀までやってきたのだ。
できるかぎり楽しませてやりたい。
海の楽しさを、思う存分味あわせてやりたい。
「そうだ、風太。俺の背中に捉まれ」
「おせなか・・・?」
「ああ。ほれ。こうやって・・・」
くるりと背中を向けると、その両肩に捉まらせる。
一瞬手を離されて風太は不安げな顔をしたが、思いのほか広い恭介の背中に乗っかるかたちになったことで安心したらしい。
「浮き輪が邪魔だな」
「じゃま?」
「風太、浮き輪から出られるか」
「ううっ」
「やっぱ無理か。ま、いっか。しっかり掴まってろよ」
言い終わらないうちに恭介は平泳ぎを始める。
「ふをっっ」
突然前に進みだしたことで驚いたのか、風太の声が裏返る。
「大丈夫だ、風太。俺にしっかり掴まっとけ」
すいすいと蛙のように泳ぐ。
背中にあたる浮き輪がちょっと邪魔だが、しょうがないだろう。
しばらく泳いでいれば、風太も慣れてくるに違いない。
ゆっくり、ゆったりと大海原を泳いでいく。
最初は不安そうにしていた風太だったが、水の中を移動する浮遊感が面白いのかして、恐怖心が薄れてきたようだ。
もう大丈夫だろうと、その細いからだから浮き輪を外す。
すると、風太の体がピタリと背に密着するかたちになり、さらに一体感が増した。
背にしがみついている風太も一緒に泳いでいるようなかたちになり、傍から見ているとなんとも言えずほのぼのした光景だ。
恭介の泳ぎはなかなかのもので、それなりにスピードもある。
最初はただ必死にしがみついているだけだった風太だが、そのうちこのスピード感が楽しくなってきたのか、きゃっきゃと声を上げてはしゃいでいる。
「ふをーーーーー!!!」
「楽しいか、風太」
「うんっ」
「こうして泳ぐと気持ちいだろ」
「はやいねー、すごいねー」
「まあな。こう見えても泳ぎは結構得意なんだよ。本当はクロールのほうが早いんだが、平泳ぎも悪かないな」
「うみ、たのしいね」
「そうだろ?」
風太を背に乗せてすいすい泳ぐ恭介を見て、「あの子可愛い~」という黄色い声が上がる。
それがまるで自分たちに対する声援のようで、恭介の泳ぎはさらに加速する。
「親子かな」
「それにしてはパパの方、若すぎない?」
「あの子、外人だよね。ハーフ?」
「めっちゃ可愛い」
「あの男の人もすごくカッコイイよね」
ギャラリーが見守る中、恭介と風太は泳ぎ続けるのだった。
「うまいか、風太」
「うん。でもつめたいの」
「まあな、氷だからな」
ひとしきり泳いだ後、海の家で休憩を取る二人である。
恭介はビールを飲みながら、かき氷を無心で頬張る風太に目を細めていた。
イチゴのかき氷を嬉しそうに食べる風太は、時々氷の冷たさに目を瞬かせている。
シロップが口について、ただでさえ赤い唇がさらに赤くなっている。
さくらんぼのようで愛らしい。
「それ食ったら日焼け止め塗っとこうな」
「おくすり?」
「薬っていうか、日焼けを防ぐローションだ」
「さっきもぬったよ」
「汗かいたり水に濡れるとすぐに取れちまうんだよ。さっき塗ってからもう30分以上経つからな。もっかい塗っとこう」
「うん」
久しぶりに体を動かしたことでいい汗をかいたし、気分もリフレッシュできた。
風太を喜ばせたい一心で計画した旅行だったが、案外自分にとっても良い息抜きになったかもしれないと思う。
一日中家で仕事をしていると、なかなか遠出することもできない。
何かのきっかけがないと、こんな風に海に行こうとは思わなかっただろう。
そういう意味でも、風太に感謝しなくてはいけない。
風太と一緒にいることで、どんどん世界が拡がっていく。
同時に、大切な思い出も増えていくのだ。
「今日の夕飯が楽しみだな」
「ごはん?」
「ああ、海の幸がいっぱいだぞ」
「うみのさち・・・」
「風太の好きな魚だ」
「おさかな!ふうた、おさかなすき!」
「伊勢海老もあるぞ」
「えびもすきなの!」
「お肉もあるからな、楽しみにしとけ」
「ふうた、うれしい」
「風太が嬉しいと、俺も嬉しいよ」
「きょうすけ、うれしい?」
「ああ、すっげえ嬉しいさ」
「ごはん、たのしみ・・・」
そう言ってにっこり笑う風太の輝くような笑顔に癒される、恭介だった。




