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「う~ん、さすがに暑いな。そろそろエアコンの登場かな。なあ、風太?」
赤紫の鮮やかな朝顔に水やりをしているところである。
このところ風太のお楽しみは、こうして早起きして庭の草花の世話をすることなのだ。
いつもは8時ごろまで寝ている恭介も、風太に付き合ってなるだけ7時には起きるようにしている。
猫耳と尻尾のせいでお出かけができない風太にとって、庭だけが貴重な遊び場なのだ。
それがたとえ猫の額ほどの広さだったとしても。
朝顔の種を植えたのは、数週間ほど前のこと。
プランターを買い、支柱も買って万全の態勢を整えた。
ネットで育て方を調べ、風太と二人でこうして毎日世話をしていると、朝顔たちは見事に美しく開花した。
風太は大喜びで、「きれい、きれい」と騒いでは毎朝毎晩、欠かさず水やりをしているのだ。
風太が幸せだと恭介も嬉しい。
多少の早起きなど、苦にならない。
真夏の太陽は容赦なく恭介宅の庭を照りつける。
まだ朝の7時過ぎだというのに、これでは昼間は到底がまんできないだろう。
庭に面した縁側を開放していたところで、さすがにここまで気温が上がるともうお手上げだ。
なるだけエアコンは使わないようにしているが、午後に向けて暑くなりそうな陽射しに、熱中症になるのだけは避けなくてはと思う恭介だ。
「風太、そろそろ上がるか」
ふと横を見ると、さっきまで隣で嬉しそうに水やりをしていた風太の姿がない。
「風太?」
いつの間にか愛しい存在が姿を消していることに気付いた恭介は、慌てて手にしていたゾウさん如雨露(これも風太とおそろいだ)を置くと、縁側に膝をかけて部屋の中を覗く。
「お~い風太、どうした。どこにいる?おしっこか?」
トイレにでも行ったのだろうか。
だがいつもならこういう時必ず一言、「ふうた、おしっこ」と恭介に声を掛けてからいなくなる。
何も言わずに忽然と姿を消すなんて真似は、しないはずなのだ。
なんだか胸騒ぎがする。
「風太~。どこだ~?」
真っ先に洗面所を覗くがやはり風太はいなかった。
トイレも空だ。
台所を見てみるも、ここにもいない。
「どこへ行ったんだ、風太」
焦りにも似た感覚が、恭介の中で膨れ上がってくる。
心臓がバクバク音を立てているのが自分でもわかる。
嫌な汗が背中を滴り落ちる。
落ち着け、落ち着くんだと己に言い聞かせるが、喉がからからになって声が震えるのを止めることができない。
「風太ぁ~」
風太には勝手に外に行ってはいけないと、しつこいくらいに言い聞かせている。
電話にだって出ないように言ってあるのだ。
固定電話にかけてくるのはもはやセールスかキャッチくらいのもので、知り合いはみな携帯に連絡してくる。
だからたまに鳴る電話の音に風太が反応しても、無視するようにと日頃から言ってある。
基本的に風太が恭介の言いつけを破ることはない。
だから、姿が見えないからといって焦る必要はないのだ。
きっと押入れかどこかで丸くなって眠っているだけに違いない。
風太は時々猫の姿に戻って、思わぬ場所(たとえば本棚の上とか)でうとうとしていることもあるのだし、こんな風にパニックになる必要などない。
なのになぜだろう、この胸騒ぎは。
いてもたってもいられず、恭介は家じゅうを探し回る。
押入れを開けて、布団の間に手を突っ込んでみたり、風呂場を覗いて見たり、とにかくありとあらゆる場所をチェックして回った。
だが、風太の姿はない。
「どこ行っちまったんだよぉ・・・風太ぁ・・・」
痛いほど胸がバクバクしている。
Tシャツは汗でビショビショだ。
泣きそうになりながら居間の畳に膝を着いた時だった。
「きょうすけ?」
風太の声だ。
どこだ?
どこにいる?!
慌てて立ち上がろうとして足がもつれる。
そのまますてんと尻もちを着いた恭介の前に現れたのは、求めてやまない相手だった。
「風太っ!!」
ガバッと身を起こすと、その小さな体を抱きしめる。
「風太ぁ・・・おまえ、どこ行ってたんだよぉ・・・探したじゃないかよぉ・・・」
「ん?」
「黙ってどっか行っちゃダメだろ」
「きょうすけ、みて。ふうた、きょうすけといっしょになったよ」
「え?」
抱きしめていた腕を解いて風太をまじまじと見つめる。
なんだかいつもの風太と違う気がする。
いや、そんなはずはない。
クリクリとした猫目石のような瞳も長い睫毛も、ちょこんと小さな形の良い鼻もさくらんぼの唇も、どこをどうとっても風太以外の何ものでもない。
にも拘らず、何かが激しく違う気がする。
違うと言うより、違和感と言ったほうがいいかもしれない。
「風太・・・?」
「ほらみて。おみみ。ふうたのおみみ、なくなったよ」
「!!!」
そうなのだ。
白金の髪の間からちょこんと生えた白いふわふわの猫耳が、忽然と消えているのだ。
違和感の原因はこれだったのか。
「風太、おまえ・・・」
「しっぽもなくなったよ、ほら」
お尻をくるりとこちらに見せてくる。
確かにいつもふわりと揺れる長くてもふもふした尻尾がない。
今の風太はどこをどうとっても、普通の少年だ。
ハーフか、外国人の少年にしか見えない。
「きょうすけ?」
あまりの驚きに声を失っていると、風太が不安そうに見上げてくる。
「ふうた、いっしょうけんめいがんばったよ。これできょうすけとおなじ。ふうたうれしい。きょうすけは?」
「あ、いや・・・」
「きょうすけ、うれしくないの」
「いや、そうじゃない、そうじゃないよ」
風太の突然の変化に戸惑っている自分がいる。
その戸惑いの理由が、恭介本人にもまだよくわかっていなかった。




