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あっという間に爽やかな季節は過ぎゆき、じめじめとした梅雨がやってきた。
この時期は家全体が湿気で傷みそうで気を使う。
マンション暮らししか経験のない恭介にとって、こういう純日本家屋に住んだのは初めてのことだった。
畳の部屋も土壁も、ここに越してくるまでは見たことも触ったこともない生粋の現代っ子であり都会っ子なのだ。
それでもこのメンテナンスが大変な平屋の戸建てが、恭介は気に入っている。
木も土も畳も、猫の風太にとってはコンクリートよりよほど好ましいからだ。
雨戸を開けるとそれこそ猫の額ほどではあるが庭もあり、風通しもいい。
だがうっかりしていると、押し入れやタンスの洋服はあっという間に黴にやられてしまうので、保存状態は常にチェックしなくてはならない。
1人暮らしならばそんな面倒なことをする気にもならないのだろうが、風太と一緒だと思えば苦にもならない。
晴れた日に風太と一緒に天日干しなんて、むしろ楽しいとすら感じるくらいだ。
「風太、今日はやっと晴れたな」
「うん!」
「このところ雨ばっかでうっとおしかったからな」
「きょうすけ、きらい?」
「ん?」
「あめ、きらい?」
「んーーー、そうだな」
うっとうしいという言葉に反応したのか、風太が小首を傾げながらそう尋ねてくる。
猫は雨を好むのだろうか。
「まあ、好きか嫌いかって言われたら、あんまり好きじゃないかもな」
「どうして?」
「うーん・・・だってさ、じめじめするだろう?」
「じめじめ・・・」
「外に出かける時も傘ささないといけないし、歩く時前も見にくいしさ。やっぱりお日様が照って青空が広がってるほうが気分がいいってもんだろ?」
「そうなの?」
「風太は雨が好きなのか」
「んっとねぇ・・・ふうた、あめきらいじゃないよ」
「そうか」
「ぴちぴちじゃぶじゃぶするの」
そう言いながら、風太が小さな尻をフリフリして歌いだす。
「あめあめ ふれふれ かあさんがぁ~
じゃのめで おむかえ うれしいな~
ぴちぴち じゃぶじゃぶ らんらんら~ん」
招き猫のように両手を丸めて、クルクル回る風太の様子に恭介の目尻が下がる。
本当は「じゃぶじゃぶ」じゃなくて「ちゃっぷちゃっぷ」なのだが、そんなことはどうだっていい。
この愛らしさたるや、悶絶しそうなくらいだ。
風太が回るたびにお尻から生えたふさふさの尻尾も揺れる。
どこで覚えたのか、童謡を歌う風太は今日もご機嫌だ。
すると突然、「あっ」という声を上げたかと思うと風太が縁側にダッシュする。
何ごとかと慌てて恭介も後を追うが、風太の瞬発力にはなかなか追いつけない。
人間の姿では10歳くらいにしか見えない風太だが、元が猫なだけあって反射神経と運動神経が尋常ではない。
あっという間に縁側から庭先に飛び降りた風太が嬉しそうに手にしたのは、一匹の小さな蛙だった。
「カエルさん、つかまえたぁ~」
満面の笑みを浮かべる風太だが、恭介は硬直してしまう。
というのも、都会っ子の恭介は蛙や爬虫類が苦手なのだ。
この戸建に住むようになって何が一番大変かというと、虫やヤモリといった小動物なのだ。
風太は猫の習性なのか本能のなせるわざなのか、とにかくこういった小動物を見つけるのがうまい。
これから暖かくなってくると虫や小動物がどんどん出没する季節になる。
つい先日も目をらんらんと輝かせてカマキリを捕まえようとしている風太を、全力で止めた恭介である。
「あ・・・あのな、風太、蛙は家に帰りたがってるんじゃないか」
「カエルさん、おうちかえる?」
「ああ、蛙にも家があるだろ」
「カエルさん、ともだちになれない?」
「いやぁ、それは・・・」
「ふうた、カエルさんとあそびたいな」
蛙は遊びたくないと思うぞ、という心の中で呟きながらも、恭介はどうやって風太を説得すればいいのか悩んだ。
よく見ると蛙はそこそこデカい。
小さなアマガエルならまだしも、この大きさは見れば見るほどグロテスクで、一刻も早くそんなものは放して手を洗いなさいと言いたいくらいだ。
だが、虫や蛙は風太にとっては狩りの対象なのだ。
猫の本能を邪魔するのはなんだか可哀相で、恭介も強くは言えない。
「か、蛙はたまたまこの庭を通って家に帰ろうとしてただけなんだよ。家にはお父さんやお母さんが待ってる。もしかしたら子供がいるかもしれない」
「こども?」
「ああ、もしかしたらだけど」
「カエルさん、おとうさんなの?」
「うーん・・・お母さんかもしれないけどな」
「おかあさん・・・」
そう呟くと、風太は手の上の蛙をまじまじと見つめる。
大きな猫目石のような瞳に捕らわれて、蛇に睨まれた蛙ならぬ猫に睨まれた蛙状態だ。
これは蛙にとっても相当なストレスだろう。
「そう、だからお家へ帰してあげよう、な?」
「うーーー」
「ほら、風太だってお家に帰りたいのに邪魔されたら嫌だろ?」
「ふうた、ずっとおうちにいるもん」
「まあ、そうなんだけどさ。でもこの蛙は家に帰りたいんだよ。だからほら、そっと放しておあげ」
ぷう、と頬を膨らましているのは風太が納得していないからだ。
しばらくじっと蛙を見つめていた風太だったが、諦めたように蛙を放した。
自由になった蛙は大きくジャンプして庭を横切って行った。
まだ小さな口を尖らせて不服そうな顔をしている風太を後ろから抱きしめる。
「風太~、そんなガッカリすんな。おまえには俺がいるだろ?」
「だってぇ・・・」
「そんなに蛙と友達になりたかったのか」
「カエルさん、ぴょんぴょんするの」
「まあ、だからぴょん吉とか名前付けられたりするんだろうな」
「ぴょんきち?」
「ああ、古い漫画のキャラクターだよ」
「?」
風太には漫画がどうのと言っても通じなかったのか、小首をかしげている。
そんな仕草も可愛いと思いつつ、早く洗面所に連れて行って手を洗わせなくてはと焦ってしまう。
「さ、風太、お手てきれいきれいしよう」
「ふうた、べつによごれてないよ」
「いいから来なさい」
もうすぐ7月になる。
夏は虫の季節だ。
虫対策、どうしようか・・・
頭を悩ませる恭介であった。




