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風太の紅い唇が近づいて来る。

少し小さめの、それでいて程よい肉厚のプルンとした唇の感触が恭介を包んだ。

ギュッとしがみ付いてくる白い腕も、なめらかな背中も、何もかもが愛おしい。

思わず強く抱きしめると、風太のふわふわした長い尻尾が大きく揺れた。


「んっ・・・・・・」


甘い吐息を漏らす風太の唇は、先ほどよりもさらに紅くなっているように見える。

暗がりの中、雪見障子から大きな満月が覗いている。

そういえばさっきトイレに行ったときやけに月が大きく感じたことを、恭介は思い出していた。

それは、風太に特別な力をもたらした原因なのかもしれない。

月の力を借りて人型になったり猫に戻ったり、自在にできるようになったらしい風太。

だが、彼の望む“完璧な人間”には、どうやらまだなれないらしい。

口づけをかわしながら、風太の頭をゆっくりと撫でる。

そのままビロードのような耳に触れてやると、風太の背中がピクンと跳ねた。


「耳、触っちゃダメなの」

「え、どうして・・・」

「どうしても」


そう言うと、唇を尖らせてプイと横を向く。

さっきまであれほど妖艶な色香を放っていたというのに、まるで幼児のような拗ね方に思わず笑みが零れてしまう。

だが、触るなと言われるとかえって触りたくなるのが人のサガというもの。

左耳をちょんと突いてやると、風太が大きく飛びのいた。

両手で耳を隠すようにしてこちらを睨みつけてくる。


「だめ~~~!」

「なんで?」

「なんでもっ」

「触られると感じるから?」

「・・・・・・・・!!」


どうやら、耳は風太の性感帯らしい。

確かに、猫は耳の付け根や額を触れると嬉しそうにするが、まさか性感帯だったとは。

図星をつかれたからか、風太はそのもふもふとした長い尻尾を忙しなく揺らしている。

これは、猫が精神的に落ち着かないときの仕草だ。

プゥと唇を突き出した風太は、抱きしめてグリグリしたいくらいにキュートだ。

だが、忙しなくパタつかせている尻尾が気になる。

ご機嫌ななめな風太も可愛いが、やはり愛らしい笑顔が見たいのだ。


「ごめん、風太。怒ったのか?」

「べつに・・・」

「意地悪するつもりじゃなかったんだ。ただ、おまえがあまりに可愛いから・・・」

「風太、かわいい?」

「ああ、可愛いよ。風太は俺の可愛い猫だ」


風太の表情が一瞬曇る。

唇を噛みしめた顔は、どこか寂しげだ。


「やっぱり風太は猫なんだね」

「ん?猫じゃ嫌なのか」

「風太、恭介と同じになりたいの」

「同じって、人間になりたいってこと?」

「うん」


少し俯いてしまった風太を優しく抱きとめる。

風太はずっと気にしていたのだ。

自分の存在が、恭介の足を引っ張っているのではないかと。

だがそんなことはまったく杞憂なのである。

風太と出会ったことで、恭介の人生は今までにないくらい素晴らしいものになったのだから。

そのことを、なんとか風太に伝えなくては。


青年の姿になったとはいえ、元が猫だからか、風太には難しい言葉は理解できないようだ。

恭介は根気よく、わかりやすい言葉で風太に伝える。

まるで幼子に世の中の道理を教えるかのように、一語一語、噛みしめるように話して聞かせた。


「いいかい、風太。何度も言うけれど、俺はおまえと出会えて感謝してるんだよ。心からありがとうって思ってる」

「ありがとう?風太に?」

「そうだよ。だって風太のおかげで俺は今こんなに幸せなんだから」

「恭介、幸せ?風太と一緒で幸せなの?本当に?」

「本当さ」

「お外、出られなくても?」

「風太は外に出たいのか?」

「んっと・・・どっちでもいいよ。ここで恭介と一緒にいられるなら、別にお外に行かなくてもいい」


風太が遠慮しているのではないかと、恭介はその飴玉のような不思議な瞳をじっと見つめた。

吸い込まれそうな大きな瞳。

瞬きするたびに、長い睫毛がバサバサと音を立てる。

愛する風太の心の機微を見逃さないためにも、その表情の一つ一つを慎重に観察する。


「風太が幸せなら、俺はそれでいいんだよ。確かに、二人で出かけたりするのも楽しいけど、別に出かけなくてもいくらでも楽しいことはあるだろう?」

「でも・・・」

「それに、帽子を被ってコートを羽織れば外に出られるし」


いくらそう言っても、風太は納得しないようだ。

彼の中で“完璧な人間になる”ということは、何か大きな意味のあることなのかもしれない。

それは、猫である風太にしかわからないことなのかもしれなかった。


「それよりも風太、ひとつ気になることがあるんだ」

「なに?」

「神様にお願いして、月の力で人になったり猫になったり、変化できるようになったんだよな?」

「うん、そうだよ」

「それって、たとえば猫の姿のまましばらくいたいと思えば、そうできるってことか?今の大人の姿も、風太がずっとこのままでいたいと思えばいつまでもこのままでいられるのか?それとも、月の力には期限みたいなのがあるのか?」

「期限って?」

「たとえば、今日は満月の力で大きくなれたわけだろ。それってつまり、満月じゃなくなるとまた小さく戻っちゃうとか」

「う~ん・・・」


きれいなおでこに皺を寄せて、風太が考え込んでいる。

どうやらその辺のことは彼にもよくわからないらしい。

だが、これは恭介にとって非常に重要な問題なのだ。

いつでもどこでも自由自在に姿を変えられるのか、それとも期間限定なのか。

もしも前者の場合であれば、二人で外に出かけることはそれほど難しくはない。

外出する時だけ猫の姿になればいいのだから。

誰かが来た時も猫の姿になれば、風太は単なる恭介のペットにしか見えないだろう。

二人きりの時だけ獣人姿でいれば誰にも見られることはない。

自由に外にも出かけられるのだ。


必死でうーん、うーんと考えている風太を、これ以上追い詰めたくはない。

月明かりに銀色に光る長い髪をそっと撫でてやると、風太の表情が少しだけ和らいだ。


「風太、そんなに無理して考えなくてもいいよ」

「でも・・・」

「そのうちきっと、なんとかなるって」

「そうかな」

「そうさ。今度また神様に聞いてみてくれればいいからさ」

「うん。今度聞いてみるね」

「とりあえずまだ夜中だ。朝までもう一眠りしよう。な?」

「うん・・・」


風太を抱きしめ、布団に入る。

大の男が二人、一つの布団で寝るとさすがに狭い。


「布団も買い直さなきゃな」


そう独りごちると、恭介は眠りの淵に落ちて行った。






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