<14>
「風太・・・なのか?」
トイレから戻ってくると、目の前に裸の猫耳青年が鎮座していた。
布団の上にちょこんと座り、嬉しそうにニコニコとこちらを見つめてくる。
「恭介っ、ただいまっ」
そういって白い腕を差し出してくる見ず知らずの青年に、恭介は複雑な思いで近づいた。
10歳くらいの少年だった風太が、いきなり大人の男になってしまったのだ。
いくら同じ風太だと言われても、どうしても納得がいかない。
それよりもなぜ、いきなり猫の姿に戻ったと思ったら今度は人間の、それも大人の姿になったのか。
頭の中は疑問だらけで、状況の変化についていけそうにない。
差し出してくる風太の白い両腕をおずおずと受け止めると、ギュッと首にしがみ付いてきた。
瞬間、鼻腔を擽る甘い香り。
南国の果物のような、西瓜のような、人工的ではない香りは間違いなく風太のものだ。
だがこうして抱きついてくる腕の強さは、あの小さかった風太のそれではない。
剥き出しの白い肌を、恭介はそうっと抱きしめた。
「風太、なんでお前いきなり大きくなったんだ?」
「ん?」
「っていうか、突然猫の姿に戻っちまったろ?あれはなんでだ?」
「えっとね・・・僕もあんまりよくわかんないけど、満月だから」
「満月?」
「そう。満月だからうまくいったんだよ」
「うまくいったって、なにが?」
「変身するの」
「変身?」
「うん」
「変身って、大人の姿になることか?」
風太の声は成人男性にしては高い。
ちょっとハスキーな女性のようでもある。
喋り方は以前のような拙さはないが、それでも複雑な事柄を理路整然と説明するのは苦手なようだ。
裸のままではなんなので、とりあえず恭介の部屋着を着せることにした。
立つと、身長は恭介より少し低いくらいで、あの小さかった風太と同一人物とは信じがたかった。
だが信じるしかない。
猫耳と尻尾のある生き物がそうそう他にいるわけもあるまいし、まして恭介の寝室にいるはずもないのだ。
風太はトレーナーだけ着ると、「へへ」と嬉しそうに笑った。
肩幅は合わないものの、手の長さはほとんどピッタリと言っていいくらいで、風太のスタイルの良さがよくわかる。
明らかに日本人体型ではない風太の手足は、日本人にしては長身でスタイルも良い恭介より幾分長い。
何と言っても、腰の位置がものすごく高いのだ。
ジャージも履くように言うと、尻尾が邪魔だからいらないという。
風太のためにあつらえた特別な下着やズボン類は、大人になった彼にはフィットしない。
だが、恭介の下着もズボンも、尻尾用の穴は開いていない。
雪国出身のメインクーンである風太は東京の冬などへっちゃらのようで、白い生足を晒していてもちっとも寒そうにしていない。
むしろこうして布団から出て起きていると、恭介の方が寒くて凍えそうだ。
思わず暖房を強める。
「風太、さっきの話の続きだけど・・・」
「続き?」
「満月だから変身に成功したってどういうことだ?」
「んっとね、それはつまり・・・お月様のパワーを借りて大きくなるの」
「月のパワー・・・」
要領を得ない風太の話を根気よく聞き続け、ようやくわかったのはこういうことだ。
猫だった風太は神様に願いを聞き入れられ、人間の姿を取ることができるようになった。
そうすることで大好きな恭介と、話ができるようになったのだ。
人の姿になって恭介と暮らす毎日は、とても幸せだった。
だが、毎日自分の世話に明け暮れる恭介を見ていて、これでいいのだろうかという疑問が芽生えた。
恭介は常に風太を優先してくれる。
風太のために会社を辞め、家でできる仕事に変わった。
友人からの誘いも旅行も、風太がいるから断っている。
家族にさえ、1年以上まともに会っていない。
自分はずっと恭介と一緒で嬉しいが、恭介はどうなんだろう。
そう思うと、いてもたってもいられなくなったのだという。
そこで風太はもう一度神様にお願いした。
自分を完全な人間の姿にしてください、と。
今のままでは風太はまともに外に出ることができない。
それではいつまでも恭介に負担をかけることになる。
完全なヒトの姿になれれば、外にも出られるし上手くすれば仕事にも就けるかもしれない。
そうすれば、恭介の役に立てる。
風太を完全な人間の姿にしてください。
神様お願いします。
そう願い続けたところ、ある時こう囁く声が聞こえた。
月の力を利用すれば、変化も自在にできるようになるだろう。
満月と新月の夜は特に、力が増す。
おまえが強く望むのであれば、きっと願いは叶えられよう。
「お月様にお願いしたら、やっとうまくいったの。まずは猫の姿に戻る練習したの。これはわりとすぐにできた」
「すぐにって、戻ろうと思えばいつでも戻れるのか?」
「うん。今までも何度かやってみたよ」
「今までって、いつ?!」
「んっとね・・・恭介が出かけてるとき」
なんと、風太はこれまでも何度か猫の姿に戻っていたらしい。
恭介を驚かせないようにと、留守の間に練習していたようだ。
そんなこととはつゆ知らず、昨夜はいきなり猫姿になった風太に取り乱してしまった。
昨夜というか、まだ夜は空けていないから数時間前のできごとではあるが。
「じゃあ、今この姿になったのは・・・」
「完全な人間になろうとしたら、代わりにおっきくなっちゃった」
へへ、と赤い舌を出して笑う風太はどこかあどけない。
中身が猫だからだろうか。
青年の姿をしていても、なんだか少年っぽいのだ。
自分のために人間の姿になりたいと願った風太の気持ちがいじらしくて、恭介は胸が熱くなった。
恐らく何度も失敗を繰り返したことだろう。
それでも諦めずに、今日という満月の夜を狙って再び人間になろうとしたに違いない。
あいにく、猫耳と尻尾は残ったままではあるが。
「そうか。風太は完全な人間になりたかったのか」
「うん。そしたら一緒に出かけたりもできるし、恭介にも迷惑かけずにすむでしょ?」
「いや、俺は迷惑だなんてこれっぽっちも思ってやしないよ。おまえとこうして一緒にいられるだけで幸せなんだから」
「でもずっとこのまんまってわけにもいかないでしょ?恭介の友達も、お父さんやお母さんも、僕が一緒に暮らしてること知らないし」
「それはそうだけど・・・」
「風太ね、恭介が好き」
「風太?」
風太が抱きついてくる。
甘い香りに咽せそうだ。
少年姿の風太よりも、今こうして大人になった彼の方が体臭が強い。
それは甘いだけでなく、どこか雄の臭いを含んだものだ。
草原のような、森の中にいるような、野性的な香り。
「風太、俺もおまえのことが好きだよ」
「ホント?」
パアッと明るい笑顔を向けてくる風太に、言いようもない愛しさが込み上げてくる。
同時に、先ほど治まったと思っていた下半身の熱が、再び擡げてくるのを恭介は焦りながら感じていた。
「ふ、風太、ちょっと離れろ」
「どうして?」
「どうしてもだ」
「やだ」
「風太っ・・・」
「離れたくない。風太、恭介のことが好きだもん。恭介も風太のこと好きって言ったじゃない」
「それはそうだけどっ・・・」
このままではまずい。
焦れば焦るほど、恭介の下半身は熱を帯びていく。
なんとか身を引こうとする恭介に、風太は離れまいと体を摺り寄せてきた。
「ねえ、チュウして?」
「ええっ?!」
「人間は好き同士だったらチュウするんでしょ?」
「なっ、なに言ってんだっ・・・っていうか、なんでそんなこと知ってんだっ」
「テレビで見たもん」
「・・・・・・っ!!」
にこにこ顔でこちらを見上げてくる風太に、恭介は返す言葉が見つからない。
確かに人間は好き合っていればキスをするが、恭介も風太も男なのだ。
それは猫の風太にだってわかっているはずだ。
どうにかして風太の体を引きはがそうとするが、大人の姿になった風太は意外と力が強く、しがみ付いた腕を振りほどくことができない。
風太の唇はこんなに赤かっただろうか。
リップを塗ったわけでもないのに、どこか濡れた唇。
中から除く舌が、まるで意思を持った生き物のように動いている。
風太の瞳が、一瞬きらりと光った気がした。
スローモーションのように赤い唇が近づいて来るのを、恭介は身動きもできず吸い寄せられるように見つめていた。




