<12>
風太が猫の姿に戻ってしまった。
風太を拾ったのは、3年前のバレンタインデー。
脈がありそうな職場の同僚に告白して、見事フラれた日だった。
向こうも憎からず自分のことを思ってくれていると信じていただけに、恭介のショックは大きかった。
あなたは良い人、でも恋愛対象として見るのは無理だわ。
その一言に深く傷つき、ひどく落ち込んだその夜。
帰り道に、風太と出会ったのだ。
おまえも、誰からも必要とされていないのか。
何となく今の惨めな自分が、寒空の下捨てられてみゃあみゃあ鳴いている仔猫とだぶる。
恭介は、捨て猫を抱いて連れて帰った。
可愛い仔猫は失恋した辛い心を、慰めてくれるのに十分だった。
そして、一か月後のホワイトデー。
仕事から帰ると、風太は人間の姿に変身していた。
ハーフのような目鼻立ちに、白っぽい猫耳と尻尾が付いている。
ファンタジーの世界から飛び出してきたような、不思議な生き物となって恭介の前に現れたのだ。
人間で言うと十歳くらいの見た目の風太は、とにかくやることなすこと愛らしく恭介の心を癒した。
あれから3年、恭介は風太との生活をすっかり当たり前のものと思い込んでいた。
この生活が永遠に続くものと、思い込んでいたのである。
こんな風にまた猫に戻る日が来ようとは、夢にも思っていなかった。
目の前の風太は、まごうことなき猫である。
それも、洋猫。
以前ネットで散々調べたから、猫の種類についてはかなり詳しくなった。
おそらく、十中八九風太はメインクーンだろう。
混血なのかもしれないが、風貌はメインクーンの特徴がよく表れている。
猫で3歳といえばもう成猫だ。
風太の体格もそれなりに立派で、3年前の頼りなげな子猫だった面影は全くと言っていいほど残っていない。
「風太・・・」
涙で頬を濡らした恭介が、風太の頭を撫でる。
そうされると気持ちがいいのか、「にゃにゃ」と囀るように声を上げると風太はうっとりと目を細めた。
可愛らしい風太。
それは猫耳少年だったころと、なんら変わりはしない。
だが、猫の風太はもはや人間の言葉を話すことはできない。
いくら問いかけても、「にゃあ」としか言わないのだ。
そう思うと、またしても涙で視界が翳んでくる。
人生でこんなにも泣いたことはないだろうと言うくらいに、恭介の形の良いキリッとした瞳から止めどなく涙が溢れてくる。
「風太ぁ・・・」
もふもふとした柔らかい毛の塊のような風太を、ギュッと胸に抱きしめる。
そうされると嬉しいのか、風太も毛足の長い頬を恭介の首筋に擦り付けてくる。
長いひげが当たって、少しくすぐったい。
ゴロゴロと喉を鳴らしているということは、機嫌がいいのだろう。
恭介の悲しみとは裏腹に、風太は猫の姿になっても幸せそうだ。
その事実が恭介に追い打ちをかけてくる。
抱っこしていると、じんわりと風太の体温が沁み渡ってくる。
猫の体温は人間と比べるとかなり高い。
そういえば、人の姿をしていた時の風太も、抱きかかえると熱でもあるんじゃないかというくらいに体温が高かった。
38度くらいはあったのではないだろうか。
平熱が36度あるかないかの恭介にとって、風太の温もりは何とも言えず心地良かった。
寝る時も抱いて寝ていた。
これからは、猫の風太を抱いて寝ることになるのだろうか。
「はぁ~~~」
一つ大きくため息を吐くと、これまでの風太との思い出が甦ってくる。
初めて風呂に入れた日のこと。
水を嫌がってなかなか湯船に浸かろうとしなかった風太。
やっとの思いで風呂に入れ、髪を洗ってやった。
猫耳にシャワーの湯が入らないよう、苦労したっけ。
お刺身が大好きで、大きな目を輝かせながら食べていた。
魚やチキンが大好物の風太。
初めて一緒に外に出かけた時、繋いでいた手を振りほどいて走りだし、小鳥を追いかけて大はしゃぎして恭介をハラハラさせたりもした。
クリスマスツリーに大興奮し、今にも登らん勢いでぴょんぴょん飛び跳ねていた。
サンタがやってくるのを、嬉しそうに心待ちにしていた風太。
プレゼントの巨大ぬいぐるみに抱きついて、嬉しそうに笑っていた風太。
走馬灯のように思い出される風太との3年間。
この思い出だけで、これからの人生を生きていけと言うのだろうか。
人間ではなくただの猫としての風太を受け入れろと?
だとしたらあんまりだ。
神様はひどすぎる。
そこまで考えてふと恭介は、胸に抱いた風太の赤味がかった金色の目を覗き込んだ。
照明の具合でオレンジ色に青色にも見える、不思議なキャッツアイ。
どうしたの、まだ悲しいの?という顔で見つめ返してくる大きな瞳。
そんな風太のあっさりした様子を見ているうちに、ひょっとして風太はずっと猫の姿だったのではないかという気がしてきた。
拾ったあの日からずっと、猫のままだったのではあるまいか。
まさか、風太が人間の姿をしていたのは、俺の妄想だったとか言わないよな?
ふるふると首を振る。
そんなはずはない。
確かに風太は、少年の姿だった。
いくらなんでも3年間も妄想に浸りながら生きてきたなんて、自分はそんな軟な精神を持ち合わせてはいない。
だが、本当にそうだろうか・・・
失恋のショックが恭介を精神を追いつめ、幻を見せていたということはないだろうか。
猫耳姿の風太は、恭介が現実逃避の中から生み出した幻想だった可能性は?
ハタと何かを思いついたかのようにおもむろに立ち上がると、恭介はこたつの上に置いてあったタブレットを手に取る。
指でスワイプし、カメラロールをチェックする。
「はぁ、よかった・・・」
そこには、これまで撮りだめた風太の写真が山のようにおさめられていた。
やはり妄想なんかじゃなかった。
風太は間違いなく、猫耳少年の姿だったのだ。
ちゃんと証拠の写真が残っている。
「風太」
「んにゃ」
タブレットの画面を風太に見せる。
しばらく興味深そうに眺めた後、画面を触ろうと片脚を上げる。
起用にちょいちょいと前脚で画面に触れては、小声で「にゃにゃ」と鳴く。
肉球が画面に当たると、写真画像が切り替わった。
そこには、恭介と風太の幸せそうなツーショットが写っている。
「なあ、風太。もう一度人間の姿になってくれよ」
「にゃあん・・・」
「頼むよ。俺、お前と話がしたいんだよ。猫の風太もそりゃあ可愛いけどさ、このままだと俺とお前はまったく意思の疎通ができないだろう?」
「んなぁ・・・」
「もしも猫の神様ってのがいるんだったら、頼んでみてくれよ。人間の姿に戻してくださいって」
「にゃ」
いくら語りかけたところで、風太が人の言葉を発することはない。
わかってはいても、話しかけずにはいられない。
どうか、どうか神様お願いします。
もう一度、もう一度だけでいいので、風太を人間の姿にしてください。
夢なら覚めて欲しいと思いつつ、その日は悲しみにくれながら床に就いた恭介だった。
夜中。
なんだか寝苦しい。
どうも呼吸がしづらいような、胸のあたりが締め付けられるような気がして、恭介はふと目を覚ました。
寝る時は全ての電気を消すので、寝室は真っ暗だ。
それでも雪見障子の向こうから差し込んでくる月の光のせいで、まったく何も見えないというわけではない。
それに、今夜の月はかなり明るいようだ。
パチパチと何度か瞬きをした恭介は、自分が何かに抱きつかれているような気がした。
左頬に、何かもふもふとしたものが触れている。
ああそうか、風太を抱いて寝たんだった。
そう思い直し、再び眠りに就こうとした恭介だったが、「う・・・ん・・・」という男の声が耳元で聞こえてきた瞬間、驚いて飛び起きた。
布団の中、恭介に抱きつく形ですやすやと眠っている男。
二十歳前後くらいだろうか。
見たこともない男だ。
いったいなぜ、どこから入って来たのか。
そこまで考えて、恭介はハッとした。
男の頭部に猫耳のようなものがついているのだ。
それは白と灰褐色が混じったような毛並みの、獣の耳だ。
プラチナのような髪は長く腰まで伸びており、毛先が少しだけカールしている。
「ま、まさか・・・」
いったい何が起きているのかわからず、恭介は夢見るように眠る青年の寝顔を見つめるしかなかった。




