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Rising Sun  作者: UZI
第5章「ラビットハント」
22/22

第19話「VENDETTA-ヴェンデッタ-」後編

2014年9月20日

ベラルーシ共和国

ミンスク郊外

21:45


「……来たか」


5階建ての雑居ビルの屋上で、遠藤駿は暗視機能の付いた双眼鏡から目を離し、ライフルケースからFG-6を取り出し、マガジンを挿入、チャージングハンドルを引いて初弾を装填する。


 エアハルトFG-6。ベルライヒ陸軍の要請でエアハルト社が開発した降下猟兵(空挺隊員)用のアサルトライフル。ドイツのStG-44をベースにしたStG-5の改良型であり、基礎設計は1940年代と古いものの、ベルライヒ独自の技術で改良を重ね、世界のアサルトライフルの中でも傑作と呼ばれる一挺となった。そのStG-5を小型軽量化し、空挺作戦を行う降下猟兵用に開発されたのがFG-6である。要はStG-5のカービン(銃身短縮)モデルである。


 そのFG-6に載せた低倍率スコープを覗く。その先では、1台の車がこちらへ向かって来るのが見える。やがて車は、駿のいるビルの目の前の建物の前に停まり、後部座席から目的の人物が降りてきた。ウクライナマフィアのナンバー2、ルドルフ・ポドフスキー。この日、この瞬間をどれだけ待ち望んだことか。妻を手にかけた男を前に怒りで手が震えるが、一度スコープから目を離し、落ち着けと自分に言い聞かせる。そして再びスコープを覗こうとした、その時であった。


「ようやく見つけたぞ、ニセモノ野郎」


背後からかけられた声は日本語だった。初めて聞く声だったが、駿にはそれが誰なのかすぐに理解できた。


「サンド……ラビット……ッ!」


「今から俺の指示以外の動きを取ったら、遠慮なく撃たせてもらう。ライフルの安全装置をかけてから、ゆっくりと地面に置け」


今この状態で反撃しようとすれば、自分は間違いなく撃たれる。目の前に目標がいるのに撃てない歯がゆさをグッと堪え、駿はFG-6の安全装置をかけ、指示通りゆっくり地面に置く。


「両手を上げてゆっくり立ち上がって、こちらを向け。そしたら、そのライフルをこっちに蹴るんだ」


指示通り両手を上げ、ゆっくりと振り返る。目の前には自分とそっくりな、僅かに幼さを残しつつ、しかし戦場を経験したであろう目をした男が、拳銃をこちらに向けて立っていた。


「驚いたな。裏の世界で名を馳せるサンド・ラビットが、こんなに若いとは。キミ、大学生か、もしかすると高校生だろう?」


「俺のことはどうでもいい。早くライフルをこっちに蹴るんだ」


 これはチャンスかもしれない。暗殺者とはいえ、彼はまだ若い。故に付け入る隙もあるはず。そう考えた駿はFG-6の突起に足をかけ、蹴る―――のではなく蹴り上げた。純の視界をライフルで遮り、その隙に腰のホルスターから銃を抜こうという魂胆だ。実際、腰のトーラスPT92を抜くことには成功した。だがその後は駿の思い通りにはならなかった。


 純はそれらの行動を読んでおり、ライフルが蹴り上げられた瞬間にすでに動いていた。ライフルの直撃を避けるために、這うように身を低くしつつ前進。その際に、右手のスタームルガーを捨て、左手でカランビットナイフを抜き、逆手に構える。駿が左手に持ったトーラスをこちらに向けようとしていたが、その左手を空いた右手で押さえ、左手のナイフで手首を切りつける。そしてナイフで駿の腹部と胸部に数回、素早く刃を突き刺した。


「ぐッ!」


 切りつけられ、刺された痛みで思わず銃を握る手に力が入り、トリガーを引いてしまう。トーラスにもサプレッサーを装着してはいたが、マガジン内の9ミリ弾は通常弾。


 銃弾は音速以上で飛ぶと、衝撃波によって大きな音が発生する。これが所謂銃声なのだが、サプレッサーを使用する際は、初速が音速を下回る亜音速(サブソニック)弾を併用することで、銃声をより抑えることが出来るのだ。



 だが今回、駿は亜音速弾を用意できなかった。なので銃声は、下にいたマフィアたちの耳にも聞こえたのだ。


「今のは銃声か?おい、確認してこい」


ポドフスキーが命令し、数人が純たちのいるビルに向かった。



「遠藤有紀を殺されたことは同情するが、ケンカを売る相手を間違えたな。俺になんて化けずに復讐を遂げてれば、結果も違っただろうに」


血の付いたナイフのブレード部分を、刺された腹部を押さえて座り込む駿のネクタイで拭きながら、純は呟いた。


「……殺し屋風情が……説教か?お前さえいなけれ……ば……妻は死なずに済んだんだ……」


駿は純を睨む。純はナイフをしまい、スタームルガーを拾って駿に近付き、地面のFG-6を蹴り、遠くへやる。


「殺し屋風情?笑わせるな。今じゃあんたも殺し屋(そう)だろう。ロンドンで何人殺した?あの男1人殺すために、俺に罪を擦り付けるために、何人犠牲を出した?あんたは殺し屋ですらない。単なる人殺し、テロリストだ。奥さんも、草葉の陰で泣いてるだろうさ」


「お前が有紀を語るな!ゴホッ、ゴホッ……!ちくしょう、なんでだ。なんで有紀が死ななきゃならなかったんだ。僕はただ……有紀がただ隣で笑っていてくれれば……それでよかった、よかったのに……」


泣きながら倒れこむ駿に、純はもはやかける言葉が見つからなかった。哀れだとか、自業自得だとか、そう思ったからじゃない。もうすぐ死ぬであろうこの男に、なんと声をかけていいのかわからなかった。それだけである。


 ただ何故か、今すぐ結維に逢いたい。そう思った。


「……そうだな。確かに君の言うとおりだ。あの男1人を殺すために……君を罠にはめるためだけに……僕は罪もない人を大勢殺した。これはその罰……なんだろう……サンド・ラビット、僕の最期の頼みを聞いてほしい。僕の代わりにあいつを、あの組織の人間全員……殺してくれ。罪だの罰だの言ったけど、やっぱり……あいつだけは許すことが出来ない。それに調べていたら……あの組織はミンスクで人身売買を……している。身寄りのない戦災孤児を攫って……変態共に売りつけてるんだ。許すわけには……いかない」


「……それで、あんたはいくら出せるんだ?」


「え……?」


「俺は暗殺者だ。報酬のない仕事はしない。で、あんたはいくら払えるんだ?」


「金は……ない。財産は全部……僕と妻の親兄弟の口座に匿名で振り込んだ。あるのは、持ってる銃と、服と、命くらいだ。もっとも……その命ももうすぐ尽きるけど」


「それでいい。あんたの命を報酬としてもらう。その代わり、依頼は必ず果たす」


「……そうか。それを聞いて、安心した。これで……有紀のところに……逝ける……」


駿は最後の力を振り絞り、左手のトーラスを純に差し出した。


「あの男は……この銃で……俺がよろしくと言っていたと、伝えて……有紀……今……そっちに…………」


純が差し出されたトーラスを受け取ると、駿の手から力が抜けた。首を触って脈を測るが、すでに事切れていた。遺体を寝かせてやり、指で瞼を閉じる。スタームルガーをホルスターに戻し、駿の腰のベルトからトーラスのホルスターと、マガジンポーチを取り外して自分のベルトに取り付ける。トーラスはサプレッサーを外してホルスターへ戻し、Px4を抜き、安全装置を解除する。ほぼ同時に、背後のドアが開く。マフィアが来たと悟った純は素早く振り向き、Px4を構えた。


 それを見た2人のマフィアも、各々ホルスターから銃を抜こうとするが遅かった。Px4で正確に3連射(トリプルタップ)を2回。マフィア2人を素早く射殺。FG-6を拾い、スコープを覗く。その先には、車に乗り込もうとするポドフスキーの姿が映った。


 駿(依頼人)は「あいつはこの銃で殺してくれ」と言っていた。なら―――

純は素早く照準を移し、車のタイヤを狙う。2本のタイヤをパンクさせると、ポドフスキーは車を諦め、建物に入って行った。それを見届けてから、純は車の給油口に照準を合わせ、トリガーを引く。着弾で火花が飛び、気化したガソリンに引火し、車は大爆発を起こした。


『クソ、敵だ!応援を呼べ!』


階下から階段を駆け上がる複数の足音。純はFG-6を捨てて再びPx4を構え、クリアリングを行いながら階段を降りる。そして銃を持った人間を確認する度、確実に無力化して階下を目指す。


 やがて1階まで到達し、出会い頭に1人倒したところで、Px4が弾切れ。最後のマガジンを差し込む。


 道路を挟んで反対側の、マフィアのアジトから銃弾が飛んでくるが、純は無視して裏口からビルを出て、停めていたバンで装備を整える。


 バッグからサブマシンガン、シグザウエルMPXを取り出し、マガジンポーチをベルトに通す。MPXのチャージングハンドルを操作し初弾を装填すると、構えながらマフィアのアジトを目指す。


 途中、数人のマフィアを倒し、ようやくアジトまで辿り着いた純はドアに取り付き、蹴破ろうとして止めた。異常を察知した純はすぐに扉から離れ、身を潜める。その一瞬後で、銃声とともに扉が破られた。


(この重い銃声と連射速度……7.62ミリ以上のマシンガンか)


物陰から一瞬だけ中を確認する。エントランスに、倒したテーブルを盾にしてPKPペチェネグを構える男の姿があった。男は顔を覗かせる純を見つけると、ペチェネグのトリガーを引き、純をその場で釘付けにする。


(あっぶね!)


すぐさま頭を引っ込めた純のすぐそばを銃弾が掠めた。弾切れを待つのは時間が惜しいと判断した純は、傍で倒れていたマフィアの死体を抱え上げ、エントランス目掛けて突き飛ばす。ペチェネグの射線が純の隠れていた物陰から、突如現れた人影に向かう。その一瞬の隙を突いてクイックピーク(遮蔽物から上半身を素早く横に傾け、射撃、あるいは索敵を行うテクニック。上半身だけが障害物から出るため、被弾のリスクを減らすことが出来る)でバースト射撃。ガンナーを射殺した。


 その後も応戦してくるマフィアたちを次々に排除していき、最後の部屋に到達。ドアに鍵がかかっていたので、死んだマフィアが持っていたショットガンで蝶番を破壊。素早くトーラスに持ち替えてドアを蹴破る。部屋に入ると、2人のマフィアがこちらに銃を向けていたので素早く射殺。最後に残った男、ポドフスキーも机から銃を取り出そうとしていたので机を撃って威嚇。照準をポドフスキーに合わせると観念したのか、両手を上げた。


「サ……サンド・ラビット……!今度は本物か……?」


「ご名答。俺はあんたの勘違いのせいで、ヨーロッパ横断『弾丸』ツアーをするハメになったんだ」


「なるほど……。ここへ来たということは、生き残った旦那から復讐でも依頼されたか。ヤツは元気か?」


「さっき死んだよ。向かいのビルの屋上で……まぁその話はいい。聞きたいことがある。あんたらが今メインビジネスにしてる『商品』。どこにいる?」


「はッ!なんのことだ?」


銃声が2発。ポドフスキーの両方の耳たぶが吹き飛んだ。


「ぐァああああああッッ!!」


「とぼけるな。その小さくなった耳でよく聞け。戦災孤児を売ってるだろ。変態どもに……生きたままと解体(バラ)して内臓(なかみ)も売ってるだろ?ヨーロッパ中……いや、ユーラシア大陸中から連れ去って。ストックがなきゃビジネスにならない。まだ売ってない『在庫』の子供たちがいるはずだ。どこにいる?ついでに顧客リストも出せ。変態どもに売られた子供たちも、運がよければまだ生きてるはずだ」


「……仮に、俺が情報を渡したとしよう。その後はどうする?ガキどもを国に返すか?あのガキどもはな、ほとんどは我々が『購入』したんだ!第三次大戦(あの戦争)のせいで食う物も買えない親や、資金難で面倒を見切れない保護施設からな。国に返しても、また別の誰かが買うだろうさ。需要はあるからな!スナッフムービーにキッズポルノ……内臓ともなれば引く手あまただ!」


再び銃声。右の大腿に穴が開いた。


「がァァああああッッ!!」


「大腿動脈を撃った。情報を渡せば、救急車を呼んでやる」


「クソ!殺してやる!お前の家族や友人を探し出して、苦しませて殺してやる!!」


「いやいや、その前にあんたが死んじまうぞ?情報を渡せって」


「…………顧客リストは、そこの金庫の中だ。番号は……691953……ガキどもは……つッ……!明日の午後9時にコンテナ船でオデッサに着く。ミハイル……うちのボスも翌朝立ち会う」


「ボスってのはあんたの妻の兄、ミハイル・ポドフスキーか。支部がこんな状況じゃ、ミハイルは雲隠れするんだろうな」


「ふんッ。ミハイルを知らない……ようだな。彼は例え家族が死のうが、予定は変えない。毎朝同じカフェで朝食を取り……仕事もする。護衛の数は増やすだろうがな。それより約束だ。救急車を……」


「……ああ、今呼んでやる」


純は机上の電話を手に取り、救急に電話……せずに受話器を置いた。


「なッ……!!」


「あんたが勘違いした男、シュン・エンドウから伝言だ。『よろしく』とさ」


「待っ……!!」


3度目の銃声。ポドフスキーは額に穴を開けて絶命した。


「……」


吐かせた番号で金庫を開けて顧客リストを手に入れ、純はアジトを後にした。バンに乗り込み、出発して数分後、アジトに向かうであろう複数台のパトカーとすれ違う。


(市内に検問を張られる前にウクライナまで行った方がいいな。と、その前に……)


ポケットからスマートフォンを取り出し、電話をかける。


「……マックスか?突然で悪いんだが、例のオデッサのマフィアのボス、ミハイル・ポドフスキーの情報が欲しい。義弟の話しじゃ、毎朝同じカフェで朝飯を食うって話なんだが。……『ポチョムキン・カフェ』だな?わかった。それと明日の朝一番でオデッサまで来れるか?……ああ、ムリを言ってるのはわかるが急ぎの要件だ。見てもらいたいものが……メールで?今は暗号化して送れないからムリだ。来てくれたら、オデッサで一番高い店で魚料理を奢ってやる……わかったわかった。ワインも付け……97年のコルトン・シャルルマーニュ!?ボトルで5000ユーロ(70万円)もするワインじゃねぇか!!」


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9月21日

ウクライナ

オデッサ

7:18


 黒のスーツに身を包み、右腕をギプスで固め、包帯で吊った純が、大通りの歩道を進む。骨折した訳ではない。ギプスで固めた右手には、サプレッサーを装着したスタームルガーが握られており、ギプスの先端は射撃用に開けられた穴を白いテープで塞ぎ、右側面にも、撃った際に排出される空薬莢が出るための穴が、こちらも白いテープで塞がれている。


 今回純が選択した方法は狙撃(ロング・キル)ではなく、近距離からの銃撃(ショート・キル)。カフェの構造や護衛の数、周囲にいるであろう一般人を考慮しての結果であった。周囲に溶け込み、何食わぬ顔でカフェの前まで来たらミハイルを暗殺。そのまま離脱するのが純のプランだ。ミハイルの容姿も、昨夜情報屋のマックスから写真を入手して把握済み。


 間もなくマフィアのボス、ミハイル・ポドフスキーが毎朝朝食をとるカフェの前を通る。純はギプスのテープを剥がし、スタームルガーの安全装置を外す。サプレッサーを付けた.22LR弾の銃声は小さい。周囲の雑踏でほとんど聞こえないはずだ。


(……なんだ?)


純は歩みを進めながら、違和感を覚えた。


 この街に来たのは初めてのはず。眼だけで周囲を見渡すが、いたって普通の出勤、通学風景。なのに言いようのない違和感を感じるし、身体の奥底が、本能が警戒を続けている。これは一体どういうことだ?


 だがまずはターゲットの始末だ。自分にそう言い聞かせ、逸る足を何とか抑え、ごく自然に歩く。


 そしてカフェの前に到達。自然に店を見ると、窓際の席で男が数人、コーヒーを飲んでいる。その中にミハイルを見つけた。


(標的確認(ターゲット・ロック)……)


腕を僅かに動かして照準調整。そして前を向き、何食わぬ顔でトリガーを引く。


 スタームルガーの銃声は雑踏でかき消され、放たれた.22LR弾が窓を破り、ミハイルの頭部に着弾。





 同時に、店が大爆発を起こした。


(は!?)


爆発が起きた瞬間、雑踏は一瞬だけ途切れ、偶々店の前を歩いていたのは純だけであった。爆風をモロに受けた純は吹き飛ばされ、路上駐車していた車に叩き付けられる。その衝撃で、車の警報装置がけたたましく鳴り響く。


 一瞬の静寂の後、パニックが次々に伝染し、周囲の人たちが逃げ惑う。意識が朦朧とする中、純も急いで立ち上がり、石膏の穴を再びテープで塞いでからその場を立ち去る。


(この匂い……高性能爆薬(C4)か。一体誰が……いや、それよりも今はここからの離脱が最優先だ)


逃げ惑う人々に紛れながら離脱用に止めていた車に乗り込むと、純は急いでその場を後にした。


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5時間後


「……魚料理を奢るとは言ったが、ウクライナで寿司かよ」


「いいんだよ。俺が食いたい気分だったんだ。あ、タイショー。次は中トロを炙りで。ワインもおかわり」


「はいよッ!隣のお兄さんは次、どうする?」


「……納豆巻き。あと赤だし」


「はいよッ!」


オデッサで純と、情報屋のマックスが入ったのはスシバー、ではなく、日本人が経営している本格的な寿司屋だった。純が頭を抱える隣で、マックスはヒラメの昆布締め握りとワインに舌鼓を打つ。結局目的のワインは無かったが、それでもいい値段のワインを奢るハメになった純であった。


「しっかしお客さん方、今朝街ン中であんなことがあったってのに、よく平気だな。観光だろ?」


「そういう大将だって、店を開いてるじゃないですか。事件のあったカフェから、そんなに離れてないでしょ?ここ」


「死んだのはここらを仕切ってたマフィアの連中だけだし、警察もテロじゃなくて組織間の抗争ってことで捜査してるんだとさ。ならうちは狙われることはない。奴ら出禁にしたからな」


「よ、よくそれで店続けられるね?」


「『サムライの末裔舐めんな』って言ったら、それっきりだ。嫌がらせもしてこねぇ」


肝が据わってるってレベルじゃねぇ―――純はそう思いながらも口には出さず、黙って緑茶をすする。


「で東條、調べてほしい物ってのは?」


「これだ」


「どらどら……」


指に付いたシャリを口にしてからリストを受け取るマックス。次々にページをめくり、だんだんとその表情が険しいものになっていく。


「ここに載ってる人間は軒並み金持ちだな。政治家、起業家、俳優、医者……こいつはイタリアンマフィアのボスだな。なんだこのリストは?」


「ヘイお待ち!中トロ炙りと白ワイン。こちらのお客さんは納豆巻きと赤だしね」


「どうも……大将。悪いんだけど、席を外してもらえませんか?10分でいいんで」


「……ああ、ちょうど酒のストックを見に行かなきゃいけねぇんだった。お客さん、悪いがちょいと席を外させてもらうよ。10分くらい」


話しのわかる大将に感謝しつつ、純は背中を見送った。そして話しを続ける。


「昨夜ミンスクのウクライナ系のマフィアのアジトで手に入れた。今朝、C4で吹っ飛んだボスの組織。その顧客リストだ」


「顧客リスト?ドラッグか?銃か?」


「……商品は子供だ」


「なんだって?」


「奴ら、ユーラシア中から子供を攫ったり買ったりして、そいつらに売ってたんだ。生きてる子供を買った変態もいれば……」


中身(・・)だけ買った奴もいるってことか?」


「恐らくは。アンタが知らないのもムリはない。こいつらがこのビジネスを始めたのは、ここ数か月って話だからな。手が早いことを考えると、計画自体は随分前からあったんだろうな」


そう呟いてから、純は納豆巻きを頬張り、続ける。


「元DGSE(フランス対外治安総局)のあんたなら、各国の軍や警察にコネがあるよな?」


「まあ、連絡をとれなくもないが……」


「ならそのコネで、そいつらに買われた子供を保護してもらいたい。報酬は生存してる子供1人に付き、1万ユーロ。保護したらヒースロー空港の第59番格納庫へ連れて行ってくれ。移動費は別で払う」


「ちょっと待て!リストには100人以上の顧客が載ってる。全員生きてれば最低でも100万ユーロ(1億4000万円)はかかるぞ!そこまでする価値は……」


「価値は俺が決める。できるのかできないのか、それだけ教えてくれ」


「……ざっと見た感じ、ほとんどの地域はコネでなんとかなる。だがコネのない地域もいくつかあるな」


「じゃあ後でいいからコネのない地域をリストアップしてくれ。そっちは俺が何とかする」


「わかった。しかし、保護してその後はどうする?」


「誘拐された子供の中で、帰るのを希望する子供がいれば親元に返す。それ以外の子供は……これ以上はお互いのために聞かない方がいい。大丈夫。悪いようにはしない」


「もう1つ。なんでオデッサ(ここ)に呼んだ?この程度の話しならベラルーシでもよかったろ?」


「……今夜、子供たちを積んだコンテナが港に入る。それを救出してほしい。俺がやる予定だったが、今朝の爆発で状況が変わった。だが地元警察じゃダメだ。やつら三流マフィアの割に装備と兵隊の質がいい。警察じゃ返り討ちに遭って終わりだ」


「わかった。それじゃあウクライナ内務省にかけあって内務省特殊部隊(ベルークト)を動員させる」


「頼む」


そう言って純は残りを平らげ、席を立って500ユーロ札数枚をマックスに渡す。


「俺は準備があるから先に行く。ここの会計は少し色を付けてくれ。大将への口止め料だ」


返事を聞かずに、純は店を後にした。


---------------------------------------------------------------------------


3日後

十条市

純の自宅


(『オデッサのカフェでマフィアを狙った爆弾事件。死亡したのはマフィアのボス、ミハイル・ポドフスキーと部下5名。当日、店内にはカフェのマスターと数名の客がいたが、いずれも軽症。出勤ラッシュの時間帯であったが、幸いにも通行人に怪我はなかった。警察はマフィア同士の抗争として捜査中―――。あの爆発で死んだのがマフィアだけ?結構な威力だったぞ?客やカフェのマスターがよほど運がよかった―――?いや違う)


C4が映画などでプラスチック爆弾と呼ばれているのは、従来の火薬のように粉末状ではなく、粘土のような形状をしているからだ。ドアを爆破したければ、少量だけちぎって使えばいいし、爆風を一定方向に集中させたければ、そのように捏ねて形を整えれば「ある程度は」爆風をコントロールできる。だがあくまで「ある程度は」である。


(実行犯は「マフィアだけを殺す」ようにC4を成形して仕掛けた。標的は毎朝同じ店、同じ時間、同じ席で食事をするわけだから、マフィアだけを狙うことは事実上可能だ。だからあれほどの爆発にもかからわず、他の人間は軽症で済んだ。実行犯は相当爆発物に精通してる。だがそれだけ爆発をコントロールできる奴なんて、世界に何人も……)


スマートフォンが着信を告げ、純の思考は一旦そこで中断した。爆弾魔のことはまた後にし、電話に出る。


ハロー(もしもし)?」


『ミスタ・ハンク・東條でしょうか?』


「その声は、シスター・メアリー・クラレンス?」


『はい。先程、あなたから依頼を受けた子供たちが到着しましたので、ご報告を』


「そうでしたか。子供たちの様子はどうです?」


『……余程酷い扱いを受けたのでしょう。皆、怯えています。これから検査とカウンセリングを行います。時間はかかるでしょうが、必ず、あの子たちがまた笑顔で暮らせるよう、我々も最善を尽くします』


純は情報屋のマックスと別れた後、ヨーロッパ中に売られた子供たちを、買い手を説得して買い戻し、あるいは実力行使で奪い返した。マックスに依頼した分も含めて、全部で130人近い子供を保護。そのうち58人は地元で捜索願が出ていたので、スコットランドヤードに引き渡し、帰路に就いた。残りの子供たちは身寄りがない、あるいは親族が引き取りを拒否したため、純が出資する孤児院へ預けられた。


「よろしくお願いします。彼らは身寄りがなかったり、家族が引き取りを拒否した子供たちです。どうか彼らが自立できるようになるまで、お願いします。金銭面の支援だけで申し訳ないのですが……」


『いえ、十二分に助かっています。今後もどうか、支援をお願い致します。それでは失礼致します』


通話を終えると、純はソファに横になり、天井を見つめて深く溜息を吐いた。


(たった1発の銃弾で復讐の連鎖が始まる……覚悟はしているつもりだったが、なかなかキツい……)


「ただいまー。純くんいるー?」


部活を終えた結維が帰ってきた。その手にはスクールバッグの他に、買い物袋が握られていた。


「おお、おかえり。部活お疲れさん」


「スーパーで豚バラが安かったから、大きいパックで買っちゃった……って、横になってどうしたの?具合悪いの?」


「いや、精神的に打ちのめされる出来事があって、ちょっとへこんでた」


そう言いながら、結維に手招きする純。いつになく弱っている純に困惑しつつ、買ってきた食材を冷蔵庫に入れてから、結維はソファに座った。


「ちょいと失礼」


座った結維の太ももに、純は頭を乗せる。所謂膝枕だが、まさか純からそんなことをしてくるとは思っていなかったので、結維は更に困惑する。だが結維は何も言わず、静かにゆっくりと純の頭を撫でた。


 いつか自分にも話してくれるだろう。辛かったら相談してくれるだろう。それまでは、自分も何も聞かないでおこう。そう信じて、結維はただ優しく、純の頭を撫で続けた。


 そして純も、好きになった人に、好きになってくれた人に言えない罪悪感と、こちらを気遣って何も聞かずにいてくれることに感謝を感じつつも、精神的、肉体的な疲労の中で行われる頭なでなでには抗えず、純の意識はまどろみの中へと誘われて行った。


---------------------------------------------------------------------------


同時刻

ロシア連邦

レニングラード州サンクトペテルブルク


ロシア第2の都市、サンクトペテルブルク。そのとあるホテルの一室で、一組の男女が向かい合って座っていた。この2人、夫婦でもカップルでもない。これからそうなる予定もない。その証拠に、テーブルに置かれているのはウォッカのボトル、ロックグラス、サプレッサー付きのグロック26、口紅型拳銃(キッス・オブ・デス)、9ミリパラベラム弾、そして数枚の写真。


「それじゃあアチェーツ(お父さん)もルドルフおじさんも殺されたのね?」


「ああ。2人だけじゃない。組織のほとんどの人間が殺られた。残ったのは俺たちだけだと思った方がいい」


男はよほど焦っているのか、ウォッカを少しグラスに注いでは飲むを繰り返し、その手は震えている。


「それで、2人をやったのは『サンド・ラビット(ピソーク・クローリク)』で間違いないの?」


「そうだ。同志ルドルフは頭を撃ち抜かれ、ボスは爆殺された。そのどちらの現場にもヤツはいた。ボスの時はその場にいなかったが、付近の監視カメラの映像を手に入れて判明した」


「そう……。アチェーツは確かに爆弾で殺されたのよね?」


「現場の肉片をDNA鑑定して、ボスだと判明している。ただそれ以外に、頭蓋骨から金属片が見つかった。警察が言うには、鑑識の結果待ちだから断言はできないが、小口径の銃弾じゃないかって。例えば22口径とか」


女はその言葉を聞きながら、複数枚の写真を見比べる。どの写真も解像度の低い監視カメラの映像を切り出したものなので、映りは荒い。だが映っているのが、黒髪の東洋人だというのは辛うじてわかる。


「……多分、爆弾は別の人間の仕業ね。ピソーク・クローリクは銃でアチェーツを殺したのよ」


「根拠は?」


「まず、ピソーク・クローリクは今まで高性能爆薬(ハイエクスプローシブ)を使った殺しはしてないと言われているわ。そのほとんどが狙撃。稀にショートキルも行ったと言われているけど、証拠があるわけじゃないから断言はできない。でも爆弾は聞いたことがないわ。次にこの写真……」


女が2枚の写真を男に見せる。どちらも腕にギプスを付け、包帯で吊った男が映っている。


「左が爆発前の映像。右は爆発後。右の写真、ギプスの前側に穴が開いているように見えない?」


「うーん……。陰でそう見えるような気もするが、言われてみれば確かに穴が開いているようにも見えるな」


「これが銃を撃つために開けたものだとしたら、説明が付く。ギプスの中に銃を仕込んで偽装した。警察の言う通り、使われたのが22口径なら小さい銃も多い。ワルサー、ルガー、コルトウッズマン。サプレッサーを付けてもギプスに十分収まる」


「なるほど……ちょっと待て。ということはボスは……」


「ええ。2人の暗殺者に同時に攻撃されたことになる。ピソーク・クローリクは銃で、もう1人は爆弾で。しかもアチェーツと側近だけを殺し、店員や客は全員軽症。ただ爆薬の量や建物の建材や構造、当日の気温や湿度を計算しただけじゃ、これだけ精密な爆破はできない。長年の経験と勘が必要な職人技よ。そう、職人……マイスターの仕事よ」


「『エクスプローシブ・マイスター』……」


「あなたはそのエクスプローシブ・マイスターを追って。私はピソーク・クローリクを追う。アチェーツとルドルフおじさんの仇を……」


女は途中で言葉をやめ、テーブルのスミスアンドウェッソンM&Pシールドを素早く構え、ドアに5発撃ちこむ。男が静かにドアを開けると、廊下に女が倒れていた。右手には拳銃が握られている。


「あら、ルビャンカ広場の踊り子さんかしら?」


「ルビャンカ広b……FSB(ロシア連邦保安庁)!?」


「私は先に行くわ。後始末、よろしく」


女は荷物をまとめると、早々に部屋を後にする。去り際に、FSBエージェントの頭に1発撃ち込み、確実に止めを刺す。


「ああ、成功を祈る。ヴィーナス(ヴィネーラ)

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