第14話「デンジャー・ゾーン」
2014年某日
某所
刺激臭で目が覚める。何事かと思う間もなく、液体を口に入れられ、思わず飲み込んでしまう。胃が焼けるように熱い。無理矢理起こされたせいで意識が朦朧としていたが、液体を飲まされたお陰ですぐに覚醒した。だがこの匂いに味。流し込まれたのが、ジャガイモを原料としたドイツの蒸留酒、シュナップスだとわかるまで、少し時間がかかった。
「目が覚めたかね?」
かけられた声は英語だった。目の前に立っているのは白人の男。
辺りを見回す。目の前の男の他に数人の男。薄暗く、窓が無い。地下室か?
状況を確認する。椅子に座らされ、手は後ろで縛られ、脚も椅子に固定されている。動けない。誘拐された?––––––そんなことより、「彼女」はどこだ?一緒にいたはずなのに。
「さて、ハンク・東條。いや、『サンド・ラビット』。この国に来た目的を教えてもらおうか?と言うのも、ある筋からの情報で、私の共同経営者である義理の兄が、命を狙われているという情報を手に入れたのだよ。お前が雇われたのだろう?」
ジャキン!という金属音。目の前の男が銀色の銃を取り出し、スライドを引いた。あれは確か、子供の頃持ってたエアガンと同じだ。確か名前は––––––ベレッタM92。
「ま、待ってくれ。君たちは何か勘違いをしているよ。僕はただの会社員だ」
「……今から10数える。雇い主を吐け。女が死ぬぞ?」
男が移動する。その後ろには、自分と同じく縛られ、猿轡までされた最愛の人がいた。男は彼女のこめかみに銃を当てる。彼女が涙を流しながら、こちらを見る。
「……大丈夫、大丈夫だよ。心配いらない。すぐにここから出られるよ」
彼女が取り乱さないよう、優しく言う。だがこいつらは一体なんだ?東條?ラビット?まるで覚えがない。
「1……」
「聞いてくれ。僕は日本の会社で役員をしている。自慢じゃないが、それなりの収入がある。新婚旅行で、世界一周ができるくらいには」
「2……」
「待て……待ってくれよ。よく、話し合o……」
「3……」
「クソ!クソッ!止めろ‼︎」
このカウントは彼女の寿命。10になったとき、彼女は殺される。だから落ち着け。頭をフル回転させるんだ。今までだって、困難な商談もまとめてきたじゃないか。その手腕で、彼女を助けるんだ。
「4……」
「わかった。わかったよ。金額を言ってくれ。今すぐは無理だが必ず支払う。警察にも言わないし、大使館にも駆け込まない。だからまず、銃を降ろしてくれ」
銃声。彼女の脚が撃たれた。痛みで絶叫する彼女。湿ったアスファルトに転がる、空薬莢の金属音。
「よせ!」
「お遊びと思ったか⁉︎」
「よせ!この野郎‼︎」
暴れるが、そんなことで拘束が解けるわけもなかった。でも暴れずにはいられなかった。彼女が泣いているのだから。
「遊びだと思ったか⁉︎撃たないと思ったか⁉︎5ォッ‼︎」
「だから知らない!僕たちはただの旅行者だ!東條だのラビットだの、知らないんだ‼︎」
再び銃声。撃たれたのは反対の脚。最早彼女は声を上げず、ただもがき苦しむ。
「止めろ‼︎殺してやる!お前ら全員、殺してやる‼︎」
「私が金を求めていると、本気で思っているのか⁉︎端金で義兄を売ると思っているのか⁉︎いい加減雇い主を吐け‼︎6ッ‼︎」
「僕を見て!僕を見るんだ。気をしっかり持って。必ず助かる。信じてくれ」
「言え!雇い主は誰だ⁉︎7!7だぞ‼︎」
「クソ!」
落ち着け。冷静になるんだ。怒りに身を任せるな。
「……頼む。待ってくれ。なぁ、あなたたちが欲しい情報は手に入れる。どんな手を使っても」
「8……」
「頼む。必ず突き止めるから、彼女を病院に……」
「9……」
頼む。待ってくれ。止めろ……
「よせ……止めてくれ……頼む……頼むから……」
止めろ止めろ止めろやめろやめろやめろヤメロヤメロヤメロ––––––
「……10」
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2014年9月15日
イギリス
ロンドン
ウェストミンスター宮殿
AM08:17
「各員へ、アークライト到着。繰り返す、アークライト到着。周囲を警戒せよ」
黒のスーツにサングラスといった出で立ちの英国陸軍特殊空挺部隊の隊員が、政府公用車のジャガーXJの後部座席のドアを開ける。降りてくるのは英国首相、ウィリアム・コンプトン。今年選出されたばかりの首相だ。車から降りるなり、マスコミの「おはようございます、首相」の言葉に笑顔で手を振る。コンプトンが姿を現すと、警護を担当しているSAS隊員や警察官が警戒を厳にする。
ちなみにイギリスの一般警察官は、戦前は法律で銃器を携帯できなかった。銃器の携帯が許可されていたのは国防省警察だけであったが、開戦の引き金となったバ・ルデルベ、ベルライヒ、エージアルの、大量破壊兵器による世界同時攻撃。日本では「ブラック・ウィーク」と呼ばれるあの日、ロンドンも化学兵器による攻撃を受けた。以降、法改正で一般警察官も銃器の携帯が許可されることになった。だがこれは一時的なもので、戦後から10年を目処に元に戻すそうだ。
コンプトンがマスコミに手を振っていると、そこから少し離れた通りの路肩に停めていたバンから、ダークグレーのスーツを着た男が降りてきた。だがジャケットの下には防弾ベストを着ており、更に手にはロシア製軽機関銃、PKP"ペチェネグ"が握られていた。男を発見したSAS隊員がホルスターのハンドガンに手をかけるが、それよりも早く、男はペチェネグを小脇に抱え、コンプトンに向けてトリガーを引いた。だが撃たれる直前に男に気付いたSASの隊員が、コンプトンに「伏せて!」と声を上げて彼の前に立った。火を吹くペチェネグ。SAS隊員は7.62ミリ弾に被弾して倒れた。
護衛官だけでなく、周囲のマスコミの人間も銃弾に倒れ、周囲は阿鼻叫喚の地獄と化した。男は無表情でペチェネグのトリガーを引き続け、目に映る人間を薙ぎ倒していく。
「こちらシエラ・シックス!アークライトダウン!アークライトダウン!民間人にも被害多数!至急応援を!」
護衛官のSAS隊員や国防省の警官も銃で応戦しようとするが、こちらの装備はハンドガンばかり。対して相手はマシンガンを乱射しているので身動きが取れない。仕方なく物陰から銃だけ出して撃つが、当たるはずもなかった。
「市民のイメージが悪くなる」と言うコンプトンの指示で、周囲にスナイパーを配置していなかったのも裏目に出る形となった。
弾帯で繋がれた250発の弾を撃ち尽くすと男はペチェネグを捨て、バンの中から次の銃、コルトM733を出して射撃をしながら走り出す。そして、フルオートで30連マガジン1本を撃ち尽くして路地に消えた。その直後、男の乗ってきたバンが爆発、炎上した。
「首相!お怪我は!?」
「ああ、大丈夫だ」
「これより避難します!着いて来て下さい!こちらシエラ・シックス!アークライトをバンカーヘ―――」
数人の護衛官が盾になり、宮殿へ避難するコンプトン。彼は襲撃者に見覚えがあった。先代首相から引き継いだ極秘ファイルの中に男の資料があった。確か名前は―――
「サンド……ラビット……?」
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グレートラッセル通り
大英博物館前のカフェ
AM8:31
(……遅せぇ)
テラス席に座っていた純はダージリンティーの入ったティーカップをソーサーに置き、ルミノックスの腕時計に目をやる。そしてまた紅茶を一口。
依頼人との待ち合わせの時間は30分を過ぎていた。だが待てど暮らせど依頼人は姿を現さない。
(何かの罠か、それとも依頼人に何かあったか……。30分もこうしてるのに銃弾が飛んでこないってことは、後者か?仕方ない、情報屋に依頼人を調べさせよ……ん?)
純が周囲を見渡すと、パトカーや軍用車両がひっきりなしに通る。サイレンは10分ほど前から、数ブロック離れたところから聞こえた。たしかあの方角には、ウェストミンスター宮殿がある。それが今では、この辺りにも軍や警察の車両が行き来している。何かあったのだろうかと考える純。その直後、小さいが爆発音が聞こえた。
(なんだ、テロか?ここは離れたほうがいいな。厄介事はゴメンだ)
純が財布から5ポンド紙幣を取り出してソーサーの下に置き、胸のポケットに掛けていたサングラスをかけ、食べかけのマフィンを口に押し込んで立ち上がろうとしたその時、3台のパトカーと1台の兵員輸送車がカフェを囲むように停車し、出てきた警官や兵士が銃を構える。周りの客や店員、通行人がそうするように、純はその場に伏せた。
『ハンク・東條!お前は包囲されている!武器を捨てて投降しろ!!』
拡声器越しに聞こえる声を耳にしつつ、純は周囲を見渡した。警官や兵士の構える銃は全てこちらに向いている。純は両手を挙げながらゆっくりと立ち上がった。
(抵抗すれば周りの人に被害が及ぶかもしれない。ここは大人しく捕まったほうがいいみたいだな)
純は上げた両手を頭の後ろで組み、その場で膝立ちになる。警官が銃を構えたまま純に近寄り、肩にかけたビジネスバッグを奪いジャケットをめくる。腰のホルスターからUSPコンパクトとスタームルガーを抜き、乱暴に純を地面に伏せさせ、手錠をかけた。
「ハンク・東條。複数の殺人及びコンプトン首相殺害未遂で逮捕する!」
「は!?それっていつの事だよ!」
「ついさっきだ。言い訳は取調室でゆっくり聞いてやる。マシンガンを乱射して大勢の人を殺したんだ、終身刑は免れないぞ?」
「俺はずっとここにいたんだ!人を殺せるわけないだろう!」
警官は純の話に聞く耳を持たず、純を起き上がらせ、パトカーに押し込むと即座に発車した。
(一体何だってんだ……俺を犯人と断定したと言うことは、目撃者の証言からだろう。だが、俺のことなんて知っているのは恐らく現場ではただ1人、コンプトン首相だけだ。彼がちゃんと前任者から『引き継ぎ』をしていれば、俺のことを知っているはず。ということは犯人は東洋人?それも俺と顔が似ている―――)
パトカーがウォータールー橋を超えてモーリーストリートへ差し掛かったところで、純が車内で冷静に推理していると突然サングラスをひったくられた。純の両脇に座っていた警察官の1人が取り上げたのだ。
「コイツも取り上げないとな……ほぉ、なかなかいいサングラスじゃないか」
「そいつはデリケートなんだ、女みたいに大切に扱えよ?でないと……」
そう言って純が目を閉じた次の瞬間、とてつもない閃光が車内を包んだ。純のサングラスには仕掛けが施されてあり、外してから5秒以内にテンプルを畳まないと、強力な閃光が発せられるようになっていたのだ。ここからの純の行動は速かった。
まず予め緩めていた親指の関節を外して手錠から手を抜きサングラスを奪った警官の鼻面に肘を打ち込み怯んだ隙に内ポケットから手錠の鍵を掠め取りサングラスも奪い返してから反対側の警官の首に返す刀で手刀を見舞い次いで助手席の警官が目が見えないながらもホルスターから抜いたハンドガンをこちらに向ける前に手首を押さえハンマーとスライドの間に親指を挟んで撃てないようにしてからマガジンキャッチボタンを押してマガジンを抜きスライドアセンブリを操作してスライドを抜き取り銃を使えないようにしてから顎に強力な一撃を叩き込み最後にパトカーを急停止させようとしていたが間違えてアクセルをベタ踏みしていた運転手のハンドルを奪い思い切りきってからサイドブレーキを引くとバランスを崩したパトカーは横転して横滑りしながらやがて停まった。
逆さまになった車内で、純は奪った鍵で手錠を外し、隣で気絶している警官のホルスターからベレッタPx4を頂戴し、足元に転がっていたスタームルガーを自分のホルスターに戻す。USPコンパクトは見つけることが出来なかった。
純の乗るパトカーの前後を走っていたパトカーとロンドン警視庁特殊部隊を乗せたトラックも停まり、すぐさま警官たちが各々の銃を構える。
(やっべ!)
純はサングラスを奪った警官のシートベルトを外す。反応はないが気絶しているだけのようだ。次に純は後部座席のドアを蹴り飛ばし、警官を放り出してからバッグを持って車外へ出た。そこへ銃口が向けられるが、純は気絶した警官を立ち上がらせ、こめかみにPx4を押し当てて盾にする。
「くっ……!撃つな!人質に当たる!」
「全員そこから1歩も動くなよ!動いたらこいつの脳みそに風穴開けてやるぜ!!(ちくしょー、なんで俺がこんな悪役の下っ端みたいなことしなきゃいけねぇんだよ。ってか、殺したら盾が無くなるじゃん!)」
純は人質を盾にしながら少しずつ後ろに下がり、狭い路地へ入る。純の警告どおり、警官たちは銃を構えたまま微動だにしない。
純はちらと背後に目をやりながらあとずさり、脳に暗記したロンドン周辺の地図を引き出す。そして何か思いつくと、人質にしていた警官を路肩に寝かせ、警官たちが集結している方とは反対方向へ走り出した。それを見ていた警官たちも、銃を構えたまま路地に入り、気絶した警官を保護する。
「各員へ通達!被疑者は徒歩で逃亡中!周囲5ブロックに非常線を張れ!」
「おい、被疑者の向かった方って……」
警官の1人が無線で指示を出していると、別の警官が純が逃げたほうを指差す。
「ん……あ、クソ!そういうことか!」
「しかも今はラッシュアワーだ。あそこに逃げ込まれたら……」
「各員へ!被疑者はウォータールー駅へ逃亡した可能性がある!大至急急行せよ!繰り返す……」
ウォータールー駅。イギリス最大の駅であり、1日の利用者数も国内で最も多い駅である。かつてはロンドンをスタートしてパリ、ベルライヒの首都、アイントメーヘンを経由してリスボンまでを繋ぐユーロスターの発着駅でもあったが、大戦で破壊され、現在はセント・パンクラス駅が発着駅となっている。
余談ではあるが、ウォータールー駅がユーロスターの発着駅だった頃、フランス側から「駅名を変えて欲しい」という要望があったという。と言うのも、ナポレオンが敗北したのがこの地、ウォータールー、フランス読みで「ワーテルロー」だったからである。
警官たちの予想は当たっていた。純は朝の混雑時間を利用してウォータールー駅から電車でロンドンを離れようとしていた。駅を封鎖される前に電車に乗れれば御の字であるが、封鎖されてしまっても、数千人の中から純を見つける前に駅から脱出するのは難しいが不可能ではない。
純は逃走してすぐにPx4をホルスターに収め、何食わぬ顔で駅まで歩いて向かった。
ヴィクトリー・アーチと呼ばれる表玄関から駅へ入り、コインロッカーに入れた予備の荷物(中身は弾薬や偽造パスポート、予備の現金など)を取り出し、券売所でポーツマス行きの切符を買う。そして多くの人がごった返すコンコースで、異変は起こった。次々と「順延」の表示になる時刻表。時刻表を見て口々にぼやく市民。純は辺りを見渡してから、ホームへ向かうためにコンコースを横断する。だが普通に歩くのではなく、ある場所で止まったかと思うと、突然歩き出したり、また止まったかと思うと今度はその場にしゃがみこんで靴紐を結びなおしたりし、普通であれば1分ほどで横断できるところを、たっぷり3分以上かけてコンコースを後にした。
その直後、警官がウォータールー駅へ殺到したが、ついに純を見つけることは出来なかった。駅構内には何処にもおらず、監視カメラもチェックするが、券売所で切符を買ったのを最後に姿が見えなくなった。コンコースにも、ホームにも姿は発見できなかった。
純がコンコースを時間をかけて横断したのは、監視カメラの死角に入るためだったのだ。一定時間毎に首を振る複数の監視カメラのパターンを読み、カメラに映らないように移動していたのである。
駅を封鎖する前に電車に乗り込んだのかと、ポーツマス行きの列車を止めて臨検したが、そこでも純は見つからなかった。さらに保安局にも要請し、衛星を使っての捜索も行われたが、やはり純を発見することは出来なかった。まるで幽霊のように消えてしまったのだ。
イギリス政府は軍による英国王室、及び首相を始めとする政府関係者の護衛強化と、警察による捜索を行った。
その日の午後には首相自ら記者会見を行い、自分が狙われたこと、その際に複数の市民や軍人が凶弾に倒れたことを公表。テロには屈しないとイギリス国内、及び世界に向けて発表した。
だがテロリストが「サンド・ラビット」であるとは公表せず、その正体は不明とした。
今や「サンド・ラビット」に依頼をした政府要人は世界中にいる。イギリス政府も例外ではなく、過去に純にとある依頼を行っている。「サンド・ラビット」の名を明るみに出すことで、世界の暗部を浮き彫りにすることを恐れたためであった。
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その夜
ロンドン
シティ・オブ・ウェストミンスター
ダウニング街10番地
シティ・オブ・ウェストミンスターはロンドンの中心にあり、イギリス政府の中枢である。その中のダウニング街10番地とは首相官邸のことであり、「ナンバー10」の通称で知られている。そのナンバー10の一室で、コンプトンが妻と、スコッチを片手に話をしていた。
「あなた、今日は本当に大変な一日でしたね」
「ああ。あの男を見た瞬間、もうダメだと悟った。だがこうして生きている。引き換えに、何人もの人が犠牲になってしまったが……ふぅ。もう寝るとしよう。明日も早い」
「ですね。もう夜も更けて来ましたし」
コンプトン夫妻は子供部屋へ寄り、すやすやと眠る子供たちにお休みのキスをしてベッドルームへ向かった。
ベッドルームのドアを開け、手探りで電気のスイッチを押す。そして2人で部屋へ入り、後ろ手でドアを閉め―――ようとする前にドアが閉まった。「え?」と2人が振り向いた瞬間、黒い影が2人を襲った。まずはコンプトンが顎に打撃を食らってその場に尻餅を着き、次いでコンプトン夫人が両手を後ろ手で拘束され、口にはガムテープが張られた。そして2人とも椅子に座らせられるとコンプトンも後ろ手に拘束され、黒い影、もとい全身黒尽くめの男はコンプトン夫人に銃を向けた。真っ黒な銃口に恐怖を覚え、夫人が声を上げるがガムテープ越しでは「うーうー」と唸っているようにしか聞こえない。
「こんばんは、首相。大声を出したら夫人の美脚に風穴が開くことになる。いいな?」
黒尽くめの男は夫人にスタームルガーを向けたまま目出し帽を取る。男の正体は純であった。
「サ……サンド・ラビット」
「本当はこんなことしたくなかったんだが、夫人に大声を上げられたら困るからこうさせてもらった。俺の話を聞いてもらいたかったんでね」
「貴様の話を聞くつもりはない。殺すならさっさと殺せ。だが、家族には手を出すな」
「そこだよ首相」
そう言って純は夫人に向けていたスタームルガーのセーフティーを入れてホルスターに戻した。そしてベッドに座り、話を続ける。
「第一に、俺はあんたを狙ってはいない。もし狙ってるなら、こんなまどろっこしいことをしないでさっさと片付けさせてもらうし、それ以前に朝の段階であんたは死んでる。俺はあの程度でミスはしない」
「……一体どういうことだ?」
「今朝、あんたを狙ったのは別の人間だ。俺はあの時、大英博物館前のカフェにいたんだ。監視カメラでも確認してもらえば、すぐにわかる」
「では、ここへは何をしに?」
「どうしてあんたを狙ったのが俺だと思ったのか。それを聞きに来たんだ。警察が来たとき、俺を名指しで逮捕しに来た。あの現場で俺のことを知っているのは恐らくあんただけ。どうしてテロの実行犯が俺だと思ったんだ?」
「……その前に妻だけでも解放しろ。そうすれば話す」
「それは出来ない」
純は即答して続けた。
「ここで夫人を解放したら、すぐに護衛を呼ぶだろ?だからダメだ。話してくれれば解放する。で、どうして俺だと思ったんだ?」
「それは……前任の首相からおま……君に関するファイルを引き継いだ。顔写真つきのファイルだ。君が何者で、何をしてくれるのか、依頼の方法などが書かれていた」
「ということは、その写真を見て実行犯が俺だと思ったわけか。そいつは俺にそっくりだったのか?それとも顔つきが東洋人だから、俺だと思ったのか?」
「……あれはどう見ても君だ。東洋人と一括りにしたわけではない。君と瓜二つだった。正直今も、実はあれはやっぱり君で、油断させたところで殺すんじゃないかとヒヤヒヤしている」
「だからそんな面倒なことはしない。話を聞いたら俺はここから消える。誰にも危害を加えずにだ。それは約束する。お2人が護衛を呼ばなければ、の話だが。……話を戻そう。それ以外に何か覚えていることはないか?些細なことでいい」
「……そういえば何か違和感があった。何と言われるとわからないが、あの犯人を見たとき、違和感を感じ……そうだ。犯人は左手で銃を持っていた。それだ」
(どんな状況でも仕事が出来るように両利きに矯正したが、よほどの理由がない限り、俺は右手で銃を撃つ。犯人は左利きか。そして俺と瓜二つ……)
「それと、君がいたカフェに警察が来たと言っていただろう?あれは通報を受けて駆けつけたようなのだ」
「……なんだと?」
「避難したバンカーで報告を受けたんだ。『大英博物館前のカフェに銃乱射事件の犯人らしき男がいる』と通報があった、と」
「……首相。あんたの権限で、その時現場で撮影していたマスコミの映像を手に入れられるか?動画が一番いいんだが、最悪写真でもいい」
「それなら、現場にいた市民が一部始終を撮っていた動画が、ユーチューブにアップされていた。ニュースでその映像が使われていたが、なかなか鮮明に映っていた。マスコミから映像を手に入れることは可能だが、あの映像の方が、調べるにはいいんじゃないか?」
「ユーチューブか……わかった」
純はベッドから立ち上がり、バラクラバを被ってから腰のシースからナイフを抜く。コンプトン夫妻は身を竦めるが、純は2人の背後に回って手の拘束を解き、夫人の口を塞いでいたガムテープも剥いだ。
「2人を酷い目に合わせて申し訳なかった。この償いはいつか必ずする」
そう言って純がベッドルームの窓から出ようとすると、コンプトンが「ちょっと待て」と声をかけた。
「これから、どうするつもりだ?」
「決まってるだろう。俺の偽者を追いかけて落とし前をつけさせる」
「そ、それなら私にも、いや、我が政府にも協力させてくれ」
「あなた!何を言っているかわかっているの!?今回の件は無実かもしれないとはいえ、彼はテロリストなのですよ!?」
「だが国民が犠牲になったのだ。犯人には罪を償わせなければならない。犯人を追えるのは彼だけなのだ」
「ですが……」
夫人が窓に立つ純を見上げる。その眼差しは汚いものを見るようなものであったが、それも当然だ、と純は思う。
自分のやってることは所詮は人殺し。別に人に理解されようなんて思ってはいない。だがそれで笑顔で明日を迎えられる人がいる。少なからず助かる命がある。その為にそれ以上の命が失われようと、仕事は完璧にこなす。初めてこの仕事を始めたときにそう決めたのだ。
「もし助けが必要なら連絡する。それと、俺の指名手配は解除しておいてくれ。警察に追われたままじゃ調べられるものも調べられない」
純は窓から外へ出ると屋根伝いに建物を移動し、警備の目をかいくぐってナンバー10を後にした。その後、駐車していたレンタカーに戻り、ラフな服装に着替えて車を発進させる。ロンドン市内を回り、ネットカフェを見つけてそこへ入ると、個室を借りてユーチューブにアクセス。通行人が偶然撮影した動画を見る。さすがはニュースで使われていただけある。再生数はすでに5千万回を超えていた。
(……随分えげつないことをやってくれたもんだ。ペチェネグを乱射してお次はM733。装備がバラバラなのは西と東、どちら側の人間なのかを悟られないようにするためだろうな。しかし……)
見れば見るほど、犯人は純にそっくりであった。よく見れば若干違うところもあるが、それを見分けられる人間は、恐らく結維だけではないだろうか。それくらい似ているのである。
(とりあえず収穫がいくつかあったな)
動画を見終えた純は早々にネットカフェを後にし、車を発進させた。
(まず、犯人は左利き。これは確定だろう。右利きを前提に作られたM733に、ご丁寧に左利き用のカスタムパーツを付けていた。あと、犯人は本格的な軍事訓練を受けたことがない。射撃体勢がまるで素人、とまではいかないがお粗末だ。多分、どこかの武装組織にでも入って訓練を受けたんだろう。となると、その組織がどこかわかれば何かヒントが……イヤ、ダメだ。そんなの探して回ってたら何年かかるか……そうか!犯人の使っていた銃。ペチェネグはバンの爆発でバラバラになっただろうから難しいが、薬莢はそこら中に転がっていた。カートリッジが何処で造られたか調べれば、何かわかるかもしれない)
純は路肩に車を停めるとポケットからスマートフォンを取り出し、どこかに電話をかける。すると3コールほどで相手が出る。
『よぉ、そろそろかけてくると思ってたぜ。で、イギリスからの脱出プランは?テレビゲームみたいに気球で回収するか?』
「……まさかあんたまで、今朝のは俺が起こしたと思ってるんじゃねぇだろうな?」
『ハッ!まさか。お前はあんな仕事の仕方はしない。ありゃただのテロだ。だが他の連中はそうは思ってない。うちも含めて、今や世界中の政府、軍事機関、テロ屋までもが、蜂の巣をつついたような騒ぎだ。この電話も秘匿回線を使っているが、長電話は禁物だ』
「ああ、用件だけ言う。CIAは世界中に諜報員をバラ撒いているが、それは勿論友好国にもいるんだろ?その人員を使って調べてほしいことがある」
電話の相手はCIAのエージェント、ジャガーノートであった。お互い名前を言わないのは、盗聴を警戒してだ。
最初純は、コンプトンに調査を依頼しようとしていた。だが彼に頼むと時間がかかるし、犯人と目されていた人物の指名手配を首相の名前で解除し、その日の内に首相自ら事件のことを調べたいなどと言えば、彼の行動を不振がる人物が出てくるかもしれない。あれは支持率アップのためのパフォーマンスだったとか、犯人と組んで何かを企んでいるとか、そんなところだ。確かにイギリス政府の協力があれば捜査は捗るだろうが、コンプトンが疑われるのは避けたほうがいい。そう判断したのだ。
『何だ?』
「今朝の銃撃で散らばった薬莢が、何処で造られたものか調べて欲しい。そこから犯人を割り出す」
『わかった。少し時間をくれ。あと、俺のほうでも何か調べてみよう』
「ああ、助かr……ッ!」
突然の銃撃。窓が割れ、ガラスが飛び散る。純は咄嗟に腕でガードし、身を縮めた。
『おい!どうした!?何があった!!』
「クソ!いきなり撃たれた!また連絡する!」
純はジャガーノートの返事も聞かずに通話を終了し、スマートフォンを助手席に投げ、車のエンジンをかけて急発進させた。そしてすぐ異変に気付く。パンク特有の、ガタガタとした振動が車内を揺らす。
「ちッ!タイヤに当たったか……!」
純はすぐに車を止め、スマートフォンとバッグを持って車から飛び出す。その背後からブレーキ音と共に銃声。
(車は2台、サプレッサー付きの銃声は3つ。敵はドライバーを含めて、最低でも5人か)
車の陰に隠れ、ホルスターからPx4を抜いて銃をチェック。人の銃だから不安は残るが、今はこれとスタームルガーしかない。
Px4のセイフティーを外し、素早く身を乗り出して二連射。まずは1人無力化。次いで照準を合わせずに威嚇の3連射。敵が怯んだ隙を見て車に隠れ、カバンから破砕手榴弾を取り出し、ピンを抜いて自分の車に投げ込み、ダッシュで逃げる。走る純を見て敵は純に銃を向けるが、直後に純の車が爆発。街灯があるとはいえ、夜の闇に慣れた目に爆発の炎は眩しすぎるし、咄嗟に伏せてしまったので敵は純を見失ってしまった。
「今の爆発ですぐに警察が来る。銃と死体を回収して一度撤収だ」
敵の1人がそう呟くと、他の男たちは声を出さずに頷き、素早くその場を後にした。
一方その頃純は―――
「はぁ……はぁ……っ。あれだけ派手にすれば、俺を追わずに撤収するだろ、流石に」
路地裏で純はふぅと一息ついて呼吸を整え、Px4をホルスターに戻す。そして身体についたガラス片やゴミを払い落とし、再び歩き出した。
(しかしいいな、Px4。時間空いたら買おう)
お読み頂き、ありがとうございます!
感想、ご意見、ご指摘大歓迎でございます!
また、14話投稿に合わせて銃器解説を更新致します。




