第二章:眠
第二章
ふと目が覚めた時には、窓から夕陽が射し込んでいました。随分と寝てしまったようです。
携帯の画面を見ると18:36との表示。
私はそこで違和感を覚えました。よく考えれば私が帰ってきた時には既に19時を回っていたのです。
ああ、丸一日寝てしまったという事でしょうか。
「そんなに、疲れてたんでしょうか…」
自覚、まるでなし。
土曜一日無駄にするとは、私も大したものです。
しかし、その認識も誤りだという事に気づかされます。それは再度携帯の画面を覗き込んだ時。時刻表示のその下、小さめの赤文字で“San”との表示が。
「………あら、日曜日?」
冷や汗が背に伝います。ぐっしょりです。
とりあえず今起きた私えらい!このまま二度寝なんてしようもんなら月曜日までぐっすりと…なんという悪夢。
とにかくシャワー浴びて、着替えてそして洗濯しないと…今すべき事が一瞬にして巡ります。
鈍く重い体を起こし、バスルームに向かいます。シャツや下着を脱ぎ捨て、洗濯機へと突っ込み電源を入れます。これでシャワーを浴び終わった頃には洗濯完了、一石二鳥です。
そして丁寧に巻かれている包帯を無慈悲にも取り去ります。包帯は巻かれていた下層部にいくに連れ赤黒く変色していました。出血、やや多量。
一面赤黒く染まったガーゼを剥がした私は、目を丸くしました。
「…え」
ないのです。傷どころか傷跡さえも、綺麗さっぱりなくなっているのです。
痛みは損傷当日にほぼ無と言っていいほど薄れていました。
「そんな、ばかな…」
一日やそこらで治るようなもんじゃないはずです。なくなったんですよ?肉体の一部が。
「夢、だったとか…?」
あの日が夢なら、どれほど安堵することでしょう。しかし汚れた包帯がそれが現実であったという事を主張してきます。
「気味が悪い…」
自分の身体のはずなのに、なにか違う気がして。
心なしか悪寒がしました。
考えても答えなんて出るはずもなく、時間だけが過ぎていきます。
しかたない、はやく色々済ませてしまいましょう。
極力傷の事を考えないようにし、シャワーや選択を済ませた私は明日の準備に取り掛かりました。
「んと、水着…か」
部屋の隅に置いてある紙袋。
ビニールで丁寧に包装されたそれらを取り出し、じっとにらめっこ。
タグ等は綺麗に取られていて今すぐにでも使える状態です。
「………」
私はタオルと一緒にそれらを別の袋に入れカバンに突っ込みました。
考えたくない事が無情にもアタマを駆け巡ります。
寝よう………。
目覚ましを6:00にセットし、私は眠りにつきました。
………窓の外が薄っすらと明るい。
「時間は?!」
瞬間的に朝だと察した私は、携帯の画面をチェックします。
5:39…やりました、目覚ましに勝ちましたよ!問答無用で目覚ましを解除します。
私の家は、最寄り駅から歩いて30分ほどの距離にあります。そして学校の最寄り駅まで電車で30分程…そうです、通学に1時間以上かかるのです。朝練ある日なんかは地獄だなぁ。
さ、支度しないと遅刻してしまいます。
髪を梳かして、じゃあ今日は…
「ピンどこやったっけ…」
特に何もしません。
切るタイミングを失い伸び伸びしている前髪がバサぁっとならない様にピンでクロスして留める程度です。
相変わらずのシンプルイズベスト。
あ、色は毎日変えてますよ。今日は赤です。
「うん、いい角度」
なんだかんだ拘っていたりもします。
その後ささっと制服に着替え、戸締りをして出かけます。
朝は食欲がないのでパウチのゼリー飲料片手に舗装されきってない道を歩きます。雨降るとぬかるむとかのレベルじゃないんですよね、ここ。
路地を抜ければ駅までは一本道。なにも考えずただ無心にゼリーを貪り歩きます。少しすると、聞きなれない川のせせらぎが聞こえてきました。
音の主はきっと水無糸川です。
いつもは申し訳程度にしか水が流れていないことからついた名前だそうで。
「水、流れてるじゃないですか」
いつもは川底が露出している程渇いているのにもかかわらず、今日は大人の足首に届きそうな程に水が溜まり流れています。
昨日の雨で増水したにしては、澱みも無く何より水位が高すぎる様に感じるのですが。
「…変なの」
遅刻する心配もあり私は川沿いの道から外れ、通学路を急ぎます。
駅までの一本道だと言うのに、誰ともすれ違わない。あるいみこの町の誇れるところなのかもしれません。よく言えば静かで自然豊か、悪く言えば過疎。
誰ですか、今田舎と言ったのは?
全く、私が住んでいるのに田舎なわけないでしょうに。
約30分程歩き、最寄り駅である御影沢駅に辿り着いた私は滑らかな動きで改札を抜けこの通勤ラッシュに一本しかない特急電車に乗り込みます。
ほんと、不便な土地…。
特急電車と言えど、人は疎ら。
私は5両目3番ドアを入って左側の座席の一番端を勝手ながら指定席とし、仮眠をとるのですが。
先客。今日に限って先客がいます。ああ、テンション下がる。
仕方ないので反対側の座席に座ります。
寄りかかれるあの席、楽なんだけどなぁ。
なんとなく違和感を覚えつつ夢の世界へ。
というのも束の間、最寄り駅の澱原駅に着きます。さすが特急電車、10分足らずで着きました。
「飛鳥さーん」
「あら、おはようございます」
改札を出ると後ろから同期さんが走ってきました。
そしてそのまま学校まで一緒に…ええ、いつものパターンです。
「おはようございま…あれ、飛鳥さん首したんですか?」
「え?」
傷は綺麗さっぱり消え包帯すらしていないのに、彼女はいったい何を言っているんでしょう。
「あの、どういう意味なので?」
「え…だって首に、裂傷のような痕が…」
………馬鹿な。
そんなはずは、だって首にはなにも残ってないはずなのに。
「えっと…その…」
「寝違えました?」
「はい?」
寝違え、そんな感じなんですかこれ。
私も実際に見たわけではないのでなんとも言えませんが、間違いなく寝違えて傷ができるなんてことは無いですよ?
「あ、私…実家で整体やってて筋肉の状態は肌の上からでもわかるんです!」
どこかのバスケ部の監督さんとなんとなーく被ってますよ、それ。
「では、筋肉の裂傷ということで?」
「そんな感じです。同じ体勢で寝続けたりしませんでした?」
自覚なし。しかし心当たりあり。
「したよーなしなかったよーな」
「あー、これはしてますね」
いやん、鋭い。
「冷やして触らないようにしてれば治りますよ」
「今日からプール開きなのでちょうどいいですね」
「…え、飛鳥さん…マネージャーじゃ…」
あなたもその認識でしたか。
その通りです、そのはずだったのです。
「わけあって今では選手らしいです」
「わぁー!これでリレーでられますね!」
「私、泳げないんですけど?」
「……飛鳥さん、なんで水泳部に…」
まあそうなりますよねー。
そうこうしていると学校に到着。
上履きに履き替えるべく下駄箱の戸を開けるとそこにはなんとラブレターが!
なんて少女マンガちっくな展開は起こるはずもなく…
「…あら」
下駄箱の中に小包みが。
「…爆発物の類じゃないですよ、ね?」
「どうしたらそんな発想になるんですか、何かに追われてる組織の一員かなんかですかこのやろー」
珍しく同期さんにツッコミを入れられましたがそこはスルーします。あ、表情は驚いてますよ。主に小包みにですが。
「にしてもこれはいったい…」
「開けてみればいいじゃないですか?」
なるほど、その手がありました。
手にとってみるとそれほど重みもなく爆発物の様な匂い、時計の音などはなかったので包装紙を破ります。イッツ アメリカンスタイル です。
「…これは…」
半透明なプラスチック製の筒、そこから透けて見える淡い緑色のなにか。
「あ、セームじゃないですかこれ!」
「なるほど、セームタオルですか…」
説明しましょう。
セームタオルとは、水泳などで使われる吸水性の高いタオル。水分を吸った後に軽く搾ることですぐに吸水性が復活するため、躰に付いた大量の水分を一気にふき取るのに最適である。(はてなキーワードさんより引用)
要するに薄い高野豆腐の様なタオルです。
我が水泳部でも使用者は多数。
カビが生えやすいので管理の仕方はよく教えられましたっけ…。
「しかし、いったい誰がなんのために…」
「唐突ですしね…」
暫く二人で困惑していると、影からコソコソと話し声…というかちょっとした喧嘩しているような声が聞こえてきました。
「やっぱり突然過ぎだっての」
「いーじゃない、選手になったのよ?サプライズよ!」
「にしても女の子に緑って…やっぱピンクだったんじゃね?」
「それを言ったら鯱のワンポイントだって、女の子ならイルカとかじゃないのー?」
「鯱は水の中じゃ強いんだぞ!水泳選手にもってこいだろ」
「イルカだって可愛いのに早いじゃない」
「そもそも色が女の子っぽくないというか」
「そーゆーの偏見よ」
「なんだと?」
「なによ」
「あのー!」
影からコソコソと喧嘩していたのはお察しの通り、我が水泳部の夫婦です。
声を掛けた途端二人の喧嘩はピタリと止み、ぎこちなくこちらを向いてれました。もちろんお二人とも同時に。
「あ、ああ飛鳥ちゃんおはよー」
「よ、ようひ久しぶりだな」
会話の内容といい、この動揺っぷりといい…差出人はこのお二人で間違いないでしょう。
「お二人とも、私…緑色も鯱も好きなんですよ」
「!」
「この差出人不明のセーム、気に入っちゃいました!大事にしなきゃですね」
「…あぁ、物を大事にすることはいい事だもんな」
「そうね、その方が差出人である誰かさん達も喜ぶでしょうね」
「はい!」
水泳部の温かみに触れられた、そんな朝でした。
………っと、ほっこりしたのも束の間。
キーン‼︎コーン‼︎カーン‼︎コーン‼︎
耳を劈く様な大音量の予鈴が鳴り響き、私が確認できる範疇でも全員が耳を塞ぎ蹲りました。
ちなみにこれほどの大音量なのは予鈴だけなのです。これ、なんとかならないのかなぁ。
「っつ…油断してました…」
「はーぁ、毎度毎度困ったもんよねこれ」
「ほんとですよ!」
「ったく…とりあえずさっさと教室行くか」
「そうねー。じゃ、飛鳥ちゃん達!また部活でね!」
「「はーい、しつれーしまーす」」
なんやかんや言い争いつつも、我が部代表の鴛鴦夫婦。
その後ろ姿は仲睦まじいものでした。
あぁ、まだ耳鳴りが…。
「私達もさっさと教室行きましょう…遅刻ギリギリですよ」
「ですねー、じゃあ私こっちなので!またあとで!」
軽く手を振り同期さんはFB1の教室へ消えて行きました。
私はその二つ隣、FA1の教室へ入ります。
ああ、ここのクラス等の説明は後程するとして。
「おはよーございます」
教室に入るや否や聞こえたのは女子特有の鼻にかかる悲鳴やら、イケイケ系の男子特有の大袈裟なマジで?!でした。
「あ、飛鳥ちゃんおはよう」
「おはようございます、一体なんの騒ぎなので?」
「あー、なんかねうちの生徒が行方不明になっちゃったんだって」
「ほーん、そんなことですか」
「それが舞降付近らしいからみんな大騒ぎで」
あらまあ。
「私昨日いましたよ、舞降に」
「「「え?!」」」
…なんでしょう、クラスメイトのほとんどがこちらに注目しているような。
「なーに騒いでんのー?HR始めるよー」
担任の日比野先生の登場により教室内は落ち着きを取り戻し、その後も放課後まで何事もなく平和的に時間が過ぎて行きました。
これで一日が終わっていれば、どんなによかったことやら。