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坂の多い、海の見える街

作者: まな

 僕の住む町は、坂が多い。正確には坂の多い、海の見える街だ。

 だからと言って海は決して綺麗なコバルトブルーでも何でも無く、どちらかと言うと鉛寄りの、まるで水平線の先には何も無いような色をしている。当然フェリーや漁船も走る事は無く、この街だけさながら、誰かの夢の中の、一つの心象風景のようである。


 今日は、ある秋の日だった。

「ある秋の日だった」というのもおかしな話だが、気が付く度に季節が変わるのだからしょうがない。

 外に出れば空はひんやりとして、そしてモノクロな世界が視界に飛び込む。

 秋だと気付いたのと同じくらい、僕は知っていた。今日この街で僕がやるべきただ一つの事。

「あの子と紅葉を見に行かないといけない」

 決して見に行く義務は無いのだが、行くしか無いという漠然とした焦りだけがあった、どうしてだか知らないが、元々そう誰かに決められているみたいに。


 メールを送った、あの子に。あの子あの子と言うが、別にあの子に名前が無いわけじゃない、ただ知らないだけで、そしてあの子の事は名前以外は大体知っている。

 身長はこれくらいで、どんな声をしていて、そして何が好きで、僕の事をどう思っているか。

 きっとあの子は僕の事を何とも思ってはいない、そして僕もあの子の事を何とも思っていない、この街では僕とあの子はそういう関係なのである。

 坂の多い、海の見える、彩りの無い、無機質な街。


 ぼさっと、考えている内に返信が届き、携帯電話が間抜けな着信音が響いた。

「家を出るから待っていて」


 待っていて、というのは恐らく家の前で、という事だろう。僕は家を出て、坂の上のあの子の家に向かった。

 この街に於いてはどこも彼処も坂の上だから、アテにならない表現だったかもしれない。ちなみに坂の下には濁流のような水路と海しか無い、寂しい場所である、寂しくない場所なんて、何処にも無いのだけれど。


 秋特有の、鼻の奥に抜けるような空気を吸いながら道を歩いた。僕は「秋だな」とは思ったが、それ以上は何も思わなかった。

 結局誰ともすれ違う事も無く十数分歩き、あの子の家の前に着いた。誰も居ないのは朝だったせいか、それとも元々この街には僕とあの子以外、誰も住んでいないせいかはわからなかった。

 

 あの子が扉を開けて出て来た。

「おはよう」

 聞き慣れた、特に良くも悪くも無い声であの子は言った、きっとずっと起きていた癖に。

「おはよう」

 僕も出来るだけどうでもよさそうに返した、どうでも良くても良くなくても、どういう風に取られてもそれすらどうでもよかったのだけど。

「紅葉を見に行こう、あの道を通ろう」

 僕は言った、あの子にあの道、多分伝わる。

「わかった」

 あの子は答えた、多分どの道でも良かったのだと思う。


 二人で道を歩き始めた、寒いので手は繋いでいたがどちらから繋いだのかは覚えていなかった。

 染まる紅葉に重たい色の空、いかにも秋らしいと言うには秋らしくないコントラスト。しかし寂しいというのが秋の条件なら、きっと他のどの秋よりも確実に秋らしい秋。

「坂の上に登って、街を見下ろそう」

 僕はそう言いながら隣の無口なあの子の手を引いた、あの子は何も言わない。

 一度麓に降りる必要があった為、水路の傍に出た。水路は山から流れている為、必然的に沿って進む事になる。


「思ったより遠いね」

 僕はあの子に話し掛けた。

「そうだね」

 このまま歩いてもいいという意味の返事だと解釈し、歩き続けた。


 しばらく歩き続け、入り乱れる水路の道を歩いて、廃ビルの傍に差し掛かった時、突然あの子が言った。

「あっちに行きたい、あの道をまた通りたい」

 あの子が指差す方は、いつか二人で登った、廃ビル群へと続く階段だった。

 いつ登ったのかは忘れたが、その時は二人とも笑っていたような気がする、今は二人とも無表情だった。

「いいよ、行こう」

 と、僕が言うと、歩いていた内に離れていた手を今度は確実にあの子が掴み、まるで引っ張る様に歩き始めた。


 廃ビルに続く階段は石造りともコンクリともわからない、兎に角階段で、恐らく世の中の多くの階段よりは狭い。

 二人して、早足で階段を登る、自分の歳もあの子の歳も、この街ではわからないし気にも留めない事だったが、多分人から見れば子供っぽい歩き方だっただろう。見ている人もいないのだが。


「この階段で花火を見たね」

 そんな事もあった、多分またしようと思っても出来ないくらい楽しかった夏の日。この街も、あの子も、その時は鮮やかな色がついていて、記憶ですら色とりどりに思い出されて噎せ返るような空気の感触すら、喉元まで近付く。

 そうして思い出せども出されども、あの子は何も言わず僕の手を引く。


「紅葉なんて、この先じゃ見られないよ」

 僕は切れる息を殺しながら言った。

「いいから来て」

 あの子はそれだけ言って歩き続ける。


 ようやく辿り着いたのは、廃ビルの天井も崩れ掛かった会議室のような広い一室だった。


「ここに来たかったの」

 そう言うあの事部屋と窓の外、見比べる僕。何の事かさっぱりわからない。

 水路の街がこじんまりと見下ろせる、左手にはさっきまで目指した山のような坂の頂。

「ここがどうかしたの?」

 僕は尋ねた、彼女は窓の外を見ている。

「別に、何でも無いけど、来てみたかっただけ」

 夢の跡のような部屋で、物思わぬ男女二人、時間が止まったような街できっと秋であろうある秋の日。


 少しか印象深い佇まいである事は確かだった、こうして覚えているように。そしてなんとなく、あの子を見ると寂しい気持ちになった、こうしてここに居て、寂しくなんて無いのに。


「ずっと前にも、ここで同じ事をしていたような気がしない?」

 あの子は言った、僕はそんな記憶は無かった、そう言われても、この部屋は見覚えが無い。花火なら先の階段で見た気がするが、言わない方が良い気がして黙った。さっき呟いたのは、聴こえていなかったのだろう。またあの子の整った口元が開く。

「もう行こう」


 そうして僕達は廃ビルを後にした、その後結局紅葉の街を見たのかどうかはもう覚えていないが、もし行っていたとしても、思い出せるのは坂の多い、海の見える街に少し紅い彩りが添えられただけの風景だから。別に思い出せなくていい。

 

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