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鬼人伝  作者: 牧原のどか
血の誓約
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乳母さまの愚痴は災厄を招く

 人の縁とは複雑に絡み合うものだ。

 葉月と猛流がお忍びで花見にでかけたころ、葉月の乳母である小春は、しばしの休みをもらい知人の元を訪れていた。

 小春は葉月のための乳母として城に上がった。乳の出る女であるからには同じ時期に子供を産んでいる。実子は男の子であり、それを他人に預けての奉公であった。

 息子は皇帝様の覚えもよろしく長じれば、お城での奉公も適うはずだ。

 ありがたいことではある。

 しかし我が乳を与え育てた姫に対する思いというのはまた格別で、ゆくゆくは三皇家への降嫁か、予備血統家、悪くても大名家の正室と期待に胸を膨らませていた。

 やや気の強いところはあるが、器量は文句なし、頭も悪くはない。どこに出しても恥ずかしくない躾をするのが自分の役目だと気負っていた。

 それが小角に嫁がせるとの仰せである。小春は聞いた途端、絶望のあまり気を失った。

「この婚儀には反対でございます!」

 目を覚ましての第一声であった。

 うわ言ですら異議を唱えていたとの証言もある。

 血縁親戚縁者、ありとあらゆる(つて)を使って異議を訴えた。奥宮にいて、会うことの出来る全ての者に訴えた。皇帝様にも直訴したし、御台所様にも訴えた。

 しかし我が腹を痛めた子とはいえ、女児で乳母に任せた子供だからか、御台所の反応は冷たいものであった。

「妾もそれは気に病んでおったところじゃ。小角のところには、皇帝、三皇家の、皇族の姫のうち一人を遣わすしきたりじゃが諸大名の心証をおもんばかり、三皇家の中から選ぶのを不文律としておった。猛之どのには長く子がおらず、齢の合うものが我が家にしかおらぬのも事実じゃが、諸大名の反発は必定。このような事態を招いてまでもしなければならぬとは、何やら変事があったやもしれぬ。大事にならねばよいが……皇帝様は聞いても教えて下されぬし、父上には聞くがむだじゃ。西州もああ見えてもこうと決めたら、口が堅いのじゃ。攻めるなら南戸じゃが、体がすぐれぬと()せっておる。妾とて口の堅さには自信があるが、それでも教えてはくだされぬ。口惜(くちお)しや」

 葉月に受け継がれた美貌を曇らせ、御台所はそう言った。

「御台所様! 御台所様が心配なさっておられるのは姫の婚儀の事ではなく、婚儀をしなくてはならない事情なのですか! 姫様のご婚儀には反対ではないのですか」

「皇帝様にも、父上にも、何かお考えあっての事、妾が異議を唱えるには当たらず」

 これが実の母の言葉だろうか。

「御台所様! 御台所様は姫様と天下、どちらが大事なのでございますか!」

「きまっておる!」

 御台所は(まなじり)を吊り上げ胸を張り──

「天下じゃ!」

 と言い切った。

 小春ごときにこれ以上なにが言えようか。

 さすが天下のためなら我が子をも切ると言われる北張葵の姫である。

 まったく、葉月姫の気性は誰に似たものか。

 御台所はもちろん、三皇家の当主はそろって小春の訴えを聞いてはくれなかった。葉月姫の婚儀が取りやめになれば、自分たちの姫を小角にやらなければならないからだ。葉月を犠牲にして自分たちは助かるつもりだと小春は思った。

 姫様を犠牲にしてなるものかと、正式な婚儀まで十余年はあるのをたよりに、この婚儀に不満のある者たちと異議を唱え続けた。

 それが四年前、嫁ぐのが決まっているものならばその家の仕来(しきた)りになれておくべきであると、姫が小角に預けられることが決まった。事実上の嫁入りである。  このとき、小春は衝撃のあまり気を失い、そのまま寝込んだ。

 皇帝様はお怒りになったのだ。この小春が婚儀に反対するからお怒りになり、小春に罰をくだされたのだ。姫様は小春のせいで、奥宮を追い出されてしまったのだ。

 姫様に申し訳なく会わす顔がなかった。

 医師が止めるのも聞かず、小春は床を出て皇帝様に泣いて許しを請うた。

 皇帝様の仰せに逆らったのは、この小春の考え違いでございました。もう、お考えに異議は唱えません。ですから、姫様を奥宮から追い出さないでくださいませ。嫁ぐ日まで奥宮においてくださいませと。

 諸大名も色々手を尽くしてくれたのだが、皇帝様はお許しにならず、とうとう葉月姫は小角の家に預けられてしまった。

 自害も考えたのだが、小角の家にやられる葉月のことを思うと、側にいて味方をしなければと、それも出来なかった。

 これ以上ことを大きくすれば、姫様に次はどんなお咎めがあるかわからない。

 もはや小春にできるのは、知人に愚痴をこぼし、気晴らしすることだけである。

「あの若様ときたら人の言いなりで、一家の主になるような覇気がございませぬ」

 相手は小春の遠縁の者で大家に仕えている奥方である。

「まあまあ、そのように、その、ぼんくらで?」

「そうですわ。小角といえば鬼神流の名があるほどの武家でございますのに、その跡継ぎがあれでは。女のような顔をして、へらへらして、頼りのうございます」

「まっ、そのような。それでは姫様がお可哀想な。姫様は跡継ぎ様を嫌っておられるのではありませんか?」

「嫌っておいでですわ」

 皇帝様の意向に逆らう訳にはいかない小春が出来るのは、徹底的に相手の猛流の悪口をいうことくらいである。

 葉月が屋敷を逃げ出そうとするのは口外するわけにはいかないが、逃げようとするからには、猛流を嫌っているのだと、小春は考えていた。

 結婚は嫌だが、猛流は嫌いではないし、奥宮より小角の屋敷の方を気に入っているという葉月の複雑な気持ちを察するには、小春の両目には格式という鱗が張り付いていたのである。

「本当に、姫様はお可哀想に。嫌っておられるお方に嫁がねばならぬとは。せめてお心をお慰めしたいものですわ」

「同じようなことを言ったものが、今日、姫様を連れ出しておりますが、なんの、小角の家来ごときの家の庭などで、姫様の心が癒されましょうか? まして、あの跡継ぎ様とご一緒とは。気の利かぬものですわ」

「まあまあ、本当に。殿方になど、女子の気持ちは分からぬものですわ。お慰めするのなら女は女同士。わたくし達がお慰めしなければ」

「まあまあ、言われてみれば。この小春が姫様のお気持ちをお慰めするべきでしたわ」

「小春様、それでしたらわたくしが主家に申し上げて、わたくしのご主君様の奥方の茶会に姫をお招きしてはいかがでしょう。さいわい我が殿は姫に同情しておられますし、我が殿の御屋敷でしたら、姫様のお心も慰められるのではありませんか?」

「まあ! それはよいお考えかもしれませんわ。小角の屋敷から出られるのでしたら、姫様の気もはれるやも」

 小春にとってそれはとてもよい考えのように思えたのだ。

 後に起こる騒動など、神ならぬ身の、小春の知るところではなかった。

葉月ママン回想シーンで登場。北張葵隠居の娘です。

この父にしてこの娘あり。うん。


誰に似たんだ葉月!!たぶんおばーちゃん。遠い目をすんなよ、北張のご隠居。

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