鬼神流の祖と御開祖様
千騎の流行り唄もおわり、重箱の中身もすっかり片付け茶で喉を潤していると、一人の男が目に付いた。
男は大きなふろしき包みの中から木の板を何枚も取り出し組み立てて、あっと言う間に台を作り上げ布をかぶせた。
男はぱぱんっと、閉じた扇子で台を叩いた。
「さあさあ寄ってらっしゃい。お代は聞いてのお帰りだ。今は昔、皇帝様の初代、ご開祖様は、魑魅魍魎があふれる世を嘆き、地を治めるべく、天から降り立ったぁ! ──ぱぱん──地に平穏を与えるべく、その地を治める魑魅魍魎を平らげて家来とし、帝国を打ち立てたお話だ! ──ぱぱん──今日はその開祖様の懐刀となる、鬼神血の契約の段。その鬼どもの強さと言ったら、開祖様もてこずったという、強敵も強敵。これを聞き逃したら後悔するよぉ」
男は名調子で続け人が集まってきた。
「なあに? あれ」
「講談屋ですよ。諸国を歩き回って聞いた話や、昔話などを面白おかしく聞かせて、日銭を稼ぐ商売です。おもしろかったら銭を紙で包んで投げてやるのです。包む金額は客がきめます。つまらなかったら、途中で帰るんですよ。その場合はただです。聞いていきますか」
「そうねえ、町民は開祖様の話をこうして聞くのね。おもしろそうだわ」
「鬼神の段は、土蜘蛛の段とならんで人気の話ですよ」
姫は運がよろしいと千騎が微笑んだ。
「いいけど……その鬼って、小角の先祖の事でしょう?」
「そうですよ」
「話を信じるなら、大名の先祖って妖怪がごろごろしてるって事になるじゃない」
「そうなりますねえ。土蜘蛛とか、化け猫とか、大入道の子孫って言われている家もありましたっけ」
「化け狸の子孫でなくて、よかったと思います。獣の毛が生えるのは、嫌です」
まだ鬼の方がいい。と猛流が言った。
「小角の祖先が鬼のように強かったってことなんだろうけど、あんた達、ご先祖様のことをそんな風に言われてていいの? 勝った方が、負けた方のことを好き勝手に言うのは仕方ないけどさ」
「全然、かまいません」
猛流が即答した。
「本当の事ですから」
千騎がにやにやしていう。
「……」
五藤は何も言わなかったが、何か言いたそうなそぶりを見せた。
「もう。ふざけてばっかり」
ぷんっと葉月はふくれてみせた。
講談屋の話は、神出鬼没、怪力無双、矢も刀もはじき返す力を持ち、人心を操り、恐ろしい角と爪と牙を持つ人食いの鬼と、開祖様の派手な神通力合戦となっていた。
悪知恵が働き数々の神通力を誇る鬼は、様々な手段でもって開祖様を苦しめ、開祖様は、勇気と知恵をもってそれに立ち向かって行く、というものだ。
実はこの手の話は頭と最後、それに見所の場面だけが決まっていて、他の部分は講談屋自身の創作になってしまう。そのために、話し手しだいで面白かったり、つまらなくなってしまう。この話し手は、なかなかの名調子で、ときどき笑いを交ぜながら、うまく話を盛り上げてゆく。
開祖様の一番の力は妖力を封じてしまうという力だった。次々と妖力を封じられ、鬼はとうとう進退きわまり、開祖様との一騎打ちの場面へとうつっていった。
客は話に引き込まれ、開祖様が鬼の角を切り飛ばした場面で歓声をあげ手を叩く。しかし、一番の聞き所はここからだった。
「さしもの鬼も角を切り飛ばされ、がっくりと膝をつき、己が負けを認めまする──ぱぱん──これはもう、我の敵う方でなし。さあさあ、首を切って勝ちの証しとされませいと──ぱぱん──ところがご開祖様、これほどのものを殺すには惜しい。その力、天地を定めるため、我のため、働けいと鬼の命を救いまする──ぱぱん──気持ちはありがたや、されど我は人で無し。人の血肉を食らう者、貴方様の家来にふさわしくなしと、鬼は噎び泣きまする──ぱぱん──そこでご開祖様、我が肌を自ら切り裂き、ぱあっと真っ赤な血を流されまする。その血の滴る腕を、ぐいっとばかりに鬼に突き出します。飲むがよい。さすれば、そなたは鬼ではなくなる。開祖様のお言葉に従い、鬼がその血をすすりますると──ぱぱん──摩訶不思議、たちまち鬼は姿を変えまする──ぱぱん──耳まで裂けていた口は、紅を引いたような唇に。血走り爛々とした眦あがった目は、潤んだ真っ黒な瞳に──ぱぱん──二目と見られぬ恐ろしい姿が、あーら不思議、類い稀なる美丈夫となりまする。その姿はまさに──」
ここで講談屋は、びしぃっと扇子で猛流一行をさした。
「そこにおられる御仁だ!」
きゃああっと若い娘が嬌声をあげた。やんやの大喝采。
いきなり注目を集め、五藤は右左と、首を振り──葉月は女児。猛流も子供で美丈夫とはいえない──千騎も十分、美丈夫のうちだが、注目されているのは──
「俺のことか」
と面食らった。
偶然か、最初から狙っていたのか、いくらああだこうだと描写しても、現物の説得力にはかなわない。物語から抜け出たような凛々しい美丈夫を見せられれば、盛り上がらないはずがない。おまけに、横で千騎がにこやかに微笑み、手を振るものだから、いやがうえにも盛り上がる。
若い娘は狂喜して、涙を流すものまでいた。ちょっと年をくったかつての娘も、ほんのりと頬を染める。この、鬼神 血の契約の段の一番の名場面は、二目と見られぬ恐ろしい容貌の鬼が、開祖様の血の力によって、麗しい美男に生まれ変わる所なのだ。
「さてさて、この鬼、のちのち開祖様のおんため天下統一のために、親身を惜しまず働きまして、ご開祖様の娘を貰いますが、それはまた、別の話で──ぱぱん──後日談となりますが、ご開祖様は四人の息子を集めてこう申しました。これよりのち、お前達の娘の一人を、この者の家にやるがよい。この者の子孫の鬼の血を鎮めるため我の血を交ぜ続けるのじゃ。それを怠れば、たちまちこの者の子孫は鬼となり、世に災いをもたらすであろう。この者の家に、我が血を継ぐ者あらば鬼を鬼神と変え、いついつまでも天下を守り続けるであろうと──ぱぱん──この鬼こそが、彼の小角鬼神流を興しましたる、小角猛宣にごさい──ぱぱん──かくて鬼神 血の契約の段、一巻の終わりにございます」
お粗末っと、講談屋が頭を下げると、やんやの喝采と口笛、大量のおひねりなどが投げられた。講談屋は、ほくほく顔でそれを拾う。
「千騎、小銭、持ってる?」
「お任せください。こんなこともあろうかと」
千騎は懐から後は投げるだけになっているおひねりを取り出し、葉月と猛流に渡した。葉月と猛流は無邪気にそれを投げた。
「用意がいいな」
「お主も投げるか?」
千騎は自分もひとつ投げ、五藤に同じものを手渡した。
「まさかとは思うが、あの講談屋、そなたの顔見知りで、やらせたのではあるまいな?」
五藤は少々考えていたが、結局おひねりを投げた。自分をダシにするところなど、いかにも千騎のやりそうな事である。
「その手もあったな」
「おい」
「誓っていうが、やらせてはおらん。こういう所には見世物が付き物だし、それらを姫が見れば、おひねりも投げたがるだろうと用意しておいただけだ。仕込みもおもしろいが、偶然というのが粋だろう」
「そうなのか?」
「粋の分からぬ奴よのう」
千騎は嘆かわしいと首を振った。
投げられた銭をすべて拾い集めずっしりと重い手応えの稼ぎを手にして、ほくほく顔のくだんの講談屋が近づいてきたのは、一行がそろそろ帰ろうかとしたときだった。
「先程はお騒がせしまして、申し訳ありやせんでした。いえね、こちらの旦那が、今日やろうと思っていた話の中に出てくるのに、あんまり似ていらしたもんでしたから。いやっ、もう、絵に描いたような美男子で」
五藤をダシにしたことを、謝りにきたらしい。ぺこぺこと頭を下げて、さらに言う。
「これからは、あの話をするときには、旦那の顔を頭に思い浮かべてする事にいたします」
「それは、どうかと思うぞ」
と意見したのは、当の五藤ではなく、千騎の方だった。講談屋は目を丸くする。
「おやまあ。こちらの旦那も、水も滴るいい男で」
講談屋は扇子で自分の頭をぺしっと叩いた。
「確か、大入道の段で、小角が女装して色仕掛けをする場面があったな。それをこの顔でやったら、大笑いだぞ。確か、かなり艶っぽい顔だと表現されているはずだが」
五藤は、きりりとした男らしい顔なのだ。女装は似合わない。賭けてもいいくらいに。女装したら似合うのは、千騎の方だが、それでも背丈がありすぎる。小角の家系は大柄な方なのだ。
「猛宣様は『見上げるような背丈』だったはずだが、よく騙せたな」
大真面目に五藤は考える。
千騎は苦笑して答えた。
「大入道だからだろう」
「なるほど」
大入道は天をつくほどの大きさである。それから見たら、猛宣様といえど、小さかったのだと大真面目に納得する五藤だった。
講談屋は扇子でぺんっと自分の頭を叩いた。
「言われてみれば、そうでした」
「じゃあ、小角の先祖って、この(ここで五藤をさす)背丈に、これ(ここで千騎を指し)の顔を基本に、猛流の雰囲気をたした感じなのかしら」
葉月が口出しした。
「いい線いってると思いますよ」
と感心したように千騎が言う。
「言われてみれば、そんな感じですね」
と五藤も認めた。
「そうかも知れません」
猛流が呟いた。
紅をひいたような赤い唇、潤んだ黒い瞳というのは、猛流の特徴だ。
三人とも小角猛宣の子孫なのだ。わずかずつ、似ているところがあっても不思議ではない。
「こいつはいい。これからは、そういうのを思い描いて話しましょう。自分の中に確たる姿が思い浮かぶと、ぐっと真実味がでるんでございます。ありがとうございました」
話しているのが小角鬼神流の元祖、小角猛宣の子孫たちとも知らないで、講談屋は芸に厚みが出来たと喜んで帰っていった。
「ああ、楽しかった。帰るのがもったいないわ」
もう帰るのかと、言外に言う葉月であった。
「そうおっしゃらずに。外泊などさせようものなら、この千騎がおしかりを受けます。今日のこともご内密に。お土産を買ってさしあげますから」
「いいの?」
見慣れないものが増えていることが見つかれば、外で遊んできたことが、ばれてしまう。
「後日、町で見かけて買い求めてきたと、私から皆様の前で渡せば、誰も今日、外で花見をしてきたなどと思いますまい。好きなのをお選びください」
「うわぁ、嬉しい! 千騎って本当に、頭がいいのね」
「そういうのを、悪知恵というのです!」
加担するしかない五藤は、自分の中の良心と葛藤するはめになってしまった。
「ささ、若も何かお選びください」
五藤の苦悩をさらりと無視して、千騎はすすめる。
「いいんですか」
嬉しさを、こらえるような風情で猛流が聞いた。
「かまいませんとも。ここらの者共は、これで糊口を凌いでいるのです。我々のようなものが、ぱあっと、散財する方が、世のため人のためにございます」
金は天下の回りもの。あるところから、ないところに行かなければ、ない者が貧窮する。
「では、喜んで」
葉月と猛流は、露店に並ぶ物をあれこれと見始めた。ここいらに並んでいる物は、町人がちょっと小銭を稼いだとき子供のために買えるような、安物である。そこいらの余り物で、ちょっと形を整えた程度の素人の素朴な品物は、二人のような身分の物にはかえって新鮮だった。
いつもは吟味された一級品ばかり使っているのだ。下々の玩具など中にはどうやって使うものか、分からないものまである。
売り手も上客と見て、愛想よく対応している。二人も、並んでいる物から自分で選んで買うなどということは、初めての体験だった。いつもは誰かが選んだものを、貰うだけなのだ。
おのずと品物選びにも熱心になる。
「なぜ、あんな安物で、喜ばれるのだ?」
五藤が首をひねった。
「決まっている。安物を見たことがないからだ。普段使っているものと、全然違うからな」
あれで、あれほど喜ぶのなら安いものだと、千騎は付け加えた。
いくつと決めた訳ではないが、葉月と猛流は一つずつ、玩具を買って貰った。その気になれば、店にあるもの全てを買い取ることもできるのだが、沢山の中から、自分でひとつ選ぶ、というのが味噌であるらしい。
「また連れてきてね、千騎」
買って貰った玩具を一時千騎に預け、葉月が頼んだ。
千騎はにっこり笑って約束した。
「そうそうは無理ですが、その季節季節での楽しみ事のあるときは、この千騎、いくらでも融通をきかせましょう」
「きっと、ですよ」
買って貰った水笛を預けて、猛流が言った。
「お任せください」
千騎は自信たっぷりに頷いた。
その隣で、荷物を抱えた五藤が苦悩していたのはいうまでもない。
「ええい、悩むでない。堅い奴め。堅いのは女子に喜ばれるが、限度があるぞ」
千騎のきわどい冗談に、ずるっと、荷物を落としかける五藤であった。
「やめんか! 姫の前で、なんという事をいうのだ! 貴様は!」
五藤は真っ赤になって怒鳴った。
「? 真面目な方が、頼りがいがあるって、意味かしら?」
葉月が首をかしげた。
「違うと、思います」
一人、意味の分かっていない葉月に、猛流が恥じらいながら否定した。
「あんた、わかるの?」
「おぼろげながら……」
「なんで、あたしが分からないのに、あんたに分かるのよ?」
「……これでも、男ですから」
「姫も大人になれば、分かります」
千騎がまぜっ返した。
「だから、やめろと言っているだろうが! 教えるな!」
「教えるのは、若の役目であろうな」
実にきわどい表現であった。猛流はすでに首筋まで赤くなっている。
「馬鹿者っっ! やめんか!」
「? 男なら、子供でも分かるの? なに? それ?」
「……聞かないでください……」
まったく理解していない葉月に、いくら口で卑語を連発しようとも、意味が分かっていなかったのだ、やはり深窓の姫君だと、千騎と五藤は胸を撫で下ろした。
「? ? ? あんた、堅いの?」
「……ときどき……」
「なにが?」
「……とても、言えません……」
「教えるのは、あんたの役目だって、千騎が言ってたのよ。言ってくれなきゃ、わかんないじゃない」
とりあえず、しばらくは謎のままでいてもらおう。猛流は決心し、堅く口を閉ざした。
大人二人はもちろん沈黙する。
そのため、葉月には、長いあいだ謎のままだった。
なにかはわかってても沈黙してください。