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鬼人伝  作者: 牧原のどか
木霊の託宣
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開祖の血

 月がでていた。闇に浮かぶ蒼白い月は気高く美しい。

 ほろ酔い気分の芳春はいい気分で月をながめた。

 芳春が歩いているのは帝都の中でも、町人の住むところから少し外れた場所である。

 帝都は身分によって住む区域が分けられている。真ん中は言うまでもなく皇帝の城だが、そこを三皇家、予備血統家、旗本、大名などの屋敷が囲むように立っている。これらの屋敷は皇帝から授けられたもので重用されるものほど大きく城に近い位置となる。

 そこから緩衝地帯のように人の住まぬ場所があり、商人や職人などの町人が住むところや、色町、神社、寺などが区分されつつちりばめられている。ここいらの地所は金銭で取引される。その外には農地がひろがり農民が住んでいる。

 区分けされた地所の、ちょうど区分けされるための緩衝地帯とされる場所には本来誰も住んでいないはずなのだが、どこからかあぶれたものが住みつき小屋を建てたりする。こうしたものは日雇いで雇われたり、賭場を開いたりして糊口を凌いでいるという。

 そうしたところに屋台を出すものもおり、こっそりと色を売るものもいる。無人のはずのところでもけっこう賑やかだ。

 芳春はそうした雑多な賑わいを好ましく思う。ときおり屋敷を抜け出しては下々の楽しみを満喫している。

 嫡男を初め家臣一同いい顔をしないのだが、やめるつもりはない。いったいどこから芳春が抜け出すのか家臣一堂は不思議に思うのだが、その答えを知っている嫡男は口を閉ざしている。当主となるべきものにだけ伝えられている秘密の抜け道が屋敷にはあるのだ。

 嫡男には

「ふらふら遊び歩きたきゃあ、隠居しやがれ! 馬鹿親父! 政治の向きはおれがやってやる! 家臣に心労かけるな!」

──と言われる。

 息子もいい年だし隠居しても北のように動き回ることはできるが、二番煎じのようでいやだった。

 そういう理由で芳春は今日も屋敷を抜け出している。

 目についた町の小料理屋で一杯やってご機嫌だった。酔いをさまそうと夜風に当たりながら緩衝地帯(はずれ)を歩いていると、ふと妙な気配に足を止めた。

「なんだ……こりゃあ……」

 ひとつ角の向こうから、気持ちの悪いなにかを感じる。酔いは覚めていた。逃げてもよかったが、生来の好奇心がうずき芳春はそちらに向かった。

 路地に犬の死体があった。腹を裂かれはらわたがこぼれている。そこになにか黒い霧のようなものがわだかっている。死体からなにかを啜っているかのようにも思えた。

「妖かい? 帝都にでるたあ、珍しい。鬼どもの手抜かりか?」

 かつてこの世は魑魅魍魎の溢れる世界であった。それを初代が鎮め、いまの治世を打ち立てたというが、この世に妖はまだ残っている。それが知られぬのは皇家が組織する「妖を狩る者達」がいるからだ。

 その筆頭が「悪しき先祖がえり」を狩る小角。その小角が守護する帝都に妖が紛れ込むとは珍しい。

 黒いわだかまりが芳春に気づいたように犬の死体から離れた。その一部が芳春の方に流れていく。

 芳春は抜刀し、黒い霧に切りつけた。しかし手ごたえはなく、霧は本体に戻る。

「……これじゃあ、効かねえか……」

 芳春の刀は名刀とはいえ魔や不可視の“力”を斬れる“魂の入った剣”ではない。

「だが、これならどうだい?」

 芳春は手の甲に自らの刃を走らせ、傷をつけた。血が流れ出る。

 犬の血にたかっていた黒い霧が、芳春の方へ殺到しかけ──何かに気づいたように急停止する。

 そこへ芳春が自らの血をふりかける。

 アアアァァァアアア

 異質の絶叫が響いた。

「御先祖様の真似だが、効いたみてえだな」

 初代には四人の息子がいた。最初の子を皇帝とし、三人の息子には葵の姓を与えた。その三家を皇族として、その家を継ぐ子以外は姓を与えられ予備血統家となる。そうして人の血が混ざりつつも初代の血は受け継がれ、その血に神通力が宿る。

 すなわち妖力を奪う力を。

 その神通力には敵わないらしく、黒い霧は流れ出しあっという間に姿を消した。

「……追うのは無理だな」

 その速さに芳春は舌を巻いた。とてもではないが人に追える速さではない。

 次の瞬間、塀から人影が抜け出た。長身の優美な若者を芳春は知っていた。

(おう)じゃねえか」

「よし…………ここらに妖しいものは!」

 その怪異を気にもせず話しかけると、むしろ本人の方が驚いていた。

「黒っぽい妖みてえなもんを見かけたぜ。剣で斬れねえから、血かけてやったら逃げた」

 あっちの方だと顎をしゃくる。

「お一人ですか? 供は?」

「いねえよ」

 芳春が傷口を舐めようと口元へ持っていくと、件の優美な若者──千騎桜春が手をとった。そっと千騎が芳春の手に手を重ねると──一瞬それは同化し、離れた。すると傷口はきれいにない。

「桜、わりいな」

「屋敷の近くまで送ります」

「桜、ありゃあなんだ? おまえはどうしてここにいる?」

「……五藤が怪しい影が見えるというので、走ってきました。あれは……帝都の中に封じられていたものが逃げ出したらしいです」

「へえ……まあ、初代が封じて忘れ去られたもんも多いからなぁ」

 初代は妖物の妖力を奪い従者と変えたといわれているが、それが全てではない。なかには封じた妖物もある。それが正しく伝わっていれば何事もないのだが、様々な理由で忘れ去られたものが多い。

 そうしたものがふとした拍子に開放されてしまうこともある。わかっているものは守り人をつけるが、そうでないものは見つけしだい始末する。

 芳春がにやりとした。

「面白そうじゃねぇか」

「西の……」

 思わず千騎が絶句すると、塀を飛び越えて何かが振ってきた。

「千騎、妖は」

 五藤だった。五藤は芳春も顔なじみだが、その背に誰かを背負っている。人を背負った状態で塀を飛び越えたのだ。

「逃がした」

「誰でえ、そいつは」

「こ、これは西の」

 言われて初めて芳春に気づいたようで、五藤がかしこまった。その背におわれているのは、どう見ても小角ではない。気を失っている。

「挨拶ははぶけよ、そいつは?」

「仔細ありまして、同行しているものです」

「ああ、やっぱ小角じゃねえのか。背も普通だし、容姿もほどほどだなぁ」

 五藤の背で、それが身動きした。

「う……うぅぅ」

 気がついたらしい。

「……ここは……」

「気がつかれたか? いきなり気を失うので驚いたぞ」

「驚いたのはこちらです! 馬ですか、あなたは! なんで人一人背負ってあんなに速く走れるんですか!」

 どうやら五藤に背負われ、凄まじい速さで運ばれて気を失ったらしい。

「おう、気がついたか」

 声をかけられ始めてそこに芳春がいることに気づいたらしく、若者は驚いたようだった。

「察するところ、封印といちまったのはおまえさんかい?」

「ち、違います!」

「封印は雷のせいで解けました。この者はある仔細でそのことを知り我らに知らせにきてくれたものです」

 ここまで言って千騎は五藤を振り返る。

透視(おれ)では視えぬ。霊視(おまえ)は?」

 五藤が眉を寄せた。

「それが……気配が拡散して……しかとは……」

「黒っぽい霧のかたまりみてえだったぜ。広がって気配を消してんじゃねえか?」

「実体を持たねば見つからんというわけか……」

 それまで妖が捜査網に引っかからなかったわけがわかった。

「この帝都で化け物退治とは、ツイてるぜ。面白そうじゃねえか」

 豪快に芳春が笑った。小角二人は渋面を作る。どうも小角さえ憚らなければならない人のようだった。

「この方は?」

 恐る恐る五藤に聞けば、逆に尋ねられた。

「おめえさんは?」

「白石信之助と申します」

 相手は軽く目を見張った。

「しんのすけ? 本当かい。こいつあ奇遇だ。俺も新之介だぜ」

 ひとしきり笑ったあと、件の『新之介』が言った。

「こいつは他人とはおもえねぇや、俺のことは『新さん』と呼んでくんな」


 追跡が不可能ということで、信之助を五藤が。『新さん』を千騎が送っていく事となった。

「しばらくはできる限り我々か、鬼成殿とおられるがよい。このことは他言無用に」

「は、はい。わかりますが……『新さん』って何者なので?」

「………………それは容赦を」

 長い沈黙の後、一言だけ五藤が答えた。


「抜け穴の前まででいいぜ」

「ならばそのように……ですが、御自分の身分を考えられていただきたいのですが」

「べらんめえ。御先祖様の不手際の後始末をしようってんだ、いい子孫だろうが」

 千騎は頭痛を覚えた。

 初代の四人の息子のうち葵の姓を貰った三人の子孫はそれぞれ北張、西州、南戸に領地を持ち、北張葵、西州葵、南戸葵の愛称で知られる。

 そのうち剛毅で知られる西州葵の現当主は葵芳春といい幼名を「新之介」という。

いまさらですが、『新さん』の正体です。

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