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鬼人伝  作者: 牧原のどか
血の誓約
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鬼降ろし

「よう参られた。華菜(かな)どの。その子が猛流どのかえ?」

 艶然(えんぜん)と微笑むのは、正室の松江(まつえ)だった。若い頃はさぞやと思わせる華やかな顔立ちをしている。気品の南戸と呼ばれる葵の家から嫁いできただけのことはある。

 花の盛りの季節だった。野立てということで、庭には鮮やかな緋毛氈(ひもうせん)がひかれ、茶の仕度がされている。

「はい。さようでございます」

 頭を下げる華菜もまた美しかった。

 松江がとうに失った若さと、美形ぞろいの小角の家にもめったにいない華やかで妖艶(ようえん)なその美貌。

 その子猛流はその美貌を受け継いでいた。華菜そっくりな顔をしているが、男児であった。家督(かとく)を継げるただ独りの男児──

 華菜は先ほどから落ち着かなかった。

 正室に呼ばれたというだけではない。なにか、違和感が……小さな引っ掛かりがあった。

 作法どおりに茶をいただき、一息ついたところで松江が口を開いた。

「ときに華菜どの。(わらわ)は華菜どのに頼みがあるのじゃ」

「どのような?」

「死んでおくれ」

 くるりと松江が背を向け、警護に当たっていたものが華菜に切りつけた。

 間一髪、華菜は猛流を横抱きにして凶刃を逃れた。

「何をなさいます!」

「さすがは、小角鬼神流じゃの。じゃが逃げられようか? ここがそなたの死に場所じゃ」

 華菜は顔色を変えた。

 やはり松江は華菜と猛流を殺すつもりで招いたのだ。刃物は全て置いてきた。自分ひとりなら、なんとでもなる。しかし、まだ幼い猛流を連れていては──

 この棟は松江の手のものだけで固められている。助かる(すべ)はここから逃げ出すことだ。

 警備の名目で周りにいたものは全て刃を抜き、華菜に向けている。

「はよう、始末せい」

 幾人かが雄叫びを上げて華菜に切りかかり──血飛沫があがった。

 そして鬼が降臨した。


 猛流が四つのとき、猛之の正室、三皇家の南戸葵の姫、松江が死んだ。

 表向きは病死と伝えられている。

 しかし、それを信じる者はいなかった。

 何故ならば、流行病(はやりやまい)で屋敷の者が次々に倒れ、正室もそれにやられたというのだが、その死んだ者が男女を問わず全て、正室が南戸の葵家から連れてきた従者ばかりであるからだ。

 また屋敷の外では、いっさい病など流行っていなかったのである。

 側室に(そそのか)され、小角が正室一派を一掃した。いやいや、嫉妬に狂った奥方が跡継ぎと側室を始末しようとして、返り討ちにあった。

 世間は好き勝手に想像力を働かせ騒いだものだ。

 特に最初に騒いだのが、三皇家の南戸葵の、松江の弟にあたる当主である。

『その死に不審あり』と捜査(そうさ)嫌疑(けんぎ)を申し出た。

 ひそかに三皇家の当主と、当事者である宗家猛之が呼ばれ、皇帝の前で質疑(しつぎ)が行われ──翌日、小角の嫡子(ちゃくし)猛流と、皇帝の娘葉月の婚約が発表されたのである。  この突然の発表に世間は唖然(あぜん)とした。

 事実は公かにされないまでも、何らかのお咎めか権威の失墜を期待していた者は、お咎めどころか、皇帝の正室の姫の降嫁(こうか)の約束という光栄に愕然(がくぜん)とした。

 松江の死に、一番の疑惑を持っていた南戸の葵家当主は、何も言わなかった。

 松江の死の真相があまりにも不名誉な死であったからだ。その真相を隠すためにも、南戸葵は何も言えなかったのである。

 真相はこうだった。

 密議が始まって口火を切ったのは南戸葵であった。

 松江の死を謀殺と決めつけ、小角を詰り、小角は病死の一点張りだった。

 西州葵や北張葵、皇帝その人の()()しも、聞く耳持たなかった。

 しかしついに事態は動いた。

「戯れ言もたいがいにいたせ! 小角! その方、姉上をひそかに殺させたのであろう! そうでなければ我が南戸葵から、その方の屋敷に行ったものばかりが死ぬわけがない!」

「そうまでおっしゃるのならば、真実を申し上げましょう。そちらにとっても不名誉な話であり、天下を揺るがす事態になりかねぬこと。他言無用に願いまする」

 ここで皇帝が口を挟んだ。

「小角、やはり何か子細があるのか? 天下を揺るがしかねない事態とは、なんじゃ。その方の家だけではすまぬという事か?」

「大きく出たものじゃな。ここまで話をひっぱったのじゃ、たかが御家騒動では興ざめじゃぞ」

「西州の、言葉がすぎようぞ。じゃが、小角一家の出来事が天下を揺るがすとは、言い過ぎではないか? そなたの家は確かに特別じゃが」

「『(おに)()ろし』がでました」

 小角の言葉に皇帝を含む全員が凍りついた。それは、小角と皇帝本人と三皇家の当主のみ伝えられる、秘事(ひじ)である。

「『鬼降ろし』! とうとう出たと申すか!」

 皇帝は仁王立ちになり、南戸葵が腰を抜かした。北張葵も息を飲む。

「前回出たのは五代前であったな。そろそろ出るころではあったが、ついに出たか。それで被害は出たのか? 『鬼降ろし』となった子細(しさい)は」

 豪胆(ごうたん)な西州葵当主が腰を据えて尋ねた。

 北張葵当主も我を取り戻したのか、皇帝に腰を下ろすことを進めた。

 皇帝が座り直したところで小角はかたりはじめた。

「我が正室松江が、我が子猛流と側室華菜の謀殺を謀りました。もとより離れの一つを住居と定め、頑なに周りを南戸葵から連れてきた者で固めておりましたが、その者共を抱き込んでいたようであります」

 子がなかったのは、松江自身が猛之を嫌っていたせいでもあるのに、女の嫉妬というのは、また別物であったらしい。

 猛之に寵愛され子まで成した華菜への妬みは、殺意にまで膨れ上がった。

 その家来たちも元々松江派のうえに、自分たちの主人を蔑ろにし、卑しい身分の女にうつつをぬかすと、猛之への反発があったようだ。元々三皇家の家来であった者達は、小角に馴染めず、ついに南戸葵の家来であるという意識を捨てられなかったのである。

 彼らの企みは、こうであった。

 まずは、殊勝(しゅしょう)に和解を申し出たのである。

 時期当主も四つとなり、子を与えられなかった自分も、宗家血筋を絶やさずにすみ、喜ばしいことと思う。様々な行き違いと誤解により、仲たがいをしているように思われるが、決して小角の家に(あだな)するつもりはなく、繁栄を願っている。その証しとして跡継ぎ様とご生母を茶会に招きたく候。

 このような、空々しい書状を送り労をねぎらうためと称して、二人を離れに招いたのであった。

 疑わしくもあったが、まさか暗殺を企てるとは思えなかったのである。

 事が起きれば小角の家だけではなく、実家である南戸葵にも疵がつく。虚勢のみを生き甲斐とする松江が、そのような恐ろしい企てをしようとは誰が考えようか。

 せいぜい、嫌がらせや当てつけくらいであろうと甘く見た。

 また側室である華菜が、正室である松江を粗末に扱うわけにはいかなかったのである。そうして指定された日、華菜は幼い息猛流とともに、松江の元を訪れたのである。

 茶会は野立ということで、花盛りの庭に用意がされていた。華菜と猛流が松江に挨拶をかわそうとした、まさにその刹那、警護と称して周りにいた者達が、牙をむいたのである。

「そして、『鬼降ろし』がおきたのか。小角の末流は末流同士の婚姻が多かったな、察するところそなたの側室、小角の血が濃くなっていたのではないか? その側室が『鬼降ろし』なのであろう? 息を助けたい一心で起こしたのではないか?」

 西州葵が推測を述べた。話の流れから察するに、松江を含む、死亡を報告された全ての人間が『鬼降ろし』の被害者なのだろう、そう考えてのことだった。

「あるいは、西州様のおっしゃるとおり、華菜は小角の血を濃く引いていたやもしれません。されど『鬼降ろし』は、華菜ではありませぬ。我が(そく)、猛流であります」

 西州葵が息を飲んだ。

「そなたの息、確か四つではなかったか! そのような幼子(おさなご)が、松江どの一派を皆殺しにしたと申すか!」

「……それが『鬼降ろし』の……恐ろしさで、ございます。華菜は猛流をかばい手傷を負いました。目の前で母を切られた猛流は、怒りのためか、衝撃のためか、鬼と変じたのであります」

 もはや南戸葵は紙のような顔色となり、声もない。豪胆な西州葵とて、平静ではいられなかった。

「して、小角。そなたの息、いかがいたした。人に戻れたのかや」

 北張葵が沈鬱(ちんうつ)に尋ねた。『鬼降ろし』が出たとき、それは最重要なことだった。

「猛流が最後に手をかけたのは、松江でありました。よからぬ企み事をくわだてたとはいえ、南戸葵からきた者共の忠誠心は本物でございました。最後の一人まで松江を守ろうといたしたのです。それが徒となり全滅いたしました。猛流は、松江の血肉によって、人に戻りました。松江も開祖様の御血を引く者なれば」

 ぐうっと、南戸葵が喉を鳴らした。その言葉の意味を解するが故のことだった。

 開祖の神通力は血に宿る――それはすなわち、その血肉を口にしたという――

 西州葵が舌打ちした。

「小角に手え出すとは、愚かなことをしやあがる。南戸の、おめえの父御(ちちご)どのは、姉君に小角の家のことを教えてなかったのか?」

 口調が一気に伝法(でんぽう)になってしまった。衝撃のあまり、なけなしの猫がどこかへ行ってしまったらしい。地である。

「姉上は小角との婚姻を嫌がっておった。それゆえ父上も、小角の家のことを伝えられなかったのだ。鬼の嫁になれなどと言われれば自害しかねなかったのだ」

 ふるえる声で南戸葵が弁明した。

「起きてしまった事は仕方ありませぬ。それよりも、今後どうするか、でありましょう」

「どうもこうも、ねえだろう。小角の家に、葵の姫がいなくなっちまったんだ。小角の(せがれ)『鬼降ろし』に早急に開祖様の血の濃い姫をあてがうしかねえだろう」

「う、家には、姫がおらぬ」

 南戸葵当主の子は、全て男であった。

「知ってるよ。家のは、このあいだ片付けちまったしなぁ。おまけに妾腹だから、ちぃと、血が薄いやな」

 ついでに齢が離れ過ぎてるかと、西州葵は呟いた。西州葵当主の娘は二人。ともに妾腹で、下の方でも十七、すでに()われて嫁がせている。

「なんでしたら、我が娘を離縁(りえん)させてもよろしゅうございます」

 北張葵当主の娘は三人。一番下でも二十四。全て縁付いている。それどころか、全員良人との子も成している。それを離縁させてでも、四つの猛流にあてがおうというのである。暴挙であった。しかし、言い出したのが北張葵の当主だけに──

「やめろ。おめえは本当にやるから、やめろ。北張の、婚家が騒ぐぞ。二十以上も離れてるし。小角にも非難が集まるじゃねえか」

「天下太平のためならば、安いものでございます」

 顔色ひとつ変えずに北張葵が言う。

「まだ四つだ。これからこさえても間に合うだろう。孫の方が齢があうんじゃねえか? おめえんところの跡継ぎ、嫁をもらったばっかだし。娘離縁させるより、息子に励ませろや」

 北張葵の冷静な暴挙をとめたくて西州葵は方向転換した。

「我が娘、葉月でどうじゃ。あれはちょうど四つ、似合いであろう」

 それまで黙っていた皇帝が言った。

「よろしいのですか?」

「葉月は我が正室の子である。我が室は北張葵の姫、開祖様の血を濃く引いておる」

「葉月姫といやあ祭事で見かけたが、気の強そうな子だったなぁ。北張の血筋とは思えねえや」

「そういえば、御台所様の母君は、西州葵より嫁がれた姫でありましたな」

 北張葵の妻の事である。皇帝の正室は北張葵当主の末娘であった。北張葵当主は皇帝の(しゅうと)であり、西州葵当主の義理の伯父にあたる。亡き妻を思い出したのか遠い目をし、西州葵を見て、溜め息をついた。

「何が言いてえ」

「加えて、我の母は南戸葵よりきた姫じゃ。葉月は、西州葵、南戸葵、北張葵、三皇家全ての血を引いた、皇帝の姫。これほど開祖様の血を濃く引いた姫であればこの大役、かならずや果たすであろう」

 険悪になりかけた西州と北張の仲を皇帝が止めた。

「開祖様は小角の当主の妻には、皇帝の娘か、三皇家の娘、我の血を濃く引く者を与えよという掟を定められた。それは偏に鬼の血を抑えるためである。これまでは諸大名にはばかり、三皇家の姫ばかりを与えてきたが『鬼降ろし』が出たとあらば、我が娘を与えるに、躊躇(ちゅうちょ)なし。太平の世において、天下を騒がしかねぬ芽を摘むは、最重要事と考える。即刻、婚約を発表させよ」

「諸大名が不服を唱えましょう」

「天下のためじゃ、大事なし」

 あらゆる妨害を排しても、婚儀を決行させるとの意思表示であった。

 この決断の真の意味を知る者にとっては、まさに英断であった。時の皇帝は二十六。まだ若く血気盛んであったが、己を律すること厳しく、この決断のみで、名君と呼ばれるにふさわしい。

「賢明なるお考えでございます」

 北張葵が深々と頭を下げた。

 西州葵も猫を被りなおす。

「この慶事、お決まりになり、おめでとう申し上げまする」

 南戸葵も二人にならい頭を下げたが、ガタガタ震えて、言葉がでなかった。

「あ、ありがたき、幸せに、ございます」

 小角は(むせ)び泣き、畳みに頭をこすりつけんばかりだった。

 それから八年。北張葵当主は息子に当主を譲り隠居したが、噂ではいまだ天下を騒がすものはないかと目を光らせているという。

 南戸葵の当主は、幼い息子に当主を譲った。実権は筆頭家老が握っているというが、幼い当主を助け、領地をよく治めているようである。

 西州葵の当主は、今だ(まつり)に遊びにと忙しく飛び回っているようである。

この時点での皇帝と南戸は従兄弟です。皇帝と北張は娘の婿と舅。西州と北張は甥と伯父。ザッ身内。

北張の奥さんとの仲は良好でした。

どんな夫婦だったのかといえば……うん、まあ、バランスが取れていたというか……押して知るべし。

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