鬼と呼ばれるもの
皇帝様のおわします帝都では、身分や格式によって住み分けられている。平民に等しい浪人の信之助や主水などは町民と同じあたりに住んでいるが、大名や皇帝様の家臣などは、帝都の一角、皇帝のお城に程近い場所に住んでいる。大家や寵愛深いものほど間近に大きな屋敷を賜る。奥へ行けば行くほど大きく、豪華な屋敷になっている。
そのあたりを信之助などは大名通りと呼んでいる。男はそこを無遠慮にずんずんと進んでいく。行くほどに豪華な屋敷が並び、信之助などは雰囲気だけで圧倒される。
「あの、どこへ」
「おう、ここだ」
男は大きな屋敷の前で足を止めた。門番へ
「おい、五藤はいるか?」
ぶっきら棒に尋ねる。
「五藤様のお知り合いで?」
門番は怪訝そうに男に尋ねた。無理もない。信之助も男も、この辺りには不似合いだ。あまりにも胡乱すぎる。
「おう、いるのか? いねえのか?」
「五藤様はいらっしゃいません。ご用件を伺ってよろしいでしょうか」
体格も育ちもよさそうな若侍は不信感を隠そうともせずに、それでも言葉面だけは丁重に尋ねた。
「なんだ、いねえのか。仕方ねえな。じゃあ、千騎の奴はいるかい」
門番は目を見張った。
「千騎様のお知り合いでございますか? 千騎様はいらっしゃいますが、御用の向きをお聞きしてもよろしいでしょうか」
「おう、いるんなら、いいか。この際あいつで間に合わせよう」
ずかずかとあがりこもうとする男に、門番はあわてて立ちふさがった。
「ご用件を伺わなければ、お通しできません。貴殿のお名前をお聞きして、上げてよろしいのか、千騎様に伺わなければ」
「ええい、まどろっこしい! 取次ぎなんざいらねえよ」
「そういうわけには、参りません! 御貴殿の名は」
「名か」
男の目が宙をさまよった。
「……たしか……鬼成十衛」
「たしかって、なんですか」
信之助は初めて男の名を知った。しかし、本名なのか、大いに怪しい。
男──鬼成は困ったように頬をかいた。
「気にするな。今は、鬼成十衛だ」
鬼成は門番を押し切り中に入った。
「お待ちください! ここを小角の家と知っての狼藉ですか!」
男──鬼成は歯を剥いて笑った。
「勿論だ。鬼供にようがあるんだよ」
信之助は青くなった。
小角といえば、指南役でありながら、血統御留流という一風変わった掟を持つ武家である。血族のみを門弟とし、門外不出の流派だ。
鬼を祖先とするという、一風変わった伝説を持つ一族である。
「お待ちください! 千騎様に伺ってまいりますので、ここでお待ちを」
「いらねえよ」
追いすがる門番を振り切り、鬼成は進む。
「待ってください! 門番の言うこと聞きましょう。門で待ちましょうよぉぉ!」
思わず信之助も鬼成に縋った。
しかし鬼成は意に介さず中に入る。人一人しがみついているというのに、何もないかのように進む鬼成は体格に見合う強力者だった。
中に入るのだから、当然他の家中の者にも出会う。門番よりはやや年かさの、それでもまだ若い男が目を見張って──会釈した。
「これは、御久しゅう。今日は、五藤様は出かけておりますよ」
「おう、門のところで聞いた。しょうがねえから、千騎のやつで間に合わせる。やつはどこだ?」
「千騎様なら、奥で書き物をしておられます。椿の間ですが、千騎様は相手をなさらないと思いますよ」
「今日は、引っ張り出すさ」
鬼成が朗らかに笑った。
「お知り合いですか?」
門番が驚いた様子で聞いた。
「ああ、お前は国許から上がってきたばかりだったな。この方は──いずれ一族になる方だ」
信之助には意味が分からなかったが、門番は背筋を正して頭を下げた。
「申し訳ありません。そのような方とはつゆ知らず」
鬼成が困ったような顔をして、頬をかいた。
「かまわねえよ。見た目、まっさらな人間だからな、おれは」
許しを得て鬼成は奥深くに──信之助などは肝を冷やすぐらいに無遠慮に──進んだ。幾人もの小角の家臣とであったが、皆が軽く会釈する。
鬼成はある部屋の襖に手をかけた。
「おう、千騎いるか?」
声をかけるなりひきあける。
信之助は目を剥いた。
すれ違った小角の一族は皆、体格がよく美形だったが、そこにいたのはまた、その中でもとびぬけていた。
信之助が今まで人間の中で、美貌だと思うのは主水だったが、その主水をもかすませるほどの美貌だった。女形にしたら傾城の美女がやれる。
少し前まで細筆で紙になにかをしたためていたその人は、秀麗な額に青筋を浮かべた。
機嫌が悪いらしく、恐ろしく不機嫌な顔をしていた。
「なんのようだ? 手合わせなら、お断りだ」
その声も氷のように冷たかった。
え~これはあの、千騎です。人が変わったように思えますが、変わっていません。
これには色々とわけがあったりします。