修羅となりて
その場所に近づくごとに血臭が強くなっていった。一人二人ではない、数十人の犠牲者が出たはずだ。血の匂いは新鮮なものではないが、そこを目指して人が来ると覚えた妖怪が、そこを根城にしているのだろう。
人の味を覚えて増長したか、動くものならなんにでも飛び掛る小妖怪が、槌也めがけて飛び掛ってきた。
槌也は一瞬で斬って捨てる。
もう何匹始末したか覚えていない。
感じるのは疲労より、体の奥からふつふつと滾る何かだ。
(やばいな、楽しんでるぜ、俺)
頭の隅でそうは思うものの、足は止めない。血の滾りはときとして本性の現われるきっかけになってしまう。だが、今は、それを抑える必要はない。
いくつもの妖気を感じた。もともとそうなのか、あるいはこちらで滋養をつけてのものか、いくつかは強そうだ。
木立をぬけると、壊された小屋の残骸があり、そこに異形のもの達がいた。
「いたなあ、一匹も逃さねえ」
槌也を人と見誤ったか、その敵意に反応してか、そいつらが槌也めがけて牙をむいた。
槌也は霊糸──否──人を傷つけぬための配慮をなくし強化した──すでに妖糸といっていい──をばら撒いた。
力のない妖怪は触れるだけで切り刻まれ、多少力のある程度の妖怪は巻きつかれて身動き取れなくなる。そこを夜叉丸で妖糸ごと斬る。
あっという間に小妖を片付け、槌也は手ごたえのありそうな妖怪に刃を向ける。闇雲にかかってこず、距離をとっていたものだ。
「ちったあ、知恵のあるやつもいるか」
それは武者と蟷螂を足したような姿をしていた。基本的には人に近い姿をしているが、両腕が蟷螂の鎌になっている。顔も人のそれではなく複眼が虫のようだ。
硬そうな外殻をしているが、魔のそれは夜叉丸で斬ることができる。
面倒なのは、翅で飛び回る楕円の虫のような妖怪だ。不規則なそれは軌道が読めない。
そのほかにも獣と人間を足したような奴もいる。残ったのは八匹ほど、人の形に近い奴が多いのは、その方が人と見誤って人が近づいてくるからだろうか。
狼と人を混ぜたような形の妖が、後ろから槌也に飛び掛ってきた。
常人ならその顎に捕らえられる所だが、槌也はそれを寸前でかわし、腹を薙ぐ。
後ろを向いた隙に武者蟷螂が鎌を振り下ろすが、槌也は傷口から腸をぶちまける人狼の体の半分を盾にする。
武者蟷螂の鎌がそれを両断する間に踏み込みのための距離をとり、斬りかかった。
刃と鎌が交差した。受けた鎌が別方向へ力をかけ、刃筋が合わなくなった。
刀は横腹への衝撃に弱い、夜叉丸は魔剣とはいえ強度は普通の名刀と変わりない。とっさに力に逆らわずに衝撃を受け流したため、鎌の途中で刃が止まり、鍔迫り合いの形になった。
そこへ、横合いから別の妖怪が、脇腹めがけて先端が錐状になった脚を突きこむ──それを槌也は掴みとめた。
両手に握った夜叉丸にさらに力を込めて鎌の刃を押し切った。掴みとめていた虫のような形をした妖怪は、脚を引き千切る。
奇怪な泣声をあげて妖怪が一度離れる。
槌也は夜叉丸を構えなおし、持っていた脚を捨てた。その着物の前が開いて、脇腹から新たな二対の腕が伸びていた──その姿は六臂──槌也は着物を裂いた。この姿では動くのに邪魔になるのだ。
虫型の妖は辺りを飛び回り、武者蟷螂も距離をとって威嚇する。
「仕切りなおしといこうか」
槌也は獰猛な笑みを浮かべた。
屍が道標のように落ちていた。いずれも見事な太刀傷で仕留められている。槌也がこの道を通ったのは間違い無さそうだった。
なぜ、自分が槌也を追いかけているのか、柚月には説明できなかった。
この先は危険だ、本当なら杜の外に出る方が安全ではある。ただ、これほど危険な場所に一人で向かった槌也を思うと、放ってはおけなかった。
もともと人が手入れしている道ではないから、伸びた枝が着物や袴にかかる。引っかかった袖や袴を無理に引っ張ると、しなった枝が頬やむき出しの皮膚に軽い引っかき傷を作った。
袖や袴の裾がこれほど邪魔だとは思わなかった。
初対面のとき、槌也の格好に呆れたものだが、それなりに理由があったのだと柚月は思った。
追いついて、なにができるのかも考えていなかった。ただ、追いつくことだけを考えていた。
(なんて、脚、してるのよ、全然追いつけない)
息を切らしながら走り続け、小屋を作るため切り開いた場所に到着した柚月は、修羅を見た。
槌也が学んだのは真っ当な剣術だったが、剣術というものはそもそも人を相手に工夫されたもの、妖怪を相手にするには新たな工夫がいるものだ。
槌也のそれは妖怪を相手に戦っているうち別物になっている。
武者蟷螂の一撃を後ろに大きく跳んでかわした槌也に、虫妖が一直線に突っ込む、槌也は空中でくるりと軌道を変えた。
妖糸がそれを可能にしているのだ。
虫妖は刃に突っ込む形になり己の勢いで半ばまで二つにされた。真ん中の腕がそれを掴み裂く。
六臂の姿になった槌也は上の一対で夜叉丸を操り、真ん中の一対で力任せに相手を引き裂いた。残る下の一対が妖糸を繰り出す。
二つにされた虫妖の体が血飛沫を上げながら落下しても、槌也の体は妖糸に支えられ空中にあった。
もともと槌也の気で作られたものだ、主の体を離しはしない。木立に張られた妖糸の全てが槌也の足場だ。
さらに新たな妖糸を繰り出し足場を増やす。その下を──逆さまになりながら槌也が疾走する。狙いは武者蟷螂──だが、蝙蝠のはねをもつ妖怪が後ろから飛び掛る。
槌也は振り向きもせず妖糸を投げつけた。
さすがに妖糸に切り裂かれることも、まとわりつかれることもなく、引き千切る。
妖蝙蝠の動きが一瞬鈍っただけのこと。
槌也にはその一瞬で十分だった。
蝙蝠の片羽を斬りおとす。妖蝙蝠はきりもみ状に落下して、槌也はその上に飛び降り、地面に繋ぎとめるように、頭に夜叉丸を突きたてた。
これで三つ。
いつの間にか槌也の眼は赤く染まっていた。
動きの止まった槌也に、角のある四足の妖怪が飛びつくが、その角を掴みとめられた。
妖怪達は連携しているのではない。
ただ、他のものに気をとられているとき、止めを刺すとき、が、一番隙があるのだ。それを本能的に察知して、襲ってくるだけのこと。
結果的に連携になることもある。
そのまま支点をそらし、後方へ投げ飛ばす。それが、他の飛び掛ろうとしていた妖怪にぶち当たる。
今の槌也に死角はない。
物を透かしてみる眼と、張り巡らした妖糸の網すべてが槌也の感覚器官に等しい。
地面にまで貫通していた夜叉丸を引き抜き、一息に間合いまで飛び込み、立ち上がろうとしていた四足を真っ向から、唐竹割りにする。
顔面に血を浴びて、槌也は笑った。抑えきれない狂笑の発作に見舞われた。
「楽しいよなあ?」
同意を求めるように妖怪に話しかける。その目に怯え、妖怪が引いた。
けたたましい笑い声とともに、槌也は颶風となって荒れ狂った。
夜叉丸は銀の軌跡を残して流れる死の閃光となり、手に触れるものすべてを引き裂いた。
「あーっはーはっはっは」
血に酔う修羅は瞬く間に面前の妖怪を細切れの肉塊に変えた。
巨大な猿のような妖怪が木の上から槌也に飛び掛ったが、その腹を救い上げるように斬り裂き、副椀が傷口を広げた。腸をぶちまけた妖猿の首を素手でねじ切る。
槌也は残った妖怪に赤く染まった眼を向けた。もはや槌也を人と見誤るものはなく──それは妖怪同士の殺し合いだった。
武者蟷螂が背中の翅を羽ばたかせた。凄まじい速さで飛び、残った鎌で切りつける。
人を遥かに超える速さで体をさばいて鎌をかわし、刃のない腕──にあたる部分──の根元を掴んで引き倒す。邪魔な翅を斬り飛ばし、その頭を斬ろうとして──横合いから跳びかかってきた虎と人を混ぜたような妖怪の爪をかわすため武者蟷螂を離した。
わずかに爪が頬に傷をつけたが、二撃目は夜叉丸で弾いた。相手の体が崩れた所に拳を見舞うが、さすが人虎、敏捷に後ろへ跳んで逃れた。
槌也はそのまま追撃する。人虎はさらに後ろに跳ぶが、一瞬、動きが鈍った。そこにあった妖糸の網に自ら跳びこんでしまったのだ。槌也の突きが腹に入った。
人虎が絶叫して槌也の背に爪を振り下ろす。槌也は夜叉丸を引き抜き、爪をかわした。
その腕が跳ね上がり、人虎の腕を斬り飛ばす──その直後、武者蟷螂の体当たりをくらい、さすがに弾き飛ばされた。とっさに槌也は武者蟷螂の残った鎌の方の腕を掴み、引き千切ろうとして──噛み付かれた。槌也はその首を捕まえようとして手を伸ばし──武者蟷螂が銜えていた手を離して逃れた。
ひとまず離れ、呼吸を整える。
頬と副腕、傷を負うのも久しぶりだ。
人虎は腹と片腕、武者蟷螂は鎌の片方と翅。核となる急所を突かない限り、この程度で妖怪は死なない。
殺さなければ、殺される。
人虎が立ち木を足場に高みに駆け上がり、攪乱のためか枝から枝へ駆け回る。
武者蟷螂はカマを大きく上げて威嚇する。
夜叉丸を構えた槌也は顔を武者蟷螂に向けたまま、人虎の動きを警戒した。
人虎が枝をけって槌也に飛び掛る──と同時に槌也は地をけり、武者蟷螂に迫っていた──武者蟷螂は鎌を振り下ろすが、槌也は身をひねって武者蟷螂の横を抜ける──槌也に逃げられた人虎は、間髪いれず地を蹴って槌也を追撃──武者蟷螂の横をすり抜けた槌也は武者蟷螂の背に体当たりを食らわせる──人虎と武者蟷螂が衝突した。
槌也を狙ったはずの人虎の爪に顔面を切り裂かれ、武者蟷螂が絶叫した。
棒立ちになったその体を槌也は両断する。その武者蟷螂の体を押し付け、人虎の爪を封じた槌也は、武者蟷螂の鎌を引き千切り、人虎の目に突き立てた。
目をつぶされた人虎は刺さったままの武者蟷螂の体ごと、残った腕を振り回す。
さすがの槌也もいったん距離をとる。
大きく跳んで妖糸の足場を駆け上がり、はるか高みから妖糸をばら撒く。そして、妖糸を引き上げた。妖糸の先、からめとられた死んだ妖怪の体が、いっせいに人虎に殺到する。いくつかの体が滅茶苦茶に振り回される腕に潰され、いくつかは人虎に当たって動きを鈍らせた。
槌也は上空から飛び降り、人虎の脳天を串刺しにした。
人虎の体が倒れると、そこにはもう生きているものは槌也だけだった。
全身血にまみれ、口の中にすら血の味がした──それは普段口にするどんなものよりも美味かった。
「……あはは……くく……はは……」
堪えきれずに、槌也は天を仰いで、笑った。笑い続けた。
天を仰いで狂ったように笑うその様は、まさに修羅だった。