土御門と小角
〝力球〟を打ち出し、またひとつ異形のものを葬り去った。
「な、なんなのよ、この森は!」
以前入り込んだときにはこんなものはいなかった。散々異形のものに襲われ、もはや取り繕う余裕はない。柚月は素に戻っていた。
またひとつ、異形のものを屠る。これでひとまずあたりのものは一掃したが、力も気力もつきかけていた。
「何とかしろ、柚月」
「こいつらは、おまえが呼び寄せたんじゃないのか、化け物同士だからな」
同行していた仲間が柚月をののしった。だが、罵声が出るものはまだましだった。
怪我を負い、ひいひい泣き続けているもの。
天主様への祈りを続けるもの。
みなの精神の方が限界だった。
葉擦れの音がした。
柚月は相手も見ずに〝力球〟を放った。
〝力球〟が断ち切られ、見当違いの場所を破壊する。
「助けてやろうってのに、これはないだろうが」
不機嫌な声とともに現われたのは、土御門槌也だった。
いつぞやと違い、正装してはいるが走りでもしたのか、着乱れている。
「────」
声が出ず柚月はその場にへたり込んだ。
これほど、人の姿を心強い、と思ったことはない。
殺そうとした相手とはいえ、化け物よりはましだった。
「ひ、人か」
安堵も明らかな信者の声に、槌也が人の悪い笑いを浮かべた。
「残念ながら土御門と小角だ」
「また、そのようなことを」
涼やかな声がして、槌也が一人ではないと分かった。
「こやつらか、天道教とか申すのは」
後ろから現われたのは、いつかの小袖姿の男と、初めて会う美丈夫だった。
人に会えたという安堵に、信者たちの腰が抜けて、全員がへたり込んだ。
森から出られたわけではないが、希望が見えてきた。
たとえ森から出られても、捕まるだけだが、化け物に食われるよりはいい。
「最初に言ったよなあ、命がねえぜ、と」
「──」
確かに槌也はそう言った。あれは真実、そのままの意味だったのだ。
「人のにおいなんざ、ふりまかれたら小物が湧いて出るだろうが。さっさと、出て行ってもらわなきゃ、こっちが困る」
槌也が柚月に手を伸ばした。
柚月は思い出した。
ここは代々の領主の『お狩場』で、槌也はここに住み着いているのだ。そして愛刀を妖怪が専門と言い切った。
「あ───あれはなんなの」
「見ての通りだ。なんに見える」
「ば、化け物」
それ以外に言いようのないものだった。
「妖怪とも、魑魅魍魎とも呼ぶがね。そのとおりだ」
槌也が柚月を掴んで立たせた。
「この杜に入ってから、まともな生き物を見たか? 鳥の声や、虫でもいい」
柚月は頭を振った。言われて見れば、聞こえて当たり前の鳥の声や、虫の姿さえ見かけなかった──あまりにも静かな森──気持ちが悪いほどに。
「ここにはまともな生き物はいねえ。獣や虫は人より敏感だからな、ここには絶対に近づかない。杜の木の一本一本が御開祖様の神通力を分け与えられた神木で、妖気を吸い取って他へもらさない。代々の領主や杜人は、この杜に沸いて出る妖を狩るのが役割だ。だから、『お狩場』なんだよ」
「─────なんで、そんなこと」
わずかな時間、足を踏み入れただけでおかしくなりそうだった森を、棲家とし、妖怪を狩る。そんな生活をしなければならないのか。
柚月には分からなかった。
「知らねえのか──この地は妖の気配の濃い土地也。未来永劫、子々孫々まで、この地を守護し、人を守れ。されば人の心と姿を与えん──大昔の契約だ」
槌也が口ずさんだのは、土蜘蛛の段で有名な一節だった。
この杜があるからこそ、土御門は国替えも、領地没収もない。
尋常の人間に治められる場所ではない。
「とにかく、杜をでろ。連れて行ってやるからよ。後は大人しく縛につくなり、生まれ故郷に戻るなり好きにしな」
その言葉で柚月は天主との取り決めを思い出した。
「天主様!」
奥へ駆け出そうとした柚月の襟首を引っつかみ──
「馬鹿野郎! 死にてえのか!」
怒鳴りつける槌也であった。
「お、奥に天主様が!」
「あん──?」
歯の根も合わぬほど震えながら、柚月は涙をこぼしながらかたった。
「ここには、村人も、役人もこないし、丁度良いからって──小屋を作って、いざというときはそこに──」
そこに身を隠す手筈だった。
仕事が成功しても、失敗しても、後はそこに潜み、天主様のところに人をやって判断を仰ぐことになっていたのだ。
槌也は舌打ちした。
「それか──もうひとつは」
杜の中に小屋のようなものが作られかけていた──いまはもう残骸だが。それを作るため、何人も杜に出入りしたのだろう。
木を切り、土地をならし、小屋をかける。突貫工事をするために、何人杜に入り込んだのやら。
そうして人が集まれば、そのにおいにつられ、妖がわく。
普段なら、結界に残る槌也の気配に怯えて引っ込むところだが、柚月が霊糸を片付けてしまったため、こちら側にとどまっている。
「もう無理だ……いくら天主様でも、この数じゃあ」
呆けていた信者がポツリポツリと言葉を口にし始めた。
「天主様なら……逃げてるはずじゃあ」
「じゃあ、なぜ我々を救ってくださらない」
「どうするんだ、こんな化け物の中に」
「天主様は、我々を見捨てたんだ」
天主への信仰を投げ捨て泣き叫ぶ信者に、柚月は青ざめた。
天主が見せた奇跡の全ては柚月の力だ。本当に天主がなにかの力を持っていたかは、柚月でさえ知らない。
もし、奇跡の力を持っていないとなれば──ひとたまりもない。
槌也が信仰に止めを刺した。
「諦めろ。かわいそうだが、手遅れだ。一日や二日じゃねえ、もっと前にやられてる」
「いやあああ!」
柚月は暴れたが、槌也の戒めはびくともしなかった。
「天主様! 天主様あぁぁぁぁ!」
「いい加減目え醒ませ。もう死んでる。天の使いなら、妖怪ごときどうにかできるだろう。御開祖様は妖力を奪い取る神通力があったそうだからな。食い殺されるってことは、騙りだ」
「放してよ! 天主様がいなくなったら、あたしの居場所、なくなっちゃう! ただの化け物になっちゃう!」
「──化け物だあ──?」
正真正銘の化け物を見て、まだそんなことを言うかと、槌也は顔をしかめた。
「怖くないの? あたしは、化け物なんだよ、やろうと思えば、あんただって殺せる!」
槌也は眉をひそめ、柚月の肩を掴み引き寄せた。肩口の辺りに顔を寄せ、においを嗅ぐ。
「なんだ、まっサラの人間じゃねぇか。何が化け物だよ。混じってりゃ、わかるぜ」
行き成り、息がかかるほど顔を寄せられ、硬直していた柚月は激昂した。
「なっ、何するのよ!」
若い女の羞恥だが、槌也にそんな心配りはない。
「確かめたんだろうが! お前からは人間の匂いしかしねぇよ。何が化け物だ。お前は人間だ、人間! 人を馬鹿にするんじゃねぇよ。真贋ならもちろん、混じってもいねえじゃねえか」
柚月の能力を知っているはずなのに、槌也は断言した。
それは、ずっと、誰かに言って欲しい言葉だった。
天から与えられた力を持つものでもなんでもなく、ただの人間だと。
「これ以上、馳走の匂いをふりまくな。そうでなくとも血臭で、普段ならよってこないのが、入ってきてる。今この土地で妖を狩れるのは、俺らだけだ。仕事を増やすな」
槌也は風丸と五藤を振り返った。柚月の背を二人に向かって軽く押す。
「こいつらを頼むわ。奥の手でも何でも使って、外に出せ」
「若はいかがなされます?」
槌也は好戦的に笑った。
「土御門の役割は、杜の守護。妖怪を狩ることだ。小屋の跡に、溜まっていやがる」
「ちょっ、今、化け物が──」
止めようとする柚月に、槌也は鮮やかに笑って見せた。
「化け物は土御門に任せな。柚月は来るんじゃねえ」
人間は、立ち入るべきではない領域だ。
「ご随意に。後で援護にうかがいます」
風丸が一礼すると、槌也は杜の奥に向かって駆け出した。
槌也の笑顔に呑まれていた柚月は、我に帰った。
「ちょっと、いいの、一人で!」
「かまいませぬ。若をどうにかできるほどの妖怪は、感じませぬ」
「むしろ、血に酔うほうが、心配だ」
真に恐ろしいのは、土蜘蛛の化身である槌也のほう。毒をもって毒を制すというが、それは常に危うい均衡にたっている。それを知らぬ柚月は激昂した。
「なによそれ!」
「そう思うのでしたら、とっとと、杜を出てください。あなた方が外に出たら、援護に向かいます」
風丸は冷たく言うと、腰を抜かしているほかの信者を振り返った。
「立ちなさい。いくらわたくしでも、十余人は運べない」
「もうおしまいだ……ああ……家を出るんじゃなかった……」
「泣き言を言っている暇はありません」
風丸の気がそれたのをいいことに、柚月は奥に向かって走り出した。
「おい!」
「仕方ありませんね」
風丸は懐から横笛を取り出して口に当てた。
清涼な音が響いて曲となる。
それを耳にした十数人の信者の表情が痴呆のように緩む。ふらふらと立ち上がり、一斉に同じ方に向かって歩き出した。
「効かぬぞ」
柚月の姿は杜の奥に消えていた。
「超常能力者には、わたくしの笛は効きませぬ。若の通った後でもありますし、あの娘自身にも妖に抗する力があるようですから、放っておきましょう。今はこの人数を何とかいたしませぬと」
「そうだな」
冷たいようだが、二兎を追うものは一兎も獲ずという。
風丸三弥は〝舞人〟であり〝楽人〟でもあるのだが、他人を連れて〝跳べる〟卓越した舞人の能力にくらべれば、〝楽人〟の能力は並で普通人を操れる程度だ。
「何かあれば〝飛ばせて〟いただきます。そのときはご容赦を」
「わかった」
五藤は返事をすると、振り返りつつ抜刀した。信者に飛びつこうとした小さな異形のものを斬り飛ばす。
「急がせろ、よってきた」
その光景を身近に見ているはずの信者は、うつろな瞳のまま、歩き続けた。
人心を操るのも、また鬼の妖力のひとつである。小角では〝楽人〟と呼ばれる能力だ。
「わたくしどもの気配を感じても近づくとは、よほど自信があるのでしょうか?」
人の姿をしていても、風丸も五藤も鬼の一族だ。
「人の味を覚えたか。闇雲に襲ってくるぞ」
身の程を知らぬ小物を五藤は斬って捨てる。五藤の能力は〝金剛身〟だが、それは持って生まれた神通力。その才能は別にあり、剣の才だ。本来なら普通の刀では傷つかぬ妖を、剣気をこめた刃で切り刻む。それは本来剣鬼と呼ばれる人間が目覚める力だ。
五藤は修練によりそれを体得した。
小角の中でも、そんな力を持つものは他にない。それゆえに、最強にもっとも近いとされる。
風丸もまた刃を抜いた。
風丸が使うのは小太刀。無名の名刀ではある。もとは守り刀として打たれ、〝魂の入った〟一品。与えられる人を思うてか、魔を断つ力の宿ったもの。
風丸の姿が消えうせ、先頭の信者に飛びかかろうとしていた妖怪の背後に現われる。風丸は妖怪を突き、一瞬後には横合いから別の信者にかかろうとしていた妖怪を突く。
風丸に間合いも何も必要ない。
霊眼の導くまま、相手の一番の急所の位置に〝跳び〟刃を突き立てる。一撃必殺、次の瞬間には別の妖を突き伏せる。一人で数人もいるのではないかと思わせるその神通力。
舞人とはよくぞいったものだ。
風丸は、槌也の補佐ではあるが、万が一槌也が心まで土蜘蛛と成り果て、『悪しき先祖帰り』となったときは、命を奪う役割をする。その後は、後任の守人となる。
その任を命じられただけあって、風丸も小角の一族では力のある方だ。常日頃は槌也の意図を汲んで手出ししないだけ。
まとわりつく妖物を切り捨て、血路を開きながら二人は信者たちを杜の外へと誘導した。
人外の力に守られながら、信者たちは恐れも慄きもしなかった。
このまま彼らは杜の外へ行き、予め刷り込まれた選択をする。
風丸はそういうふうに条件付けした。
風丸が弾かれたように後ろを向いた。五藤もだ。
「若!」
「気配が変わった! まずい」
土御門と小角のお仕事の話でした。