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鬼人伝  作者: 牧原のどか
外伝 蜘蛛草子 社の盟友
42/54

茶番

 土御門の領地の土を踏んだとき、槌也は思わず背筋を伸ばした。

(うわっ! なんだ、これは!)

 ある程度近づけば槌也には杜の結界の様子が分かる。結界はかなり破損していた。すぐにも戻って直したいところではあるが、夏姫を城へ送っていかなければならない。

 あの後、諦めたのか柚月達の待ち伏せもなく、主従の夜這いも警備を厚くしたためかなくなり、実に順調な旅だった。

 あと少しというところで、こんな事態が待っていようとは。

「どうかされましたかな、槌也様」

 道中、実質護衛の責任者であった岡部が尋ねてきた。

「い、いや、なんでもない」

 岡部にはその手の才能はないし、表ざたには出来ない。

 気を探ってみた所では、妖気はもれてはいないようだ。小角がなんとかしてくれているようだった。

「小角がなんぞ手抜かりでもしたかの」

 駕籠の中から夏姫が声をかけた。

「い、いえ。そのようなことは……」

 この中で、杜の事情を知っているものがいるとすれば、夏姫くらいなものだろう。

「逸る気持ちは分かるがの、この身を城に届けてもらわぬと困るのじゃ」

「はっ、それはもちろん」

「では、もうしばらく茶番につきおうてもらうかの」

(茶番? なんのことだ)

 不審に思った槌也だが、それ以上はたずねず、城へ急いだ。気は急くが、行列を急がせるわけにもいかなかった。


 某所──ある人物たちが話し合っていた。

「そろそろ水野の夏姫は、土御門の城に着くころあいじゃねえか?」

 いかにも貫禄のある者が、伝法な口ぶりで言う。

「さよう。あの姫には少々頼み事をしておるが──気性のしっかりした姫ゆえ、務めをはたしてくれよう」

 痩せた高齢の者が応えた。

「おめえの、しっかりってのは、(こえ)えんだがなあ……」

 男は顔をしかめた。

「なんにしろ、不義密通を唆すなんざ、滅茶苦茶だろうが。本来なら、大罪だぜ」

 男は首の後ろを叩いた。

「土蜘蛛の『先祖帰り』の顔を拝ませてもらったことがあるがよ、ありゃあ、親父と違ってまともだぜ。兄嫁に手ぇ出すようにゃ見えなかったぜ」

「まだ守之殿と夏姫の婚儀はなっておらぬ、不義密通にはあたらぬ」

「そういうのを屁理屈って言うんでえ。親父みてえになんにでも手えだすのも、困るけどよ、今度の策はぁ、無理だって。よくまあ、こんな非道な策考え付くよなあ……確か、夏姫って、おめえの妹の孫じゃなかったか?」

「さよう。それが何か?」

 本当に、顔色ひとつ変えずに老人は言い切った。

「あいっかわらず、血も涙もねえなあ」

 老人に比べれば、いささか人情に弱い男が非難をこめて言う。

「天下太平のためなら安いものじゃ」

 その程度では老人はびくともしなかった。

「頼みごとってのは、なんでえ?」

「ちょっとした言付けじゃ。守之殿も、今は知らぬが、是非とも知りたきことであろう」

「おめえにしては、親切じゃねえか。気味がわりいな。裏があるんじゃねえだろうな?」

「裏などない。さぞ、喜んでくれるものと、思うておるぞ」

「どうだか。策が当たったとして、弟と密通した妻と添い遂げろってか? おめえ、人の情ってもんをなんだと思ってやがる」

 老人はもはや答えを返さなかった。

 奥の方でただ一人、一言も口を利かなかった男が溜息をついた。この男の妻は、老人の娘である。


 城では当主土御門守之と夏姫の対面が用意されていた。その場には家臣一同も呼ばれている。

 大刀だけは入り口で預け脇差のみだが、正装に身を固め、形式を整え役職の上のものから上座に近い席についている。

 本来国許仕えの、いや、皇都勤めの家臣でさえ目にすることのない正室様(予定)の姿が拝めるとあれば、緊張するなというほうが無理だ。一同かしこまって控えている。

 しっかり正装を着込んだ家臣一同の前で、やがて正室となる夏姫が歳相応の愛らしい姿を現していた。まだ愛らしさが勝ってはいるものの、やがてどこまでも美しく咲き誇る名花の蕾。そんな風情である。

 殊勝に頭を下げつつ、その姿をこっそり盗み見る家臣は多い。

「ようこそおいでくだされた。夏姫」

「守之殿かの。このたびは夏の物見遊山に骨をおっていただき、かたじけない。しばらくは宿をお借りいたすが、なにぶんにもこちらの作法は分からぬゆえ、教えてくだされ」

「夏姫様のお気に召すものがあればよいのですが──」

 和やかな会話を聞いている分には、さすが高貴なる血に連なる方と、気品を感じさせる物腰だが、本性を垣間見ている槌也は思わず顔を強張らせた。

(──見事だ───見事すぎる猫だ───)

 自分では足元にも及ばないと、槌也は素直に認めた。

「──ときに守之殿、この夏、北のご隠居から土産話を預こうておる」

「北張のご隠居の?──」

 これは守之も初耳だったようだ。

 扇で口元を隠しつつ、夏姫が微笑んだ。

「天童教とか申す者どものことじゃ」

「や、これは……北張のご隠居様の耳に……それは、なんとも耳汚しで」

 場がざわめいた。

「守之殿も捕縛を命じておるに、逃げられておるそうな」

「これは、面目ない。そこまで」

 守之は恥じた。

 領地の管理は領主に任されている。領主が好きなように治めていい。

 しかし、あまりに領内が乱れていると、領主にその資格なしとして、領地削減、お国替え、お取り潰しとなる。

 天の使いを称し、人心を惑わせている者を野放しにして、捕まえられないとなれば、能力を疑われても仕方ない。

 ましてやそれが北張の隠居に知られたとあれば、皇帝や皇家には筒抜けだ。

 まさしく、面目丸つぶれである。

 古の約定により土御門にそれはないが、それだけに能無しの判を押されたも同然だ。

 それが許嫁の口から出たとなれば、なおさらだ。

 夏姫は優雅に扇をふった。

「さても仕方のなきことよ、守之殿の傍に、天童に通じておるものがおっては、のう」

 ちらりと夏姫の目線が控えている家臣一同に向けられた。

「なんと申される!」

「妾が言付かってきておるは、その不埒者の名よ、聞きたいかの? 守之殿」

 ころころと鈴を鳴らすように夏姫が笑った。場のざわめきは頂点に達しようとしていた。

「その者の名は──」

 槌也は弾かれたように顔を上げた。人のにおいは感情で微妙に変わる。槌也の嗅覚は、殺気のにおいを嗅ぎつけていた。

「柿崎兵武」

 夏姫がその名を口にするか否か──その刹那に脇差を抜いて夏姫に斬りつけようとした者がいた──ひとつの影が一瞬でその前に立ちはだかり、その手を捕らえて捻り上げ、脇差を落とさせると、背中に体を被いかぶせ、取り押さえた──まさしく刹那の出来事──その者の席が上座に近かったことと、あまりにも意外な相手であったため、とっさに対処できたのは槌也だけだった。

「脇差を!」

 槌也に言われ、慌てて回りのものが脇差を取り押さえ、遠ざけた。

「柿崎殿……」

「何ということを!」

 騒然とする一同。無理もない。

 やがて正室となる予備血統家水野家の姫に、筆頭家老が斬りかかったのだ。

 夏姫が優雅な流し目を送った。

「そちが柿崎兵武かの。なんとも見苦しいさまよの。この不忠者が」

 襲われかけたというのに、夏姫は微動だにしていなかった。

 柿崎は押さえ込まれたまま、わめいた。

「こ、この柿崎が、天童教に通じておると、言われるか! なにを根拠に!」

「そなたの今の所業が、何よりの根拠であろう?」

 夏姫に鼻で笑われ、柿崎がたじろいだ。

 夏姫の追及はとまらない。

「そなた今なにをしようとしやった? わが無実を訴えようとしたかえ? 濡れ衣を着せられる恥辱に腹を切ろうとしたかえ? 違うであろ。妾の口を封じようとしたであろう。それも名を口にする前に、抜いておったの。わが名が出ることが分かったおったのであろう。違うかえ?」

 ぐっと柿崎が息を飲んだ。

 夏姫が勝ち誇ったように喉をそらして笑う。

「そなた、守之殿にはよう側室を持つよう申しておったそうじゃな。土御門は子ができにくいゆえにのう」

 守之が顔を赤らめた。

 どうやら事実のようだ。北張の隠居が調べたものだろうが、そんな内々のことをどうやって探り当てたものか。

 恐るべし北張の隠居。

 夏姫は謡うように続けた。

「されど、その実、我が息のかかったものを守之殿の寝所に送り込み、そこから藩政を私しようとする腹が見え見えじゃ。守之殿が渋っている間に、この夏との縁談が持ち上がり、さぞ慌てたであろう。正室が予備血統家では、さすがにいくら側室でも憚らねばならぬ。そなたの野心、風前の灯じゃのう」

 くすくすと扇の陰で夏姫が笑った。

「そこでそなたは夏を亡き者にしようとする。理由はいくらでもつけられようが、かねてから通じておった天童の者を動かした。そうであろう。夏は道中、哀れ刺客の手にかかり果て、槌也殿は責を問われる。そなたは傷心の守之殿に側室をすすめ、関心を得る。そういう筋書きであろう」

 夏姫は最初から襲われることを予想済みだったのである。おそらくは襲撃があったこともお見通し。密通を唆している裏で、我が身を餌に内通者を釣り上げた。

 夏姫は妙に優しい声で囁いた。

「さぞ無念であろうなあ、こうして夏は傷ひとつなくこの地にまいった」

「柿崎が、姫を襲わせたと申されますか?」

 さすがにこれは守之も黙ってはいられなかった。柿崎は筆頭家老。色々と口出しはするものの、すべては御家のためと考えてのことと思っていた。しかし、そのようなことは、間違っても土御門のためではない。

 夏姫はくすくすと笑って、槌也に流し目をくれる。

「それは、それ、護衛の者に聞かれるがよかろう」

「おのれ、柿崎! 道中の計画を細かく聞いていたは、姫を亡き者にするためか! こ、この不忠者おぉぉ!」

 顔面を真っ赤に染めて、岡部が怒鳴った。筆頭家老の柿崎であったため、道中の宿屋や道筋を聞かれても不審に思わなかったのだ。そうして柿崎が手に入れた情報が天童教に伝わっていたのだろう。

 柿崎を押さえつけながら、内心槌也は舌を巻いた。

(とんでもねえ、姫さんだぜ)

 命を狙われていると知りつつ平然としていたのは、槌也の能力を知っているからだろうが、なんとも図太い肝の持ち主である。

 冷徹の北張、豪気の西州、気品の南戸と世間では評しているが、冷徹であり続けることは、ある意味とてつもなく剛毅でなければならない。

「し、証拠は、ございますのか……」

 未だ悪あがきをする柿崎に、夏姫は冷笑を向けた。

「おや、北張のご隠居が証拠まで掴んでよいのかの? 家老の一人が予備血統家の姫の命を狙ったとあらば……まして、皇帝のお声がかりの縁談を潰すための──皇帝様の命を蔑ろにする、即ち、謀反じゃの。土御門もただではすまぬぞえ?」

 一同は息を飲んだ。確かに事が公になれば、土御門に咎が及ぶ。

「したが、当主が獅子陣中の虫を成敗するに口出しはせぬ」

 見て見ぬ振りをしてやるから、身内で治めろという意味だ。

「証拠を見つけ出すは、土御門の仕事よの。あると分かっているものを探すのじゃ、雲を掴むよりはましじゃろう。忠義の見せ所じゃ、張り切るがよいぞ」

『ははっ!』

 家臣一同が、夏姫に向かって、深々と頭を下げた。

 夏姫と北張の隠居がしたのは、夏姫を土御門に送り、内通者の名を告げただけである。それだけで土御門に巨大な恩を売りつけた。踊らされた柿崎も愚かだが、これが政治というものかと、槌也は空恐ろしくなった。

 夏姫は、これでまだ十五である。

「槌也様、代わります」

 警備の者が槌也に声をかけた。それまでずっと一人で柿崎を押さえ込んでいたのだ。

 さすがに押さえ込まれたままというのは、哀れであるし、見苦しい。

 槌也は柿崎を警備の者に渡そうとした。

 柿崎は土御門の中では名門の出で、長く筆頭家老を務めていた。いかに咎人となろうとも、下っ端の警備の者では遠慮があった。

 そこに隙があった。

 柿崎は警備を振り切り、何事かを喚いて夏姫に飛びかかろうとした。

 槌也はとっさに手加減をして当身を食らわせた。手加減をしなければ、腹をぶち抜いてしまう。

 柿崎は声もなく崩れ落ちた。

「往生際の悪い」

 ふんっと、槌也は鼻を鳴らした。柿崎のあがきは見苦しかった。この後、夏姫をどうしようと、柿崎の破滅は変わらない。

 潔く腹を切れば、まだ酌量もあったものを。

「死んだかの?」

「いえ、当身をあてただけにて」

「それは何より。聞かねばならぬ事があるからのう」

 夏姫は、柿崎の生死というより、柿崎の口からもたらされる情報の方を心配したようだ。冷徹もここまでくると、見事である。

 改めて守之が夏姫に礼を言った。

「この度の事、わが家中にこのような不心得者がいようとは、なんとお詫びしてよいやら……北張のご隠居様にも──」

「──よい。土御門のことはもはや妾にも人事にはありませぬ。妾はご隠居の言付けを申したのみ。ご隠居様はお見通しでありましょう、こうなることを。妾も守之殿のお役に立てたはなにより。そうでございましょう」

 優雅に夏姫は笑って見せた。

「妾は長旅で疲れておりますゆえ、下がらせてもらいまする。後はよいように」

 優雅に夏姫が辞去すると、守之自身が声をかけ、事件の解決に乗り出した。

 まさに土御門の威信がかかっている。おそらくは、守之がどう事を収めるか、北張の隠居の目が光っているに違いない。

 柿崎は気を失ったまま牢に運ばれ、家のものはそのまま捕まり、その屋敷には捕り方が向かった。

 槌也はやっと護衛から開放された。開放感より疲労を感じ、槌也は溜息をついた。

(兄上、本当にあれを嫁にするお積りですか! 本当に、あれでいいのか! あれが義姉かよー。近寄りたくねえ!)

 決して口には出来ぬ感想を、心のうちで喚くだけだ。

「槌也、大儀であった」

「──兄上」

「槌也様。大手柄でございますぞ」

 上気した岡部が褒め称えた。

「昨日の夜襲といい、柿崎めの反逆といい、槌也様がおらぬばどうなっていたことか! この岡部、槌也様を見誤っておりました」

「夜襲とな。やはり道中なにかあったのか」

 詳細を聞きたがる守之に、切羽詰った槌也は訴えた。

「それは後日。それよりも、杜の方が……兄上、一刻も早く下がりとうございます」

「! 杜になにかあったか?」

「結界に、大穴がいくつも開いております。このままでは……」

 妖が野に放たれることになる。

「はて? 森といいますと、お狩場のことで?」

 事情を知らぬ岡部は首をひねったが、守之は顔色を変えた。守之も土御門だ。杜の重要性はわかっている。

「許す! 槌也、杜の守護は御開祖様より土御門が仰せつかった仕事じゃ! 蔑ろにはできぬ。はよう下がるがよいぞ」

「は」

 槌也は短く答え、頭を下げてから大広場を下がった。

 混乱する城内をいいことに、人目につかぬ所で窓から降りて、庭に降り立った。入り口でひっさらうように夜叉丸を取り戻し、一目散に駆け出した。

 いやな予感が振り払っても振り払っても、湧いてくる。こういうときの勘は、いやなことによく当たる。

「間に合ってくれよ」

幕間で偉い人達が出てきます。

つーか、夏姫って葉月姫の又従姉妹なんだけどなぁ……怖い。

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